白氏文集卷十六 香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁 ― 2009年12月11日
日高睡足猶慵起 日高く
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香鑪峯雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處 心
故鄕何獨在長安
【通釈】日は既に高く、眠りはたっぷり取ったが、それでも起きるのは億劫だ。
高殿の部屋で掛布団を重ねているから、寒さは怖くない。
遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、
香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。
蘆山とはこれ名利を忘れ去るところ、
司馬とはこれ余生を過ごしやる官職。
心身ともに穏やかであることこそ、安住の地。
故郷はどうして長安に限られようか。
【語釈】◇香鑪峯 香爐峰とも。廬山(江西省九江県)の北の峰。峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。◇小閣 「閣」は高殿・二階造りの御殿。「小」は自邸ゆえの謙辞。◇遺愛寺 香鑪峰の北にあった寺。◇欹枕 枕を斜めに立てて頭を高くすることか。◇撥簾 簾をはねあげて。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また和漢朗詠集では「撥」を「卷」とする古写本がある。◇匡廬 蘆山。周代、匡俗先生と呼ばれた仙人がこの山に住んだことから付いた名という。◇逃名地 名誉・名声を求める心から逃れる場所。◇司馬 長官・次官より下の地位の地方官。
【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。『和漢朗詠集』巻下「山家」の部に「遺愛寺鐘敧枕聽 香爐峯雪撥簾看」の二句が採られ、『枕草子』を初め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出詩に由来する。
【影響を受けた和歌の例】
名にたかき嶺ならねども玉だれのあげてぞ見つる今朝の白雪(参河内侍『石清水若宮歌合』)
さむしろにあやめの枕そばだてて聞くもすずしき時鳥かな(藤原為忠『為忠家後度百首』)
暁とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな(藤原俊成『新古今集』)
玉すだれ巻きあげて見し峰の雪のおもかげながら向かふ月かな(三条西実隆『雪玉集』)
吹きおくる花はさながら雪なれや簾まきあげてみねの春風(同上)
降りいるや簾を巻きて見る峰の雪もまぢかき花の下風(三条西公条『称名集』)
玉すだれ巻きなん雪の峰もなほ見やはとがめぬ山におよばじ(烏丸光弘『黄葉集』)
まきあげぬ宿はあらじな玉すだれひまよりしらむ雪の遠山(松永貞徳『逍遥集』)
わがをかにみ雪降りけり玉だれのをすかかぐらん都方びと(橘千蔭『うけらが花』)
【参考】『枕草子』
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、少納言よ、香爐峯の雪いかならんと仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。人々も、さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ、なほ此の宮の人にはさべきなめりといふ。
『源氏物語』総角
雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめ暮らして、世の人のすさまじき事に言ふなる十二月の月夜の、曇りなくさし出でたるを、簾捲き上げて見たまへば、向ひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、とかすかなるを聞きて、
おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamatouta.asablo.jp/blog/2009/12/11/4753480/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
最近のコメント