千人万首 三条西実隆(一)2013年02月01日

立春雪

このねぬる夜のまの雪の晴れそめて今朝立つ春の光みすらし(雪玉集21)

「寝ていたこの夜の間に降っていた雪も晴れてきて、今朝訪れた春の光を見せるらしい」の意。

 京都を破壊し尽した大乱もようやく治まったものの、なお紛争の火種は絶えなかった文明十三年(1481)の作。立春を迎えた朝、白雪に反射する眩く清らかな陽光に、青年公卿実隆は平和な世への望みを託した。

 初二句は『新古今集』の藤原季通詠「このねぬる夜のまに秋は来にけらし朝けの風のきのふにも似ぬ」から借りつつ、立秋を立春に転じている。

早春鶯

またさえん嵐もしらず春の日のひかりにむかふ鶯の声(雪玉集5746)

「再び寒くなるだろう嵐も知らぬげに、春の日の光に向かってさえずる鶯の声よ」という意。

「詠三十首和歌 春日社法楽」。冷温が交互に繰り返す浅春の候、人はなお山からの寒風を予想して身構えるが、鳥はそんなこともお構いなし、春の太陽に向かってひたむきに声を響かせる。「春告げ鳥」という鶯題の本意を、新鮮な意趣のうちに活かしている。

暁梅

見果てぬもいかなる夢かをしからん暁ふかき梅の匂ひに(雪玉集185)

「見果てずに終わったどんな夢が惜しいというのだろう、夜も更けきった暁の濃艶な梅の匂いに対しては」の意。

 暁、夢から醒めたところへ梅が匂う。没入していた夢の名残惜しさも打ち消す、その香りの深さ。「ふかき」は「時が更けている」「香が濃い」の両義。本歌は『古今集』の壬生忠岑詠「命にもまさりてをしくある物は見果てぬ夢のさむるなりけり」。恋から季へ転じつつ、唱和した趣である。

春月

大空はかすみながらに海原をはなれてのぼる月のさやけさ(雪玉集286)

「見上げる大空はまだ霞んだままに、海原を離れて昇ってゆく月の光のさやかなことよ」という意。

 朧月を賞美するという「春月」題詠の常套を破る。初二句は定家の新古今入集歌「大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月」の風格に学びながら、下句で対照的な趣を打ち出した。

静見花

見るがうちになほ咲きそふもうつろふもただつくづくと花ぞかなしき(雪玉集6234)

「ひねもす眺めているうちに、さらに咲き添う花もあり、色衰えてゆく花もあり、ただしみじみと花が(かな)しいことよ」という意。

 永正九年(1512)正月の「試筆十首」。静かに花を見て終日過ごす心。初句「見るがうちに」は実隆の好んだ句で、例えば「春雨」題では「見るがうちにつぼめる花の色付きて露ひかりそふ木々の雨かな」と遣っている。

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