立春 春立つ (和歌歳時記メモ) ― 2013年02月03日
立春は二十四節気の一つ。冬至と春分の中間点で、日本の多くの土地では厳しい寒さがようやく緩み始める時節に当たる。太陽暦では2月4日頃。旧暦では正月一日前後になる。
和語では「春立つ」という言い方があり、これを「季節が春になる」の意で用いたのは、おそらく漢語「立春」から影響を受けてのことだろう。もっとも、正月になり新年を迎えることも春の始まりであったから、常に節気としての立春を強く意識して「春立つ」という語を遣っていたわけでもないと思われる。古人にとっては、新年と立春と、二つの春の始まりがあったのだ。この二つが一日に重なることは稀で、大抵は何日かずれる。そこから生じる戸惑いを面白く詠んだのが『古今集』の巻頭歌なのだ。
旧年 に春立ちける日よめる 在原元方年の内に春は来にけりひととせを
去年 とや言はむ今年とや言はむ
「まだ新年が来ていないというのに、年内に春は来てしまったよ。この一年を昨年と言おうか、それとも今年と言おうか」。
因みに今年の立春は明日2月4日であるが、旧暦では前年の十二月二十四日になってしまう。「年の内に春は来にけり」というわけだ。
さて立春を詠んだ秀歌を探すなら、勅撰集の最初の頁を見るのが手っ取り早い。中でも傑作として名高いのが『拾遺集』の巻頭歌だ。
平定文が家歌合によみ侍りける 壬生忠岑
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝はみゆらん
「吉野は雪が深く、春の訪れの遅い山というが、春になった今朝眺めると、ぼんやりと霞んで見える。暦の上で春になったというだけで、こんな風に見えるのだろうか。あの吉野山さえ霞んでいるということは、世は本当に春になったのだろうよ」。くどく訳してみると、こんなふうになろうか。平明だが、何度読んでも味わいの深い歌だ。
もとより立春は一年の最初の節目。季節が順当な気候のうちに進んでゆくことは、人の死活に関わる問題だから、春の始まりの日に春らしい兆しが感じられるのは、大変めでたいことだ。真っ当に暑い夏、真っ当に涼しい秋、真っ当に寒い冬。立春詠には、一年の穏やかな季節の巡りと、それがもたらす自然の豊かな恵みへの、人々の祈りが籠められている。
コメント
_ 水垣(立春例歌) ― 2013年02月03日 21時56分
_ betty ― 2013年02月04日 08時55分
_ 水垣 ― 2013年02月04日 17時05分
_ ういろう ― 2013年02月11日 08時18分
電子辞書、上梓とのこと、おめでとうございます。
日本の定家研究全体を未来につなげる大きな足がかりが一つの形になったのではないでしょうか。水垣さまのたゆまぬ努力の賜物、素晴らしい業績として敬服いたしております。
昨日は旧暦の正月でしたね。
お盆の行事を必ず旧暦で行う程、旧暦の習慣の根強い沖縄ですが、正月行事はだいぶ新暦の方が優勢になり、今では旧暦正月を祝う風習は港の栄えた海沿いの地域一部となりました。
今頃を正月だと思って感じてみると、「新春」のことば、昔はしみじみと季節の実感を伴って迎えていたんだなとわかりますね。
若菜摘みも小松引きも、文字通り今年の新しい春を見つけ出しに行く行事だったんだなと思います。
最近は私の方も作歌活動も休止中で、なかなかご縁を活かせないでおりますが、久しぶりにお寄りしてみました。お身体にお気を付けてお過ごし下さい。
それではまた。
_ 水垣 ― 2013年02月12日 23時46分
こちらこそご無沙汰しております。
拾遺愚草の電子出版につき、暖いお言葉を有り難うございます。
いずれ専門家の方によって出版して頂かなくては困る書物なのですが、しびれを切らして上梓してしまいました。
わずかでも和歌愛好家の方々の手に届くとよいのですが。
今年は二月十日が旧正月だったのですね。
沖縄でも旧正月が廃れつつあるというのは残念な気がします。
そういえば、以前、横浜の中華街のそばで仕事していたことがあったのですが、春節が近づくとおのずと熱気が伝わってきたものでした。
年賀状の「新春」は形だけになっていまいましたが、春の兆しがそこかしこに感じられるようになる今頃こそは、その言葉にふさわしい季節ですね。
何かと歌心をそそられる時節ではありませんか? またういろう様や皆様と楽しい歌会の場が持ちたいものだと思いを馳せる今日この頃です。
こちらは寒暖の差が激しい折ですが、沖縄では温かかったり涼しかったりという感じでしょうか。くれぐれもご自愛下さい。
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ひさかたの天の香久山このゆふべ霞たなびく春たつらしも
『万葉集』巻二十(十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首)大伴家持
あらたまの年ゆきがへり春たたばまづ我が宿に鶯は鳴け
『詞花集』(堀河院御時百首歌…中略…春たつ心をよめる)大江匡房
こほりゐし志賀の唐崎うちとけてさざ波よする春風ぞふく
『新古今集』(左大将家にておなじ心を)俊恵
春といへば霞みにけりな昨日まで浪まに見えし淡路島山
『新古今集』(詞書略)藤原俊成
今日といへば唐土までも行く春を都にのみと思ひけるかな
『続千載集』(春たつ心をよみ侍りける)藤原定家
出づる日の同じ光に四方(よも)の海の波にもけふや春は立つらむ
『新古今集』(春たつ心をよみ侍りける)藤原良経
みよし野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
『嘉喜門院御集』(春)嘉喜門院
白雪のなほかきくらしふるさとの吉野のおくも春はきにけり
『十躰和歌』(立春)心敬
今朝はまだかすまぬ山も昨日より遠きばかりを春の色かな
『雪玉集』(立春雪)三条西実隆
このねぬる夜のまの雪の晴れそめて今朝立つ春の光みすらし
『露底集』(立春)岡本宗好
筆の海に今朝うつしても先づぞ見るさかゆく御代の春といふ文字
『しのぶぐさ』(社頭立春)八田知紀
住吉の神のともし火かすむなり御津の浜辺に春やたつらむ
『長塚節歌集』
春立つと天(あめ)の日渡るみむなみの国はるかなる空ゆ来らしも
『短歌行』山中智恵子
道の辺に人はささめき立春の朝(あさ)目(め)しづかに炎えやすくゐる