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千人万首 足代弘訓2014年06月23日

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足代弘訓 あじろひろのり 天明四~安政三(1784-1856) 号:寛居ゆたい 通称:式部・権太夫

伊勢外宮の祠官、足代弘早の子。伊勢神宮の権禰宜となり、正四位上に叙せられる。

十七歳の時、荒木田久老に入門して万葉集等を学んだが、間もなく久老が没すると、本居春庭本居大平に師事して国学を学んだ。その後上京して有職故実などを学び、さらに江戸に出て狩谷棭斎・塙保己一など多くの学者・文人と交流した。諸学に通じ、寛居の塾には多くの門弟を抱えた。また天保大飢饉における窮民の救済や、伊勢神宮祠官の弊習を打破する運動にも奔走したという。

和歌は手すさびになすばかりであったというが、家集『海士の囀』を残す(続日本歌学全書第三巻に抄録)。以下は同集より抜萃した。

咲くを待ち萌ゆるをいそぎ鶯も柳につたひ梅になくらむ

「花が咲くのを待ち、若葉が萌えることに心く。春浅い季節、人はそんな気持で過ごしているが、鶯もまた同じような思いで、せわしなく柳の枝を伝い移り、梅の枝に鳴いているのだろう」。

上二句と下二句をそれぞれ対句風にした面白い構成である。「鶯」と言うのは、人に対してであろう。いそがしく枝移りして鳴くこの鳥の習性を、春告げ鳥という本意に巧みに活かしている。

夏鳥

めぐりきてまた山雀やまがらのくぐるかな風車咲く宿の垣間を

「一巡りして来て、また山雀が潛ってゆくよ。風車の花が咲く我が宿の垣の隙間を」。

「夏鳥」は鎌倉時代以降に見える歌題で、やはり時鳥を詠んだ例が多い。山雀はそもそも和歌ではほとんど取り上げられなかった題材である。「風車」は山に生える蔓草の仲間で、花は鉄線やクレマチスに似て大きく、色は紫か白。この花を詠んだ和歌は、新編国歌大観を検索すると井上文雄の『調鶴集』の一首がヒットするのみ。こうした題材の珍しさにまず興を惹かれるが、山雀と言い風車と言って里遠い山を感じさせ、また「垣間」には庵の荒れたさまも想われよう。敏捷な小鳥の愛らしい習性を飽かず眺めているのは、山家に寂しく暮らす人なのであろう。

「めぐり」は「風車」の縁語。

沢月

浅沢の水のゆくへも知られけりひとすぢ白き月のひかりに

「浅い沢水の流れてゆく先も知られるのだった。水面にひとすじ映じた、白い月の光によって」。

「沢月」は鎌倉時代も末になってから見られる歌題。しばらく沢に溜っていた水も、水草の間をまたいずこへか流れてゆく。月の光に白く映じたその細い一すじが、秋らしい情趣を引いて。

冬駅

駅路うまやぢの冬ぞさびしき旅人を門もる犬も待ちがほにして

「駅路の冬こそは寂しい。門番をする犬も、旅人の訪れを待ち顔で」。

「冬駅」題は前例未見であるが、「駅路雪」などは以前からしばしば和歌の題とされてきた。歌はありふれた景で、現代の人には興も惹かれまいが、犬馬といった家畜の擬人化などは古歌に見られない表現で、近世という時代の刻印は確かにあるのである。

「駅路」は、旅人を宿泊させたり、人馬の乗り替えをするための設備がある路。江戸時代には宿場町として栄えた。


余録

  月前落花
夕ぐれにふる薄雪のここちして朧月夜にちるさくらかな

  雲雀

富士の嶺のいづこまでとか霞たつ裾野の雲雀声あがるらむ

  ひひなの画に
八とせ子のひひなあそびも行末の妹背の仲の語らひにして

  春人事
海人の子は梅の花貝桜貝ひろふや春のすさびなるらむ

  虫
露かふを夕しめりとや思ふらん虫籠の虫の鳴き出でにけり

  秋風寒
となりにもはなひる声の聞こゆなり俄にかはる風の寒さに

  述懐
老いにける身を歎くかな黒船の相模の海によると聞くにも

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