佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線9 富士山 ― 2015年02月20日
富士山
富士の嶺に降りおける雪は六月の望に消ぬれば其夜ふりけり
道すがらふじの烟もわかざりきはるるまもなき空のけしきに
立ちならぶ山こそなけれ秋津州わが日の本の富士の高嶺に
富士の嶺に登りて見れば天地はまだ幾ほどもわかれざりけり
富士の嶺は山の王にて高御座そらにかけたる雪のきぬがさ
二つなき富士の高嶺の奇しかも甲斐に有とふ駿河にも有とふ
心あての雲間はなほも麓にておもはぬ方に晴るゝ富士の嶺
夕立の晴れたる跡にあらはれて虹より上にたてる富士の嶺
うつくしくあやにたへなりかしこくも神の造れる我おほみ山
青雲をさしつらぬきてましろなる富士が嶺たてり二月の空に
富士の嶺を天つみ空に残しおきて此世の今日は暮果にけり
おのづから成らむまにまに任せつつなれる姿を富士の嶺に見し
何もなしただ星空を黝うせる大き斜面のおごそかなりや
白雲のむらがる中におのづから光る雲あり富士にしあるらし
天の下一つ御国にならむ日も山のつかさの富士の神山
群山は雲のたもとにおほはれて御空に匂ふふじの白雪
天地に物音もあらず月一つ空にかかれり富士のみねの上
見るままに清く静けくうるはしく果は悲しき峯の上の月
声高に物は語らじほど近き星の宮人ねぶりさむべし
天近き宝の岩床夜をさむみ人の世恋し人の身われは
いつよりか天の浮橋中絶えて人と神との遠ざかりけむ
もゆる火のもえたつ上に天ぎらひみ雪ふりけむ神代をぞ思ふ
八十国を巌の下に雲の下に踏み沈め行くわが足たふとし
人の息に灯にごれる室出でて静かにぞきく星のささやき
富士の裾野
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲
時知らぬふじの裾野の花薄穂にいづる見れば秋にざりける
行けど〳〵玉蜀黍の穂の光り富士あらはにも夕焼したり
富士のねを横ぎる雲もこほるらし裾野をかけて雪ましろなり
立髪を裾野の風に吹かせつつ馬のあゆみのここちよきかも
朝さむきさぎりの上に富士晴れて草花十里露にねぶれり
駒なめてゆくや裾野の秋風に心をどればをどる糸だて
裾野近く春の日も暮れぬ灯ともれる家のわきなる木蓮の花
三島
箱根西麓の宿駅、三島神社あり。
あはれとやみ島の神の宮柱たゞここにしもめぐり来にけり
関こえて三島にやどる夕ぐれに思へば家をとほざかりぬる
富士曇り箱根に日照り軒近みのうぜんかづら咲きにけるかも
補録
富士山
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が心かな
水無月のなかばに消えし白雪のいつしか白き富士の山風
朝ぼらけ霞へだてて田子の浦に打ち出でてみれば山の端もなし
足柄の山たちかくす霧の上にひとりはれたる富士の白雪
北になし南になしてけふいくか富士の麓をめぐりきぬらん
雲かすみながめながめて富士のねはただ大空につもる雪かな
年へても忘れぬ山のおもかげを更に忘れて向ふ富士かな
この神よいかにふ神ぞ青雲のたなびく空に雪のつもれる
雪ふれば千里もちかし欄干のもとよりつづく不二の柴山
ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間に淡き富士見ゆ
汐けむりもやごもる磯に夕富士は紺の色してたかくしありけり
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