<< 2009/10 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

RSS

「やど」といふ語2009年10月02日

古語、特に和歌に使はれた語は、ひとつの語に多くの意味を担はせてゐる場合が少なくありません。いえ掛詞の話ではありません。例へば「やど」といふ語。今「やど」と言へば、旅館やホテルなど、旅先で泊まる場所を言ふのが普通でせう。ところが和歌では「家屋」「家屋の戸」「家の庭」「旅宿」と、おほよそ四つの意味で用ゐられてゐるのです。
・家の意:君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く(額田王)
・家の戸の意:夕さらばやど開けまけて我待たむ夢に相見に来むといふ人を(大伴家持)
・庭の意:秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどの撫子咲きにけるかも(大伴家持)
・旅宿の意:君が行く海辺のやどに霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(作者未詳)
すべて万葉集より。「やど」は原文では上からそれぞれ「屋戸」「屋戸」「屋前」「夜杼」と書かれてゐます。
そもそも語源は「屋処(やと)」、すなはち《家屋のあるところ》の意で、元来は家とその周辺を言ふ語であつたやうです(白川静『字訓』)。
それにしても、家の内、家の外、内と外の境界、ひつくるめて「やど」の一語で表すとは、実に面白く感じます。昔の日本人の《家》をめぐる空間的な感覚が偲ばれます。さう言へば、ちよつと昔まで日本人は家の中に《土間》といふ家の内と外の中間地帯のやうな場所を必ず設けてゐましたし、また《縁側》といふ家の内と外とを自由に往き来できる場所を必ず設けてゐたのでした。
また、自宅と旅宿を「やど」と呼んで区別しないことも興味深い。持ち家であらうが、借家であらうが、旅の宿であらうが、いづれ一時のかりそめの宿りに過ぎぬ。骨身に沁みて無常を識つてゐた古人の潔さが偲ばれるではありませんか。
なほ、「旅宿」の意で「やど」を使ふ――すなはち現代口語と同じ使ひ方ですが――のは、もともとは誤用で、名詞「やど」と動詞「やどる(屋取る→宿る)」との混同から来てゐます。「取る」のトは乙類ですが、「屋処(やと)」のトは甲類です。意外なことに、「やど」と「やどる」は本来関係のない語だつたのです。とは言へ現存最古の歌集である万葉集に既に見られる使ひ方なのですから、これを「誤用」と呼ぶのは誤用と言ふべきでせう。