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白氏文集卷十二 長恨歌(五)2010年09月01日

長恨歌(承前) 白居易

風吹仙袂飄颻舉  風吹きて 仙袂(せんべい)飄颻(へうえう)として挙がり
猶似霓裳羽衣舞  ()霓裳(げいしやう)羽衣(うい)の舞に似たり
玉容寂寞涙瀾干  玉容(ぎよくよう)寂寞(じやくまく)として涙瀾干(らんかん)たり
梨花一枝春帶雨  梨花(りか)一枝(いつし) 春 雨を帯ぶ

【通釈】風が吹いて、仙女の袂は踊るようにひるがえり、
かつて宮殿に奏した霓裳羽衣の舞を思わせる。
玉のかんばせは精気に乏しく、涙がとめどなく溢れ、
あたかも春雨に濡れた一枝の梨の花だ。

【補記】第九十七句から百句まで。仙宮を訪れた方士の前に、玉妃(楊貴妃の魂魄)が姿をあらわす。「梨花一枝春帯雨」の句は名高く、『平家物語』などの古典文学に引用されている。以下の歌はすべて同句を踏まえた歌である。

【影響を受けた和歌の例】
春の雨にひらけし花の一枝を波にかざして生の浦梨(俊成卿女『建保名所百首』)
聞きわたる面影見えて春雨の枝にかかれる山なしの花(藤原為家『新撰和歌六帖』)
露はらふ色しをれても春雨はなほ山なしの花の一枝(正徹『草根集』)

含情凝睇謝君王  情を含み (ひとみ)を凝らして君王に謝す
一別音容兩眇茫  (ひと)たび別れてより音容(おんよう)(ふたつ)ながら眇茫(べうばう)たり
昭陽殿裡恩愛歇  昭陽殿裡(せうやうでんり) 恩愛()
蓬莱宮中日月長  蓬莱宮中(ほうらいきゆうちゆう)日月(じつげつ)長し
迴頭下視人寰處  (かうべ)(めぐ)らして下に人寰(じんくわん)の処を視れば
不見長安見塵霧  長安を見ず 塵霧(ぢんむ)を見る

【通釈】玉妃は思いを籠め、瞳を凝らして謝辞を述べる。
「ひとたびお別れしてから、お声もお顔も渺茫と霞んでしまいました。
昭陽殿(注:漢の成帝が愛人を住まわせた宮殿の名を借りる)の内で頂いた恩愛は尽き、
ここ蓬莱宮の中にあって長い歳月が過ぎました。
頭をふりむけて、下の人間世界を望みましても、
長安の都は見えず、ただ塵と霞が立ち込めているばかり」。

【補記】第百一句から百六句まで。玉妃から帝への伝言を叙す。高遠の歌は「蓬莱宮日月長」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
ここにてもありし昔にあらませば過ぐる月日も短からまし(藤原高遠『大弐高遠集』)

唯將舊物表深情  ()旧物(きうぶつ)()ちて深情(しんじやう)(あらは)
鈿合金釵寄將去  鈿合(でんがふ) 金釵(きんさい) 寄せ()ちて去らしむ
釵留一股合一扇  (さい)一股(いつこ)を留め (がふ)一扇(いつせん)
釵擘黄金合分鈿  (さい)黄金(わうごん)()(がふ)(でん)を分かつ
但敎心似金鈿堅  ()し心をして金鈿(きんでん)の堅きに似せしむれば
天上人閒會相見  天上 人間(じんかん) (かなら)相見(あひみ)

【通釈】「今はただ、昔の持ち物で、私の深い心をお示ししたく、
螺鈿(らでん)の小箱と金のかんざしを託して持って行かせます。
金のかんざしは二つに裂き、小箱は身と蓋に分けて、
かんざしの一つと、小箱の片割れを手許に留めます。
もしこのかんざしの金や小箱の螺鈿のように心が堅固でありましたなら、
天上界と人界と、別れていてもいつか必ずお会いできるでしょう」。

【補記】第百七句から百十二句まで。引き続き玉妃から帝への伝言を叙す。

臨別殷勤重寄詞  別れに臨んで殷勤(いんぎん)に重ねて(ことば)を寄す
詞中有誓兩心知  詞中(しちゆう)に誓ひ有り 両心のみ知る
七月七日長生殿  七月七日(しちげつしちじつ) 長生殿(ちやうせいでん)
夜半無人私語時  夜半(やはん) 人無く 私語(しご)の時
在天願作比翼鳥  天に在りては 願はくは比翼(ひよく)の鳥と()
在地願爲連理枝  地に在りては 願はくは連理(れんり)の枝と()らん
天長地久有時盡  天長く地久しきも 時有りて()
此恨綿綿無絶期  此の恨みは綿綿(めんめん)として絶ゆる(とき)無からん

【通釈】別れに臨み、玉妃はねんごろに重ねて言葉を贈る。
その中に帝と交わした誓いごとがあった。二人だけが知る秘密だ。
ある年の七月七日、長生殿(注:華清宮の中の御殿)で、
夜半、おつきの人も無く、ささめごとを交わした時、
「天にあっては、願わくば翼をならべて飛ぶ鳥となり、
地にあっては、願わくば一つに合さった枝となろう」と。
天地は長久と言っても、いつか尽きる時がある。
しかしこの恨みはいつまでも続き、絶える時はないだろう。

【補記】第百十三句より百二十句まで。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の両句はことに名高く、これを踏まえた和歌は数多い。

【影響を受けた和歌の例】
・「誓両心知」の句題和歌
たなばたや知らば知るらん秋の夜のながき契りは君も忘れじ(源道済『道済集』)
・「七月七日長生殿」の句題和歌
かつ見るに飽かぬ嘆きもあるものを逢ふよ稀なる七夕ぞ憂き(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥」の句題和歌
おぼろけの契りの深きひととぢや羽をならぶる身とはなるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在地願為連理枝」の句題和歌
さしかはし一つ枝にと契りしはおなじ深山のねにやあるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の影響歌
木にも生ひず羽もならべで何しかも浪路へだてて君をきくらん(伊勢『拾遺集』)
君と我この世ののちののちもまた木とも鳥ともなりて契らん(二条太皇太后宮大弐『二条太皇太后宮大弐集』)
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(崇徳院『久安百首』)
鳥となり枝ともならんことのはは星のあふ夜や契り定めし(正徹『草根集』)
枝かはす木にだに生ひぬ山梨の花は涙の雨ぞかかれる(下河辺長流『林葉累塵集』)
・「此恨綿綿無絶期」「此恨綿綿」の句題和歌
ありての世なくてののちの世も尽きじ絶えぬ思ひの限りなければ(藤原高遠『大弐高遠集』)
岩根さす筑波の山は尽きぬとも尽きむ世ぞなきあかぬ我が恋(源道済『道済集』)
・その他
月も日も七日の宵のちぎりをば消えぬほどにもまたぞ忘れぬ(伊勢『伊勢集』)
七夕の逢ひ見し夜はの契りこそ別れてのちの形見なりけれ(藤原実定『林下集』)
七夕は今も変はらず逢ふものをそのよ契りしことはいかにぞ(藤原俊成『為忠家初度百首』)
ふみ月のそのかねごともまぼろしの便りよりこそ世に知られけれ(石野広通『霞関集』)