佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国13 松山津 ― 2016年12月10日
香川県坂出市「松山の津」旧蹟周辺を望む(向いの島は与島。橋は瀬戸大橋)
補録
松山津
香川県坂出市東部。讃岐国の国府に近い要港であった。保元の乱に敗れて流された崇徳上皇の上陸地として名高い。雄山の北東の麓に松山津の石碑がある。坂出駅より琴参バス王越線高屋局前下車。(前項「白峰」も参照されたい。)
松山の松の浦風ふきよせば拾ひてしのべ恋忘れ貝
すけよしの朝臣の讃岐にあるころ、九月ばかりおくりし
ふるさとは紅葉しぬめり松山のときはの影を見や馴れぬらん
讃岐につかせ給ひしかども、国司いまだ御所をつくり出さざれば、当国の在庁、散位高季といふ者のつくりたる一宇の堂、松山といふ所にあるにぞ入れまゐらせける。されば事にふれて都をこひしく思しめしければ、かくなん
浜ちどり跡は都へかよへども身は松山に音をのみぞなく
(注:「浜ちどり」は砂浜に特徴的な足跡を残すことから「跡」を導く枕詞。「跡」とは、書き残した跡、すなわち消息のこと。)
松山の涙は海にふかくなりてはちすの池に入れよとぞ思ふ
(注:『山家集』より。作者名は「女房」とある。讃岐の崇徳院にあてた西行の歌「其日よりおつる涙を形見にて思ひ忘るる時のまもなし」に対し、崇徳院お付きの女房の作として返した歌。)
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