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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近14 住吉~武庫2015年06月14日

神戸市街より摩耶山・六甲山を望む

神戸市街より摩耶山・六甲山を望む。

住吉

六甲山の南麓

三条末子

住吉や霧の中より浮びくる夢の白帆に心をどりぬ

はろばろと来し住吉の君が家緋桃匂へり青き海みゆ

六甲山

住吉駅の北方に聳ゆ。

六甲山々上にて
星野須磨子

山高み空にかゝれる月さへもものいふばかり親しげにみゆ

摩耶山

六甲山西方の山、寺あり 天上寺といふ。

川田順

海霞む南おもてを登りきて雲の但馬の国見するかな

武庫むこ

誠拙

しばらくは都となりし津の国の武庫の浦わの初雁の声

摂州師団対抗演習の時
乃木希典

朝まだき武庫の川原は霧こめて駒のひづめの音のみぞする

補録

住吉

与謝野晶子

狭霧より灘住吉の灯を求め求め難きは求めざるかな

六甲山

古くは武庫山、武庫の山とも称した。

慈円

木の葉ふく武庫の山風立ちぬらしあやしや軒に海士の釣船

藤原家隆

葦の葉に夕霧たちぬ難波潟むこの山辺も色づきぬらむ

京極為兼

月にこぐ夜舟はるかに音すみて鹿のねおろすむこの山かぜ

窪田空穂

海のかぜ南より吹けば六甲の高根の草はみな花となれり

土屋文明

六甲の峰はいづくに尽くるらむ行けば行く先の高き草山

武庫

「武庫の泊」「武庫の浦」は武庫川河口付近。武庫川は兵庫県篠山市より大阪湾に注ぐ。

 

高市黒人(万葉集)

住吉すみのえ得名津えなつに立ちて見渡せば武庫むことまりゆ出づる船人

山部赤人(万葉集)

武庫の浦を榜ぎ粟島あはしまをそがひに見つつともしき小舟

作者未詳(万葉集)

武庫川の水脈みををはやみと赤駒の足掻あがくたぎちに濡れにけるかも

玉はやす武庫むこの渡りにあまづたふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ

武庫の海の庭よくあらしいざりする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ

徳大寺実定

武庫の浦をなぎたる朝に見わたせば眉もみだれぬ阿波の島山

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近13 蘆屋2015年06月13日

芦屋浜公園

写真は芦屋浜。背景は東神戸大橋と六甲山地。

これより東海道本線に還りて、大阪湾の北岸を神戸に向ふ。

蘆屋

蘆屋駅所在地。(水垣注:現在は「芦屋」と書く。)

藤原良経

いさり火の昔の光ほのみえて蘆屋の里に飛ぶ蛍哉

香川景樹

あしや潟海松みる拾ふ子にこととはん眉ひきたるや紀路の遠山

補録

蘆屋

水垣注:蘆屋(芦屋)は和歌では侘しげな旅泊地として詠まれることが多かった。「蘆屋」は蘆で編んだ粗末な仮小屋をも意味したからである。また業平がこの地で詠んだ歌(初出は伊勢物語)により蛍の名所ともされた。

高橋虫麻呂(万葉集)

葦の屋の菟原処女うなひをとめの奥つを行きと見ればのみし泣かゆ

作者未詳(伊勢物語)

蘆の屋のなだの塩焼いとまなみ黄楊つげ櫛もささず来にけり

在原業平(新古今集)

晴るる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か

藤原俊成(新勅撰集)

はるかなる芦屋の沖のうき寝にも夢路はちかき都なりけり

俊恵(千載集)

ながめやる心のはてぞなかりける芦屋の沖にすめる月影

藤原定家(続後撰集)

芦の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひも恋も夜はもえつつ

同(続拾遺集)

ほのぼのと我がすむかたは霧こめて芦屋の里に秋かぜぞ吹く

藤原家隆(続古今集)

いつもかくさびしきものか津の国の芦屋の里の秋のゆふぐれ

頓阿

芦屋潟波のいづくもあらはれて夕日にかへる沖のつり舟

三条西実隆

立ちまがふ蘆屋の里の夕がすみ花に宿とふ行方のみかは

大隈言道

波のうへに月かたぶけば浦千鳥とぶかげうつる芦の屋の窓

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近12 猪名野・有馬2015年06月12日

有馬富士(兵庫県三田市)

写真は有馬富士。兵庫県三田市。

神崎より福知山線によつて伊丹、有馬方面に向ふ。

猪名野ゐなの

伊丹附近の原野をいふ。

大弐三位

有馬山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする

有馬

福知山線の三田駅より軽便鉄道あり。東海道線よりすれば六甲山の背後に当る。(水垣注:有馬温泉へは神戸電鉄有馬線有馬温泉駅下車。)

上田秋成

みぞれふり夜のふけゆけば有馬山出湯いでゆむろに人のもせぬ

補録

猪名野

高市黒人

我妹子わぎもこに猪名野は見せつ名次山なすきやまつのの松原いつか示さむ

猿丸大夫

しながどり猪名のふし原青山にならむ時にを色はかはらむ

上西門院兵衛

おしなべて鹿の子まだらに見ゆるかな雪むらぎゆる猪名の笹原

藤原定家

もろともに猪名の笹原みち絶えてただ吹く風の音に聞けとや

宗良親王

へだてゆく猪名野の原の夕霧に宿ありとても誰かとふべき

木下幸文

春はまだ遠くやゆかぬ打ちわたす猪名のむら山薄霞せり

猪名の湊

猪名川(神崎川に合流)の河口の水門という。

藤原隆信

うき寝する猪名の湊にきこゆなり鹿の音おろす峯の松風

西園寺実氏

さしのぼる猪名の湊の夕潮にひかりみちたる秋のよの月

有馬

作者未詳

しなが鳥猪名野を来れば有間山夕霧立ちぬ宿りはなくて

伝花山院

有馬富士ふもとの霧は海に似て波かときけば小野の松風

定為

ありま山みね行く雲に風さえて霰おちくる猪名のささ原

伏見院

とまるべきかたやいづこにありま山やどなき野べの夕暮の雨

正徹

ありま山仏の身よりいだす湯に清き悟りもなどかなからん

木下長嘯子

いで湯わく谷のかげ草まづもえて有馬山風春や立つらん

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近11 四條畷~神崎2015年06月11日

箕面の勝尾寺

写真は箕面の勝尾寺。写真ACフリー素材。

大阪市より東に向ひて片町線あり。

でふなはて

小野務

とても世に長らへはせぬ花なれどをしくもあるかな飯盛いひもりの山

(水垣注:飯盛山には三好長慶が本拠とした城があった。大阪府大東市。)

本居豊穎

へしそのくすの木の小枝さへなき数に入るあとの寒けさ

箕面

大阪の北方にあり。滝あり、紅葉あり。

朝場重三

白雲に風ふき起り乱れとぶ箕面のみねのもみぢ葉朽葉

神崎

古くは京都より西方にゆく水路はこの地を流るゝ神崎川によれり。江口神崎などの地名の世に聞えたるもこの故なり。

熊谷直好

五月雨に茅原ちはら蘆原水越えてわたし場遠し神崎の里

三島江
源通光

三島江や霜もまだぬ芦の葉につのぐむほどの春風ぞふく

補録

箕面

鴨長明

みのお山雲かけつくる峰の庵は松のひびきも手まくらの下

苔ふかき箕面のおくの杉の戸にただ音するは鹿の音ばかり

勝尾寺にて
法然

柴の戸に明け暮れ懸かる白雲をいつ紫の色に見なさむ

神崎

井上文雄

一夜とて結び捨てにし神崎の夢のたたりぞいくよともなき

三島江

かつて河内平野を満たしていた湖のなごり。摂津国の歌枕。現在の大阪府高槻市の淀川沿岸にあたる。真薦・蘆などの名所で、遊里としても知られた。

曾禰好忠

三島江につのぐみわたる蘆の根のひとよのほどに春めきにけり

行尊

三島江の水鳥さわぐ夕暮に袖うちぬらし今ぞ過ぎゆく

藤原忠通

夏ふかみ玉江にしげる蘆の葉のそよぐや船の通ふなるらむ

藤原清輔

みごもりに蘆の若葉や萌えぬらむ玉江の沼をあさる春駒

藤原定家

三島江の波に棹さすたをやめの春の衣の色ぞうつろふ

藤原雅経

葦辺ゆく鴨の羽風もさむき夜にまづ影こほる三島江の月

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近10 生駒山2015年05月29日

生駒山

大阪市の東方に聳ゆ。大和河内の国境に立てる山。

服部綾足

おとなしき生駒の山の秋姿入日のあとの紫のよさ

補録

大田部三成

難波門なにはとを漕ぎ出でて見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞ棚引く

作者未詳

妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉もみち散りつつ

作者未詳

君があたり見つつを居らむ生駒山雲なかくしそ雨は降るとも

西行

秋篠や外山の里やしぐるらん伊駒いこまたけに雲のかかれる

藤原定家

生駒山あらしも秋の色に吹く手染めの糸のよるぞかなしき

後鳥羽院

思ふことそなたの雲となけれども生駒の山の雨の夕暮

冷泉為相

はるかなるながめもすずし難波がた生駒の雲のゆふだちの空

二条為世

波の上にうつれる月はありながら生駒の山の峰ぞ明けゆく

上田秋成

我こそは面がはりすれ春霞いつも生駒の山に立ちけり

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近9 金剛山・葛城山2015年05月23日

葛城山(写真AC フリー素材)

写真は葛城山。写真ACフリー素材。

金剛山

大阪市の東南にあたりて遠望すべし。楠公が千早の城址はその西面の山ふところにあり。

(水垣注:「葛城や高間の山」と詠まれた「高間の山」が金剛山の古称とされる。花の名所として歌に詠まれたが、今も山頂は桜の名所である。)

足代弘訓

千早ぶるあたを千早にふせぎけり神代もきかぬことはかりして

葛城山

金剛山の北にこれと連立せり。

(水垣注:古歌などに「葛城や高間の山」といった呼び方がされているので、「葛城山」は金剛葛城連山の総称とも考えられている。桜の名所。なお今「葛城」を「かつらぎ」とよむが、古くは「かづらき」とよんだ。)

上田秋成

かつらぎや高まの山の峯の寺さむき日かげに花もさきけり

八田知紀

白雲のこころや空にみだるらむかつらぎ山の峯のあき風

補録

金剛山(高間の山)

よみ人知らず

よそにのみ見てややみなむ葛城かづらきや高間の山の嶺のしら雲

藤原顕季

葛城や高間の山のさくら花雲ゐのよそに見てや過ぎなむ

鴨長明

雲さそふあまつ春風かをるなり高間の山の花ざかりかも

寂蓮

葛城かづらきや高間の桜咲きにけり立田の奥にかかる白雲

源実朝

かづらきや高間の桜ながむれば夕ゐる雲に春雨ぞ降る

下河辺長流

いつかその雲をしのぎしあととめて我も高まのやまと言の葉

楠正成
井上文雄

天の下はらふ千早の一おろし神とも神のしわざなりけり

葛城山

藤原家隆

桜花咲きぬるときは葛城の山のすがたにかかる白雲

藤原雅経

白雲のたえまになびく青柳のかづらき山に春風ぞ吹く

うつりゆく雲に嵐の声すなり散るかまさきのかづらきの山

順徳院

白雲や花よりうへにかかるらむ桜ぞたかき葛城の山

与謝野晶子

すげ笠にあるべき歌と強ひゆきぬ若葉よ薫れ生駒葛城

与謝野鉄幹

雲を見ず生駒葛城ただ青きこの日なにとか人を咀はむ

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近8 和泉国(浜寺~信田の森)2015年05月13日

信太森葛葉稲荷神社 和泉式部歌碑

写真は葛葉稲荷神社の和泉式部歌碑。

浜寺

堺市南方の松原。むかし高師の浜といへりき。

渡辺重春

わたの原うかべる船の真帆片帆ちる花なせり海上にはをよろしみ

信田しのだの森

和歌山線葛葉駅より見ゆ。

(水垣注:現在、信太森葛葉稲荷神社へはJR阪和本線北信太駅が最寄りである。西二百メートルほど。)

大江匡房

おもふこと千枝にや茂き呼子鳥信田の森のかたに鳴くなり

補録

浜寺・高師の浜

置始東人

大伴の高師たかしの浜の松が根をきてる夜は家し偲はゆ

紀貫之

沖つ浪たかしの浜の浜松の名にこそ君を待ちわたりつれ

祐子内親王紀伊

音に聞く高師の浜のあだ浪はかけじや袖のぬれもこそすれ

式子内親王

よる波もたかしの浜の松風のねにあらはれて君が名もをし

信田の森

和泉式部、道貞に忘られて後、ほどなく敦道親王にかよふと聞きて、つかはしける

赤染衛門

うつろはでしばし信太の森を見よかへりもぞする葛のうら風

返し
和泉式部

秋風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほにはみえじとぞ思ふ

藤原保季

過ぎにけり信太の森の時鳥たえぬしづくを袖に残して

伏見院

夕立の名残り久しきしづくかな信太の杜の千枝の下露

吹飯ふけひの浦

大阪府泉南郡岬町あたりの沿海。大字深日ふけの名は「ふけひ」からの転訛であろうか。『万葉集』の歌により「時つ風」「沖つ風」などと共に詠まれることが多い。深日港へは南海多奈川線深日港駅下車。なお紀伊国の歌枕「吹上の浜」の異称として用いられることもある。

作者未詳

時つ風吹飯の浜に出で居つつあかふ命は妹が為こそ

藤原清正

天つ風ふけひの浦にゐるたづのなどか雲居にかへらざるべき

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新刊のお知らせ 祇園三女歌集 蓮月式部二女和歌集2015年05月08日

近世女流歌人の歌集二冊(電子書籍)を新たに出版しました。

『祇園三女歌集(補訂版・口語訳付)』
江戸時代中期、京都祇園社(八坂神社)の茶店で三代にわたって女将をつとめた祇園梶子・百合子・町子(池玉瀾)の歌を集めた『祇園三女歌集』(明治四十三年祇園風流刊)の電子書籍版です。 他本を参照して最小限の補訂を加え、また口語訳を附しました。訳を添えたのは、和歌のレトリックを極めて巧緻に駆使した歌があり、現代の読者には理解しづらいものが少なくないと思われるためです。

言うまでもなく江戸元禄頃は町人文化の頂点と言われる時代で、梶子などもその一翼を担う人でしょう。誰に教えられたわけでもなく、幼くして和歌を口吟みはじめ、やがて王朝和歌の骨法を会得した、やはり元禄という時代が生んだ天才と言うほかない人だと思います。家集『梶の葉』は新編国歌大観に収録されていますが、百合子の『小百合葉』と町子の『白芙蓉』はなかなか読む機会さえない現状ですので、古書を復刊した次第。

梶子百合子は千人万首に採っています。

もう一冊は『蓮月式部二女和歌集(補訂版・注釈付)』。
大正三年十二月に珍書会から刊行された『蓮月式部二女和歌集』(宮崎璋蔵校訂・発行)を電子書籍として復刊したものです。

「珍書会」なるものは、どうやら宮崎璋蔵(1859-1919)の個人出版だったようです。三昧道人の別号も持つ、歴史作家としても知られた人ですが、晩年、稀書・珍書の類を校訂して「賞奇楼叢書」と名づけ多数出版しました。上で触れた『梶の葉』『小百合葉』、山口素堂の『とくとくの句合』、妖怪狂歌の秀逸『百鬼夜狂』などなど。今ではどれも稀覯本です。

さて幕末の二大女流歌人、大田垣蓮月と高畠式部については説明するまでもないでしょう。二人の秀歌を部類し交互に並べるという面白い趣向の歌集に、蓮月の味わい深い一文「大仏のほとりに夏をむすびける折」を併載しています。
やはり諸書を参照して最小限の補訂を加え、また注(語釈)を添えました。蓮月・高畠式部の歌は平明なので口語訳するまでもないでしょうが、やはり掛詞・縁語といった修辞法は駆使されているので、最低限の語釈を附けたものです。
巻末には、原本が底本とした金屏堂蔵板本の画像(国立国会図書館提供)と翻刻を収めました。

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近7 浅沢・遠里小野2015年05月07日

補録

浅沢

住吉神社の近くに「浅沢小野」と呼ばれる野があり、また「浅沢沼」と呼ばれる沼があった。杜若と忘れ水の名所。住吉区上住吉に住吉大社の末社浅澤社がある。

作者不詳

住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも

藤原範綱

住吉の浅沢小野の忘れ水たえだえならで逢ふよしもがな

藤原顕仲

五月雨に浅沢沼の花かつみかつ見るままに隠れゆくかな

源師頼

かきつばた浅沢沼のぬま水に影をならべて咲きわたるかな

藤原為家

風吹けば浅沢小野の花薄ひとつにつづく沖つ白波

熊谷直好

春の野に若菜摘まむときて見れば浅沢水はいまだ氷れり

足代弘訓

浅沢の水のゆくへも知られけりひとすぢ白き月のひかりに

遠里とおざと小野

大阪市住吉区から堺市にかけての丘陵地。大阪府住吉区と堺市堺区に「遠里小野おりおの」の地名が残るが、いずれも現在は市街地である。萩の名所とされた。

作者未詳

住吉すみのえの遠里小野の真榛まはりもち摺れる衣の盛り過ぎゆく

徳大寺実定

住吉の松のうれよりひびき来て遠里小野に秋風ぞふく

俊成卿女

咲きにけり君がみるべき行末は遠里小野の秋萩の花

宗尊親王

真萩ちる遠里小野の秋風に花ずりごろも今やうつらん

冷泉為村

誰かまたここにとひこんゆく道もとほざと小野の花を尋ねて

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近6 住吉2015年05月06日

住吉大社

住吉

大阪市の南端より約一里の南にあり。官弊大社住吉神社あり。

作者不詳

住の江の岸の松が根うちさらし寄り来る波の音の清しも

よみ人知らず

われみても久しく成ぬ住のえの岸の姫まつ幾よへぬらん

凡河内躬恒

住の江の松を秋風吹くからに声うち添ふる沖つしらなみ

源経信

おきつかぜ吹きにけらしな住吉の松のしづえをあらふしら浪

源頼政

住吉の松の木間こまより見渡せば月おちかゝる淡路しま山

木下幸文

雁はなどやすらふ心なかるらむ松原かすむ住の江の浦

村山松根

淡路島見つゝゆけとや住吉のあらゝまつ原まばらなるらむ

補録

住吉

(水垣注:上代は「すみのえ」と呼ばれ、これに「住吉」の字を宛てたが、平安時代から「住吉」を「すみよし」とよむようになり、こちらの呼び方が普通になった。)

車持千年

白浪の千重に来よする住吉すみのえの岸の黄土はにふににほひてゆかな

高市黒人

住吉すみのえ得名津えなつに立ちて見渡せば武庫むことまりゆ出づる船人

作者未詳

いとまあらば拾ひにゆかむ住吉すみよしの岸によるといふ恋忘れ貝

紀貫之

道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草

藤原敏行

すみの江の岸による波よるさへや夢のかよひぢ人目よくらむ

安法法師

あまくだるあら人神のあひおひを思へば久し住吉の松

源俊頼

いくかへり花咲きぬらむ住吉の松も神代のものとこそきけ

徳大寺実定

住吉の松のうれよりひびき来て遠里とほざと小野に秋風ぞふく

藤原定家

我が道をまもらば君をまもるらむよはひはゆづれ住吉の松

後水尾院

住の江や春のしらべは松風もひとつみどりの色にかすみて

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