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佩文齋詠物詩選 風 李嶠2009年10月25日

風  李嶠

落日正沈沈  落日 正に沈沈(ちんちん)
微風生北林  微風 北林(ほくりん)に生ず
帶花疑鳳舞  花を帯びて(ほう)の舞ふかと疑ひ
向竹似龍吟  竹に向かつて(りゆう)(ぎん)ずるに似る
月影臨秋扇  月影(げつえい) 秋扇(しうせん)に臨み
松聲入夜琴  松声(しようせい) 夜琴(やきん)()
蘭臺宮殿下  蘭台宮(らんだいきゆう)殿下(てんが)
還拂楚王襟  (かへ)つて楚王(そわう)(えり)を払ふ

【通釈】日は落ち、ひっそりと静まり返る中、
北の林で風がそよぎはじめる。
花を帯びて吹けば、鳳凰が舞うのかと怪しみ、
竹に向かって吹けば、龍が嘯(うそぶ)くのに似る。
月影は、いたずらに残された秋の扇に射し、
松籟は、むなしく置かれた夜の琴に入って響く。
蘭台宮の殿堂の階下では、
一巡りした風が、楚王の襟を打ちはらう。

【語釈】◇鳳 想像上の瑞鳥。鳳は雄、凰は雌。◇秋扇 秋になって使われなくなった扇。寵愛を失った女性を暗示する。◇蘭臺宮 春秋・戦国時代の楚王の離宮。楚は周代から戦国時代にかけて存在した国。

【補記】我が国には早くから『李嶠百詠』が伝わり、この詩の第六句「松聲入夜琴」(拾遺集の詞書には「松風入夜琴」とある)を句題として詠まれた斎宮女御徽子女王の作(下記参照)が名高い。

【作者】李嶠(りきょう)(644~713)。趙州(河北省趙県)の人。唐高宗の竜朔三年(663)の進士。則天武后のもと宰相となるが、玄宗の即位と共に盧州に流される。『唐詩選』に二首採られている。

【影響を受けた和歌の例】
琴のねに峯の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(徽子女王『拾遺集』)
琴のねや松ふく風にかよふらむ千代のためしにひきつべきかな(摂津『金葉集』)

歸園田居五首(其一) 陶淵明2009年10月26日

園田(ゑんでん)(きよ)に帰る(其の一) 陶淵明

少無適俗韻  (わか)きより俗韻(ぞくゐん)(かな)ふこと無く
性本愛邱山  (せい) ()邱山(きうざん)を愛す
誤落塵網中  誤つて塵網(ぢんまう)(うち)に落ち
一去三十年  一たび去つて三十年(さんじふねん)
羈鳥戀舊林  羈鳥(きてう)旧林(きうりん)を恋ひ
池魚思故淵  池魚(ちぎよ)故淵(こゑん)を思ふ
開荒南野際  (くわう)南野(なんや)(さい)(ひら)かむとし
守拙歸園田  (せつ)を守つて園田(ゑんでん)に帰る
方宅十餘畝  方宅(はうたく)(じふ)余畝(よほ)
草屋八九閒  草屋(さうをく)八九間(はちくけん)
楡柳蔭後簷  楡柳(ゆりう) 後簷(こうえん)(おほ)
桃李羅堂前  桃李(たうり) 堂前(だうぜん)(つらな)
曖曖遠人村  曖曖(あいあい)たり 遠人(ゑんじん)の村
依依墟里煙  依依(いい)たり 墟里(きより)(けむり)
狗吠深巷中  (いぬ)は吠ゆ 深巷(しんかう)(うち)
鷄鳴桑樹巓  (とり)は鳴く 桑樹(さうじゆ)(いただき)
戸庭無塵雜  戸庭(こてい)塵雑(ぢんざつ)無く
虛室有餘閒  虚室(きよしつ)余間(よかん)有り
久在樊籠裡  久しく樊籠(はんろう)(うち)()りしも
復得返自然  ()自然(しぜん)に返るを得たり

【通釈】少年の時から世間と調子の合うことがなく、
天性、丘や山を愛した。
誤って俗塵の網に落ち込み、
故郷を去ったきり三十年。
籠の鳥は昔棲んでいた林を恋い、
池の魚はかつて泳いだ淵を慕う。
さて私も南の荒野を開墾しようと、
愚かな性(さが)を押し通し田園に帰って来た。
宅地は十畝余り、
あばら家は八、九室。
(にれ)や柳の木が裏の軒を覆い、
桃や李(すもも)の木が母屋の前に列なっている。
遠く人が住む村はぼんやり霞み、
寂しげな里の炊煙がかすかにたなびいている。
路地の奥から犬の吠える声が聞こえ、
桑の梢から鶏の鳴く声が聞こえる。
この家は世俗の付合いがなく、
空虚な屋内にはゆとりがある。
久しく籠の中に囚われていたけれども、
今また自然に帰ることが出来たのだ。

【語釈】◇俗韻 世間の嗜好。◇三十年 「十三年」とする本もある。陶淵明は二十九歳で初めて役人として出仕し、四十二歳で隠棲したので、十三年の方が実際には適うが、約十年ほどの出仕を誇張して三十年としたとの説を採る。◇羈鳥 束縛された鳥、すなわち籠の中の鳥。◇墟里 荒れた里。◇樊籠 鳥かご。身を束縛する官職のことを言う。

【補記】義熙元年(405)十一月、異母妹の訃報に接した陶淵明は彭沢県令の職を辞し、江西の郷里に帰った。その翌年、四十二歳の作。名文『帰去来辞』の完成も同じ頃であった。

【作者】陶淵明(365~427)は六朝時代の東晋の詩人。万葉集の頃から日本文学に深い影響を与え続けてきた。どの詩のどの句が模倣されたといった表面的なことでなく、人生即詩、詩即人生というべきその詩境・詩魂に多くの文人たちが魅せられ続けてきたのである。

【影響を受けた和歌の例】
世の中にあはぬ調べはさもあらばあれ心にかよふ峯の松風(香川景樹『桂園一枝』)
世の中の調べによしやあはずとも我が腹つづみうちてあそばむ(秋園古香『秋園古香家集』)

雲の記録200910272009年10月27日

2009年10月27日夕
台風20号が去って、朝から雲ひとつない晴天だったが、夕方になると雲が出始め、夜には空の大半を覆って、半月を見えなくしてしまった。

雲の記録200910292009年10月29日

2009年10月29日午後3時
昼に一雨降ったあと、雲が切れてきた。鎌倉市大町にて、午後三時頃。

雲の記録200910302009年10月30日

2009年10月30日鎌倉にて
暦の上では晩秋だというのに、日中は半袖が快適なほどの暖かさ。しかし日の傾いた空の色は冴えて、冬も遠くない感じがする。
ところで今日10月30日は旧暦九月十三日。夜には秋の雲と競演する《後の月》が仰がれた。月齢は11日ほどなので、少し痩せた十三夜だった。