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唐詩選卷六 秋日 耿湋2009年10月12日

秋日(しうじつ)     耿湋

返照入閭巷  返照(へんせう) 閭巷(りよかう)()
憂來誰共語  (うれ)(きた)りて(たれ)と共にか語らむ
古道少人行  古道(こだう) 人の行くこと(まれ)
秋風動禾黍  秋風(しうふう) 禾黍(くわしよ)を動かす

【通釈】夕日が村里に射し込むと、
悲しみが湧いて来て、この思いを誰と共に語ろう。
古びた道は人の往き来なく、
ただ秋風が田畑の穂を揺らしている。

【語釈】◇返照 夕日の光。「へんじょう」(字音仮名遣では「へんぜう」)とも読まれる。◇閭巷 村里。◇憂來 「憂へ来たるも」と訓む本もある。◇少人行 人の行くことがない。「少」は否定の意に用いられる。◇禾黍 稲と黍(きび)

【作者】耿湋(こうい)。中唐の詩人。生年は西暦734年頃、没年は同787年以後かという。河東(山西省永済)の人で、宝応二年(763)の進士。長安の都で詩人として活躍し、大暦十才子の一人。

【補記】田園の秋の夕暮の憂愁を詠む。芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮」はこの詩に発想の契機を得たと言われる。会津八一の歌は翻訳に近いもの。

【影響を受けた和歌の例】
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く(源経信『金葉集』)
夕日さす田面の稲葉打ちなびき山本とほく秋風ぞ吹く(二条為氏『新拾遺集』)
秋の日も夕べの色になら柴の垣根の山路行く人もなし(肖柏『春夢草』)
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし(会津八一『鹿鳴集』)

白氏文集卷十九 聞夜砧2009年10月13日

夜の砧を聞く   白居易

誰家思婦秋擣帛  ()(いへ)思婦(しふ)ぞ 秋に(きぬ)()
月苦風凄砧杵悲  月()え 風(すさま)じくして 砧杵(ちんしよ)悲し
八月九月正長夜  八月(はちぐわつ) 九月(くぐわつ) (まさ)に長き夜
千聲萬聲無了時  千声(せんせい) 万声(ばんせい) ()む時無し
應到天明頭盡白  (まさ)天明(てんめい)に到らば (かしら)(ことごと)く白かるべし
一聲添得一莖絲  一声(いつせい) 添へ得たり 一茎(いつけい)の糸

【通釈】遠い夫を思う、どこの家の妻なのか、秋の夜に衣を擣っているのは。
月光は冷え冷えと澄み、風は凄まじく吹いて、砧の音が悲しく響く。
八月九月は、まことに夜が長い。
千遍万遍と、その音の止む時はない。
明け方に至れば、私の髪はすっかり白けているだろう。
砧の一声が、私の白髪を一本増やしてしまうのだ。

【語釈】◇擣帛 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧杵 衣を擣つための板。またそれを敲く音。◇八月九月 陰暦では仲秋・晩秋。

【補記】擣衣は万葉集に見えず、平安時代以後、漢詩文の影響から和歌に取り上げられるようになった。砧を擣つ音が悲しく聞こえるのは、遠い夫を偲ぶ妻の心を思いやってのことである。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。長慶二年(822)前後、白居易五十一歳頃の作。

【影響を受けた和歌の例】
誰がためにいかに()てばか唐衣ちたび八千(やち)たび声のうらむる(藤原基俊『千載集』)
千たび()つ砧の音に夢さめて物思ふ袖の露ぞくだくる(式子内親王『新古今集』)
聞きわびぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声(後醍醐天皇『新拾遺集』)

和歌歳時記メモ 柳蓼2009年10月14日

柳蓼
犬蓼と同じくタデ科の一年草。犬蓼は街なかでもよく見かけられ、路傍や原つぱなど至るところに生えてゐるが、柳蓼は川べりや水田のふちなど、水辺でしか見た記憶がない。しかし単に「蓼」と言ふ時は、この柳蓼を指すことが多いらしい。本蓼・真蓼とも。古歌に「水蓼」「青蓼」などと詠まれてゐるのも柳蓼或はその変種と思はれる。
犬蓼よりも花の色が薄く、また犬蓼ほどびつしり穂をつけた草は余り見かけない。犬蓼に比べると、寂しげな感じのする花で、むしろ風情はまさつてゐるのではないだらうか。
葉は細く柳に似、柳蓼の名はこれに由来する。辛味があるせゐで「蓼食ふ虫も好き好き」の諺では見下されたやうな恰好であるが、若葉は魚料理などに欠かせない香辛料とされてきた。
『好忠集』(四月中) 曾禰好忠
やほ蓼も川の瀬みればおいにけり辛しやわれも年をつみつつ
「やほ蓼」は万葉集にも用例があり、「八穂蓼」すなはち花穂をたくさん付ける蓼。好忠の歌では「辛(から)し」とあるので、おそらく柳蓼のことであらう。「おいにけり」に「生いにけり」「老いにけり」を掛け(「生い」は正しくは「生ひ」であり仮名違ひであるが)、「つみ」には「摘み」「積み」を掛けてゐる。香辛料に摘まれる草に言寄せて、老境の身を嘆いた歌である。
琴後(ことじり)集』(蓼) 村田春海
からきにも馴るれば馴れて過ぐす世に蓼はむ虫を何かとがめむ
「蓼はむ虫」は「蓼くふ虫」と同じことで、昔から同じ意味の諺が使はれてゐたことが知れる。辛い葉をわざわざ好んで食ふ虫をなぜ非難しよう。辛いことばかり多い世の中、その辛さに馴れて過ごしやるしかない人生ではないか。
このやうに昔の歌では味が辛いことに引つ掛けた述懐色の濃い歌が多い。この花独特の風情を生かした歌を探してみると、
『亮々遺稿』(蓼) 木下幸文
故郷を秋きて見れば水かれし池の汀に蓼の花さく
あたりが辛うじて見つかる程度で、少し寂しい気がする。
「蓼の花」と言つても、他に桜蓼、白花桜蓼、大犬蓼などなど、それぞれに花の趣は異なる。この季節、河原などを訪ね、さまざまな花穂を見比べてみるのも楽しい散策とならう。

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『万葉集』(平群朝臣が嗤ふ歌一首)
わらはども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣(あそ)が腋くさを刈れ

『山家集』(題しらず) 西行
くれなゐの色なりながら蓼の穂のからしや人の目にもたてぬは

『風情集』藤原公重
みづたでの穂にいでて物を言はねどもからきめをのみ常に見るかな

『亮々遺稿』(虫) 木下幸文
蓼の花咲きみだれたる山川の岸根にすだく虫の声かな

『柿園詠草』(秋哀傷) 加納諸平
露霜の 秋さり衣 吹きかへす 風を時じみ 蘆垣の 籬にたちて もみぢ葉の すぎにし人を うつらうつら 恋ひつつをれば 蓼の穂に 夕日くだちて 雁なきわたる

文選卷二十九 雜詩 魏文帝2009年10月15日

雑詩    魏文帝

漫漫秋夜長  漫漫として秋夜(しうや)長く
烈烈北風涼  烈烈として北風(ほくふう)(つめた)
展轉不能寐  展転として()ぬる(あた)はず
披衣起彷徨  (きぬ)(かづ)()ちて彷徨(はうくわう)
彷徨忽已久  彷徨 (たちま)(すで)に久しく
白露霑我裳  白露(はくろ) 我が()()らす
俯視淸水波  ()しては清水(せいすい)の波を()
仰觀明月光  (あふ)ぎては明月の光を()
天漢迴西流  天漢(てんかん) 西に(めぐ)りて流れ
三五正縱横  三五(さんご) (まさ)縦横(じゆうわう)
草蟲鳴何悲  草虫(さうちゆう) 鳴いて何ぞ悲しき
孤鴈獨南翔  孤雁(こがん) 独り南に(かけ)
鬱鬱多悲思  鬱鬱(うつうつ)として悲思(ひし)多く
緜緜思故鄕  緜緜(めんめん)として故郷(こきやう)を思ふ
願飛安得翼  飛ばんと願へども(いづく)んぞ翼を得ん
欲濟河無梁  (わた)らんと欲すれども河に(はし)無し
向風長嘆息  風に向かひ長歎息(ちやうたんそく)すれば
斷絶我中腸  我が中腸(はらわた)を断絶す

【通釈】果てしない程に秋の夜は長く、
烈しい程に北風は冷たい。
寝返りばかりして眠ることも出来ず、
衣を引っ掛け、起き上がって辺りをさまよう。
さまよううち、いつしか時間は過ぎ、
気づけば白露が私の袴を濡らしている。
俯いては清らかな川の波を見、
仰いではさやかな月の光を眺める。
天の川は西へまがって流れ、
三星・五星はまさに縦横に天を駆け廻る。
草叢の虫が鳴き、何が悲しいのか。
雁が一羽、南の空を翔けてゆく。
私は鬱々と悲しい思いばかりして、
いつまでも故郷を偲び続ける。
飛ぼうにも、どうして翼を得られよう。
渡ろうにも、河に橋が無い。
風に向かって長嘆息すれば、
私のはらわたは千切れるのだ。

【語釈】◇裳 袴。腰から下の衣服。◇淸水 後の句「欲濟河無梁」から「水」は川を指すと判る。◇天漢 天の川。◇三五 『詩経』召南篇の「嘒彼小星 三五在東((けい)たる彼の小星 三五 東に在り)」に拠る。三・五はいずれも小星の名らしいが、不詳。◇緜緜 綿綿に同じ。永くつづくさま。

【補記】特にどの句がどの歌に影響を与えたというよりも、全体としてこの詩の悲秋の趣向が日本文学に与えた影響は少なからぬものがあると思われる。「雑詩二首」の一。『藝文類聚』巻二十七にも所収。

【作者】魏文帝、曹丕(そうひ)(187~226)。武帝(曹操)の嫡子。文学を尊重し詩を好み、「燕歌行」「短歌行」「寡婦」などの傑作詩を残す。

【影響を受けた和歌の例】
秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫のわぶれば(よみ人しらず『古今集』)
露も袖にいたくな濡れそ秋の夜の長き思ひに月は見るとも(順徳院『紫禁和歌集』)

白氏文集卷十三 秋雨中贈元九2009年10月18日

秋雨(しうう)の中、元九に贈る  白居易

不堪紅葉青苔地  ()へず紅葉(こうえふ)青苔(せいたい)の地
又是涼風暮雨天  またこれ涼風(りやうふう)暮雨(ぼう)の天
莫怪獨吟秋思苦  怪しむなかれ独吟(どくぎん)秋思(しうし)の苦しきを
比君校近二毛年  君に比してやや近し二毛(じもう)の年

【通釈】感に堪えないことよ。紅葉が散り、青い苔に覆われた地のけしきは。
そして冷ややかな風が吹き、夕雨の降る空のけしきは。
怪しんでくれるな。独り秋思の苦しさを吟ずることを。
半白の髪になる年が君よりも少し近いのだ。

【語釈】◇二毛年 白髪混じりの毛髪になる年。潘岳の『秋興賦并序』に「晉十有四年、余春秋三十有二、始見二毛」とあり、三十二歳を指す。白居易の三十二歳は西暦803年。歌を贈った相手である元九こと元稹よりも七歳年上であった。

【補記】親友の元九こと元稹に贈った歌。和漢朗詠集に第一・二句が引かれている。謡曲『紅葉狩』にも引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
もみぢ葉も苔のみどりにふりしけば夕べの雨ぞ空にすずしき(相模『相模集』)
もみぢ葉を夕吹く風にまかすれば苔むす庭にうちしぐれつつ(慈円『拾玉集』)
苔むしろ紅葉吹きしく夕時雨心もたへぬ長月の暮(藤原定家『拾遺愚草員外』)

【参考】『狭衣物語』巻一
雨少し降りて、霧りわたる空のけしきも、常よりことにながめられたまひて、「またこれ涼風の夕べの天の雨」と、口ずさみたまふを、かの、常磐の森に秋待たん、と言ひし人に見せたらば、まいて、いかに早き瀬に沈み果てん。

雲の記録200910212009年10月21日

20091021大船駅近くにて
大船駅近くより。鱗雲(巻積雲)。但し左側は羊雲(高積雲)のようにも見える。雲に厚みがあって下の方に影があれば羊雲、薄くて影がなければ鱗雲と区別するのが普通。

雲の記録200910212009年10月21日

同じく大船駅付近より。高積雲。

全唐詩卷四百十一 菊花 元稹2009年10月22日

菊花 元稹

秋叢繞舎似陶家  秋叢(しうそう)(いへ)(めぐ)りて 陶家(たうか)に似たり
遍繞籬邊日漸斜  (あまね)籬辺(りへん)(めぐ)れば 日(やや)(かたむ)
不是花中偏愛菊  これ花中(くわちゆう)(ひとへ)に菊を愛するにあらず
此花開盡更無花  此の花()くこと()きば更に花の無ければなり

【通釈】秋の草が家の周りにぎっしりと生えて、陶潜の家を思わせる。
籬のほとりを余さず廻り歩けば、ようやく日が傾く。
数ある花の内、ひたすら菊ばかりを愛するというのではない。
この花が咲き終われば、もはや全く花が無いからなのだ。

【語釈】◇秋叢 群がり生えている秋の草。菊を指す。◇陶家 陶淵明の家。淵明の詩に「採菊東籬下」とある(「飲酒」その五)。

【補記】一年の最後の花としての菊に対する愛着を詠む。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。但し第四句の「開盡」は「開後」とあり、普通「(ひら)けて(のち)」と訓まれる。

【作者】元稹(げんしん)(779~831)。河南(洛陽)の人。元和元年(806)、進士に及第。権臣に阿らず、たびたび左遷の憂き目に遭う。白居易の親友で、「元白」と併称される。

【影響を受けた和歌の例】
目もかれず見つつ暮らさむ白菊の花よりのちの花しなければ(伊勢大輔『後拾遺集』)
霜枯れのまがきのうちの雪みれば菊よりのちの花もありけり(藤原資隆『千載集』)
うつろはで残るは霜の色なれや菊より後の花のまがきに(姉小路基綱『卑懐集』)

【参考】
菊の、まだよくもうつろひはてで、わざとつくろひたてさせ給へるは、なかなかおそきに、いかなる一本にかあらむ、いと見どころありてうつろひたるを、とりわきて折らせ給ひて、「花の中に偏に」と誦じたまひて(源氏物語・宿木)
菊の花もてあそびつつ、「らんせいゑんのあらしの」と、若やかなる声あはせて誦じたる、めづらかに聞こゆ。御簾のうちなる人々も、「この花開けて後」と、口ずさみ誦ずるなり(浜松中納言物語巻一)

雲の記録200910222009年10月22日

2009年10月22日早朝
早朝、鎌倉市の自宅より。

雲の記録200910232009年10月23日

2009年10月23日鎌倉市二階堂にて
微細な鱗雲。非常に空高いところにあり、これも「天高き」秋らしい雲。早朝、鎌倉市二階堂にて。