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百人一首 なぜこの人・なぜこの一首 番外編その1:百人一首と百人秀歌の配列の違いについて2010年02月27日

さて、ここで番外編を設け、百人一首と『百人秀歌』の配列の違いについて少し考えてみたいと思います。百人一首の五番目は猿丸大夫、『百人秀歌』の五番目は中納言家持。この違いがなぜ出来たのか、という問題です。

もう一度、百人一首と『百人秀歌』の最初の十人を表にしてみましょう。今度は、四季・恋・雑などの分類の別と、その歌に詠み込まれている主要な風物を書き添えてみます。

   百人一首    百人秀歌  
1番 天智天皇  秋(露)  左に同じ   秋(露) 
2番 持統天皇  夏(衣)    〃    夏(衣) 
3番 柿本人麿  恋(鳥)    〃    恋(鳥) 
4番 山辺赤人  冬(雪)    〃    冬(雪) 
5番 猿丸大夫  秋(鹿)  中納言家持  冬(霜)
6番 中納言家持 冬(霜)  安倍仲麿   旅(月)
7番 安倍仲麿  旅(月)  参議篁    旅(舟) 
8番 喜撰法師  雑(山)  猿丸大夫   秋(鹿) 
9番 小野小町  春(桜)  中納言行平  別(松)
10番 蝉丸    雑(関)  在原業平朝臣 秋(紅葉)

既に家郷隆文氏が指摘しているように(「『百人一首』における歌順変更」―『百人一首研究集成』所収)、『百人秀歌』においては、四番赤人・五番家持と冬の歌が続き、しかもいずれの歌も(「雪」と「霜」の違いはあれ)「白」という色が詠まれています。百人一首ではこの連続を猿丸大夫が断ち切っています。
百人一首全体を見渡すと、同じ季節の歌が続くことをなるべく避けているように見えます。春歌、夏歌、冬歌は、連続することが一度としてありません。秋歌だけは計十六首と飛び抜けて多いので、二箇所において連続します。

 22番 文屋康秀    秋(山風)
 23番 大江千里    秋(月)

 69番 能因法師    秋(紅葉)
 70番 良暹法師    秋(夕暮)
 71番 大納言経信   秋(田・風)

同じ秋歌でも、連続する歌において趣意は全く異なることがお判り頂けるでしょう。
こうした構成法は連歌の「去嫌(さりきらい)」を思わせます。絶えざる変化を貴ぶ連歌においては、同じ季節や類似した詞などを、続けて、あるいは近接して用いない、という禁制があります。
後世の連歌ほど厳密ではなくとも、百人一首もまた慎重な構成によって単調さを避け、読者が和歌の多彩な変化を味わえるよう工夫を凝らしているのです。仮に百人一首が『百人秀歌』の改訂版であるという学界の有力説を認めたとすれば、百人一首の編者は、赤人・家持と「冬」「白」の同季・同字が続くことを嫌って(家郷氏前掲論文)、時代不詳の人物猿丸大夫を二人の間に割り込ませたのだと考えられます。そのため五首目から百人一首と『百人秀歌』の間で食い違いが生じたというわけです。

歌合形式を重んじた『百人秀歌』の場合は、第四番歌と第五番歌は並んでいてもペアにはならず、二首一対の構成が両首を引き離します。そのため定家は「白」を詠んだ冬歌が続くことに意を払わなかったものと思われます。

そう考えれば、猿丸大夫の章で書いたような「百人一首と『百人秀歌』の各最終編集者が異なる史観の持ち主であった可能性」を考慮する必要は、少なくとも当面無くなりました。

また、『百人秀歌』では第六番安倍仲麿・第七番小野篁と旅歌の連続も見られます。これも二首一対の構成においてはくっつき合うことがないのですが、歌合形式を崩せば連続する二首となってしまいます。そこで百人一首の編者は篁の歌を後ろの方に移したと考えられます。

なお、同趣向の歌を続けないという原則は、恋歌においては破られます。この点については、当該の歌人の章で詳述したいと思います。

(2010年5月1日加筆訂正)

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