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白氏文集卷十八 春江2010年02月26日

春江(しゆんかう)    白居易

炎涼昏曉苦推遷  炎涼(えんりやう) 昏暁(こんげう) (はなは)推遷(すゐせん)
不覺忠州已二年  覚えず 忠州 (すで)に二年なり
閉閣只聽朝暮鼓  (かく)を閉ぢて(ただ)聴く 朝暮(てうぼ)(つづみ)
上樓空望往來船  (ろう)(のぼ)りて空しく望む 往来の船
鶯聲誘引來花下  鶯の声に誘引(いういん)せられて 花の(もと)(きた)
草色勾留坐水邊  草の色に勾留(こうりう)せられて 水の(ほとり)()
唯有春江看未厭  ()春江(しゆんかう)()て未だ()かざる有り
縈砂遶石綠潺湲  砂を(めぐ)り 石を(めぐ)りて 緑潺湲(せんえん)たり

【通釈】暑さと寒さ、夕暮れと朝明けが容赦なく推移し、
いつの間にか忠州に来て二年になる。
高殿に籠っては、ただ朝夕の時の太鼓に耳を傾け、
高楼に上っては、長江を往き来する船をむなしく眺めていたが、
今日鶯の声に誘われて、花の下までやって来た。
若草の色に引き留められて、川のほとりにすわった。
ただ春の長江だけはいくら見ても見飽きない。
砂洲をめぐり、岩々をめぐって流れ、緑の水はさらさらと行く。

【語釈】◇炎涼 炎暑と寒涼。◇昏暁 暮と暁。◇忠州 今の重慶市忠県。◇縈砂 砂洲を巡るように川が流れるさま。◇遶石 岩壁を巡るように川が曲がって流れるさま。◇潺湲 「潺」は「小流をいう擬声語」(『字通』)。「湲」も同意で、水のさらさら流れる音を言う。

【補記】第五・六句「鶯聲誘引來花下 草色拘留坐水邊」が『和漢朗詠集』巻上「鶯」に採られている。『千載佳句』の「春遊」にも。千里・慈円・定家第二首・土御門院・幸文の歌はいずれも「鶯声誘引来花下」を句題とする。

【影響を受けた和歌の例】
鶯の鳴きつる声にさそはれて花のもとにぞ我は来にける(大江千里『句題和歌』)
うちかへし鶯さそふ身とならむ今夜は花の下にやどりて(慈円『拾玉集』)
鶯の初音をまつにさそはれてはるけき野辺に千世も経ぬべし(藤原定家『拾遺愚草』)
衣手にみだれておつる花の枝やさそはれきつる鶯のこゑ(〃『拾遺愚草員外』)
なにとなく春の心にさそはれぬけふ白川の花のもとまで(藤原良経『秋篠月清集』)
うぐひすのさそふ山辺にあくがれて花のこころにうつる頃かな(土御門院『土御門院御集』)
花のもとにさそはれ来てぞしられける人をはからぬ鶯の音を(賀茂真淵『賀茂翁家集』)
うぐひすの声のにほひにさそはれて花なき里もはるや知るらむ(村田春海『琴後集』)
うぐひすの声にひかれて行くみちは花のかげにもなりにけるかな(木下幸文『亮々遺稿』)

【参考】『源氏物語』竹河
内より和琴さし出でたり。かたみに譲りて手触れぬに、侍従の君して、尚侍の殿、「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひたまへると聞きわたるを、まめやかにゆかしくなん。今宵は、なほ鶯にも誘はれたまへ」と、のたまひ出だしたれば、あまえて爪食ふべきことにもあらぬをと思ひて、をさをさ心にも入らず、掻きわたしたまへるけしき、いと響き多く聞こゆ。

百人一首 なぜこの人・なぜこの一首 番外編その1:百人一首と百人秀歌の配列の違いについて2010年02月27日

さて、ここで番外編を設け、百人一首と『百人秀歌』の配列の違いについて少し考えてみたいと思います。百人一首の五番目は猿丸大夫、『百人秀歌』の五番目は中納言家持。この違いがなぜ出来たのか、という問題です。

もう一度、百人一首と『百人秀歌』の最初の十人を表にしてみましょう。今度は、四季・恋・雑などの分類の別と、その歌に詠み込まれている主要な風物を書き添えてみます。

   百人一首    百人秀歌  
1番 天智天皇  秋(露)  左に同じ   秋(露) 
2番 持統天皇  夏(衣)    〃    夏(衣) 
3番 柿本人麿  恋(鳥)    〃    恋(鳥) 
4番 山辺赤人  冬(雪)    〃    冬(雪) 
5番 猿丸大夫  秋(鹿)  中納言家持  冬(霜)
6番 中納言家持 冬(霜)  安倍仲麿   旅(月)
7番 安倍仲麿  旅(月)  参議篁    旅(舟) 
8番 喜撰法師  雑(山)  猿丸大夫   秋(鹿) 
9番 小野小町  春(桜)  中納言行平  別(松)
10番 蝉丸    雑(関)  在原業平朝臣 秋(紅葉)

既に家郷隆文氏が指摘しているように(「『百人一首』における歌順変更」―『百人一首研究集成』所収)、『百人秀歌』においては、四番赤人・五番家持と冬の歌が続き、しかもいずれの歌も(「雪」と「霜」の違いはあれ)「白」という色が詠まれています。百人一首ではこの連続を猿丸大夫が断ち切っています。
百人一首全体を見渡すと、同じ季節の歌が続くことをなるべく避けているように見えます。春歌、夏歌、冬歌は、連続することが一度としてありません。秋歌だけは計十六首と飛び抜けて多いので、二箇所において連続します。

 22番 文屋康秀    秋(山風)
 23番 大江千里    秋(月)

 69番 能因法師    秋(紅葉)
 70番 良暹法師    秋(夕暮)
 71番 大納言経信   秋(田・風)

同じ秋歌でも、連続する歌において趣意は全く異なることがお判り頂けるでしょう。
こうした構成法は連歌の「去嫌(さりきらい)」を思わせます。絶えざる変化を貴ぶ連歌においては、同じ季節や類似した詞などを、続けて、あるいは近接して用いない、という禁制があります。
後世の連歌ほど厳密ではなくとも、百人一首もまた慎重な構成によって単調さを避け、読者が和歌の多彩な変化を味わえるよう工夫を凝らしているのです。仮に百人一首が『百人秀歌』の改訂版であるという学界の有力説を認めたとすれば、百人一首の編者は、赤人・家持と「冬」「白」の同季・同字が続くことを嫌って(家郷氏前掲論文)、時代不詳の人物猿丸大夫を二人の間に割り込ませたのだと考えられます。そのため五首目から百人一首と『百人秀歌』の間で食い違いが生じたというわけです。

歌合形式を重んじた『百人秀歌』の場合は、第四番歌と第五番歌は並んでいてもペアにはならず、二首一対の構成が両首を引き離します。そのため定家は「白」を詠んだ冬歌が続くことに意を払わなかったものと思われます。

そう考えれば、猿丸大夫の章で書いたような「百人一首と『百人秀歌』の各最終編集者が異なる史観の持ち主であった可能性」を考慮する必要は、少なくとも当面無くなりました。

また、『百人秀歌』では第六番安倍仲麿・第七番小野篁と旅歌の連続も見られます。これも二首一対の構成においてはくっつき合うことがないのですが、歌合形式を崩せば連続する二首となってしまいます。そこで百人一首の編者は篁の歌を後ろの方に移したと考えられます。

なお、同趣向の歌を続けないという原則は、恋歌においては破られます。この点については、当該の歌人の章で詳述したいと思います。

(2010年5月1日加筆訂正)

和漢朗詠集卷上 早春2010年02月28日

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内宴春暖   ()良香(りようきやう)

氣霽風梳新柳髮  ()()れては 風新柳(しんりう)の髪を(けづ)
氷消浪洗舊苔鬚  氷消えては 浪旧苔(きうたい)(ひげ)を洗ふ

【通釈】天気がおだやかに晴れて、風は萌え出た柳の枝を、髪をくしけずるように靡かせる。
池の氷が消えて、波は古びた苔を、髭を洗うように打ち寄せる。

【補記】題は『江談抄』による。原詩は散逸か。

【作者】(みやこの)良香(よしか)。承和元年(834)~元慶三年(879)。平安前期の官人・漢詩人。大内記・文章博士・越前権介・侍従を歴任。『文徳実録』の編纂に参加する。文才の誉れ高く、『都氏文集』に文章を残す。和漢朗詠集や新撰朗詠集に漢詩が見える。

【影響を受けた和歌の例】
佐保姫のうちたれ髪の玉柳ただ春風のけづるなりけり(大江匡房『堀河百首』)
佐保姫の寝くたれ髪を青柳のけづりやすらん春の山風(〃『江帥集』)
青柳の糸はみどりの髪なれやみだれてけづる如月の風(永縁『堀河百首』)
春雨に柳の髪をあらはせてけづりながすは風にこそありけれ(源頼政『頼政集』)
龍田川浪もてあらふ青柳のうちたれ髪をけづる春風(慈円『拾玉集』)
春きぬとつげのをぐしもささなくに柳の髪をけづる春風(土御門院『土御門院御集』)
たをやめの柳の露のたまかづらながき日かけてけづる春風(藤原為家『五社百首』)
春風ややなぎの髪をけづるらんみどりの眉もみだるばかりに(亀山院『新千載集』)
雨にあらひ風にけづりて青柳の手ふれぬ髪もまがふとはなし(木下長嘯子『挙白集』)
水を浅み波はよりてもあらはねど風ぞ柳の髪をけづれる(契沖『漫吟集』)
柳のみみかきにおいて朝髪を風にけづりし宮人もなし(同上)
青柳のうちたれ髪をけづるには下行く水や鏡なるらむ(『琴後集』)