和歌歳時記:桐の花 Paulownia flower ― 2010年05月25日
桐の花は初夏を彩る最も美しい花の一つだ。しかし梢の高いところに咲くので、人目に触れる機会は少ない。道に落ちた大きな花に驚き、見上げれば薄紫の筒形の花を重ねて塔のやうに咲き聳えてゐる。
『六帖詠草』 小沢蘆庵
みどりなる広葉隠れの花ちりてすずしくかをる桐の下風
詞書は「いとながき日のつれづれなるに、おぼえずうちねぶるほど、かをる香におどろきたれば、桐の花なりけり」とある。散り落ちた桐の花に風が吹いて、その香に卒然と目覚めたといふのだ。桐の花の甘い香りは独特で、不意にかをれば誰しも驚くだらう。
桐は普通ゴマノハグサ科に分類される落葉高木。原産地は不明とも言ひ中国とも言ふ。日本には古く渡来したやうで、材として重宝されたため盛んに植栽され、また山野に野生化した。写真は吉野宮滝の崖に咲いてゐた桐の花。
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清少納言は桐の花を「紫に咲きたるはなほをかし」と言ひ、またその木を鳳凰の住む木として、琴の材になる木として、「いみじうこそめでたけれ」と賞賛してゐる。古くから愛された花木に違ひないのだが、この花を詠んだ古歌はきはめて少なく、私が調べた限りでは室町時代の正徹の歌が初例である。
近代に入つて、北原白秋は自身の記念碑的な処女歌集を『桐の花』と名付けた。同集の冒頭に置かれた小文「桐の花とカステラ」によれば、自身の「デリケエト」な官能に桐の花の「しみじみと」した「哀亮」を添へたかつたのだといふ。近代詩人の「常に顫へて居らねばならぬ」繊細な感覚に似つかはしい哀愁を象徴する風物として、白秋は桐の花を選んだやうだ。しかし当の集にこの花を詠んだ秀逸が含まれてゐるわけではない。その後も桐の花の絶唱を聞き知ることがないのは、この花を愛し敬してやまぬ私には寂しい限りだ。
殿づくり
竝 びてゆゆし桐の花 其角
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『草根集』(樗) 正徹
散り過ぎし
『桂園一枝拾遺』(五月雨) 香川景樹
桐の花おつる五月の雨ごもり一葉ちるだにさびしきものを
『調鶴集』(さ月ついたちばかり、山寺にまうでて) 井上文雄
清水くむ
『桐の花』北原白秋
桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな
『芥川龍之介歌集』
いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにをしへし桐の花はも
コメント
_ ぱぐ ― 2010年05月25日 19時54分
_ 水垣 ― 2010年05月26日 23時10分
桐は元来は草の仲間だそうですね。成長が速いのもそのせいなのでしょうか。
昔は十代で嫁入りしてましたから、十数年で箪笥に出来るほど伸びるということなんでしょう。
生まれた家に青桐の木があって、桐と言えばずっと青桐のことだと思ってました。美しい桐の花を知ったのは、年を取ってからのことです。最初に見たときは驚きました。
青桐の花はほんとに目立たない花なんですよね。
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わたし、あることで桐に縁があるのですが、
そういえば歌にも句にもあまり詠まれていませんね。
桐というと、女の子が産まれた時に植えて、
お嫁に行く時にその木でたんすを作って送り出す、
というのを聞いたことがあります。
虫が付きにくいんだそうですね。
今でも高級品です、桐のたんすは。