佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国9 高松 ― 2016年12月02日
裏葉もみぢ ― 2016年12月04日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国10 栗林公園 ― 2016年12月05日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国11 沙弥島(狭岑島) ― 2016年12月06日
瀬戸大橋と沙弥島
補録
沙弥島
香川県坂出市。万葉集に「狭岑の島」と詠まれている。かつては島であったが、埋め立てにより現在は陸続きとなっている。JR坂出駅からバス便がある。
讃岐の狭岑の島にして、石の中の死人を見て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌
玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 満り行かむ 神の御面と 継ぎ来たる 那珂の港ゆ 船浮けて 我が榜ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く いさなとり 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に 自臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛しき妻らは
反歌二首
妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや
沖つ波来寄る荒磯を敷栲の枕とまきて寝せる君かも
浪の上に平たく見ゆる砂弥島はそのいにしへに人は愛しみき
砂弥島の荒磯の石に漕ぎ寄せて吾ひとりなる心やすらふ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国12 白峰 ― 2016年12月08日
崇徳天皇白峯陵入口
白峰
鬼無より鴨川に至る間の線路の右にあり。崇徳天皇の陵あり。(注:香川県坂出市青海町。白峰山の頂近くに白峯寺があり、隣接して崇徳天皇の白峯陵がある。坂出駅より白峰山登山口までバス便がある。)
松山の波に流れてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな
(「松山」は、配流された崇徳天皇が下船した松山の津を指す。次項参照)
よしや君むかしの玉の床とてもかからむのちは何にかはせむ
西行もこの大杉の下かげにうづくまりては嘆きまをしけむ
白峰の山ふところにかそけくも立てるほこらをめぐる大杉
補録
讃岐路のあやの松山白峰に君ましませばあやにかしこし
(前の「あや」は、かつて坂出市の市域が属した郡の名「阿野」。これを、「あやにかしこし」の「あや」に掛けている。)
とこしへにこの白峰を守らすと流れ来まししや玉のおん身を
皇陵は山のあなたか古松の並生ふる径は峰に続けり
陵の山の背後にくろぐろと昏れゆくか冬の讃岐の群山
白峯の寺のつづきにしづまりて御陵ぞたかき石段のうへ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国13 松山津 ― 2016年12月10日
香川県坂出市「松山の津」旧蹟周辺を望む(向いの島は与島。橋は瀬戸大橋)
補録
松山津
香川県坂出市東部。讃岐国の国府に近い要港であった。保元の乱に敗れて流された崇徳上皇の上陸地として名高い。雄山の北東の麓に松山津の石碑がある。坂出駅より琴参バス王越線高屋局前下車。(前項「白峰」も参照されたい。)
松山の松の浦風ふきよせば拾ひてしのべ恋忘れ貝
すけよしの朝臣の讃岐にあるころ、九月ばかりおくりし
ふるさとは紅葉しぬめり松山のときはの影を見や馴れぬらん
讃岐につかせ給ひしかども、国司いまだ御所をつくり出さざれば、当国の在庁、散位高季といふ者のつくりたる一宇の堂、松山といふ所にあるにぞ入れまゐらせける。されば事にふれて都をこひしく思しめしければ、かくなん
浜ちどり跡は都へかよへども身は松山に音をのみぞなく
(注:「浜ちどり」は砂浜に特徴的な足跡を残すことから「跡」を導く枕詞。「跡」とは、書き残した跡、すなわち消息のこと。)
松山の涙は海にふかくなりてはちすの池に入れよとぞ思ふ
(注:『山家集』より。作者名は「女房」とある。讃岐の崇徳院にあてた西行の歌「其日よりおつる涙を形見にて思ひ忘るる時のまもなし」に対し、崇徳院お付きの女房の作として返した歌。)
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国14 飯野山 ― 2016年12月12日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』四国15 多度津 ― 2016年12月14日
多度津港全景(古い絵はがきより。多度津町立資料館蔵)
多度津
瀬戸内海に面する要港。(注:香川県仲多度郡多度津町。古代からの要港で、近世以後は金比羅詣りの上陸地として栄えた。港に面して桜の名所桃陵公園がある。JR多度津駅は予讃線の主要駅の一つであり土讃線の起点。)
秋の日の多度津の浜にさびしくも別るる時に光る波かな
補録
しづかなる日輪われにわかき日の夢をいだきてうち海を越ゆ
桜の花散るとしもなく春深きふるさとの山は静かなるかな
(香川進は多度津出身の歌人。1998年、88歳にて歿。)
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