白氏文集卷六 閑居2010年09月11日

竹林 鎌倉報国寺

閑居    白居易

深閉竹閒扉  深く()竹間(ちくかん)の扉
靜掃松下地  静かに(はら)松下(しようか)の地
獨嘯晩風前  独り(うそぶ)晩風(ばんぷう)の前
何人知此意  何人(なにびと)か此の意を知らん
看山盡日坐  山を()尽日(じんじつ)坐し
枕帙移時睡  (ちつ)を枕とし時を移して(ねむ)
誰能從我遊  (たれ)()く我に従つて遊ばん
遣君心無事  君をして心に(こと)無からしめん

【通釈】竹林の中の扉を深く閉ざし、
松の下の地を静かに清掃して、
独り夕風に向かい詩を吟ずる。
なんぴとがこの胸の内を知ろう。
山を見て終日坐し、
書を枕に暫しまどろむ。
誰か私と共に遊ぼうという人はないか。
君の心を無為の境地にしてあげように。

【語釈】◇無事 『老子』の「無事を事とし、無味を味はふ」、『荘子』の「無事の業に逍遥す」、『臨済録』の「無事是れ貴人」など、道家・釈家の書に頻出する「無事」に通じ、「寂静無為」のことという(新釈漢文大系)。

【補記】元和七年(811)から同九年(814)までの作。五言古詩による閑適詩。慈円・定家の歌は「深閉竹間扉 静掃松下地 独嘯晩風前 何人知此意」の句題和歌。寂身のは「深閉竹間扉 静掃松下地」。

【影響を受けた和歌の例】
夕ざれのながめを人や知らざらむ竹のあみ戸に庭の松風(慈円『拾玉集』)
夕まぐれ竹の葉山にかくろへて独りやすらふ庭の松風(藤原定家『拾遺愚草員外』)
ならひある夕べの空をしのべとや竹のあみ戸に松風ぞ吹く(寂身『寂身法師集』)

白氏文集卷九 曲江早秋2010年09月10日

蓼の花 鎌倉市二階堂にて

曲江(きよくかう)早秋(さうしう)  白居易

秋波紅蓼水  秋波(しうは)紅蓼(こうれう)の水
夕照靑蕪岸  夕照(せきせう)青蕪(せいぶ)の岸
獨信馬蹄行  独り馬蹄(ばてい)(まか)せて行く
曲江池西畔  曲江(きよくかう)の池 西の(ほとり)
早涼晴後至  早涼(さうりやう)は晴れて(のち)に至り
殘暑暝來散  残暑は()(きた)りて(さん)
方喜炎燠銷  (まさ)炎燠(えんいく)()ゆるを喜ぶに
復嗟時節換  ()た時節の()はるを(なげ)
我年三十六  我が(とし)三十六
冉冉昏復旦  冉冉(ぜんぜん)として()()()
人壽七十稀  人寿(じんじゆ)七十(まれ)なり
七十新過半  七十 新たに(なか)ばを過ぐ
且當對酒笑  (しばら)(まさ)に酒に対して笑ふべし
勿起臨風歎  臨風(りんぷう)の歎きを起こすこと(なか)

【通釈】紅い(たで)の咲く池の汀に、秋風がさざ波を寄せ、
青い荒草の茂る岸に、夕日が射している。
私は独り、馬の蹄にまかせ、
曲江の池の西の畔を行く。
雨が晴れた後、早秋の涼しさが訪れ、
夕暮になって、残暑は散じた。
炎暑が消えたことを喜んだ途端、
今度は季節が移ろうことを嘆く。
私の歳は三十六。
日は暮れまた明けて、やがて年老いてゆく。
人生七十は稀という。
私は先頃七十の半ばを過ぎてしまった。
ともあれくよくよ悩まずに、酒を飲んで笑おう。
秋風に向かって歎息を発したりはするまい。

【語釈】◇曲江池 長安城の東南の人工の池。◇人壽七十稀 杜甫の詩「曲江」に「人生七十古来稀」とある。

【補記】古調詩。「二年作」(「三年作」とする本も)と自注があり、元和二年(809)、三十六歳の作。長安で官僚生活を始めて間もない頃である。実隆の歌は「早涼晴後至」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
鷺のとぶ川辺の穂蓼くれなゐに日影さびしき秋の水かな(衣笠家良『新撰和歌六帖』)
初風と思ひしよりも下荻のひとむらさめは秋をふかめて(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷十三 旅次景空寺宿幽上人院2010年09月08日

景空寺に旅次(りよじ)幽上人(いうしゃうにん)の院に宿す 白居易

不與人境接  人境と接せず
寺門開向山  寺門(じもん) (ひら)きて山に向かふ
暮鐘鳴鳥聚  暮鐘(ぼしよう) 鳴鳥(めいてう)(あつま)
秋雨病僧閑  秋雨(しうう) 病僧(びやうそう)(かん)なり
月隱雲樹外  月は雲樹(うんじゆ)(そと)に隠れ
螢飛廊宇閒  蛍は廊宇(らうう)(あひだ)に飛ぶ
幸投花界宿  (さいはひ)花界(くわかい)に投じて宿し
暫得靜心顏  暫く心顔(しんがん)を静むるを得たり

【通釈】景空寺は人里を遠く離れ、
寺の門は山に向かって開いている。
晩鐘が鳴ると、鳥たちが鳴きながらねぐらに集まり、
秋雨の降る中、病んだ僧が静かに坐している。
月は雲のように盛んに茂る樹の向こうに隠れ、
蛍は渡殿の廂と廂の間を舞い飛ぶ。
幸いにも浄土に宿を取り、
しばらく心と顔をなごませることができた。

【語釈】◇花界 蓮花界、浄土。景空寺をこう言った。

【補記】旅の途次、景空寺(不詳)に立ち寄り、幽上人(不詳)の僧院に泊った時の詠。「月隠(陰)雲樹外、蛍飛廊宇間」を句題に慈円と定家が歌をなしている。

【影響を受けた和歌の例】
秋の雨に月さへ曇る軒端より星とも言はじ蛍なるらん(慈円『拾玉集』)
時雨れゆく雲のこずゑの山の端に夕べたのむる月もとまらず(藤原定家『拾遺愚草員外』)

三體詩 咸陽城東樓2010年09月05日

咸陽城(かんやうじやう)東楼(とうろう) 許渾

一上高城萬里愁  一たび高城に(のぼ)れば万里(ばんり)の愁ひ
蒹葭楊柳似汀洲  蒹葭(けんか) 楊柳(ようりゆう) 汀洲(ていしゆう)に似たり
溪雲初起日沈閣  溪雲(けいうん)初めて(おこ)つて () 閣に沈み
山雨欲來風滿樓  山雨(さんう)(きた)らんとして 風 楼に満つ
鳥下綠蕪秦苑夕  鳥は綠蕪(りよくぶ)(くだ)秦苑(しんゑん)の夕
蟬鳴黄葉漢宮秋  蝉は黄葉(くわうえふ)に鳴く 漢宮(かんきう)の秋
行人莫問当年事  行人(かうじん)問ふ(なか)れ 当年の事
故國東來渭水流  故国より東来(とうらい)して渭水(いすい)は流る

【通釈】咸陽の高城に上ってみると、果てしない愁いに襲われる。
荻や葦、柳が茂り、あたかも川の中洲のように寂れている。
太陽は高殿に沈み、谷から雲が湧き起こって来た。
風が楼に吹き寄せ、山から雨が訪れようとしている。
秦の庭園の夕暮、青々とした荒草の上に鳥が舞い降りる。
漢の宮都の秋、黄に色づいた葉の陰で蝉が鳴いている。
道行く人よ、往時のことを問うてくれるな。
秦は滅びたが、その故地から東へと、渭水は今も流れている。

【語釈】◇蒹葭 水辺に生える丈の高い草の類。蒹は荻の、葭は葦の、いずれも穂の出ていないものを言う。◇汀洲 川の中洲。◇綠蕪 夏の間に繁った雑草。◇秦苑 秦代の庭園。◇漢宮 漢の宮都、長安。咸陽城から東南方向に望まれる。◇故國 昔あった国、すなわち秦。◇渭水 渭河。陜西省の中央を流れ、黄河に合流する。流域に秦や漢の都が置かれた。

【補記】秦の都であった咸陽の古城の東楼に上っての景を叙し、秦に都があった時代を偲んだ詩。和漢朗詠集巻上夏「蝉」の題に「鳥下緑蕪秦苑 蝉鳴黄葉漢宮秋」が引かれている。

【作者】許渾(きよこん)(791~854?)は晩唐の詩人。潤州丹陽(江蘇省)の人。字は用晦。進士に合格し、県令・司馬を経て大中三年(849)監察御史となり、また各地の刺史(地方官)を歴任した。晩年は潤州の丁卯橋のほとりに隠棲した。『三体詩』には杜牧と並んで多くの詩を採られている。

【影響を受けた和歌の例】
夕さればみどりの苔に鳥降りてしづかになりぬ苑の秋風(宗尊親王『竹風抄』)

白氏文集卷十二 長恨歌(五)2010年09月01日

長恨歌(承前) 白居易

風吹仙袂飄颻舉  風吹きて 仙袂(せんべい)飄颻(へうえう)として挙がり
猶似霓裳羽衣舞  ()霓裳(げいしやう)羽衣(うい)の舞に似たり
玉容寂寞涙瀾干  玉容(ぎよくよう)寂寞(じやくまく)として涙瀾干(らんかん)たり
梨花一枝春帶雨  梨花(りか)一枝(いつし) 春 雨を帯ぶ

【通釈】風が吹いて、仙女の袂は踊るようにひるがえり、
かつて宮殿に奏した霓裳羽衣の舞を思わせる。
玉のかんばせは精気に乏しく、涙がとめどなく溢れ、
あたかも春雨に濡れた一枝の梨の花だ。

【補記】第九十七句から百句まで。仙宮を訪れた方士の前に、玉妃(楊貴妃の魂魄)が姿をあらわす。「梨花一枝春帯雨」の句は名高く、『平家物語』などの古典文学に引用されている。以下の歌はすべて同句を踏まえた歌である。

【影響を受けた和歌の例】
春の雨にひらけし花の一枝を波にかざして生の浦梨(俊成卿女『建保名所百首』)
聞きわたる面影見えて春雨の枝にかかれる山なしの花(藤原為家『新撰和歌六帖』)
露はらふ色しをれても春雨はなほ山なしの花の一枝(正徹『草根集』)

含情凝睇謝君王  情を含み (ひとみ)を凝らして君王に謝す
一別音容兩眇茫  (ひと)たび別れてより音容(おんよう)(ふたつ)ながら眇茫(べうばう)たり
昭陽殿裡恩愛歇  昭陽殿裡(せうやうでんり) 恩愛()
蓬莱宮中日月長  蓬莱宮中(ほうらいきゆうちゆう)日月(じつげつ)長し
迴頭下視人寰處  (かうべ)(めぐ)らして下に人寰(じんくわん)の処を視れば
不見長安見塵霧  長安を見ず 塵霧(ぢんむ)を見る

【通釈】玉妃は思いを籠め、瞳を凝らして謝辞を述べる。
「ひとたびお別れしてから、お声もお顔も渺茫と霞んでしまいました。
昭陽殿(注:漢の成帝が愛人を住まわせた宮殿の名を借りる)の内で頂いた恩愛は尽き、
ここ蓬莱宮の中にあって長い歳月が過ぎました。
頭をふりむけて、下の人間世界を望みましても、
長安の都は見えず、ただ塵と霞が立ち込めているばかり」。

【補記】第百一句から百六句まで。玉妃から帝への伝言を叙す。高遠の歌は「蓬莱宮日月長」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
ここにてもありし昔にあらませば過ぐる月日も短からまし(藤原高遠『大弐高遠集』)

唯將舊物表深情  ()旧物(きうぶつ)()ちて深情(しんじやう)(あらは)
鈿合金釵寄將去  鈿合(でんがふ) 金釵(きんさい) 寄せ()ちて去らしむ
釵留一股合一扇  (さい)一股(いつこ)を留め (がふ)一扇(いつせん)
釵擘黄金合分鈿  (さい)黄金(わうごん)()(がふ)(でん)を分かつ
但敎心似金鈿堅  ()し心をして金鈿(きんでん)の堅きに似せしむれば
天上人閒會相見  天上 人間(じんかん) (かなら)相見(あひみ)

【通釈】「今はただ、昔の持ち物で、私の深い心をお示ししたく、
螺鈿(らでん)の小箱と金のかんざしを託して持って行かせます。
金のかんざしは二つに裂き、小箱は身と蓋に分けて、
かんざしの一つと、小箱の片割れを手許に留めます。
もしこのかんざしの金や小箱の螺鈿のように心が堅固でありましたなら、
天上界と人界と、別れていてもいつか必ずお会いできるでしょう」。

【補記】第百七句から百十二句まで。引き続き玉妃から帝への伝言を叙す。

臨別殷勤重寄詞  別れに臨んで殷勤(いんぎん)に重ねて(ことば)を寄す
詞中有誓兩心知  詞中(しちゆう)に誓ひ有り 両心のみ知る
七月七日長生殿  七月七日(しちげつしちじつ) 長生殿(ちやうせいでん)
夜半無人私語時  夜半(やはん) 人無く 私語(しご)の時
在天願作比翼鳥  天に在りては 願はくは比翼(ひよく)の鳥と()
在地願爲連理枝  地に在りては 願はくは連理(れんり)の枝と()らん
天長地久有時盡  天長く地久しきも 時有りて()
此恨綿綿無絶期  此の恨みは綿綿(めんめん)として絶ゆる(とき)無からん

【通釈】別れに臨み、玉妃はねんごろに重ねて言葉を贈る。
その中に帝と交わした誓いごとがあった。二人だけが知る秘密だ。
ある年の七月七日、長生殿(注:華清宮の中の御殿)で、
夜半、おつきの人も無く、ささめごとを交わした時、
「天にあっては、願わくば翼をならべて飛ぶ鳥となり、
地にあっては、願わくば一つに合さった枝となろう」と。
天地は長久と言っても、いつか尽きる時がある。
しかしこの恨みはいつまでも続き、絶える時はないだろう。

【補記】第百十三句より百二十句まで。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の両句はことに名高く、これを踏まえた和歌は数多い。

【影響を受けた和歌の例】
・「誓両心知」の句題和歌
たなばたや知らば知るらん秋の夜のながき契りは君も忘れじ(源道済『道済集』)
・「七月七日長生殿」の句題和歌
かつ見るに飽かぬ嘆きもあるものを逢ふよ稀なる七夕ぞ憂き(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥」の句題和歌
おぼろけの契りの深きひととぢや羽をならぶる身とはなるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在地願為連理枝」の句題和歌
さしかはし一つ枝にと契りしはおなじ深山のねにやあるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の影響歌
木にも生ひず羽もならべで何しかも浪路へだてて君をきくらん(伊勢『拾遺集』)
君と我この世ののちののちもまた木とも鳥ともなりて契らん(二条太皇太后宮大弐『二条太皇太后宮大弐集』)
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(崇徳院『久安百首』)
鳥となり枝ともならんことのはは星のあふ夜や契り定めし(正徹『草根集』)
枝かはす木にだに生ひぬ山梨の花は涙の雨ぞかかれる(下河辺長流『林葉累塵集』)
・「此恨綿綿無絶期」「此恨綿綿」の句題和歌
ありての世なくてののちの世も尽きじ絶えぬ思ひの限りなければ(藤原高遠『大弐高遠集』)
岩根さす筑波の山は尽きぬとも尽きむ世ぞなきあかぬ我が恋(源道済『道済集』)
・その他
月も日も七日の宵のちぎりをば消えぬほどにもまたぞ忘れぬ(伊勢『伊勢集』)
七夕の逢ひ見し夜はの契りこそ別れてのちの形見なりけれ(藤原実定『林下集』)
七夕は今も変はらず逢ふものをそのよ契りしことはいかにぞ(藤原俊成『為忠家初度百首』)
ふみ月のそのかねごともまぼろしの便りよりこそ世に知られけれ(石野広通『霞関集』)

白氏文集卷十二 長恨歌(四)2010年08月31日

長恨歌(承前) 白居易

臨邛方士鴻都客  臨邛(りんきよう)方士(はうし) 鴻都(こうと)(かく)
能以精誠致魂魄  ()精誠(せいせい)を以て魂魄(こんぱく)を致す
爲感君王展轉思  君王が展轉(てんてん)の思ひに感ずるが為に
遂敎方士慇勤覓  遂に方士(はうし)をして慇勤(いんぎん)(もと)めしむ
排空馭氣奔如電  (くう)(はい)し気を(ぎよ)して(はし)ること(でん)の如く
昇天入地求之遍  天に昇り地に()りて(これ)を求むること(あまね)
上窮碧落下黄泉  上は碧落(へきらく)(きは)め 下は黄泉(くわうせん)
両處茫茫皆不見  両処茫茫(ばうばう)として皆見えず

【通釈】ここに臨邛(注:四川省の邛州の県名)出身の方士(注:神仙の術を行う人)がいて、長安の都に仮寓していた。
すぐれた神通力で魂魄を招く術をよくする者であったが、
帝の展転反側として眠れぬ思いに感じ入ったというので、
かくて、その方士に妃の魂魄を詳しく探索させることとなった。
方士は虚空を押し開き、気を自由に操って、稲妻のごとく天がけり、
天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求めた。
上は蒼天の果てから、下は黄泉の国まで、
しかしいずれも茫々と広く、妃の姿は見つからない。

【補記】第七十五句より八十二句まで。物語は後半に入り、幻術士による楊貴妃の魂魄捜索のさまが叙される。

【影響を受けた和歌の例】
・「昇天入地求之遍」の句題和歌
思ひやる心ばかりはたぐへしをいかにたぐへむ幻の世を(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「露碧落不見」の句題和歌
やるかたもなかりし心まぼろしを待つにはまさる思ひそひけり(源道済『道済集』)
・その他
思ひあまりうち()る宵のまぼろしも浪路を分けて行きかよひけり(鴨長明『千載集』)

忽聞海上有仙山  (たちま)ち聞く 海上(かいじやう)に仙山有りと
山在虛無縹緲閒  山は虚無縹緲(へうべう)(かん)に在り
樓殿玲瓏五雲起  楼殿(ろうでん)玲瀧(れいろう)として五雲起こり
其上綽約多仙子  其の上に綽約(しやくやく)として仙子(せんし)多し
中有一人名玉妃  中に一人(いちにん)有り 名は玉妃(ぎよくひ)
雪膚花貌參差是  雪の(はだへ) 花の(かんばせ) 参差(しんし)として(これ)ならん

【通釈】ふと耳にしたことには、海上に仙人の住む山があり、
縹渺と霞む太虚の間に浮んでいるという。
高殿は玉のように輝き、湧き上がる五色の雲の中に聳えて、
その上に嫋やかな仙女たちがあまた住んでいる。
中に一人、玉妃という名の者があり、
雪のように白い肌、花のような容貌、果たしてこれがその人であろうか。

【補記】第八十三句から八十八句まで。幻術により楊貴妃らしき仙女を探し当てるまでを叙す。「まぼろし」(幻術士)による魂の探索という主題の和歌は少なくなく、いずれも白詩の影響下にある。高遠の歌は「忽聞海上有仙山」の句題和歌。他の歌はいずれも白詩の幻術士の条を踏まえた作である。

【影響を受けた和歌の例】
しるべする雲の船だになかりせば世をうみなかに誰か知らまし(伊勢『伊勢集』)
尋ねずはいかでか知らむわたつうみの波間にみゆる雲の都を(藤原高遠『大弐高遠集』)
たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく(『源氏物語・桐壺』)
まぼろしのつてに聞くこそ悲しけれ契りしことは夢ならねども(藤原為忠『続詞花集』)
消えのこる露のうき身のおきどころ蓬が島をたづねてぞしる(藤原秀能『如願法師集』)
なき玉のありかは聞きついかにして身をまぼろしになしてゆかまし(三条西実隆『雪玉集』)

金闕西廂叩玉扃  金闕(きんけつ)西廂(せいしやう) 玉扃(ぎょくけい)を叩き
轉敎小玉報雙成  転じて小玉(せうぎよく)をして双成(さうせい)に報ぜしむ
聞道漢家天子使  聞く(なら)漢家(かんか)天子の使ひなりと
九華帳裡夢中驚  九華帳裡(きうくわちやうり) 夢中(むちゆう)に驚く
攬衣推枕起徘徊  (ころも)()り枕を()()ちて徘徊し
珠箔銀屏邐迤開  珠箔(しゆはく) 銀屏(ぎんぺい) 邐迤(りい)として(ひら)
雲鬢半偏新睡覺  雲鬢(うんびん) 半ば(かたむ)きて 新たに(ねむ)りより覚め
花冠不整下堂來  花冠(くわくわん)整はずして堂を(くだ)りて(きた)

【通釈】方士は宮殿の西の(ひさし)の間に来て、玉の門扉を開き、
さて小玉という少女をして腰元の双成に取り次がしめた。
漢の皇帝の使者であるとの知らせを聞き、
玉妃は花模様の(とばり)のうちで夢うつつに驚く。
上衣を取り、枕を押しのけ、起き上がってそぞろ歩き回り、
真珠のすだれ、銀の屏風がつぎつぎに押し開かれる。
雲のように豊かな鬢の毛が一方に片寄り、まだ眠りから醒めたばかりの様子で、
花の冠も整えずに、御殿を下りて来た。

【補記】第八十九句より九十六句まで。夢うつつのまま寝殿から出て来る妃のありさまを妖艶に叙す。高遠の歌は「九華帳夢中驚」の句題和歌。長方のは題「楊貴妃」。

【影響を受けた和歌の例】
うたた寝のさめてののちの悔しきは夢にも人を見さすなりけり(藤原高遠『大弐高遠集』)
まぼろしは玉のうてなに尋ねきて昔の秋の契りをぞきく(藤原長方『玉葉集』)

白氏文集卷十二 長恨歌(三)2010年08月30日

蓮の花

長恨歌(ちやうこんか)(承前) 白居易

歸來池苑皆依舊  帰り来たれば池苑(ちえん)は皆旧に依り
太液芙蓉未央柳  太液(たいえき)の芙蓉 未央(びあう)の柳
對此如何不涙垂  (これ)に対して如何(いかん)ぞ涙垂れざらん
芙蓉如面柳如眉  芙蓉は(おもて)の如く 柳は眉の如し
春風桃李花開日  春風(しゆんぷう)桃李(たうり) 花開く日
秋雨梧桐葉落時  秋雨(しうう)梧桐(ごとう) 葉落つる時

【通釈】都の宮殿に帰って来ると、林泉は皆昔のままで、
太液の池には蓮の花、未央の宮には柳の枝。
これらを目の前に、どうして落涙せずにおられよう。
蓮の花は亡き妃のかんばせのよう、柳の葉は眉のよう。
春風が吹き、桃や(すもも)が花開く日も、
秋雨が降り、梧桐の葉が落ちる時も、妃を思わずにはいられない。

【補記】第五十七句より六十二句まで。乱が収まり長安の宮城に戻った皇帝の哀傷の日々。季節は春から秋へ移る。和漢朗詠集巻下恋に「春風桃李花開日 秋雨梧桐叶落時」が引かれている。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・帰来池苑皆依旧(池苑依旧)
からころも涙に濡れてきてみればありしながらの秋は変はらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
草も木も昔ながらの宿なれど変はらぬものは秋の白露(源道済『道済集』)
・太液芙蓉未央柳
はちすおふる池は鏡と見ゆれども恋しき人の影はうつらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
・秋梧桐葉落時
木の葉散る時につけてぞなかなかに我が身のあきはまづ知られける(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他(句題を提示していない歌)
帰りきて君おもほゆる蓮葉に涙の玉とおきゐてぞみる(伊勢『伊勢集』)

西宮南苑多秋草  西宮(せいきゆう) 南苑(なんえん) 秋草(しうさう)多く
落葉滿階紅不掃  落葉(かい)に満ち(くれなゐ)(はら)はれず
梨園弟子白髮新  梨園(りゑん)弟子(ていし) 白髪(はくはつ)新たに
椒房阿監靑娥老  椒房(せうばう)阿監(あかん) 青蛾(せいが)老いたり

【通釈】西の内裏や南の庭園には秋の色づいた草が多く、
(きざはし)にいちめん降り積もった紅葉は掃除もされない。
歌舞団の練習生たちも白髪頭になり始め、
後宮の女房たちの青蛾の眉も老けてしまった。

【補記】第六十三句より六十六句まで。宮城の寂寞たる秋、そして歳月のうつろいを叙す。

【影響を受けた和歌の例】
・「西宮南門多秋草」の句題和歌
九重のたまのうてなもあれにけりこころとしける草の上の露(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「葉満階紅不掃」の句題和歌
落ちつもる木の葉木の葉はおのづから嵐の風にまかせてぞ見る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
くれなゐに払はぬ庭はなりにけり悲しきことの葉のみつもりて(伊勢『伊勢集』)
恋ひわぶる涙の色のくれなゐをはらはぬ庭の秋の紅葉ば(平親清四女『親清四女集』)
冬きては何を形見とながめまし浅茅が原も霜枯れにけり(平忠度『忠度集』)

夕殿螢飛思悄然  夕べの殿(との)に蛍飛びて思ひ悄然(せうぜん)たり
秋燈挑盡未能眠  秋の(ともしび)(かか)げ尽くして未だ眠る(あた)はず
遲遲鐘漏初長夜  遅遅(ちち)たる鐘漏(しようろう) 初めて長き夜
耿耿星河欲曙天  耿耿(かうかう)たる星河(せいか) ()けんとする天
鴛鴦瓦冷霜華重  鴛鴦(ゑんあう)(かはら)は冷ややかにして霜華(さうか)(しげ)
舊枕故衾誰與共  (ふる)き枕 (ふる)(しとね) 誰と共にせん
悠悠生死別經年  悠悠(いういう)たる生死 別れて年を()たり
魂魄不曾來入夢  魂魄(こんぱく)(かつ)(きた)りて夢に()らず

【通釈】夕暮の御殿に蛍が舞い飛び、帝の思いは悄然とする。
秋の燈火は尽きて、なお眠りにつくことができない。
のろのろと時の鐘が鳴って、夜が長くなったと感じる。
天の川が煌々と輝く夜空を眺めるうち、ようやく明け方が近づく。
鴛鴦(おしどり)(かたど)った屋根瓦は冷え冷えと、霜の花を幾重も結び、
旧のままの枕と敷物、共にする人はもういない。
遥かに隔たる生と死。別れて幾年か経ったが、
妃の魂が夢に入って来たことは一度もない。

【補記】第六十七句より七十四句まで。秋の長夜を明かす皇帝の孤独。和漢朗詠集巻上秋「秋夜」に「遲遲鐘鼓初長夜 耿耿星河欲曙天」、巻下恋に「夕殿螢飛思悄然 孤灯挑盡未成眠」が引かれ、それぞれ多くの句題和歌が作られた。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・夕殿蛍飛思悄然
思ひあまり恋しき君が魂とかける蛍をよそへてぞみる(藤原高遠『大弐高遠集』)
・夕殿蛍飛思悄然、秋灯挑尽未能眠
君ゆゑにうちも寝ぬ夜の床のうへに思ひを見する夏虫のかげ(慈円『拾玉集』)
暮ると明くと胸のあたりも燃えつきぬ夕べのほたる夜はのともし火(藤原定家『拾遺愚草員外』)
夏虫の影にはまがふともし火もおよばざりける身の思ひかな(寂身『寂身法師集』)
・遅遅鐘漏初長夜、耿耿星河欲曙天
鐘の音をねざめてきくや秋ならむ袖にまぢかき天の川なみ(慈円『拾玉集』)
鳥のねをとしもふばかり待ちし夜の鳴きてもながき暁の空(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・旧枕故衾誰与共
うちわたし独りふす夜のよひよひは枕さびしきねをのみぞ泣く(藤原高遠『大弐高遠集』)
如何にせん重ねし袖をかたしきて涙にうくは枕なりけり(慈円『拾玉集』)
床の上に旧き枕も朽ちはててかよはぬ夢ぞ遠ざかりゆく(藤原定家『拾遺愚抄員外』)
露しげき蓬が閨のひまとぢてふるき枕に秋風ぞ吹く(寂蓮『千五百番歌合』)
・その他(句題を提示していない歌)
玉簾あくるもしらで寝しものを夢にも見じとゆめ思ひきや(伊勢『伊勢集』)

(2010年8月31日訂正)

白氏文集卷十二 長恨歌(二)2010年08月29日

長恨歌(ちやうこんか)(承前) 白居易

驪宮高處入靑雲  驪宮(りきゆう)高き(ところ)青雲(せいうん)()
仙樂風飄處處聞  仙楽(せんがく) 風に(ひるがへ)りて処処(しよしよ)に聞こゆ
緩歌慢舞凝絲竹  緩歌(くわんか)慢舞(まんぶ)糸竹(しちく)()らし
盡日君王看不足  尽日(じんじつ)君主()れども足らず
漁陽鼙鼓動地來  漁陽(ぎよやう)鼙鼓(へいこ) 地を動かして(きた)
驚破霓裳羽衣曲  驚かし破る 霓裳(げいしやう)羽衣(うい)の曲

【通釈】驪山(りざん)の華清宮は頂上が雲に突き入るほど。
この世ならぬ音楽が風におどって処々に聞こえる。
ゆるやかな歌舞に合せ、琴や笛の音が長く引き、
終日、帝は御覧じて飽きることが無い。
その時、漁陽(注:今の北京あたり)からの陣太鼓が大地を轟かせてやって来、
霓裳(げいしょう)羽衣の曲(注:西域伝来の舞曲)を唐突に中断させた。

【補記】第二十七句より三十二句まで。歓楽の絶頂の時、安禄山の乱が起こり、叛乱軍が迫ったことを叙す。高遠の歌は「尽日君王看不足」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
見ても猶あかぬこころのこころをばこころのいかに思ふこころぞ(藤原高遠『大弐高遠集』)

九重城闕煙塵生  九重(きうちよう)城闕(じやうけつ)煙塵(えんぢん)生じ
千乘萬騎西南行  千乗(せんじよう)万騎(ばんき)西南に行く
翠華搖搖行復止  翠華(すいくわ)揺揺(えうえう)として行きて()た止まる
西出都門百餘里  西のかた都門(ともん)を出づること百余里
六軍不發無奈何  六軍(りくぐん)発せず 奈何(いかん)ともする無く
宛轉娥眉馬前死  宛轉(えんてん)たる娥眉(がび) 馬前(ばぜん)に死す
花鈿委地無人収  花鉗(くわでん)は地に()てられて人の(をさ)むる無し
翠翹金雀玉掻頭  翠翹(すいげう) 金雀(きんじやく) 玉掻頭(ぎよくさうとう)
君王掩眼救不得  君王(まなこ)(おほ)ひて救ひ得ず
廻看涙血相和流  (かへ)()涙血(るいけつ)相如(あひわ)して流る

【通釈】並び立つ宮門に煙塵が舞い上がり、
千の車と万の騎馬が蜀めざし西南へ落ちて行く。
天子の旗はゆらゆらと進んでは止まる。
都の城門を出て西へ百余里、
近衛軍は進発せず、なすすべもなく、
ゆるやかに弧を描く眉の佳人は、帝の馬前で息絶えた。
美しい金の髪飾りは地に捨てられ、拾う人もない。
翡翠の羽飾りも、黄金の孔雀飾りも、玉のかんざしも。
帝は目を覆ったまま、妃を救うすべもない。
かえりみる顔には、涙と血がひとつになって流れている。

【補記】第三十三句より四十二句まで。玄宗皇帝一行の都落ちと、馬嵬(ばかい)駅において楊貴妃が刑死に処せられる場面を婉曲に描いている。歴史の伝えるところでは、近衛兵らの要求に屈し、皇帝は楊貴妃を縊死せしめたという。

【影響を受けた和歌の例】
・「花鈿委地無人収」の句題和歌
はかなくて嵐の風に散る花を浅茅が原の露やおくらん(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王掩眼救不得」の句題和歌
いかにせん命のかなふ身なりせば我も生きては帰らざらまし(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
もみぢ葉に色見えわかず散るものは物思ふ秋の涙なりけり(伊勢『伊勢集』)
かくばかり落つる涙のつつまれば雲のたよりに見せましものを(伊勢『伊勢集』)
道の辺に駒ひきわたす程もなく玉の緒絶えむ契りとや見し(二条太皇太后宮大弐『夫木和歌抄』)

黄埃散漫風蕭索  黄挨(くわうあい)散漫(さんまん)として風は薫索(せうさく)
雲棧縈廻登劍閣  雲桟(うんさん)縈廻(えいくわい)して剣閣(けんかく)を登る
峨嵋山下少行人  峨嵋(がび)山下(さんか)に行く人少なく
旌旗無光日色薄  旌旗(せいき)に光無く日色(につしよく)薄し
蜀江水碧蜀山靑  蜀江(しよくかう)は水(みどり)にして蜀山(しよくざん)青く
聖主朝朝暮暮情  聖主(せいしゆ)朝朝(てうてう)暮暮(ぼぼ)の情
行宮見月傷心色  行宮(あんぐう)に月を見れば傷心(しやうしん)の色
夜雨聞猿斷腸聲  夜雨(やう)に猿を聞けば断腸(だんちやう)の声

【通釈】黄色い土埃が立ち込め、風が物凄く吹く中、
雲まで続く桟道は折り曲がりつつ剣閣山(注:蜀の北門をなす難所)を登ってゆく。
蛾嵋山麓の成都には道ゆく人も無く、
天子の旗に射す光も弱々しい。
蜀江の水は紺碧で、蜀の山々は青々としている。
聖なる帝は朝夕に眺めては思いに沈む。
仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、
夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。

【補記】第四十三句より五十句まで。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行と、亡き妃への思慕に明け暮れる皇帝の日常。和漢朗詠集巻下恋に「行宮見月傷心色 夜雨聞猿腸斷聲」が引かれ、これを句題に多くの歌が詠まれた。以下、句題別に影響歌を挙げる。

【影響を受けた和歌の例】
・聖主朝暮之慕情
朝夕にしのぶ心のしるしには天がけりても君がしらなむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・行宮見月傷心色(行宮見月)
思ひやる心も空になりにけりひとり有明の月をながめて(藤原高遠『新勅撰集』)
見るままに物思ふことのまさるかな我が身より()る月にやあるらん(源道済『道済集』)
いかにせん慰むやとて見る月のやがて涙にくもるべしやは(慈円『拾玉集』)
浅茅生や宿る涙の紅におのれもあらぬ月の色かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うき色の草の葉ごとに見ゆるかな月もいかなる露にすむらん(寂身『寂身法師集』)
・夜雨聞猿断腸声
木の下の雨に鳴くなる(ましら)よりもわが袖のうへの露ぞかなしき(慈円『拾玉集』)
恋ひてなく高嶺の山の夜の猿おもひぞまさる暁の雨(藤原定家『拾遺愚草員外』)

天旋日轉廻龍馭  天(めぐ)り日転じて龍馭(りうぎよ)(かへ)
到此躊躇不能去  (ここ)に到りて躊躇(ちうちよ)して去ること(あた)はず
馬嵬坡下泥土中  馬嵬(ばくわい)坡下(はか) 泥土(でいど)(うち)
不見玉顏空死處  玉顔(ぎよくがん)を見ず 空しく死せる処
君臣相顧盡霑衣  君臣(あひ)(かへり)みて(ことごと)(ころも)(うるほ)
東望都門信馬歸  東のかた都門(ともん)を望み馬に(まかせ)て帰る

【通釈】やがて天下の情勢が一変し、帝の馬車は都へ取って返すが、
この場所へ至って、足踏みして立ち去ることができない。
ここ馬嵬(ばかい)の土手の下、泥土にまみれて、
楊貴妃が空しく死んだ場所に、あの美しい顔を見ることは無い。
帝も臣下も、互いに振り返っては、一人残らず涙で衣を濡らす。
東の方へ、都の城門をめざし、馬の歩みにまかせて帰って行った。

【補記】第五十一句より五十六句まで。叛乱の首謀者安禄山が殺害され、長安が官軍によって恢復されると、玄宗一行は都への帰路に就くが、途中、楊貴妃が死んだ場所に戻ると、立ち去り難く、君臣こぞって涙に昏れる。長恨歌前半の山場であり、この場面を本説として多くの和歌が詠まれた。

【影響を受けた和歌の例】
・「不見玉顔」の句題和歌
思ひかね別れし人をきてみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『道済集』)
・「馬嵬坡下泥土中」の句題和歌
世中をこころつつみのくさのはにきえにしつゆにぬれてこそゆけ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王相顧尽霑衣」の句題和歌
せきもあへぬ涙の川におぼほれてひるまだになき衣をぞ着る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『詞花集』)
ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜すがら虫のねをのみぞなく(道命『後拾遺集』)
みがきおく玉のすみかも袖ぬれて露と消えにし野辺のかなしき(藤原定家『拾遺愚草』)

白氏文集卷十二 長恨歌(一)2010年08月28日

長恨歌(ちやうこんか) 白居易

漢皇重色思傾國  漢皇(かんくわう)色を重んじて傾国(けいこく)を思ふ
御宇多年求不得  御宇(ぎよう)多年求むれども得ず
楊家有女初長成  楊家(やうか)(ぢよ)有り 初めて長成(ちゃうせい)
養在深窗人未識  深窓(しんさう)(やしな)はれて人(いま)()らず
天生麗質難自棄  天生の麗質(れいしつ)(おのづか)()(がた)
一朝選在君王側  一朝(いつてう)選ばれて君王の(かたはら)()
廻眸一笑百媚生  (ひとみ)(めぐ)らして一笑(いつせう)すれば百媚(ひやくび)生じ
六宮粉黛無顏色  六宮(りくきゆう)粉黛(ふんたい)顔色(がんしよく)無し

【通釈】漢の皇帝は猟色が甚だしく、絶世の美女を欲した。
即位してより長年尋ね探したが、見つからない。
楊家に娘があり、ようやく成長したばかり。
邸の奥深く大切に育てられて、世の人はまだ知らない。
天成の美貌は自然と捨て置かれずにはいず、
ある日選ばれて帝の側に仕えることとなった。
瞳をめぐらして一たび微笑めば、艶情限りなく溢れ、
後宮の女たちの化粧顔も見すぼらしいばかり。

【補記】元和元年(806)、長安西郊の地方事務官であった白居易三十五歳の時の長編叙事詩、全百二十句。ここでは便宜上、幾つかの段落に分けた。第一段落は冒頭八句、楊貴妃が後宮に入るまでの序章。「漢皇」とは、唐の玄宗を漢の武帝に仮託しての謂。以下に引用した三首は全て「養在深窓(閨)人未識」の句を主題としたもの。

【影響を受けた和歌の例】
唐櫛笥(からくしげ)あけてし見れば窓深き玉の光を見る人ぞなき(藤原高遠『大弐高遠集』)
玉だれの(すだれ)もすかぬ(ねや)のうちに君ましけりと人にしらすな(源道済『道済集』)
知るらめや(しづ)がかふこの繭ごもり(かしこ)御衣(みぞ)に織りあへむとは(加藤千蔭『うけらが花』)

春寒賜浴華淸池  春寒くして(よく)を賜はる 華清(くわせい)の池
溫泉水滑洗凝脂  温泉(をんせん)(なめ)らかにして 凝脂(ぎようし)を洗ふ
侍兒扶起嬌無力  侍児(じじ)(たす)け起こせども(けう)として力無し
始是新承恩澤時  (まさ)しく()れ新たに恩沢(おんたく)()くる時
雲鬢花顏金歩搖  雲鬢(うんびん) 花顔(くわがん) 金歩揺(きんほえう)
芙蓉帳暖度春宵  芙蓉(ふよう)(とばり)は暖かくして春宵(しゆんせう)(わた)
春宵苦短日高起  春宵(しゆんせう)短きに苦しみ 日高くして()
從此君王不早朝  (これ)より君王早く(まつりごと)せず

【通釈】まだ春寒い日、華清の池で沐浴を賜わった。
なめらかな温泉の湯が、つややかな白い肌をすすぎ清める。
侍童が助け起こすけれど、なまめかしくもぐったりとしている。
まさにこの日が新たに情愛を受けた時であった。
雲なす豊かな鬢の毛、花のかんばせ、歩めば揺れる金のかんざし。
蓮の花を縫い取った帳のうちは暖かで、春の宵は過ぎてゆく。
春の夜の短さが恨めしく、起きるのは日も高くなってから。
この時以後、帝は早朝の(まつりごと)を執らなくなった。

【補記】第九句より第十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝と結ばれ、皇帝の溺愛を受けるようになるまでを叙す。高遠の歌は「春宵苦短日高起」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
朝日さす玉のうてなも暮れにけり人と寝る夜のあかぬなごりに(藤原高遠『大弐高遠集』)

承歡侍寢無閑暇  (くわん)()(しん)に侍して閑暇(かんか)無し
春從春遊夜專夜  春は春遊(しゆんゆう)に従ひ ()()(もつぱ)らにす
後宮佳麗三千人  後宮(こうきゆう)佳麗(かれい)三千人(さんぜんにん)
三千寵愛在一身  三千の寵愛(ちようあい)一身に()
金屋粧成嬌侍夜  金屋(きんをく)(よそほ)ひ成つて(けう)として()に侍し
玉樓宴罷醉和春  玉楼(ぎよくろう)(えん)()んで()ひて春に()
姉妹弟兄皆列土  姉妹(しまい)弟兄(ていけい)(くに)(れつ)
可憐光彩生門戸  憐れむ()し 光彩 門戸(もんこ)に生ず
遂令天下父母心  (つひ)に天下の父母(ふぼ)の心を()
不重生男重生女  (だん)を生むことを重んぜず (ぢよ)を生むことを重んぜしむ

【通釈】()は帝の歓びを受け、休みもなく寝所に(はべ)る。
春は春の遊びに従い、夜は一晩じゅう帝を独り占めする。
後宮の美女はあわせて三千人、
三千人分の寵愛がただ一人に集まっていた。
黄金づくりの御殿で化粧を済ますと、あでやかに夜のお勤めをし、
玉楼の宴が終れば、酒に酔って春の夜気に溶け込んでいる。
()の兄弟姉妹はつらねて領地を賜わり、
ああ、一族は光輝くような栄誉に包まれた。
遂には世の二親(ふたおや)をして、
男子より女子を生むことを尊ばしめた。

【補記】第十七句より第二十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛を一身に集め、一族が栄光に包まれるまでを叙す。高遠・道済の歌はいずれも「三千寵愛在一身」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
我ひとりと思ふ心も世の中のはかなき身こそうたがはれけれ(藤原高遠『大弐高遠集』)
ももしきの君が朝寝(あさい)の移り香はしみにけらしな妹が狭衣(源道済『道済集』)

白氏文集卷九 新秋夕2010年08月26日

新秋(しんしう)の夕べ   白居易

西風飄一葉  西風(せいふう)一葉(いちえふ)(ひるがへ)
前庭颯已涼  前庭(ぜんてい)(さつ)として(もつ)て涼し
秋池明月水  秋池(しうち) 明月(めいげつ)の水
衰蓮白露房  衰蓮(すいれん) 白露(はくろ)(ばう)
其奈江南夜  其れ江南の夜を(いか)んせん
綿綿自此長  綿綿(めんめん)として(これ)より長からん

【通釈】西風が一枚の木の葉をひるがえし、
庭先をさっと吹き過ぎて、涼しくなった。
秋の冷やかな池水は明月を映し、
衰えた蓮は実の穴に白露を宿している。
いったい江南の夜をどう過ごそう。
これから延々と長夜が続くのだ。

【語釈】◇西風 五行説では秋は西に当たるので、西風は即ち秋風である。◇前庭 庭前とする本もある。◇秋池 風池とする本もある。

【補記】早秋の夕べの情趣を詠んだ詩。那波本は題「新秋」。実隆・蘆庵の歌はいずれも初句「西風飄一葉」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
吹く風のたよりもいかで桐の葉のわが身ひとつの秋となりなん(三条西実隆『雪玉集』)
あへず散る桐の一葉のことわりも身にしる老の秋の初風(小沢蘆庵『六帖詠草』)