白氏文集後集卷六十五 白羽扇 ― 2010年07月30日
素是自然色
圓因裁製功
颯如松起籟
飄似鶴飜空
盛夏不銷雪 盛夏にも
終年無盡風
引秋生手裏 秋を引きて
藏月入懷中 月を
麈尾斑非疋
蒲葵陋不同
何人稱相對
清瘦白鬚翁
【通釈】白いのは自然の色。
円いのは人工のしわざ。
吹き立つ松籟のように爽やかな音をたて、
空に翻る鶴のようにひらりと閃く。
盛夏にも消えない雪だ。
一年中、尽きることのない風だ。
秋を先取りして手の内に生ぜしむ。
月をひっそりと懐の内に入れる。
白羽扇に釣り合う人は誰だろう。
そう、さっぱりと痩せたこの白鬚の翁だ。
【語釈】◇裁製 素材から物を作り上げること。◇颯 風がさっと吹く音。◇飄 風にひるがえるさま。◇引秋 秋を引き寄せて。秋を先取りして。◇藏月 円形の白い扇を月になぞらえる。◇麈尾 麈尾扇。麈(大型の鹿)の尾の毛で作った扇。◇蒲葵 蒲葵扇。蒲葵はビロウ。ヤシ科の樹木でシュロに似る。その葉を扇の材とする。◇相對 対等なもの。◇白鬚翁 白い顎ひげの老人。白居易自身を指すのであろう。
【補記】鳥の白い羽毛で作った団扇を詠んだ詩。和漢朗詠集巻上夏「扇」に「盛夏不銷雪」以下の四句が引かれている。下に引用したのはいずれも「引秋生手裏」を踏まえた歌である。謡曲『班女』などに「藏月入懷中」を踏まえた章句が見える。
【影響を受けた和歌の例】
うちもおかぬ扇の風の涼しさに我が手に秋はたつかとぞ思ふ(源行宗『行宗集』)
露むすぶ今朝も扇はおきやらで我が手よりなる秋の初風(二条為明『延文百首』)
秋をなす扇のかぜの手のうちにむすぶも涼し山の井の水(二条為定『為定集』)
白氏文集卷五十二 池上夜境 ― 2010年07月27日
晴空星月落池塘
澄鮮淨綠表裏光
露簟清瑩迎夜滑
風襟蕭灑先秋涼
無人驚處野禽下 人驚かす
新睡覺時幽草香 新たに
但問塵埃能去否
濯纓何必向滄浪
【通釈】晴れた夜空の星と月の光が池の水に映り、
澄み切った穢れのない木々の緑が翻って光る。
露に濡れた
風は襟元にすがすがしく、はや秋を思わせる涼しさだ。
人に驚くことなく、野鳥が地に舞い降りる。
しばし睡りに落ち、新たに目覚めると、かすかな草の香りが芳しく漂う。
ただ問いたい、私は俗世の塵を洗い落とせたかどうか。
滄浪の水で冠の紐を洗うと言うが、この池でも我が身を浄めることはできるだろう。
【語釈】◇蕭灑 清らかでさっぱりとしたさま。◇濯纓 纓は冠の紐。清らかなものの喩え。『孟子』の「滄浪之水淸兮 可以濯我纓(滄浪の水清ければ 以て我が纓を濯ふべし)」を踏まえ、俗世を超脱することを含意。◇滄浪 中国湖北省を流れる漢水の古称。
【補記】池のほとりで過ごす晩夏の夜の興趣を詠む。大和四年(830)、五十九歳、洛陽での作。和漢朗詠集巻上夏「納涼」に「露簟清瑩迎夜滑 風襟蕭灑先秋涼」が引かれている。
【影響を受けた和歌の例】
風の音も秋にさきだつ心ちして鹿鳴きぬべき野辺の夕暮(慈円『拾玉集』)
穂にいでぬ篠のをすすき露ちりて秋にさきだつ風ぞすずしき(平親清四女『平親清四女集』)
月照平沙夏夜霜 ― 2010年07月24日
白氏文集卷二十 江樓夕望招客
海天東望夕茫茫 海と天と 東を望めば夕べ
山勢川形濶復長
燈火萬家城四畔
星河一道水中央
風吹古木晴天雨 風は
月照平沙夏夜霜 月は
能就江楼銷暑否
比君茅舎校清涼 君が
【通釈】夕方、東方を望めば、海も空も茫々と暮れ、
山並も川の流れも、ゆったりとどこまでも続いている。
あまたの家々の灯火は城市の四辺まで行き渡り、
天の河が一すじ、川面の中央に映じている。
風は古木を吹いて、晴天の雨のように音を立て、
月は平らかな川砂を照らして、夏の夜に降りた霜のようだ。
君もこの川のほとりの楼閣に来て避暑が出来ないものか。
君の狭苦しい茅屋に比べれば、少しは涼しいだろう。
【補記】抗州の銭塘江のほとりの楼閣からの夕べの眺めの素晴らしさに、客を招こうと詠じた詩。和漢朗詠集巻上夏の「夏夜」に「風吹古木晴天雨 月照平沙夏夜霜」が引かれている。大江千里の歌は「月照平砂夏夜霜」の句題和歌。「夏月」の題詠でこの句を踏まえたと思われる和歌は少なからず見える。『新撰万葉集』の歌は「風吹古木晴天雨」を踏まえたものであろう。また謡曲『雨月』『経政』に両句を踏まえた章句が見える。
【影響を受けた和歌の例】
月影になべて真砂の照りぬれば夏の夜ふれる霜かとぞ見る(大江千里『句題和歌』)
夏の夜の霜やおけると見るまでに荒れたる宿をてらす月影(作者未詳『寛平御時后宮歌合』)
今夜かくながむる袖のつゆけきは月の霜をや秋とみつらん(よみ人しらず『後撰集』)
夏の夜もすずしかりけり月影は庭しろたへの霜と見えつつ(藤原長家『後拾遺集』)
雲きゆる空にや月のさえつらん庭もこほらぬ夏の夜の霜(西園寺実氏『弘長百首』)
ひさかたの照る日にあへどいかなれば霜と見ゆらん夏の夜の月(弁内侍『弁内侍日記』)
身にしみて月ぞ涼しき白妙の袖のひとへや夏の夜の霜(宗良親王『宗良親王千首』)
月もなほ残るみぎりの朝きよめ夏さへ霜をはらふとぞ見る(堯孝『新続古今集』)
夏の夜の霜には月もまがひけり雪とぞ見ゆる庭の卯の花(香川景樹『桂園一枝拾遺』)
(2010年7月31日加筆訂正)
和漢朗詠集卷上 夏 納涼 ― 2010年07月23日
夏日閑避暑
夏の日
池冷水無三伏夏 池冷やかにして水に
松高風有一聲秋 松高うして風に
【通釈】池の冷やかな水には、三伏の夏も存在しない。
松の高い梢を吹く風には、はや秋の声を聞く感がある。
【語釈】◇三伏 立秋前後三十日の盛暑の候。夏至の後、第三の
【補記】題は釈信阿私注による。原詩は散逸か。両句とも句題和歌の題とされている。また謡曲『天鼓』『東北』『西行桜』などに引かれている。
【作者】源英明は宇多天皇の皇子斉世親王の子。菅原道真を母方の祖父にもつ。従四位左近衛中将。生年未詳、天慶二年(939)没。
【影響を受けた和歌の例】
・「池冷水無三伏夏」の句題和歌
・「松高風有一聲秋」の句題和歌
松風のこずゑを渡る一声にまだきも秋のけしきなるかな(藤原隆房『朗詠百首』)
松陰や身にしむ程はなけれども風に先だつ秋の一声(土御門院『土御門院御集』)
いつもきく高嶺の松の声なれど今朝しもいかで身にはしむらん(一色直朝『桂林集』)
わが宿の松なかりせば大空の風を秋とも誰かさだめむ(香川景樹『桂園一枝』)
・その他
まとゐして夕涼みする松陰は梢の風に秋ぞ先だつ(藤原実房『正治初度百首』)
風わたる杜の木陰の夕涼みまだきおとなふ秋の一声(惟明親王『正治初度百首』)
夕暮や松吹く風にさそはれて梢の音に秋は来にけり(藤原忠良『老若五十首歌合』)
夏ふかみ木だかき松の夕涼み梢にこもる秋の一声(後鳥羽院『後鳥羽院御集』)
夏しらぬ池のこころのすずしきに汀の木々もかげひたすなり(伏見院『伏見院御集』)
(2010年7月24日加筆訂正)
但能心靜即身涼 ― 2010年07月21日
白氏文集卷十五 苦熱題恆寂師禪室
熱に苦しみ、
人人避暑走如狂 人人
獨有禪師不出房 独り禅師の
不是禅房無熱到
但能心靜即身涼
【通釈】世の人々は暑さを避けて狂ったように家を逃げ出す。
独り禅師のみは房中に籠もったままでいる。
師の禅室にも炎熱が押し寄せないわけではない。
ただ心を静かに澄ませていれば、そのまま身も涼しくなるのである。
【補記】酷暑の候、恒寂師(不詳)の禅室に題した詩。和漢朗詠集の巻上夏「納涼」に第三・四句が引かれている。那波本は第三句「可是…」とし、この場合「
【影響を受けた和歌の例】
我が心しづけき時は吹く風の身にはあらねど涼しかりけり(大江千里『句題和歌』)
心をや御法の水もあらふらむひとりすずしき松のとざしに(慈円『拾玉集』)
嵐山すぎの葉かげのいほりとて夏やはしらぬ心こそすめ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
しづかなる心ぞ夏をへだてけるてる日にもるる宿ならねども(寂身『寂身法師集』)
おのづから心しづけきむろの中は身さへ涼しき夏衣かな(藤原為家『為家集』)
人とはぬ深山の庵のしづけきに夏なきものは心なりけり(一条実経『円明寺関白集』)
槿花一日自爲榮 ― 2010年07月14日
白氏文集卷十五 放言 其五
放言 其の五 白居易
泰山不要欺毫末
顔子无心羡老彭
松樹千年終是朽
槿花一日自爲榮
何須戀世常憂死 何ぞ
亦莫嫌身漫厭生
生去死來都是幻
幻人哀樂繋何情
【通釈】泰山は偉大だからといって小さなものを侮る必要は無いし、
顔回は短命だからといって彭祖の長寿を羨む心は無かった。
松の木は千年の寿命があるといっても、最後には朽ち、
朝顔の花は一日の寿命であっても、それを栄華とする。
されば、どうして現世に恋着し常に死を気に病む必要があろう。
さりとてまた、我が身を嫌ってむやみに生を厭うこともない。
生れては死ぬ、これはすべて幻にすぎぬ。
幻にすぎぬ人たる我が身、哀楽などどうして心に懸けよう。
【語釈】◇泰山 五岳の一つ。太山とも書く。崇高壮大なものや大人物の譬えとされる。◇顔子 孔子の高弟、顔回。師より将来を嘱望されたが夭折した。◇老彭 彭祖。殷の時代の仙人で、八百歳の長寿を保ったという。◇槿花
【補記】親友の元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第五首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。其一は既出。第三・四句が和漢朗詠集巻上秋の「
【影響を受けた和歌の例】
千年ふる松だに朽つる世の中に今日とも知らでたてる我かな(性空上人『新古今集』)
朝顔の暮を待たぬもおなじこと千とせの松に果てしなければ(藤原清輔『久安百首』)
おのづからおのが葉かげにかくろへて秋の日くらす朝がほの花(藤原為家『為家集』)
あだなりや夕陰またず一時をおのが世とみる朝顔の花(橘忠能『難波捨草』)
佩文齋詠物詩選 夏日臨江 ― 2010年07月08日
夏の日 江に臨む 梁武帝
夏潭蔭修竹
高岸坐長楓
日落滄江靜 日落ちて
雲散遠山空 雲散じて
鷺飛林外白 鷺飛びて
蓮開水上紅 蓮開きて
逍遙有余興
悵望情不終
【通釈】夏の
切り立った岸辺、丈高い
日は落ちて青々とした大河は穏やかに、
雲は散って遠くの山々は虚ろだ。
鷺が林の外へ白々と飛び、
蓮が水の上に
散策すれば感興は余るほどあり、
眺望すれば哀情の尽きることがない。
【語釈】◇修竹 「修」は「脩」に通じ、長い竹の意。◇滄江 青々とした河。「江」は長江。
【補記】夏の日、長江に臨んで作ったという五言古詩。『古詩三百首』などは作者を隋煬帝(楊広)とする。大江千里の歌は「蓮開水上紅」の句題和歌。
【作者】梁武帝、
【影響を受けた和歌の例】
秋近く蓮ひらくる水の上は紅ふかく色ぞみえける(大江千里『句題和歌』)
夕立の雲間の日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺(藤原定家『玉葉集』)
菅家文草卷四 新蝉 ― 2010年07月06日
新蝉 菅原道真
新發一聲最上枝 新たに
莫言泥伏遂無時 言ふことかなれ
今年異例腸先斷 今年は
不是蟬悲客意悲 これ蝉の悲しぶのみにあらず
【通釈】いちばん高い梢で、蝉が初めて一声を発した。
言うな、土の中に埋もれ伏して、残りの時間は最早無いと。
今年は例年にも増して真っ先に断腸の思いがする。
悲しいのは蝉ではなく、旅人たる私の心が悲しんでいるのだ。
【語釈】◇不是蟬悲 「これ蝉の悲しぶにあらず 」と訓むのが本来であろうが、和漢朗詠集の古写本に「これ蝉の悲しぶのみにあらず」と訓むのに従う。◇客 旅人。左遷の身にあった自身を指す。
【補記】仁和四年(888)、讃岐に左遷されて三年目の作。和漢朗詠集巻上夏「蝉」の部に第三・四句が採られている。土御門院の御製は「不是蟬悲客意悲」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
夏ふかき森のうつせみねにたてて啼くこの暮は我さへぞ憂き(土御門院『土御門院御集』)
うつせみの世はかくこそと見るごとに先づ我が身こそ悲しかりけれ(木下幸文『亮々遺稿』)
和漢朗詠集卷上 蟬 發青泥店至長余縣西涯山口 ― 2010年07月05日
青泥店を発して、長余県西涯山口に至る 李嘉祐
千峯鳥路含梅雨
五月蟬聲送麥秋
【通釈】数知れぬ峰々には梅雨を含んだ雲が垂れ込め、鳥の路を阻んでいる。
五月になって鳴き始めた蝉の声は、麦秋の季節の終りを告げる。
【語釈】◇五月 陰暦五月は仲夏。◇麥秋 陰暦四月、初夏。麦を収穫する季節なのでこの名がある。
【補記】『和漢朗詠集』巻上夏「蝉」。『千載佳句』には「夏興」の部に収め、題「發青泥店至長余縣西涯山口」を記すが、詩の全容は知れない。『全唐詩』などにも見えず、早く散逸したものらしい。「五月蝉声送麦秋」を踏まえた和歌が見える。
【作者】
【影響を受けた和歌の例】
おくるといふ蝉の初声きくよりぞ今かと荻の秋を知りぬる(藤原道綱母『道綱母集』)
神まつる卯月もたてば五月雨の空もとどろに啼く蝉の声(藤原隆房『朗詠百首』)
五月かも麦の秋風蝉のこゑまじはる杜になく郭公(正徹『草根集』)
【参考】『平家物語』巻三
この島へ流されて後は、暦も無ければ、月日の立つをも知らず。只おのづから花の散り、葉の落つるを見ては、三年の春秋を弁へ、蝉の声麦秋を送れば夏と思ひ、雪の積るを冬と知る。
白氏文集卷十六 階下蓮 ― 2010年06月28日
葉展影翻當砌月 葉
花開香散入簾風 花
不如種在天池上
猶勝生於野水中
【通釈】蓮の葉が伸びて、汀の石に射す月光の下、その影がひるがえっている。
蓮の花が咲いて、簾へと吹き入る風の中、その香がまき散らされる。
天上の池に植えておくに如くはないが、
かと言って野中の泥水に生えるのよりはましだ。
【語釈】◇砌 池の岸などに石を敷いた所。石畳。◇天池 天上の池。◇野水 野中にある沼などを言う。
【補記】江州司馬に左遷されていた頃の作。自身を階下の蓮になぞらえ、「天池」に長安の都を、「野水」に左遷の地江州を暗に喩えたとみる説がある。和漢朗詠集巻上夏の「蓮」の部に初二句を採る。肥後の歌を始め「花入簾」「落花入簾」等の題で詠まれた歌は、おそらく掲出詩の第二句の影響を受けていると思われる(但し和歌では「花」は桜を指すことになる)。
【影響を受けた和歌の例】
玉簾ふきまふ風のたよりにも花のしとねを閨にしきける(肥後『肥後集』)
明け方は池の蓮もひらくれば玉のすだれに風かをるなり(藤原俊成『長秋詠藻』)
軒近き花橘の風ふれてすだれの内も香に匂ふなり(冷泉為村『為村集』)
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