白氏文集卷二十 紫陽花 ― 2010年06月22日
何年植向仙壇上
早晩移栽到梵家
雖在人閒人不識
與君名作紫陽花 君が
【通釈】いつの年、仙境の辺に植えたのか。
いつこの寺に移し植えたのか。
人間界にあるのに人は知らない。
君のために紫陽花と名付けよう。
【語釈】◇向 「於」の意の前置詞。◇仙壇 仙人のたちの住む場所。仙境。招賢寺のある霊隠山をこう言った。◇早晩 いつ。当時の俗語という。◇梵家 寺。招賢寺を指す。◇紫陽花 紫は神仙の色。陽は「ひなた」、易学ではプラスの意。
【補記】作者は次のように自注を添えている。「招賢寺有山花一樹、無人知名、色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。因以紫陽花名之」(招賢寺に山花一樹有り、人の名を知るもの無し。色紫にして気香ばしく、芳麗愛す可く、頗る仙物に類す。因つて紫陽花を以て之を名づく)。すなわち抗州霊隠山の招賢寺に植えられていた名の無い花に「紫陽花」の名を付けたことを詠んだ詩である。日本であじさいを「紫陽花」と書くのはこの詩に由来する。なお中国でもアジサイ=繡球花の別名として「紫陽花」が用いられている(中国版Wikipedia)。
下に引用した歌は、あじさいならぬ「しもつけ」の名を隠した物名歌。「つけん」は「付けん」とも「告げん」とも取れるが、白居易の詩を踏まえたのなら前者と解すべきだろう。
【影響を受けた和歌の例】
植ゑて見る君だに知らぬ花の名を我しもつけん事のあやしさ(よみ人しらず『拾遺集』)
白氏文集卷十一 江上送客 ― 2010年06月19日
江上に客を送る 白居易
江花已萎絶
江草已銷歇
遠客何處歸
孤舟今日發
杜鵑聲似哭
湘竹斑如血
共是多感人 共に
仍爲此中別
【通釈】河辺の花はもう枯れ果ててしまった。
河辺の草はもう消え失せてしまった。
遠来の旅人はどこへ帰って行くのか。
君を乗せた一艘の舟が今日出航する。
ほととぎすは号泣するように鳴き、
湘竹のまだら模様は血の涙のようだ。
君も私も共に多感の人。
その二人が今ここに別れねばならぬとは。
【語釈】◇杜鵑 ほととぎす。我が国には初夏に渡来し、秋に中国南部に帰る。「杜」はこの鳥に化したとの伝がある蜀の望帝の名「杜宇」に由来する。◇湘竹 斑竹。舜の妃湘夫人が舜の死を傷み流した涙によって斑紋を生じたと伝え、この名がある。
【補記】長江のほとりで旅人を送ったことを詠んだ感傷詩。元和十四年(819)頃、忠州(四川省忠県)刺史時代の作。実隆・景樹の歌はいずれも「杜鵑声似哭」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
せきあへぬ思ひ有りともほととぎすふるさと人に心して啼け(三条西実隆『雪玉集』)
ほととぎす一むら雨のふりいでてなく涙さへ見ゆる空かな(香川景樹『桂園一枝』)
白氏文集卷十七 東牆夜合樹去秋爲風雨所摧、今年花時、悵然有感 ― 2010年06月17日
碧荑紅縷今何在
風雨飄將去不迴
惆悵去年牆下地
今春唯有薺花開
【通釈】碧い芽、紅い糸の合歓の花はどこに行ってしまったのか。
風雨に舞い上がり、去ったきり戻らない。
私は嘆き悲しむ。去年、垣根のほとりの地にあったのに
今年の春、そこにはただ
【語釈】◇夜合樹
【補記】前年の秋の風雨に折れた合歓木。花の季節を迎えてその不在を悲しんだ詩である。芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」はこの詩を踏まえたものとする説がある。但し直接的には木下長嘯子の歌(下記引用歌)から影響を受けた可能性もある。
【影響を受けた和歌の例】
古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(木下長嘯子『挙白集』)
白氏文集卷十七 廬山草堂、夜雨獨宿、寄牛二・李七・庾三十二員外 ― 2010年06月13日
丹霄攜手三君子
白髮垂頭一病翁
蘭省花時錦帳下
廬山雨夜草庵中
終身膠漆心應在
半路雲泥迹不同
唯有無生三昧觀
榮枯一照兩成空
【通釈】朝廷に手を携えて仕えている、三人の君子たちよ、
こちらは白髪を垂らした病身の一老人。
君たちは尚書省の花盛りの季節、美しい帳のもとで愉しく過ごし、
私は廬山の雨降る夜、粗末な庵の中で侘しく過ごしている。
終生変わらないと誓った友情はなお健在だろうが、
人生の半ばにして、君たちと私には雲泥の差がついてしまった。
私はただ生死を超脱し、悟りを開いた境地に没入するばかり。
繁栄も衰滅も同じ虚像であって、いずれ
【語釈】◇丹霄 天空。ここでは朝廷の喩え。◇三君子 長安にいる旧友たち、寄牛二(牛僧孺)・李七(李宗閔)・庾三十二員外(庾敬休)を指す。◇一病翁 白居易自身を客観視して言う。◇蘭省 尚書省。宮中の図書館。◇錦帳 錦織のとばり。◇廬山 江西省九江県。◇膠漆 にかわとうるし。両者を混ぜると緊密に固まるので、不変の友情の喩えに用いる。◇無生三昧觀 生死を超脱し、悟りを開いた境地。◇一照 同じ仮の現象。仏教語。◇空 現象界には固定的実体がなこと。仏教語。
【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)~十三年、作者四十六、七歳頃の作。「香爐峯下、新卜山居…」と同じ頃である。廬山の草堂に宿した一夜の感懐を、長安の旧友に寄せた詩。和漢朗詠集巻下「山家」の部に「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」が引かれている。以下に引用した和歌はすべて「廬山雨夜草庵中」の句を踏まえたもの。「草庵雨」の題詠も多いが、この歌題自体が白詩に拠るものである。俊成・定家の影響で本説取りも多い。
【影響を受けた和歌の例】
さみだれに思ひこそやれいにしへの草の庵の夜半のさびしさ(親王輔仁『千載集』)
昔思ふ草の庵の夜の雨に涙なそへそ山時鳥(藤原俊成『新古今集』)
草の庵の雨にたもとを濡らすかな心より出でし都恋しも(慈円『拾玉集』)
草の庵は夜の雨をぞ思ひしに雪の朝もさびしかりけり(藤原家隆『壬二集』)
しづかなる山路の庵の雨の夜に昔恋しき身のみふりつつ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮の秋橋に下だる夜の雨草の庵のうちならねども(藤原定家『夫木和歌抄』)
日数経ばもらぬ岩屋もいかならん草の庵の五月雨の頃(藤原為家『為家一夜百首』)
五月雨の草の庵の夜の袖しづくも露もさてや朽ちなん(藤原為家『続千載集』)
あけくれは心にかけし草のいほの雨のうちをぞ思ひ知りぬる(貞慶上人『続後撰集』)
夜の雨の音だにつらき草の庵になほ物思ふ秋風ぞ吹く(宗尊親王『瓊玉和歌集』)
心からすむ身なりとも夜の雨はさぞなさすがの草の庵を(常縁『常縁集』)
いかにせむ草の庵に山鳩の夜の雨よぶ夕暮の声(飛鳥井雅親『亜槐集』)
夜の雨にひとり思へば庵ふきし千草に憂きは此の世なりけり(正徹『草根集』)
たれかきく世のことわりも残りなき草の庵の暁の雨(肖柏『春夢草』)
花の時を思ひ出でては草の庵にきくもかなしき雨風の声(三条西公条『称名集』)
草の庵は雫も露もかけて聞く袖のうへなる夜半の村雨(武者小路実陰『芳雲集』)
しづかにて中々うちも寝られぬは草の庵の雨の夜な夜な(冷泉為村『為村集』)
名にふりし草の庵の雨の夜やわが身のあきの心なりけん(法印親瑜『続門葉和歌集』)
かくてしも世にふる身こそあはれなれ草の庵の五月雨の空(西音法師『続千載集』)
夜の雨はしらでくやしき昔だにさすがしのぶの草の庵かな(烏丸光広『黄葉集』)
草の庵にあはれと聞きし夜の雨はいまもたもとの雫なりけり(木下長嘯子『挙白集』)
仮寝する草の庵の夜の雨いつ捨てし身と成りて聞くべき(松永貞徳『逍遥集』)
人とはぬ草の庵の夜の雨にとはずがたりの虫のねぞする(松平定信『三草集』)
すむ人の袖もひとつに朽ちにけり草の庵のさみだれの頃(香川景樹『桂園一枝』)
【参考】『枕草子』
「蘭省花時錦帳下」と書きて、「末はいかにいかに」とあるを、いかにはすべからん。御前のおはしまさば御覧ぜさすべきを、これが末を知り顏に、たどたどしき真名は書きたらんも、いと見ぐるし、と思ひまはす程もなく責めまどはせば、ただその奧に炭櫃に消え炭のあるして、「草の庵を誰かたづねん」と書きつけて取らせつれど、また返事もいはず。
『唯心房集』寂然
蘭省に花の にほふとき 錦の帳をぞ 思ひやれ 香爐峰の 夜の雨に 草のいほりは しづかにて
(6月14日訂正)
和漢朗詠集卷上 夏夜 ― 2010年06月08日
空夜窗閑螢度後
深更軒白月明初
【通釈】蛍が通り過ぎたあと、暗い夜空に窓はひっそりしている。
月が明るく射し始めると、深夜でも軒先は白々としている。
【語釈】◇空夜 月が出ていない夜。「こうや」は古くからの読み癖。
【補記】和漢朗詠集の作者表記は「白」すなわち白居易とするが、誤り。釈信阿私注によれば題「夜陰に房に帰る」、作者は「紀納言」すなわち紀長谷雄。原詩は散逸。宮内卿の歌は両句の本説取り。
【影響を受けた和歌の例】
ながむれば心もつきぬ行く蛍窓しづかなる夕暮の空(藤原俊成『五社百首』)
軒しろき月の光に山かげの闇をしたひてゆく蛍かな(宮内卿『玉葉集』)
たえだえに飛ぶや蛍のかげみえて窓しづかなる夜半ぞすずしき(宗尊親王『竹風和歌抄』)
我が心むなしき空の月影を窓しづかなる菴にぞ見る(頓阿『頓阿句題百首』)
しづかなる夜半の窓より思ふ事むなしき空の月を見るかな(頓宗『頓阿句題百首』)
軒しろき月かとみれば更くる夜の衣にほはす梅の下風(正徹『草根集』)
閑かなる窓に月ある深き夜になほ夢はらふ荻のうは風(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
荻の音にうちおどろけば軒白し夜ぶかき月や空にほのめく(三条西実隆『雪玉集』)
詩經 國風 摽有梅 ― 2010年06月06日
摽有梅
其實七兮 其の
求我庶士 我を求むるの
迨其吉兮 其の
摽有梅
其實三兮 其の実三つ
求我庶士 我を求むるの
迨其今兮 其の今に
摽有梅
頃筐塈之
求我庶士 我を求むるの
迨其謂之 其の
【通釈】梅が落ちてます。
その実は七つ。
私めあての殿御方、
吉日選んでおいでなさい。
梅が落ちてます。
その実は三つ。
私めあての殿御方、
おいでになるなら今のうち。
梅が落ちてます。
手かごはからっぽ。
私めあての殿御方、
言い寄りなさい口づから。
【語釈】◇摽 「
【補記】歌垣などで謡われた詩かという。女が男に果物を投げて誘い、当てられた男は
【影響を受けた和歌の例】
我ほしといふ人もがな梅の実の時し過ぎなば落ちや尽きまし(佐久間象山『省諐録』)
雨つつみ日を経てあみ戸あけ見れば
白氏文集卷十五 放言 其一 ― 2010年06月03日
放言 其の一 白居易
朝眞暮僞何人辨
古往今來底事無
但愛臧生能詐聖
可知甯子解佯愚 知る
草螢有耀終非火
荷露雖團豈是珠
不取燔柴兼照乘 取らず
可憐光彩亦何殊
【通釈】朝と夕で真実と虚偽が入れ替わる。誰が真偽を弁別できよう。
昔から今に到るまで、そうでなかった
ただ、臧の丈人が聖王を煙に巻いたのは愛すべきことであるし、
また甯武子が非道の世に愚者を装ったのも感じ入るところだ。
草葉の蛍は光り輝いても、所詮真の火ではない。
蓮の葉の露は丸いと言っても、どうしてこれが本当の珠だろうか。
燔祭の炎も、照乗の珠も、私は取らない。
ああ、それらの美しい輝きも、蛍の火や蓮の葉の露と何の異なるところがあろう。
【語釈】◇朝眞暮僞 真と偽の見分け難いことを言う。◇底事無 この「底」は疑問や反語をあらわす副詞。ここは反語で、《どうして無いことがあろう、いやいつでもあったのだ》といった意になる。◇臧生能詐聖 「臧生」は『荘子』外篇「田子方篇」に見える臧の丈人。周の文王より師と仰がれ、無為自然の政治を尋ねられると、文王を煙に巻いて消息を絶った。「詐聖」はそのことを言う。◇甯子解佯愚 「甯子」は『論語』公治長篇に見える「甯武子(ねいぶし)」。「邦に道あれば則ち知、邦に道なければ則ち愚」(国に道が行われている時は智者で、行われていない時は愚者を装った)。◇荷露 「荷」は蓮の葉。◇燔柴 柴を敷いた上に犧牲を置き、燃やして神に捧げる儀式。◇照乘 照車とも。前後十二台の車を明るく照らしたという珠玉。『史記』などに見える。◇可憐 ここは歎息の心であろう。
【補記】元稹が江陵に左遷されていた時に作った「放言長句詩」五首に感銘した白居易が、友の意を引き継いで五首の「放言」詩を作った。その第一首。当時白居易は左遷の地江州へ向かう船中にあったと自ら序に記す。正義を求めた上訴を理由に、自身を左遷した朝廷に対する批判を籠めた詩である。元和十年(815)の作であろう。
露を珠に喩えたのはこの詩に限らないが、遍昭の歌はおそらく法華経湧出品と掲出詩を踏まえたものであろう。「荷露似珠」「荷露成珠」などの題で詠まれた和歌には、直接的・間接的に掲出詩を踏まえたと思われるものが多い。また「草蛍」などの題で詠まれた歌にも掲出詩の「草螢有耀終非火」の句の影響が窺える。『伊勢物語』の歌(新古今集では在原業平作)の類似は或いは偶然かも知れないが、当時流行した《まぎらわしさ》の趣向が漢詩の影響下にあることは間違いない。
【影響を受けた和歌の例】
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく(遍昭『古今集』)
はるる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か(『伊勢物語』)
難波江の草葉にすだく蛍をば蘆間の舟のかがりとやみん(藤原公実『堀河百首』)
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影(源実朝『金槐和歌集』)
蛍ゐる蓮の上のしら露や色をかへたる玉みがくらん(正徹『草根集』)
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん(小沢蘆庵『六帖詠草』)
白氏文集卷十 孟夏思渭村舊居、寄舍弟 ― 2010年06月02日
孟夏、
嘖嘖雀引雛
稍稍笋成竹
時物感人情
憶我故園曲 我が故園の
故園渭水上 故園は
十載事樵牧
手種楡柳成 手づから
陰陰覆牆屋 陰陰として
兔隱豆苗大
鳥鳴桑椹熟 鳥は
前年當此時 前年此の時に当たりては
與爾同游矚
詩書課弟姪 詩書
農圃資僮僕
日暮麥登場 日暮るれば
天晴蠶坼簇 天晴るれば
弄泉南澗坐 泉を
待月東亭宿 月を待ちて
興發飲數盃
悶來碁一局
一朝忽分散
萬里仍羈束 万里
井鮒思返泉 井の
籠鶯悔出谷
九江地卑濕
四月天炎燠 四月の天
苦雨初入梅
瘴雲稍含毒
泥秧水畦稻 泥は
灰種畬田粟 灰は
已訝殊歳時
仍嗟異風俗
閑登郡樓望
日落江山綠 日は落ちて
歸雁拂鄉心 帰雁は
平湖斷人目 平湖は
殊方我漂泊
舊里君幽獨 旧里に君は
何時同一瓢
飲水心亦足 水を飲むも心
【通釈】やかましく鳴きながら雀は雛を連れて回り、
だんだんと竹の子は育って竹となった。
季節の風物は人の心を揺り動かし、
わが故郷の隅々を懐かしく思い出させる。
故郷と言うのは渭水のほとり、
この十年はもっぱら薪取りと牧畜を業とした。
手植えの楡や柳が成長して、
家屋をすっぽり陰で覆うほどになっていた。
菟は大きく育った豆の苗に隠れ、
鳥は熟した桑の実をついばんで鳴いていた。
先年のちょうど今頃は、
弟よ、おまえと一緒にあちこち遊び歩いたものだ。
詩経と書経を親戚の少年たちに教え、
田と畑で童僕らを働かせた。
日が暮れれば麦を広場に集め、
空が晴れれば蚕を
泉を眺めつつ南の谷川に座を設けたり、
月を待って東の
興が乗れば酒を飲むこと数杯、
気がふさげば碁をうつこと一局。
ところが或る朝、突然別れ別れになり、
万里を隔て、私は今も拘束された身だ。
井の中の鮒は泉に帰りたいと願い、
籠の中の鶯は谷を出たことを悔いる。
ここ九江は土地が低く湿っぽく、
初夏四月の天は既に炎暑だ。
重苦しい雨はとうとう梅雨に入り、
熱気を帯びた雲は少しずつ毒を含むようになる。
水田の泥の中に稲が植えられ、
焼畑の灰の中に粟が植えられている。
やはり南国は季節を異にするのかと疑い、
しかも風習が故郷と異なるのを嘆く。
閑な折、郡役所の楼に登って眺めると、
日は落ちて川も山も緑一色。
帰雁は郷愁の念を起こさせるが、
平かな湖水が私の目の前に立ちふさがっている。
異国に私はさすらい、
故郷に君はひとりぼっちだ。
いつの日か一つの
水を飲み交わすだけで心は満ち足りるだろう。
【語釈】◇嘖嘖 やかましいさま。◇稍稍 草木が次第に成長するさま。◇故園曲 「曲」は入り組んだ地形のすみずみ。◇坼簇 上蔟、すなわち熟蚕を集めて蔟(まぶし)に移すこと。「簇」を蔟とする本もある。蔟は蚕を移し入れて繭を作らせるためのもの。藁などで作る。◇九江 白居易の左降地、潯陽の別名。◇炎燠 炎暑。「燠」は暑い意。◇苦雨 長雨。◇入梅 梅雨、すなわち梅の実を熟させる長雨の季節に入る。◇瘴雲 「瘴」は炎暑の地に生じ、熱病などのもとになると考えられた気。◇拂鄉心 この「拂」は《ふるい起こす》といった意。◇瓢 ひょうたんの果実で作った器。飲み水や酒を入れる。
【補記】五言古詩による感傷詩。孟夏すなわち初夏陰暦四月、渭村の旧居を思い、弟に贈ったという。渭村(今の陝西省渭南市北)は白居易の家族が住んでいたところで、元和六年(811)母が亡くなった折、白居易はここに帰り、三年間喪に服していた。その後、江州司馬に左降されていた頃に作った詩である。第二句「稍稍笋成竹」、及び第二十七句「苦雨初入梅」の句題和歌がある。
【影響を受けた和歌の例】
・「稍稍(梢梢)筍成竹」の句題和歌
いつのまに根はふと見えし竹の子の梢におよぶ影と成るらん(三条西実隆『雪玉集』)
いつのまに憂き節しげくなりぬらむ竹のこのよはかくこそありけれ(香川景樹『桂園一枝』)
・「苦雨初入梅」の句題和歌
晴れぬ間をいかにしのばむ降りそむる今日だに木々のさみだれの宿(三条西実隆『雪玉集』)
軒くらく木々の雫のをやまぬは憂しや今日より五月雨の空(小沢蘆庵『六帖詠草』)
卯の花をくたすながめのさながらにいぶせさ添はる五月雨の空(橘千蔭『うけらが花』)
白氏文集卷八 翫新庭樹、因詠所懷 ― 2010年05月28日
靄靄四月初
新樹葉成陰 新樹 葉は陰を成す
動搖風景麗 動揺して風景
蓋覆庭院深
下有無事人 下に事無き人有り
竟日此幽尋
豈唯翫時物
亦可開煩襟
時與道人語 時に
或聽詩客吟 或いは
度春足芳茗 春を
入夜多鳴琴 夜に入りて
偶得幽閑境
遂忘塵俗心 遂に
始知真隱者 始めて知る 真の隠者
不必在山林 必ずしも山林に在らざることを
【通釈】草木の気がたちこめる四月の初め、
新樹の葉は涼しい陰を成している。
風に揺れ動く風景はうるわしく、
緑におおわれた庭園は深々としている。
そのもとに無聊の人がいる。
終日、ここに幽趣を求めて過ごす。
何もただ季節の風物を賞美するだけではない。
悩みの多い胸襟を開くこともしよう。
時には僧侶と語り合い、
或いは詩人の吟に耳を傾ける。
春を過ぎても香ばしい茶は十分あり、
夜になればしきりと琴をかき鳴らす。
たまたま閑静な場所を手に入れて、
ついに俗世の汚れた心を忘れてしまった。
初めて知った、まことの隠者は、
必ずしも山林にいるわけでないことを。
【語釈】◇靄靄 草木の気が一面たちこめるさま。「藹藹」とする本もあり、その方が適切か。◇四月初 陰暦四月は初夏。その初めは、今のカレンダーで言えば五月初旬~中旬頃にあたることが多い。◇蓋覆 緑にすっかり覆われているさま。◇無事人 「無事の人」とも訓める。特にすることがない人。詩人自身を客観視して言う。◇幽尋 ひっそりとした趣を尋ねる。◇開煩襟 煩悶する胸の内を開いて人と接する。◇芳茗 「茗」は元来は茶の芽のこと。唐以後、茶を指す。◇真隱者 「真隱の者」とも訓める。白氏文集巻五の閑適詩「永崇裡觀居」には「真隱豈長遠」(真隠、豈に長遠ならんや)とある。
【補記】庭園の新樹をめで、感懐を詠じた、五言古詩による「閑適詩」。長慶四年(824)の作という。作者五十三歳。末四句「偶得幽閑境 遂忘塵俗心 始知真隠者 不必在山林」を句題に慈円・定家が、第二句「新樹葉成陰」を句題に三条西実隆が歌を残している。
【影響を受けた和歌の例】
柴の庵にすみえて後ぞ思ひ知るいづくもおなじ夕暮の空(慈円『拾玉集』)
つま木こる宿ともなしにすみはつるおのが心ぞ身をかくしける(藤原定家『拾遺愚草員外』)
浅みどり春見し色にひきかへてかへでかしはの露のすずしさ(三条西実隆『雪玉集』)
白氏文集卷六 首夏病閒 ― 2010年05月26日
首夏の病間 白居易
我生來幾時 我生まれてより
萬有四千日
自省於其閒 自ら其の
非憂即有疾 憂ひに
老去慮漸息
年來病初愈
忽喜身與心
泰然兩無苦 泰然として
況茲孟夏月
淸和好時節
微風吹裌衣 微風
不寒復不熱 寒からず
移榻樹陰下
竟日何所爲
或飲一甌茗 或いは
或吟兩句詩 或いは両句の詩を吟ず
内無憂患迫 内に
外無職役羈 外に
此日不自適 此の日
何時是適時
【通釈】私が生まれてから幾時が経ったのか。
一万と四千日だ。
自らその間を省みれば、
心に悩みがあるか、さもなければ病に苦しんできた。
老いて以来、憂慮することもようやく無くなり、
この数年は、病も癒えてきた。
ゆくりなくも、身と心と、
落ち着きを得て、二つながら苦しみのないことを喜ぶ。
ましてこの初夏の月、
清らかで和やかな好い季節。
そよ風が袷の衣服を吹き、
寒くもなく、また暑くもない。
長椅子を木陰の下に移し、
終日、することと言えば、
あるいは一碗の茶を喫し、
あるいは両句の詩を吟ずるばかり。
我が心の内に不安が迫ることもなく、
我が身は外で職務に縛られることもない。
今この日々を悠々と楽しまずして
いつが自適の時であろうか。
【語釈】◇老去 年を取って。◇孟夏月 陰暦四月。夏の最初の月。◇裌衣
【補記】元和六年(811)、四十の歳、病が癒え小康を保っていた頃の作。五言古詩による閑適詩。慈円・定家・寂身の作は「微風吹裌(袂)衣 不寒復不熱」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
夏の風になりゆく今日の衣手の身にしまぬ色ぞ身にはしみける(慈円『拾玉集』)
たちかふるわが衣でのうすければ春より夏のかぜぞすずしき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
朝まだき日影もうすき衣手にいつより風の遠ざかるらん(寂身『寂身法師集』)
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