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和歌歳時記:つくつく法師 Tsukutsuku-boushi2010年08月16日

ツクツクボウシ

秋の蝉と言へば(ひぐらし)とつくつく法師。蜩の「カナカナカナ…」といふ鳴き声は人の情緒にしんみりと訴へるものがあるが、つくつく法師の声は対照的に元気で明るい。油蝉のやうな暑苦しさは感じられず、なかなかきれいな鳴き声で、思はず聞き耳を立ててしまふ程だ。「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」、あるいは「ツクリョーシ、ツクリョーシ」、あるいは「オーシーツクツク」…。いろんな聞きなし方があり、日本の蝉の中では最も多彩な声の持ち主だらう。

平安時代にも「つくつくぼふし」の名で呼ばれてゐたことは、藤原高遠の家集『高遠集』の次の一首から判る。

屋の(つま)に、つくつくぼふしの鳴くを聞きて

我が宿のつまは寝よくや思ふらむうつくしといふ虫ぞ鳴くなる

「つま」は「(軒の)(つま)」と「(つま)」の掛詞。我が家の軒端は寝良いと思ふのだらうか――我が家の妻は共寝に良いと思ふのだらうか――、「うつくし」と言つて虫が鳴いてゐるよ、といふ歌。

中古の頃の「うつくし」は今の語感と少し異なり、「愛らしい」といふニュアンスが強かつたと言はれてゐる。古人はつくつく法師の声に「いとしい、いとしい」といふ情愛の声を聞いたのだらうか。さう思つて聞けばさう聞こえないこともないが、やはり現代の我々の耳とはちよつと違ふのかなとも思ふ。

ところで中世から「山の蝉」を詠んだ秋の歌がちらほら見えるやうになる。中でも名高いのは源実朝の歌だ。

『金槐和歌集』  蝉のなくを聞きて

吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり

立秋の頃、鎌倉幕府周辺の山を散策しての作だらう。
この「山の蝉」のことを、私はずつと蜩だとばかり思つてゐた。和歌で秋の蝉と言へば圧倒的に蜩の人気が高いのだ。ところが、これは鎌倉に引つ越して初めて気づいたことなのだが、蜩は梅雨明け前後からもう盛んに鳴いてゐる。立秋近くなつて鳴き始める蝉と言へば、つくつく法師だ。私は、実朝が聞いた「山の蝉」はつくつく法師に違ひないと思ふやうになつた。

「山の蝉」といふ語を用ゐた歌では、他に次のやうなものがある。

『秋篠月清集』 雨後聞蝉  藤原良経

むらさめのあとこそ見えね山の蝉なけどもいまだ紅葉せぬころ

『後鳥羽院御集』 紅葉  後鳥羽院

山の蝉なきて秋こそ更けにけれ木々の梢の色まさりゆく

立秋頃から鳴き始め、木々が色づき始める頃まで鳴き続ける蝉といふと、つくつく法師しかないのではなからうか。この蝉に「寒蝉」の字を宛てる所以だ。

写真は我が家の外壁に張り付いてゐたつくつく法師。弱つてゐたのだらうか、近づいても逃げようとしない。やや緑がかつた小さな体に、透きとほつた羽。和歌に詠まれた「蝉の羽衣」だ。私は「うつくし、うつくし」と眺め入つてしまつた。

**************

  『元良親王集』(詞書略) 元良親王
蝉の羽のうすき心といふなれどうつくしやとぞまづは啼かるる

  『散木奇歌集』(人々まうできて歌よみけるに蝉をよめる) 源俊頼
女郎花なまめきたてる姿をやうつくしよしと蝉のなくらん

  『拾遺愚草』(秋十首より) 藤原定家
鳴く蝉も秋の響きの声たてて色にみ山の宿のもみぢ葉

  『光吉集』(紅葉) 惟宗光吉
下紅葉いろづきそむるあしびきの山の蝉なきて秋風ぞ吹く

  『六帖詠草』(心性寺にて) 小沢蘆庵
松風の読経の声にきこえしはつくつくぼふしなけばなりけり

  『朱霊』 葛原妙子
つくつくぼふし三面鏡の三面のおくがに啼きてちひさきひかり

和歌歳時記:文月(ふみづき/ふづき) Seventh month of the lunar calendar2010年08月12日

秋の草花イラスト(フリー素材)

文月は陰暦七月、初秋。2010年は新暦8月10日が文月朔にあたる。なほ長い残暑が続くとは言へ、やうやく暑さも峠を越えて、朝夕の風に、あるいは星の澄みまさる夜空に、秋の到来が実感される季節だ。
「ふみづき」とも「ふづき」とも言ふ。語源は不明であるが、七月の異称の一つに「文披月(ふみひろげづき)」があり、これの(つづ)まつたものではないかとの説がある。

『蔵玉集』 文披月  藤原有家

七夕の逢ふ夜の空のかげみえて書きならべたる文ひろげ月

平安時代、貴族の家の七夕祭りにおいては、二星に詩歌を手向ける慣はしがあつた。今も京都に歌道の伝統を守る冷泉(れいぜい)家のしきたりでは、兼題の和歌十首ほどを披講したあと、織姫・彦星になつた男女が天の川に見立てた白い布を挟んで座り、即興で歌をやりとりしながら、朝まで歌会を楽しむのだといふ(冷泉布美子氏著『冷泉家の年中行事』)。有家の歌に「書きならべたる文ひろげ」といふのも和歌のことにちがひない。
もつとも、「ふみ月」といふ語が既に使はれてゐたはずの奈良時代にかうした行事はまだ無かつた(少なくとも広まつてゐなかつた)だらうから、「ふみ」の由来を詩歌に求めるのは無理がある。

では「(ふみ)ひろげ月」の「(ふみ)」は何を指すのだらうか。
中国最古の歳時記『荊楚歳時記』を調べると、七月には書物と衣服の虫干しをする習ひがあつたと記されてゐる。

荊楚の俗、七月、経書及び衣裳を(むしぼし)す。以為(おもへ)らく巻軸久しければ則ち白魚有り。

どうやらかうした習俗なり伝聞なりが日本にも伝はつて、陰暦七月を「(ふみ)ひろげ月」と言ふやうになつたものらしい。揚子江流域地方は日本と同じく梅雨があり、梅雨明け後は蒸し暑い夏が続く。空気が乾燥し、爽やかな風が吹き始める陰暦七月は、虫干しに好適な季節であつた。

初めに歌を引用した『蔵玉集』は、草木や十二の月の異名を集め、その例歌を列挙した面白い歌集であるが、陰暦七月の異称としては「文披月」のほかに「七夕月」「女郎花(をみなへし)月」を挙げてゐる。古人にとつて文月は七夕の月であると共に、秋の草花を賞美する月でもあつた。

『うけらが花』 野外  加藤千蔭

野辺みれば紐ときにけり文月の七の夕べの七くさの花

陰暦七月七日の頃は、まさに女郎花を始めとする秋の草花が綻び始める季節だ。思へば山上憶良が七くさの花を撰んだのも、七夕に因んでのことだつたのだらうか。

萩の花をばな(くず)花なでしこの花 をみなへしまた藤袴(ふぢばかま)朝顔の花

**************

  『六華集』 平定文
たなばたのいかに心のさわぐらむ稀に逢ふべき文月立つより

  『蔵玉集』(女郎花月) 顕昭
七夕の契りの色にたぐへてや名を得しことも女郎花月

  『蔵玉集』(七夕月) 藤原家隆
かささぎのより羽の橋も心せよ七夕月の比待ちえたり

  『拾遺愚草』(潤月七夕) 藤原定家
天の川文月は名のみかさなれど雲の衣やよそにぬるらん

  『菊葉和歌集』(百首の中に、閏月七夕といふことを) 実富朝臣母
織女の年に一夜と契らずは後の文月もあはましものを

  『鳥之迹』(文月廿日夜雁を聞きて) 小出吉英
ためしにも書きつたふべき文月のはつかの夜半のはつ雁の声

  『黄葉集』(星夕曝書) 烏丸光弘
けふはまづ星に手向けて灯もややかかげてむ文月の空

  『逍遥集』(七夕) 松永貞徳
一年(ひととせ)はかきかよはしてかささぎの橋をや今宵ふみ月の空

  『霊元法皇御集』(閏月七夕) 霊元院
逢ひもみぬ星の夕べやなき名にも思ひくははる文月なるらむ

  『芳雲集』(閏月七夕) 武者小路実陰
逢ひもみぬ星の夕べやなき名にも思ひくははる文月なるらん

  『晶子新集』 与謝野晶子
(しち)月やうすおしろいをしたる風歩み来りぬ木の下行けば

和歌歳時記:昼寝 Siesta2010年08月03日

豚蚊取りと団扇(具満タンフリー素材)

炎天下の過労を癒し、また暑苦しい夜に不足しがちな睡眠を補ふために、夏は昼寝が奨励される季節だ。宮本常一『ふるさとの生活』によれば、夏の昼寝を義務づけてゐる村もあつたといふ。大阪平野のある村では、半夏生から八朔まで、すなはち旧暦の六・七月の二ヵ月間は、昼飯が済むと、太鼓を叩いたり法螺貝を吹いたりして、皆人に寝よとの合図をする。そしてまた一時経つと、起きよとの合図をしたといふのだ。宮本は各地を旅して、さういふ慣はしのある村が全国方々にあつたと言つてゐる。
そんな村里の民俗を偲ばせる歌がある。

『海士の刈藻』 夏旅  大田垣蓮月

里の子が(はた)織る音もとだえして昼寝の頃のあつき旅かな

里をあげて昼寝してゐるのだらう、しづまりかへつた夏の白昼、一村を通り過ぎる旅人。その目には見知らぬ村里が一瞬夢幻の世界に映つたはずだ。

『調鶴集』 夏井  井上文雄

(しづ)()は昼寝してけり水あまる庭の筒井に熟瓜(うれうり)ひやして

こちらも江戸末期の歌人の作。題詠とは言ひ条、属目の景をもとにしたと思はれる歌ひぶりだ。丸井戸から溢れる冷たさうな水、そこに浮ぶまるまると熟れた瓜。無防備な村女の、なんと満ち足りた昼寝つぷり。
江戸つ子の作者は田舎の風俗を愛し、田園を散策して飽きることがなかつた。「田家鶴」といふ題では、「葦鶴(あしたづ)に門田あづけて昼寝する老翁(をぢ)は千代ふる夢やみるらん」と、こちらは老いた農夫の昼寝を詠んでゐる。太平の眠りをなほ醒まされることのなかつた農村の風景だ。

**************

  『好忠集』(六月をはり) 曾禰好忠
妹とわれ寝屋の風戸(かざと)に昼寝して日たかき夏のかげをすぐさむ

  『兼澄集』(五月五日、()のもとにてうち休みたりしほどに女の入りにければ) 源兼澄
うたたねの昼寝の夢にあやめ草むすぶとみつるうつつならなむ

  『禖子内親王家歌合』(ひるのこゑ) 播磨
ほととぎす昼寝の夢の心ちして森の梢を今ぞすぐなる

  『聞書集』(嵯峨にすみけるに、戯れ歌とて人々よみけるを) 西行
うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥し

  『亜槐集』(昼恋) 飛鳥井雅親
かづらきの神やはかくる面影に昼寝おどろく夢の浮橋

  『柏玉集』(昼恋) 後柏原院
わりなしや昼寝の床にみし夢もまばゆきかたに向ふ日影は

  『亮々遺稿』(苦熱) 木下幸文
何事もただ倦みはつる夏の日にすすむるものはねぶりなりけり

  『草径集』(枕) 大隈言道
うたたねの昨日の昼寝思はせてありし所にある枕かな

  『調鶴集』(夏声)井上文雄
昼寝する枕にひとつ名のる蚊のほそ声耳を離れざりけり

  『志濃夫廼舎歌集』(独楽吟) 橘曙覧
たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時
たのしみは昼寝目ざむる枕べにことことと湯の煮えてある時

  『水葬物語』塚本邦雄
ひる眠る水夫のために少年がそのまくらべにかざる花合歡

(2010年8月18日加筆訂正)

和歌歳時記:夕立 Summer evening shower2010年07月28日

夕立直前の空

夕立と言へば普通《夏の夕方の俄雨》を指すが、もとはおそらく動詞「夕立つ」から来た語で、夏に限らず、夕方に強い風が起こつたり、突然雲が現れたりすることを言つたのだと思ふ。神々・精霊の物騒な活動が活発になる夕暮といふ時間帯に対する、古人の不安が籠められた語だ。

炎熱の陽射しも傾いた頃、ふいに一陣の大風が吹き、その風が積乱雲を吹き寄せる。しばらくすると沛然と雨が降り、ぢきに止む。夏はそんなことが多いため、やがて「夕立」だけで夏の夕方の俄雨を言ふやうになつたものであらう。

『新古今集』 題しらず  西行法師

よられつる野もせの草のかげろひてすずしくくもる夕立の空

夕立の雨に先立つ烈風が野の草を乱し、糸を()るやうに絡み合はせる。その風が運んで来た巨大な雲によつて、野原一面が陰り、にはかにあたりは涼しくなつた。驟雨が降り出す直前の景を大きく捉へた、西行晩年の丈高い自然詠だ。

平安時代には既に「夕立」で雨を指すこともあつたやうだ。しかし西行の歌の「夕立の空」はまだ雨が降つてゐない空、「夕立雨のけしきが現れた空」といふことである。

自然が見せる変化の相を歌人は好んだから、夕立は恰好の歌題であつた。殊に玉葉風雅は夕立詠の秀歌の宝庫である。
まづ玉葉集より何首か。

(をち)の空に雲たちのぼり今日しこそ夕立すべきけしきなりけれ 中山家親
山たかみ梢にあらき風たちて谷よりのぼる夕立の雲 西園寺実氏
風はやみ雲の一むら峰こえて山みえそむる夕立のあと 伏見院
夕立の雲まの日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺 藤原定家
暮れかかるとほちの空の夕立に山の端みせて照らす稲妻 世尊寺定成

ついで風雅集より。

衣手にすずしき風をさきだててくもりはじむる夕立の空 宮内卿
松をはらふ風は裾野の草におちて夕だつ雲に雨きほふなり 京極為兼
行きなやみ照る日くるしき山道に()るともよしや夕立の雨 徽安門院
虹のたつ麓の杉は雲にきえて峰より晴るる夕立の雨 楊梅俊兼
月うつる真砂(まさご)のうへの庭たづみあとまですずし夕立の雨 西園寺実兼

風と雲が劇的な動きを見せ、まもなく激しい雨をもたらすが、やがて嘘みたいに空は晴れわたり、暑熱を洗ひ流したやうな涼しさが残る。自然のドラマティックな変化を短時間のうちに展開し、夕立詠は夏の巻のクライマックスをなす観がある。
もとより夕立は時に雷雨を伴ふ恐ろしい天気でもある。

『常山詠草』 夕立  徳川光圀

夕立の風にきほひて鳴る神のふみとどろかす雲のかけ橋

天を突き刺すやうな入道雲の中に梯子が掛けてあつて、雷神が踏み轟かしながら降りて来る。その響きが、風の音と烈しさを競ひ合つてゐる、といふ。夕立の「(たち)」を雷神の降り立つ意に解する語源説があるが、それもまた魅力的な説ではある。

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  『万葉集』巻十六  作者未詳
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が(うれ)の白露思ほゆ

  『詞花集』(題しらず) 曾禰好忠
川上に夕立すらし水屑(みくづ)せく梁瀬(やなせ)のさ波こゑさわぐなり

  『金葉集』(二条関白の家にて雨後野草といへる事をよめる) 源俊頼
この里も夕立しけり浅茅生に露のすがらぬ草の葉もなし

  『新古今集』(雲隔遠望といへる心をよみ侍りける) 源俊頼
とほちには夕立すらし久かたの天の香具山雲がくれゆく

  『新古今集』(百首歌の中に) 式子内親王
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしのこゑ

  『新古今集』(千五百番歌合に) 西園寺公経
露すがる庭の玉笹うちなびきひとむらすぎぬ夕立の雲

  『遠島百首』(夏) 後鳥羽院
夕立の晴れゆく峰の雲間より入日涼しき露の玉笹

  『風雅集』(建仁四年百首御歌の中に、夕立) 後鳥羽院
片岡の(あふち)なみより吹く風にかつがつそそく夕立の雨

  『玉葉集』(三十首歌人々にめされし時、遠夕立) 九条左大臣女
夕立のとほちを過ぐる雲の下にふりこぬ雨ぞよそに見えゆく

  『嘉元百首』(夕立) 二条為子
やがてまた草葉の露もおきとめず風よりすぐる夕立の空

  『新続古今集』(延文百首歌に、夕立を) 二条為明
いとどしくあべの市人さわぐらし坂こえかかる夕立の雲

  『風雅集』(野夕立) 惟宗光吉
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲

  『風雅集』(夏歌の中に) 花園院
夕立の雲とびわくる白鷺のつばさにかけて晴るる日のかげ

  『光厳院御集』(夕立) 光厳院
吹きすぐる梢の風のひとはらひここまで涼しよその夕立

  『草根集』(夕立風) 正徹
吹きしをり野分をならす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ
  (夕立過山)
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
  (遠夕立)
山づたひ夕立うつる風さきに木の葉も鳥もふかれてぞ行く

  『下葉集』(海村夕立) 堯恵
浪の上は千里(ちさと)に晴れて(みぎは)なる木末(こずゑ)にしづむ夕立の空

  『紅塵灰集』(夕立) 後土御門天皇
鳴神の音はたかをの山ながらあたごの峰にかかる夕立

  『正親町院御百首』(夕立) 正親町院
鳴神のただ一とほり一里の風も涼しき夕立のあと

  『桂林集』(遠夕立) 一色直朝
すずしさのいま()が方になりぬらん遠ざかりゆく夕立の雲

  『後水尾院御集』(晩立) 後水尾院
夏の日のけしきをかへて降る音はあられに似たる夕立の雨
俄にも波をたたへしにはたづみかはくもやすき夕立のあと
常は見ぬ山のみどりに滝落ちて名残もすずし夕立の雨

  『倭謌五十人一首』(夕立) 宮川松堅
知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立

  『賀茂翁家集』(夕立をよめる) 賀茂真淵
にひた山うき雲さわぐ夕立に利根の川水うはにごりせり
大比叡(おほびえ)小比叡(をびえ)の雲のめぐり来て夕立すなり粟津(あはづ)野の原

  『桂園一枝』(湊夕立) 香川景樹
茜さす日はてりながら白菅(しらすげ)の湊にかかるゆふだちの雨

(2010年8月2日加筆訂正)

和歌歳時記:忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう) Daylily2010年07月19日

忘れ草(藪萱草)

和歌に「忘れ草」と詠まれてゐるのは、ユリ科の萱草(くわんざう)。藪萱草(ヤブクワンザウ)・野萱草(ノクワンザウ)など幾種類かある。夏、百合に似た橙色の花を咲かせる。英名"daylily"は一日花ゆゑ。若葉は美味で食され、根は生薬となる。歌に詠まれたのは花でなくもつぱら草葉である。

忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在つて、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなはち「憂ひを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かつた故のやうだが、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでゐる。紐に付けるとは、いはば魂に結びつける擬態だらう。

忘れ草我が下紐に付けたれど(しこ)醜草(しこぐさ)(こと)にしありけり

万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻坂上(さかのうへの)大嬢(おほいらつめ)に贈つた歌。「恋を忘れるといふ忘れ草を下着の紐に着けたけれど、馬鹿草め、言葉だけのものでしたよ」。

藪萱草の若葉 鎌倉収玄寺にて
忘れ草の若葉

平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違ひないが、少しニュアンスが異つてくる。藤原兼輔の作に、

かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり

とあり、そばに置いて眺めるだけで憂へを忘れる草に変はつてゐるのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となつてゐて、紀貫之は

道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草

と、長途の旅をも厭はずこの草を摘みに行きたいと歌つた(古今集墨滅歌)。

一般にワスレグサと呼ばれるのは薮萱草で、文字通り薮陰などで野生化してゐるのをよく見かける。黄色の条が入つた色合はなかなか美しいが、重弁で、ちよつとゴテゴテした、くどい感じのする花だ。対して一重の野萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂ひも忘れてしまひさうだ。下に掲げる写真は鎌倉の「萩の寺」として名高い宝戒寺の庭に咲いてゐた野萱草。

野萱草
野萱草の花

因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれてゐない。

**************

  『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり

  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢ぢにさへやおひしげるらむ

  『古今集』(詞書略) 素性法師
忘草なにをかたねと思ひしはつれなき人の心なりけり

  『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり

  『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと

  『後撰集』(詞書略) 紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば

  『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな

  『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) 平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし

  『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり

  『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふてもたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん

  『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影

  『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも

  『晩花集』(恋の歌とて) 下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝

  『赤光』 斎藤茂吉
萱草(くわんざう)をかなしと見つる眼にいまは雨にぬれて行く兵隊が見ゆ

  『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし

和歌歳時記:夏雲 Summer cloud2010年07月18日

夏の積雲

四時  陶淵明

春水滿四澤  春の水 四沢(したく)に満ち
夏雲多奇峰  夏の雲 奇峰(きほう)多し
秋月揚明輝  秋の月 明輝(めいき)()
冬嶺秀孤松  冬の嶺 孤松(こしよう)(ひい)

陶潜作と伝はる詩にあるやうに、夏の季節感を最も際立たせるのが、青空に湧きあがる積雲・積乱雲だ。

『桂園一枝』 夏雲  香川景樹

おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな

梅雨が明けて、紺碧の夏空が広がる。碧が深ければ、雲の白はひときは映える。「白雲の」までの上句は、夏空の叙景であると共に、「まがはぬ」といふ語を導く序詞のはたらきを持つてゐる。

夏の雲と言へば入道雲だが、和歌や誹諧では(おそらく上記陶潜の詩の影響から)「雲の峰」と呼んだ。

『浦のしほ貝』 晩夏雲  熊谷直好

しら雲の峰も崩れて秋風にたなびく空となりにけるかな

芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」を、晩夏の涼感に本句取りした歌。暑い季節は長いが、夏らしい夏は意外なほど短い。輝く白雲を目に焼き付けておかう。

**************

  『玉葉集』(題しらず) 楊梅兼行
夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき

  『権大納言俊光集』(夏雲) 日野俊光
峰たかき山また山と見ゆるまで曇りかさぬる五月雨の雲

  『草根集』(夏山雲) 正徹
夕立の晴れぬる山の岩根よりのぼるも消ゆる雲の一むら

  『続亜槐集』(夏雲) 飛鳥井雅親
あつき日にしづかにのぼる峰の雲夕だちすべき空ぞ待たるる

  『拾塵集』(夏雲) 大内正弘
あつき日にねがひし程は空晴れて月に成行く夕暮の雲

  『雪玉集』(夏雲) 三条西実隆
花の色に見しはものかはほととぎす声待つころの峰の白雲
  (旅)
夏の日はいく重の雲の峰たかみ行き疲れても暮れがたき空

  『逍遥集』(夏暁雲) 松永貞徳
みじか夜のまだ明けぬまに葛城の雲の梯たれわたすらん

  『通勝集』(夕立) 中院通勝
一むらの雲の峰より吹きおちて風にぞきほふ夕立の空

  『うけらが花』(夏雲) 加藤千蔭
ひとすぢのけぶりと見しも時のまに千さとをわたる夕立の雲

  『竹乃里歌』 正岡子規
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず

  『夕波』 中河幹子
音のしてたちまち遠き機影追ふみ空はすでに光る夏雲

  『月華の節』 馬場あき子
雲の峰まさしく戦後遠けれど母惚けて空襲の日のみ記憶す

和歌歳時記:紅花(末摘花) Safflower2010年06月27日

紅花 京都府立植物園

紅花(べにばな)はキク科ベニバナ属の二年草。アフリカ原産といふ。古くから染料として各地で栽培され、日本には遅くとも飛鳥時代には渡来してゐたことが判明してゐる。
陽暦6月から7月、アザミに似た鮮黄色の花をつけ、やがて紅に色を深めてゆく。この小花を摘んで臙脂を作り、紅色の原料とする。

『古今集』 題しらず よみ人しらず

人しれず思へば苦し(くれなゐ)末摘花(すゑつむはな)の色にいでなむ

もはや苦しさに堪へきれない、紅あざやかに咲く末摘花のやうに、恋心をあらはにしてしまはう、といふ歌。
紅花(べにばな)を「末摘花(すゑつむはな)」とも呼ぶのは、茎の末の方から咲いてゆく花を順次摘み採るゆゑ。

紅花 京都府立植物園

源氏物語にこの名で呼ばれた女性は、常陸宮の「末(晩年)」にまうけた娘で、父から大層可愛がられたが、父の死後はひつそりと里住ひしてゐた。そんな境遇に関心を持つた光源氏は、親友の頭中将と競ひ合つた挙げ句に思ひを遂げる。久方ぶりの情事の翌朝、雪の光に照らされたその顔を初めて目にし、「普賢菩薩の乗物」すなはち象のやうに垂れた鼻が赤らんでゐるのに驚き呆れる。

『源氏物語・末摘花』

なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖にふれけむ

後日、光源氏が末摘花からの手紙の端に悪戯書きした歌。「慕はしい色といふのでもないのに、なぜにこの末摘花を袖に触れてしまつたのだらうか」。鼻先が紅い故宮の末娘を「末摘花」と綽名してたはむれたのである。
文字通り一朝にして醒めた恋であつたが、世慣れしない姫の風情を源氏はむしろ好ましく思ひ、また心細い身の上を哀れと思つて、世話をすることに心を決めたのだつた。
光源氏盛春の忘れがたい一エピソードである。

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  『万葉集』巻十(寄花) 作者未詳
よそのみに見つつ恋ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも

  『万葉集』巻十一(寄譬喩) 作者未詳
紅の深染(こそ)めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出むかも

  『式子内親王集』(恋)
わが袖の濡るるばかりはつつみしに末摘花はいかさまにせむ

  『新撰和歌六帖』(くれなゐ) 藤原為家
くれなゐの末咲く花の色深くうつるばかりも摘み知らせばや

  『大江戸倭歌集』(紅花) 小池言足
紅の末摘花のすゑはまた誰がよそほひの色をそふらむ

和歌歳時記:梅の実 Japanese apricot fruits2010年06月14日

梅の実 鎌倉市二階堂にて

関東地方にも今日梅雨入り宣言が出されたさうだ。青々と肥え緊まつた梅の実が、黄に紅に熟してゆく季節となつた。

『通勝集』 梅雨  中院通勝

花ならぬ香もなつかしみ袖かけん色づく梅の雨のしづくに

漢語「梅雨(ばいう)」を借り、五月雨(さみだれ)を古くから「梅の雨」とも称した。《梅の実を熟させる雨》の意だ。掲出歌では、「色づく梅の」と「梅の雨」とを言ひ掛けてゐる。梅は花ばかりでなく実も芳ばしい。その実から落ちる雨のしづくを袖にかけて、香を賞美しようとの風流心。作者は織豊時代から徳川時代初めまでを生きた人。

『三草集』 五月雨   松平定信

梅の実は緑の中に色わきて紅にほふさみだれのころ

こちらは江戸時代も後期の歌。
梅の実の()り初めは若葉と同じ色。初夏の梢に埋れてゐるが、五月雨がしきりと降るうち、紅の実は緑の中に際立つてゆく。そこに降りそそぐ雨だけは、色も香もにほひたつかのやうだ。

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  『万葉集』巻三(藤原八束が梅の歌)
妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ

  『草根集』(山新樹) 正徹
花ならぬ山の林になる梅の実さへ若葉の色に匂へる
  (梅雨)
雪と見し花にたがひて梅が枝の実を紅にそむる雨かな

  『芳雲集』(梅雨) 武者小路実陰
降る雨の絶えぬ雫に落ちそひて実さへ数ある梅の木隠(こがくれ)

  『霞関集』(さみだれ) 石野広通
かぞふれば年をふる木の梅の実の色づく雨もここに久しき

  『省諐録』(感情歌) 佐久間象山
我ほしといふ人もがな梅の実の時し過ぎなば落ちや尽きまし

  『志濃夫廼舎歌集』(梅子) 橘曙覧
雨つつみ日を経てあみ戸あけ見れば()ちて梅ありその実三四(みつよつ)
  (梅酒たまはりけるよろこび)
梅のみのいとすき人と言はば言へえならぬ味に酔ひぞ狂へる
  (五月)
梅子(うめのみ)のうみて昼さへ寝まほしく思ふさ月にはや成りにけり

  『つきかげ』 斎藤茂吉
くれなゐににほひし梅に()れる()は乏しけれどもそのかなしさを

  『冬びより』 谷鼎
つぶつぶと葉交(はがひ)に見えて梅の実の口酸く思ふまでになりたる

和歌歳時記:蓮葉(はちすば) Lotus leaf2010年06月03日

蓮の葉と露 鶴岡八幡宮にて

初夏、大きな葉を池に浮かせ始めた蓮は、やがて水面から茎を高く差し伸ばす。径40センチほどにもなる葉はよく水を弾き、表面に置いた水滴を風にころがす。

『古今集』 はちすの露をみてよめる  僧正遍昭

はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく

「はちす」は(はす)の古名。種子の入つた花托が蜂の巣のやうに見えるゆゑの称だ。
沼や湿田に育ち、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる蓮。そんな清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くやうな真似をするのか、と戯れた。
蓮が仏教と縁の深いことは言ふまでもないが、釈教の寓喩を籠めてゐるわけではあるまい。古今集では夏の部に入る歌だ。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしと解したい。

蓮の葉 鎌倉鶴岡八幡宮

夏も盛りとなれば、蓮池はびつしりと葉で覆はれ、熱帯的な風景を見せる。浮いてゐる葉は「浮葉(うきば)」、立つてゐる葉は「立葉(たちば)」と呼び分けて、いづれも涼感をもとめる夏の風物として好んで歌に詠まれた。

『金葉集』 水風晩涼といへる心をよめる  源俊頼

風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声

『長秋詠藻』 夏  藤原俊成

小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉

夕立のあと、風と共に浮葉の上をすべり、こぼれてゆく露の白玉――そこへ蜩の声を響かせてさらに涼気を添えた俊頼の詠。小舟で池に乗り出し、手折った立葉の露の白玉を袖に移したいと願った俊成の詠。いづれも、蓮の葉とそこに置いた白露の清らかな美への憧れが、蒸し暑い日本の夏に一服の涼を求める心と結び付いてゐるやうだ。

なほ、晩秋から冬の枯れ蓮もよく歌に詠まれたが、別項で取り上げたい。

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  『万葉集』巻十六(詠荷葉歌) 長意吉麻呂
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは(うも)の葉にあらし

  『万葉集』巻十六 作者不明
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む

  『蜻蛉日記』 藤原道綱母
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ()ぬべき

  『山家集』(雨後夏月) 西行
夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮葉に

  『玉葉集』(守覚法親王家五十首歌に) 藤原実房
夕されば波こす池のはちす葉に玉ゆりすうる風の涼しさ

  『壬二集』(夏) 藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり

  『新後拾遺集』(千五百番歌合に) 後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に(かはづ)鳴くなり

  『金槐和歌集』(蓮露似玉) 源実朝
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影

  『新後拾遺集』(題しらず) 小倉実教
風かよふ池のはちす葉波かけてかたぶくかたにつたふ白玉

  『玉葉集』(百首御歌の中に、蓮を) 伏見院
こぼれ落つる池のはちすの白露は浮葉の玉とまたなりにけり

  『為尹千首』(池蓮) 冷泉為尹
池水に藻臥しの鮒や乱るらん蓮のうき葉のゆるぎ立ちぬる

  『草根集』(荷露成珠) 正徹
池広き蓮の立葉のうつりゆく玉の林の露の下風

  『春夢草』(蓮露) 肖柏
風ふけば露のしら玉はちす葉にまろびあひてもそふ光かな

  『六帖詠草』(荷露似玉) 小沢蘆庵
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん

  『浦のしほ貝』(見池蓮) 熊谷直好

はるばると蓮の立葉(たちば)ぞさわぐなる風わたるらし大くらの池

  『亮々遺稿』(荷露似珠) 木下幸文
いま過ぎし一村雨は蓮葉のうへの玉とも成りにけるかな

和歌歳時記:桐の花 Paulownia flower2010年05月25日

桐の花 吉野宮滝にて

桐の花は初夏を彩る最も美しい花の一つだ。しかし梢の高いところに咲くので、人目に触れる機会は少ない。道に落ちた大きな花に驚き、見上げれば薄紫の筒形の花を重ねて塔のやうに咲き聳えてゐる。

『六帖詠草』 小沢蘆庵

みどりなる広葉隠れの花ちりてすずしくかをる桐の下風

詞書は「いとながき日のつれづれなるに、おぼえずうちねぶるほど、かをる香におどろきたれば、桐の花なりけり」とある。散り落ちた桐の花に風が吹いて、その香に卒然と目覚めたといふのだ。桐の花の甘い香りは独特で、不意にかをれば誰しも驚くだらう。

桐は普通ゴマノハグサ科に分類される落葉高木。原産地は不明とも言ひ中国とも言ふ。日本には古く渡来したやうで、材として重宝されたため盛んに植栽され、また山野に野生化した。写真は吉野宮滝の崖に咲いてゐた桐の花。

桐の花 吉野宮滝

清少納言は桐の花を「紫に咲きたるはなほをかし」と言ひ、またその木を鳳凰の住む木として、琴の材になる木として、「いみじうこそめでたけれ」と賞賛してゐる。古くから愛された花木に違ひないのだが、この花を詠んだ古歌はきはめて少なく、私が調べた限りでは室町時代の正徹の歌が初例である。

近代に入つて、北原白秋は自身の記念碑的な処女歌集を『桐の花』と名付けた。同集の冒頭に置かれた小文「桐の花とカステラ」によれば、自身の「デリケエト」な官能に桐の花の「しみじみと」した「哀亮」を添へたかつたのだといふ。近代詩人の「常に顫へて居らねばならぬ」繊細な感覚に似つかはしい哀愁を象徴する風物として、白秋は桐の花を選んだやうだ。しかし当の集にこの花を詠んだ秀逸が含まれてゐるわけではない。その後も桐の花の絶唱を聞き知ることがないのは、この花を愛し敬してやまぬ私には寂しい限りだ。

殿づくり(なら)びてゆゆし桐の花  其角

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  『草根集』(樗) 正徹
散り過ぎし外面(そとも)の桐の花の色に面影ちかく咲く(あふち)かな

  『桂園一枝拾遺』(五月雨) 香川景樹
桐の花おつる五月の雨ごもり一葉ちるだにさびしきものを

  『調鶴集』(さ月ついたちばかり、山寺にまうでて) 井上文雄
清水くむ(ひさご)のうへにこぼれけり閼伽井(あかゐ)のもとの山桐の花

  『桐の花』北原白秋
桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな

  『芥川龍之介歌集』
いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにをしへし桐の花はも