和歌歳時記:萩の花 Bush-clover flower ― 2010年09月24日
日本人にとつて、萩はさまざまな意味で象徴性の豊かな植物であつた。万葉集で一番多く詠まれた植物であるのも当然と思はれる。
まづ、萩の開花期は、稲・粟・稗などの収穫期に重なる。豊かに咲きこぼれる萩の花は、豊穣の秋のシンボルであつた。
『万葉集』巻十 詠花 作者不明
をとめらに行き逢ひの
早稲 を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
また、萩の花は性的な象徴物でもあつた。端的に、萩の紅い花びらは女性器の外陰部に似てゐる。万葉集では萩に「芽子」の字を宛てた例が多いが、これを文字通り訓読みすれば、一部地域における女性生殖器の呼称に重なる。偶然であらうか。
和歌において萩は鹿と取り合はせることが好まれた(「萩と鹿」参照)が、牡鹿の角は男性生殖器の象徴にほかならない。
『秋篠月清集』 院第二度百首 秋 藤原良経
さを鹿の啼きそめしより宮城野の萩の下露おかぬ日ぞなき
性的な象徴といふのは、つまりは豊かな生産力の象徴といふことだ。思ふに、日本人の萩に対する特殊な親愛の情は万葉の時代を遠く遠く溯るに違ひない。
ところで萩は古い枝に花をつけず、春に新しく伸びた枝にだけ花をつける。そのため、冬のうちにばつさり枝を剪定してしまふ必要がある。翌春、古株からは芽が盛んに吹き出る。萩に「芽」「芽子」の字を宛てた所以だ。
かつては春先に萩原を焼き払ふならはしがあり、「萩の焼け原」を詠んだ和歌が少なからず見える。燻ぶる焼け野原にたくましく蘇る萩の芽は、生命の復活の象徴でもあつた。
『瓊玉和歌集』 萩を 宗尊親王
春焼きし其日いつとも知らねども嵯峨野の小萩花さきにけり
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| 園藝品種「江戸絞り」 | 
萩の咲く季節は、また秋風の吹き増さる季節だ。嫋々と
『玉葉集』 草花露を 伏見院
なびきかへる花の末より露ちりて萩の葉白き庭の秋風
萩が咲き添ふにつれ、日没後の冷え込みは強まり、夜は目立つて長くなる。朝夕に置く露が夥しい時節だ。
『拾遺愚草』 花月百首 月 藤原定家
秋といへば空すむ月を契りおきて光まちとる萩の下露
「秋といふと、空に澄みまさる月と約束をしておいて、その光を待ち受け、うつしとる萩の下露よ」。ここでは月と萩の下露が恋人同士に擬へられてゐる。
万葉の時代から、歌人たちは秋風・露・月・雁など秋の代表的風物を萩の花に交錯させて歌に詠むことを繰り返してきた。萩は和歌史を通じて秋の情趣の中心に位置し続けたと言つても過言ではない。萩の豊かな象徴性が、日本人の心の底で生き続けてゐたのだ。
なほ、「
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  『万葉集』巻八(大伴宿禰家持の秋の歌)
さを鹿の朝たつ野べの秋萩に玉とみるまでおける白露
  『万葉集』巻十(寄露) 作者未詳
秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
なきわたる雁の涙やおちつらむ物思ふ宿の萩のうへの露
  『古今集』(題しらず) 常康親王
吹きまよふ野風をさむみ秋萩のうつりもゆくか人の心の
  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
宮城野のもとあらの小萩露をおもみ風を待つごと君をこそ待て
  『式子内親王集』(秋)
寄せかへる波の花摺り乱れつつしどろにうつす真野の浦萩
  『新古今集』(月前草花) 藤原良経
故郷の本あらの小萩咲きしより夜な夜な庭の月ぞうつろふ
  『玉葉集』(草花露を) 京極為兼
露をもる小萩が末はなびきふして吹きかへす風に花ぞ色そふ
  『玉葉集』(風の後の草花といふことを) 永福門院
しをりつる風は籬にしづまりて小萩がうへに雨そそぐなり
  『続亜槐集』(野萩) 飛鳥井雅親
みだれあふ花より花に露ちりて野原の真萩秋風ぞ吹く
  『亮々遺稿』(萩を) 木下幸文
きのふにも色は変はるとなけれどもまばらになりぬ秋萩の花
  『草径集』(初秋) 大隈言道
秋立ちて
  『柿園詠草』(詞書略) 加納諸平
  『落合直文集』
萩寺の萩おもしろし露の身のおくつきどころ此処と定めむ
  『大和』 前川佐美雄
ゆふ風に萩むらの萩咲き出せばわがたましひの通りみち見ゆ
(2010年9月25日加筆訂正)
和歌歳時記:葉月(はつき/はづき) Eighth month of the lunar calendar ― 2010年09月12日
葉月は陰暦八月、仲秋。2010年では新暦の9月8日から10月7日までがそれに当たり、ちやうど白露から寒露前日までの三十日である。
平安末の藤原清輔著『奥義抄』はその語源につき「木の葉もみぢて落つるゆゑに葉落ち月といふをあやまれり」とし、「葉落ち月」を略したものと古人は考へてゐたやうだ。「はつき」を「葉尽き」の掛詞としてゐる歌が幾つか見える(下記引用歌)ことも、この語源説の補強材料にならうか。
もとより全般として落葉が本格化するのは晩秋からであるが、桜の葉などはこの時期すでに黄に色づいてをり、散り始める樹も少なくない。陰暦八月頃は、古人にとつて殊更木の葉に注意が向く時節だつたのだらう。
室町初期の成立と推測されてゐる歌集『蔵玉集』には、八月の異名として「秋風月」「月見月」「
秋風月 藤原定家
萩の葉に露吹きみだす音よりや身にしみそめし秋風の月
月初めはなほ残暑の厳しいこともあるが、やがて萩の花も散り、下葉が色づく頃には、秋風が吹き増さる。露を乱しつつ枝を靡かせる風の音が身に沁みて、季節のうつろひに感じ入つてゐる歌だ。
月見月 鴨長明
名にしおはば秋の半ばの空晴れて光ことなる月見月かな
もとより陰暦八月は十五夜名月の月だ。砂塵や蒸気に曇りがちだつた春・夏の月が、ここへ来てやうやく澄みまさり、月見には絶好の季節となる。
紅染月 藤原有家
時雨 れつつ櫨 の立ち枝ももみぢして紅染 の月のふかき紅 
楓などは未しだが、葉月も半ばを過ぎれば時に時雨が降り、山では櫨の葉が色づいて、いよいよ紅葉の季節の始まりを告げる。
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  『教長集』(按察使公通十首会に野風を) 藤原教長
葉月とは名にこそたてれ野分して千草の花をさやははらはん
  『壬二集』(三宮十五首よみ侍りしに、秋歌) 藤原家隆
名もつらしはつきの嵐立田姫しばしな染めそ神なびの森
(注:「はつき」は「葉月」「葉尽き」の掛詞)
  『拾遺愚草』(詞書略) 藤原定家
または来じ露はらふ風は篠分けてひとり
  『新撰和歌六帖』(は月) 藤原為家
久かたの雲井の雁のこしぢよりはじめてくるや葉月なるらん
  同上  藤原信実
もみぢつつのちや散りなむ此の頃はいまだ葉月の神なびの森
  『続後拾遺集』(題しらず) 真昭法師
朝ぼらけなく音さむけき初雁の葉月の空に秋風ぞふく
  『草根集』(秋風) 正徹
あばらやにすむ山がつの麻手ほすはつきの嵐身にやしむらん
(注:「はつき」は「葉月」「泊木」「葉尽き」の掛詞)
  『雪玉集』(詞書略) 三条西実隆
名にしおはば梢の秋のけふの月葉月はうすき色にやありけん
  『柿園詠草』(野分) 加納諸平
小萩原さばかりおもき露ならしはつきの嵐心してふけ
和歌歳時記:韓藍(からあゐ) 鶏頭(けいとう) Cocks-comb ― 2010年08月30日
厳しい残暑が続いてゐるが、夕方の風の涼しさには秋を感じる。来るべき極彩の季節を予告するかのやうに、鶏頭の花がひとしほ紅を深くしてゐる。
鶏頭はヒユ科の一年生植物。花は夏から秋にかけて咲く。色は紅のほか黄や白、桃色があり、形状も先の尖つたのや丸いのやら様々あるが、
我が国で鶏頭は古く「
『万葉集』巻三 山部宿禰赤人の歌一首
我が
屋戸 に韓藍 蒔 き生 ほし枯れぬれど懲 りずてまたも蒔かむとぞ思ふ
庭に種を蒔いて育てた韓藍が枯れてしまつたが、再び美しい色を見たい、懲りずにまた種を蒔かう。――鶏頭は移植が難しいので種から育てるが、熱帯原産のため寒さに弱く、日本の冬を越すことはできない。毎年、種を蒔いては育てねばならぬわけだ。
もつとも、赤人がかう詠んだ裏には、どうやら恋の心が隠されてゐるらしい。といふのも、同じ万葉集の巻七には「秋さらばうつしもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰か採みけむ」といふ歌が、花に寄せた恋の譬喩歌として分類されてゐるのだ。赤人の歌も韓藍を美女になぞらへ、「苦労して育てた恋も結局実らずに終つてしまつたが、懲りずにまた別の美女にアプローチしよう」といつたところに真意があつたのだらう。
古今集を始めとする八代集には「韓藍」の名が見えず、平安時代の和歌にこの植物の存在感は薄い。ところが中世頃から再びよく取り上げられるやうになる。
『新拾遺集』 光明峰寺入道前摂政家歌合に寄衣恋 藤原知家
韓藍のやしほの衣ふかけれどあらぬ涙の色ぞまがはぬ
貞永元年(1232)七月の歌合に「衣に寄する恋」の題で詠まれた一首。「韓藍に幾度も浸して染めた衣は深い紅であるが、それとは別の涙の色はまぎれもない」。
韓藍で紅深く染めた衣に、より鮮烈な血涙の色が滲む。妖艶の美を競つた新古今前後の歌人たちの作によつて、韓藍のまがまがしいまでの紅は初めて生きたと言へよう。
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| 羽毛鶏頭 鎌倉市瑞泉寺にて | 
ところで奇妙なのは、同じ頃、韓藍の色を青系統の色としてゐる歌が見えることだ。
『壬二集』 内裏歌合に水辺柳 藤原家隆
竜田川やまとにはあれど韓藍の色そめわたる春の青柳
竜田川は日本の川なのに、韓藍の色で染めたやうに、岸辺の柳は春になつて青々としてゐる、といつた意の歌。この歌の「韓藍の色」は藍色と解するほかない。
どうやら、一部の歌人の間で韓藍が藍染めの原料である藍(
蓼藍も古く大陸から渡来した植物であるから、その意味では「韓藍」と呼ばれてもをかしくはない。しかし、万葉集の歌からも、「鶏冠草 
思ふに、鶏頭の花を紅染めに用ゐることは早くに廃れ、「韓藍」の名の所以も忘れられて、やがて「鶏頭」の名にすつかり取つて代はられたのだらう。俳諧の歳時記に「鶏頭」はあつても「韓藍」の名は見えない。
「鶏頭」と名は変へても、その烈しい色が愛され畏れられ続けたことは、近代の心ある歌人たちの作によつても知られるところだ。
『浴身』 岡本かの子
鶏頭はあまりに赤しわが狂ふきざしにもあるかあまりに赤しよ
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  『万葉集』巻十(秋相聞) 作者未詳
恋ふる日のけながくしあれば我が園の韓藍の花の色に出でにけり
  『六百番歌合』(恋) 藤原季経
韓藍のやしほの衣いろふかくなどあながちにつらき心ぞ
  『続古今集』(寄衣恋のこころを) 藤原良経
わが恋は大和にはあらぬ韓藍のやしほの衣ふかくそめてき
  『土御門院御集』(草名) 土御門院
いくしほもおのれが染むる色ぞかしなど紅の韓藍の花
  『為家千首』(恋) 藤原為家
韓藍のやしほのころも古りぬとも染めし心の色は変はらじ
  『風雅集』(題しらず) よみびとしらず
韓藍のやしほのころも朝な朝ななれはすれどもいやめづらしみ
  『草根集』(増思恋) 正徹
書きやらむ思ふ心の下染はなほから藍のやまとことのは
  『春夢草』(初春) 肖柏
空は今朝からあゐ染を敷島のやまとの春に立つ霞かな
  『左千夫歌集』 伊藤左千夫
鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり
  『長塚節歌集』(病院の門を入りて懐かしきは、只鶏頭の花のみなり)
鶏頭は冷たき秋の日にはえていよいよ赤く冴えにけるかも
  『佐保姫』 与謝野晶子
秋立つや鶏頭の花二三本まじる草生に蛇うつ翁
  『太陽と薔薇』 与謝野晶子
鶏頭は憤怒の王に似たれども池にうつして自らを愛づ
  『桐の花』 北原白秋
ひいやりと
  『鹿鳴集』 会津八一
あさひ さす しろき みかげ の きだはし を さきて うづむる けいとう の はな
(2010年9月3日加筆訂正)
和歌歳時記:つくつく法師 Tsukutsuku-boushi ― 2010年08月16日
秋の蝉と言へば
平安時代にも「つくつくぼふし」の名で呼ばれてゐたことは、藤原高遠の家集『高遠集』の次の一首から判る。
屋の
端 に、つくつくぼふしの鳴くを聞きて我が宿のつまは寝よくや思ふらむうつくしといふ虫ぞ鳴くなる
「つま」は「(軒の)
中古の頃の「うつくし」は今の語感と少し異なり、「愛らしい」といふニュアンスが強かつたと言はれてゐる。古人はつくつく法師の声に「いとしい、いとしい」といふ情愛の声を聞いたのだらうか。さう思つて聞けばさう聞こえないこともないが、やはり現代の我々の耳とはちよつと違ふのかなとも思ふ。
ところで中世から「山の蝉」を詠んだ秋の歌がちらほら見えるやうになる。中でも名高いのは源実朝の歌だ。
『金槐和歌集』 蝉のなくを聞きて
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
立秋の頃、鎌倉幕府周辺の山を散策しての作だらう。
この「山の蝉」のことを、私はずつと蜩だとばかり思つてゐた。和歌で秋の蝉と言へば圧倒的に蜩の人気が高いのだ。ところが、これは鎌倉に引つ越して初めて気づいたことなのだが、蜩は梅雨明け前後からもう盛んに鳴いてゐる。立秋近くなつて鳴き始める蝉と言へば、つくつく法師だ。私は、実朝が聞いた「山の蝉」はつくつく法師に違ひないと思ふやうになつた。
「山の蝉」といふ語を用ゐた歌では、他に次のやうなものがある。
『秋篠月清集』 雨後聞蝉 藤原良経
むらさめのあとこそ見えね山の蝉なけどもいまだ紅葉せぬころ
『後鳥羽院御集』 紅葉 後鳥羽院
山の蝉なきて秋こそ更けにけれ木々の梢の色まさりゆく
立秋頃から鳴き始め、木々が色づき始める頃まで鳴き続ける蝉といふと、つくつく法師しかないのではなからうか。この蝉に「寒蝉」の字を宛てる所以だ。
写真は我が家の外壁に張り付いてゐたつくつく法師。弱つてゐたのだらうか、近づいても逃げようとしない。やや緑がかつた小さな体に、透きとほつた羽。和歌に詠まれた「蝉の羽衣」だ。私は「うつくし、うつくし」と眺め入つてしまつた。
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  『元良親王集』(詞書略) 元良親王
蝉の羽のうすき心といふなれどうつくしやとぞまづは啼かるる
  『散木奇歌集』(人々まうできて歌よみけるに蝉をよめる) 源俊頼
女郎花なまめきたてる姿をやうつくしよしと蝉のなくらん
  『拾遺愚草』(秋十首より) 藤原定家
鳴く蝉も秋の響きの声たてて色にみ山の宿のもみぢ葉
  『光吉集』(紅葉) 惟宗光吉
下紅葉いろづきそむるあしびきの山の蝉なきて秋風ぞ吹く
  『六帖詠草』(心性寺にて) 小沢蘆庵
松風の読経の声にきこえしはつくつくぼふしなけばなりけり
  『朱霊』 葛原妙子
つくつくぼふし三面鏡の三面のおくがに啼きてちひさきひかり
和歌歳時記:文月(ふみづき/ふづき) Seventh month of the lunar calendar ― 2010年08月12日
文月は陰暦七月、初秋。2010年は新暦8月10日が文月朔にあたる。なほ長い残暑が続くとは言へ、やうやく暑さも峠を越えて、朝夕の風に、あるいは星の澄みまさる夜空に、秋の到来が実感される季節だ。
「ふみづき」とも「ふづき」とも言ふ。語源は不明であるが、七月の異称の一つに「
『蔵玉集』 文披月 藤原有家
七夕の逢ふ夜の空のかげみえて書きならべたる文ひろげ月
平安時代、貴族の家の七夕祭りにおいては、二星に詩歌を手向ける慣はしがあつた。今も京都に歌道の伝統を守る
もつとも、「ふみ月」といふ語が既に使はれてゐたはずの奈良時代にかうした行事はまだ無かつた(少なくとも広まつてゐなかつた)だらうから、「ふみ」の由来を詩歌に求めるのは無理がある。
では「
中国最古の歳時記『荊楚歳時記』を調べると、七月には書物と衣服の虫干しをする習ひがあつたと記されてゐる。
荊楚の俗、七月、経書及び衣裳を曝 す。以為 らく巻軸久しければ則ち白魚有り。
どうやらかうした習俗なり伝聞なりが日本にも伝はつて、陰暦七月を「
初めに歌を引用した『蔵玉集』は、草木や十二の月の異名を集め、その例歌を列挙した面白い歌集であるが、陰暦七月の異称としては「文披月」のほかに「七夕月」「
『うけらが花』 野外 加藤千蔭
野辺みれば紐ときにけり文月の七の夕べの七くさの花
陰暦七月七日の頃は、まさに女郎花を始めとする秋の草花が綻び始める季節だ。思へば山上憶良が七くさの花を撰んだのも、七夕に因んでのことだつたのだらうか。
萩の花をばな
葛 花なでしこの花 をみなへしまた藤袴 朝顔の花
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  『六華集』 平定文
たなばたのいかに心のさわぐらむ稀に逢ふべき文月立つより
  『蔵玉集』(女郎花月) 顕昭
七夕の契りの色にたぐへてや名を得しことも女郎花月
  『蔵玉集』(七夕月) 藤原家隆
かささぎのより羽の橋も心せよ七夕月の比待ちえたり
  『拾遺愚草』(潤月七夕) 藤原定家
天の川文月は名のみかさなれど雲の衣やよそにぬるらん
  『菊葉和歌集』(百首の中に、閏月七夕といふことを) 実富朝臣母
織女の年に一夜と契らずは後の文月もあはましものを
  『鳥之迹』(文月廿日夜雁を聞きて) 小出吉英
ためしにも書きつたふべき文月のはつかの夜半のはつ雁の声
  『黄葉集』(星夕曝書) 烏丸光弘
けふはまづ星に手向けて灯もややかかげてむ文月の空
  『逍遥集』(七夕) 松永貞徳
  『霊元法皇御集』(閏月七夕) 霊元院
逢ひもみぬ星の夕べやなき名にも思ひくははる文月なるらむ
  『芳雲集』(閏月七夕) 武者小路実陰
逢ひもみぬ星の夕べやなき名にも思ひくははる文月なるらん
  『晶子新集』 与謝野晶子
和歌歳時記:昼寝 Siesta ― 2010年08月03日
炎天下の過労を癒し、また暑苦しい夜に不足しがちな睡眠を補ふために、夏は昼寝が奨励される季節だ。宮本常一『ふるさとの生活』によれば、夏の昼寝を義務づけてゐる村もあつたといふ。大阪平野のある村では、半夏生から八朔まで、すなはち旧暦の六・七月の二ヵ月間は、昼飯が済むと、太鼓を叩いたり法螺貝を吹いたりして、皆人に寝よとの合図をする。そしてまた一時経つと、起きよとの合図をしたといふのだ。宮本は各地を旅して、さういふ慣はしのある村が全国方々にあつたと言つてゐる。
そんな村里の民俗を偲ばせる歌がある。
『海士の刈藻』 夏旅 大田垣蓮月
里の子が
機 織る音もとだえして昼寝の頃のあつき旅かな
里をあげて昼寝してゐるのだらう、しづまりかへつた夏の白昼、一村を通り過ぎる旅人。その目には見知らぬ村里が一瞬夢幻の世界に映つたはずだ。
『調鶴集』 夏井 井上文雄
賤 の女 は昼寝してけり水あまる庭の筒井に熟瓜 ひやして
こちらも江戸末期の歌人の作。題詠とは言ひ条、属目の景をもとにしたと思はれる歌ひぶりだ。丸井戸から溢れる冷たさうな水、そこに浮ぶまるまると熟れた瓜。無防備な村女の、なんと満ち足りた昼寝つぷり。
江戸つ子の作者は田舎の風俗を愛し、田園を散策して飽きることがなかつた。「田家鶴」といふ題では、「
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  『好忠集』(六月をはり) 曾禰好忠
妹とわれ寝屋の
  『兼澄集』(五月五日、
うたたねの昼寝の夢にあやめ草むすぶとみつるうつつならなむ
  『禖子内親王家歌合』(ひるのこゑ) 播磨
ほととぎす昼寝の夢の心ちして森の梢を今ぞすぐなる
  『聞書集』(嵯峨にすみけるに、戯れ歌とて人々よみけるを) 西行
うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥し
  『亜槐集』(昼恋) 飛鳥井雅親
かづらきの神やはかくる面影に昼寝おどろく夢の浮橋
  『柏玉集』(昼恋) 後柏原院
わりなしや昼寝の床にみし夢もまばゆきかたに向ふ日影は
  『亮々遺稿』(苦熱) 木下幸文
何事もただ倦みはつる夏の日にすすむるものはねぶりなりけり
  『草径集』(枕) 大隈言道
うたたねの昨日の昼寝思はせてありし所にある枕かな
  『調鶴集』(夏声)井上文雄
昼寝する枕にひとつ名のる蚊のほそ声耳を離れざりけり
  『志濃夫廼舎歌集』(独楽吟) 橘曙覧
たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時
たのしみは昼寝目ざむる枕べにことことと湯の煮えてある時
  『水葬物語』塚本邦雄
ひる眠る水夫のために少年がそのまくらべにかざる花合歡
(2010年8月18日加筆訂正)
和歌歳時記:夕立 Summer evening shower ― 2010年07月28日
夕立と言へば普通《夏の夕方の俄雨》を指すが、もとはおそらく動詞「夕立つ」から来た語で、夏に限らず、夕方に強い風が起こつたり、突然雲が現れたりすることを言つたのだと思ふ。神々・精霊の物騒な活動が活発になる夕暮といふ時間帯に対する、古人の不安が籠められた語だ。
炎熱の陽射しも傾いた頃、ふいに一陣の大風が吹き、その風が積乱雲を吹き寄せる。しばらくすると沛然と雨が降り、ぢきに止む。夏はそんなことが多いため、やがて「夕立」だけで夏の夕方の俄雨を言ふやうになつたものであらう。
『新古今集』 題しらず 西行法師
よられつる野もせの草のかげろひてすずしくくもる夕立の空
夕立の雨に先立つ烈風が野の草を乱し、糸を
平安時代には既に「夕立」で雨を指すこともあつたやうだ。しかし西行の歌の「夕立の空」はまだ雨が降つてゐない空、「夕立雨のけしきが現れた空」といふことである。
自然が見せる変化の相を歌人は好んだから、夕立は恰好の歌題であつた。殊に玉葉風雅は夕立詠の秀歌の宝庫である。
まづ玉葉集より何首か。
遠 の空に雲たちのぼり今日しこそ夕立すべきけしきなりけれ 中山家親
山たかみ梢にあらき風たちて谷よりのぼる夕立の雲 西園寺実氏
風はやみ雲の一むら峰こえて山みえそむる夕立のあと 伏見院
夕立の雲まの日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺 藤原定家
暮れかかるとほちの空の夕立に山の端みせて照らす稲妻 世尊寺定成
ついで風雅集より。
衣手にすずしき風をさきだててくもりはじむる夕立の空 宮内卿
松をはらふ風は裾野の草におちて夕だつ雲に雨きほふなり 京極為兼
行きなやみ照る日くるしき山道に濡 るともよしや夕立の雨 徽安門院
虹のたつ麓の杉は雲にきえて峰より晴るる夕立の雨 楊梅俊兼
月うつる真砂 のうへの庭たづみあとまですずし夕立の雨 西園寺実兼
風と雲が劇的な動きを見せ、まもなく激しい雨をもたらすが、やがて嘘みたいに空は晴れわたり、暑熱を洗ひ流したやうな涼しさが残る。自然のドラマティックな変化を短時間のうちに展開し、夕立詠は夏の巻のクライマックスをなす観がある。
もとより夕立は時に雷雨を伴ふ恐ろしい天気でもある。
『常山詠草』 夕立 徳川光圀
夕立の風にきほひて鳴る神のふみとどろかす雲のかけ橋
天を突き刺すやうな入道雲の中に梯子が掛けてあつて、雷神が踏み轟かしながら降りて来る。その響きが、風の音と烈しさを競ひ合つてゐる、といふ。夕立の「
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  『万葉集』巻十六  作者未詳
夕立の雨うち降れば春日野の尾花が
  『詞花集』(題しらず) 曾禰好忠
川上に夕立すらし
  『金葉集』(二条関白の家にて雨後野草といへる事をよめる) 源俊頼
この里も夕立しけり浅茅生に露のすがらぬ草の葉もなし
  『新古今集』(雲隔遠望といへる心をよみ侍りける) 源俊頼
とほちには夕立すらし久かたの天の香具山雲がくれゆく
  『新古今集』(百首歌の中に) 式子内親王
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしのこゑ
  『新古今集』(千五百番歌合に) 西園寺公経
露すがる庭の玉笹うちなびきひとむらすぎぬ夕立の雲
  『遠島百首』(夏) 後鳥羽院
夕立の晴れゆく峰の雲間より入日涼しき露の玉笹
  『風雅集』(建仁四年百首御歌の中に、夕立) 後鳥羽院
片岡の
  『玉葉集』(三十首歌人々にめされし時、遠夕立) 九条左大臣女
夕立のとほちを過ぐる雲の下にふりこぬ雨ぞよそに見えゆく
  『嘉元百首』(夕立) 二条為子
やがてまた草葉の露もおきとめず風よりすぐる夕立の空
  『新続古今集』(延文百首歌に、夕立を) 二条為明
いとどしくあべの市人さわぐらし坂こえかかる夕立の雲
  『風雅集』(野夕立) 惟宗光吉
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲
  『風雅集』(夏歌の中に) 花園院
夕立の雲とびわくる白鷺のつばさにかけて晴るる日のかげ
  『光厳院御集』(夕立) 光厳院
吹きすぐる梢の風のひとはらひここまで涼しよその夕立
  『草根集』(夕立風) 正徹
吹きしをり野分をならす夕立の風の上なる雲よ木の葉よ
  (夕立過山)
草も木もぬれて色こき山なれや見しより近き夕立のあと
  (遠夕立)
山づたひ夕立うつる風さきに木の葉も鳥もふかれてぞ行く
  『下葉集』(海村夕立) 堯恵
浪の上は
  『紅塵灰集』(夕立) 後土御門天皇
鳴神の音はたかをの山ながらあたごの峰にかかる夕立
  『正親町院御百首』(夕立) 正親町院
鳴神のただ一とほり一里の風も涼しき夕立のあと
  『桂林集』(遠夕立) 一色直朝
すずしさのいま
  『後水尾院御集』(晩立) 後水尾院
夏の日のけしきをかへて降る音はあられに似たる夕立の雨
俄にも波をたたへしにはたづみかはくもやすき夕立のあと
常は見ぬ山のみどりに滝落ちて名残もすずし夕立の雨
  『倭謌五十人一首』(夕立) 宮川松堅
知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立
  『賀茂翁家集』(夕立をよめる) 賀茂真淵
にひた山うき雲さわぐ夕立に利根の川水うはにごりせり
  『桂園一枝』(湊夕立) 香川景樹
茜さす日はてりながら
(2010年8月2日加筆訂正)
和歌歳時記:忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう) Daylily ― 2010年07月19日
和歌に「忘れ草」と詠まれてゐるのは、ユリ科の
忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在つて、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなはち「憂ひを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かつた故のやうだが、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでゐる。紐に付けるとは、いはば魂に結びつける擬態だらう。
忘れ草我が下紐に付けたれど
醜 の醜草 言 にしありけり
万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻
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| 忘れ草の若葉 | 
平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違ひないが、少しニュアンスが異つてくる。藤原兼輔の作に、
かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり
とあり、そばに置いて眺めるだけで憂へを忘れる草に変はつてゐるのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となつてゐて、紀貫之は
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草
と、長途の旅をも厭はずこの草を摘みに行きたいと歌つた(古今集墨滅歌)。
一般にワスレグサと呼ばれるのは薮萱草で、文字通り薮陰などで野生化してゐるのをよく見かける。黄色の条が入つた色合はなかなか美しいが、重弁で、ちよつとゴテゴテした、くどい感じのする花だ。対して一重の野萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂ひも忘れてしまひさうだ。下に掲げる写真は鎌倉の「萩の寺」として名高い宝戒寺の庭に咲いてゐた野萱草。
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| 野萱草の花 | 
因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれてゐない。
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  『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり
  『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢ぢにさへやおひしげるらむ
  『古今集』(詞書略) 素性法師
忘草なにをかたねと思ひしはつれなき人の心なりけり
  『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり
  『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと
  『後撰集』(詞書略) 紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば
  『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな
  『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) 平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし
  『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり
  『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふてもたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん
  『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影
  『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも
  『晩花集』(恋の歌とて) 下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝
  『赤光』 斎藤茂吉
  『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし
和歌歳時記:夏雲 Summer cloud ― 2010年07月18日
四時 陶淵明
春水滿四澤  春の水 
夏雲多奇峰  夏の雲 
秋月揚明輝  秋の月 
冬嶺秀孤松  冬の嶺 
陶潜作と伝はる詩にあるやうに、夏の季節感を最も際立たせるのが、青空に湧きあがる積雲・積乱雲だ。
『桂園一枝』 夏雲 香川景樹
おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな
梅雨が明けて、紺碧の夏空が広がる。碧が深ければ、雲の白はひときは映える。「白雲の」までの上句は、夏空の叙景であると共に、「まがはぬ」といふ語を導く序詞のはたらきを持つてゐる。
夏の雲と言へば入道雲だが、和歌や誹諧では(おそらく上記陶潜の詩の影響から)「雲の峰」と呼んだ。
『浦のしほ貝』 晩夏雲 熊谷直好
しら雲の峰も崩れて秋風にたなびく空となりにけるかな
芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」を、晩夏の涼感に本句取りした歌。暑い季節は長いが、夏らしい夏は意外なほど短い。輝く白雲を目に焼き付けておかう。
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  『玉葉集』(題しらず) 楊梅兼行
夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき
  『権大納言俊光集』(夏雲) 日野俊光
峰たかき山また山と見ゆるまで曇りかさぬる五月雨の雲
  『草根集』(夏山雲) 正徹
夕立の晴れぬる山の岩根よりのぼるも消ゆる雲の一むら
  『続亜槐集』(夏雲) 飛鳥井雅親
あつき日にしづかにのぼる峰の雲夕だちすべき空ぞ待たるる
  『拾塵集』(夏雲) 大内正弘
あつき日にねがひし程は空晴れて月に成行く夕暮の雲
  『雪玉集』(夏雲) 三条西実隆
花の色に見しはものかはほととぎす声待つころの峰の白雲
  (旅)
夏の日はいく重の雲の峰たかみ行き疲れても暮れがたき空
  『逍遥集』(夏暁雲) 松永貞徳
みじか夜のまだ明けぬまに葛城の雲の梯たれわたすらん
  『通勝集』(夕立) 中院通勝
一むらの雲の峰より吹きおちて風にぞきほふ夕立の空
  『うけらが花』(夏雲) 加藤千蔭
ひとすぢのけぶりと見しも時のまに千さとをわたる夕立の雲
  『竹乃里歌』 正岡子規
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず
  『夕波』 中河幹子
音のしてたちまち遠き機影追ふみ空はすでに光る夏雲
  『月華の節』 馬場あき子
雲の峰まさしく戦後遠けれど母惚けて空襲の日のみ記憶す
和歌歳時記:紅花(末摘花) Safflower ― 2010年06月27日
陽暦6月から7月、アザミに似た鮮黄色の花をつけ、やがて紅に色を深めてゆく。この小花を摘んで臙脂を作り、紅色の原料とする。
『古今集』 題しらず よみ人しらず
人しれず思へば苦し
紅 の末摘花 の色にいでなむ
もはや苦しさに堪へきれない、紅あざやかに咲く末摘花のやうに、恋心をあらはにしてしまはう、といふ歌。
源氏物語にこの名で呼ばれた女性は、常陸宮の「末(晩年)」にまうけた娘で、父から大層可愛がられたが、父の死後はひつそりと里住ひしてゐた。そんな境遇に関心を持つた光源氏は、親友の頭中将と競ひ合つた挙げ句に思ひを遂げる。久方ぶりの情事の翌朝、雪の光に照らされたその顔を初めて目にし、「普賢菩薩の乗物」すなはち象のやうに垂れた鼻が赤らんでゐるのに驚き呆れる。
『源氏物語・末摘花』
なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖にふれけむ
後日、光源氏が末摘花からの手紙の端に悪戯書きした歌。「慕はしい色といふのでもないのに、なぜにこの末摘花を袖に触れてしまつたのだらうか」。鼻先が紅い故宮の末娘を「末摘花」と綽名してたはむれたのである。
文字通り一朝にして醒めた恋であつたが、世慣れしない姫の風情を源氏はむしろ好ましく思ひ、また心細い身の上を哀れと思つて、世話をすることに心を決めたのだつた。
光源氏盛春の忘れがたい一エピソードである。
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  『万葉集』巻十(寄花) 作者未詳
よそのみに見つつ恋ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも
  『万葉集』巻十一(寄譬喩) 作者未詳
紅の
  『式子内親王集』(恋)
わが袖の濡るるばかりはつつみしに末摘花はいかさまにせむ
  『新撰和歌六帖』(くれなゐ) 藤原為家
くれなゐの末咲く花の色深くうつるばかりも摘み知らせばや
  『大江戸倭歌集』(紅花) 小池言足
紅の末摘花のすゑはまた誰がよそほひの色をそふらむ














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