和漢朗詠集卷上 閏三月 ― 2010年04月11日
花悔帰根無益悔 花は根に帰らむことを悔ゆれども悔ゆるに
鳥期入谷定延期 鳥は谷に
【通釈】桜の花は散ってしまったが、閏三月と知って、根に帰ろうとしたことを悔いても、もはやどうしようもない。
鶯は谷に帰ろうと思ったが、閏三月と知って、きっとその日時を延ばしていることだろう。
【補記】出典未詳。作者名は「藤滋藤」とあるが、釈信阿私注によれば作者は清原滋藤。これの影響を受けた「花は根に」「鳥は古巣に」帰るという趣向の歌は夥しい。
【影響を受けた和歌の例】
根にかへる花の姿の恋しくはただこのもとを形見とは見よ(藤原実行『金葉集』)
花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき(崇徳院『千載集』)
尋ねくる人は都を忘るれど根にかへりゆく山ざくらかな(藤原俊成『風雅集』)
根にかへる花とはきけど見る人のこころのうちにとまるなりけり(藤原重家『風雅集』)
根にかへる花をうらみし春よりもかた見とまらぬ夏の暮かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
高嶺より谷の梢にちりきつつ根にかへらぬは桜なりけり(藤原良経『秋篠月清集』)
花やどる桜が枝は旅なれや風たちぬればねにかへるらむ(〃)
雪きゆる枯野のしたのあさみどりこぞの草葉やねにかへるらむ(〃)
根にかへる花ともみえず山桜あらしのさそふ庭の白雪(飛鳥井教定『続拾遺集』)
根にかへり雲にいるてふ花鳥のなごりも今の春の暮れがた(伏見院『伏見院御集』)
根にかへり古巣をいそぐ花鳥のおなじ道にや春も行くらん(二条為定『新千載集』)
根にかへる花かとみれば木の本を又吹きたつる庭の春風(正親町公蔭『新拾遺集』)
鳥はまたよそなる谷の桜花ねにかへりても山風ぞふく(冷泉為尹『為尹千首』)
こゑ聞けば古巣をいそぐ鳥もなしまだきも花の根に帰るらん(正徹『草根集』)
根にかへり古巣にゆくも花鳥のもとのちぎりのあれば有る世を(三条西実隆『雪玉集』)
ふるさとへ別るる雁のこゑききて梢の花も根にかへるらん(加藤千蔭『うけらが花』)
コメント
_ ぱぐ ― 2010年04月12日 07時19分
_ 水垣 ― 2010年04月12日 13時52分
崇徳院は古今集を理想としたようで、非常に格調が高く、しかも趣向に面白みのある歌が多いですね。古今集の歌人にならって、漢詩からも多くを学んでいるように思えます。白楽天の「長恨歌」の影響の見える歌もあります。
「花は根に」の歌は対句を上句に凝縮して取り入れていますね。
_ ぱぐ ― 2010年04月12日 23時22分
ご示唆ありがとうございます。
むかし、サイト「ぱぐのだらだらさろん」で「古今会」というのを作って遊んだことがあるんですが、図らずも古今集好きの歌人をわたしは選んでいたということになるんですねえ。百人一首でもいちばん好きなのは崇徳院ですし。
崇徳院についてまとまって書いたものをあまり見たことがないような気がしたので、何か書けないかと思って抜き書きしたんですが、
暗合みたいなものにおどろきました。
_ 水垣 ― 2010年04月14日 22時21分
平安末期に「古今集がえり」のような運動が起こって、それが「新古今集」へと結実してゆくのですが、崇徳院はその先駆者という意味でも重要な歌人だと思います。もっと注目されてしかるべきではないかと思います。
藤原俊成は「ただ古今集を仰ぎ信ずべきことなり」と言いましたし、西行は「古今集の風体を本として詠むべし」と言っています。二人とも、崇徳院と深い関わりを持っていた歌人です。
御集が残っていないのが本当に残念ですね。
_ ぱぐ ― 2010年04月15日 20時57分
崇徳院というと、叔父子といわれた話や骨肉の争いから戦乱へ、負けて島流し、最後は怨みながら死んだ、という生涯ばかりが語られがちですが、詩人としてもっと注目してもらいたいですね。
むかしの筑摩の「日本詩人選」にも崇徳院は入ってないですよね、たしか。
時間ができたら何か書いてみようかな、ほんとに。
いま新しい仕事が始まったばかりで、慣れないうちは何もできないんですけど、いちおう希望だけ(笑)。
_ 水垣 ― 2010年04月16日 23時39分
歌人崇徳院についての研究論文はそれなりにあると思うのですが、一般読書人向けの本は全然見当たりませんね。
筑摩の日本詩人選は好企画で、二十巻ほぼすべて私の愛読書です。しかし天皇では後鳥羽院だけですね。
_ ぱぐ ― 2010年04月17日 07時55分
起きたらうっすら雪が積もっていて驚きました。
凝り性なものですから、崇徳院がかなり重要な歌人である「久安百首」を前に神保町の古本屋で買って、これは引っ越しの際にも手放さず持っています。八代集は全部はないので図書館で抜き書きしました。パソコンの中にデータが残してあるといいんですが。
筑摩の日本詩人選は父(国文出身で本を読むのがいちばんの趣味)がそろえて持っていたので、いちおう一通りは読んでるはずです。あのシリーズは山本健吉とかの発案でしたね。
丸谷才一さんは「後鳥羽院」第2版を出されたので、そちらも読んでいます。
_ 水垣 ― 2010年04月18日 11時33分
一昨日昨日と寒かったですね。今日はすっかり春に戻りました。
久安百首は全釈が出ていましたね。ちょっと高くて、私は買うの躊躇ってしまいました。
そういえば、以前こちらにコメントを下さった浦木さんがご自身のサイトで久安百首のテキストを掲載して下さってます。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kyuuan/kyuuan.htm
歌人別になっていて、全文平仮名なので、何かと便利に使わせてもらってます。
筑摩のは山本健吉の発案だったのですね。詩人の選も著者の選もスゴイなあと思っていたのですが、なるほど…。
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わたし崇徳院の歌が好きで、書き抜きをやったことがあるんですが、
<花は根に鳥はふる巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき>
って変わった趣向の歌だなあと思っていたんですよ。
漢詩の趣向を取り入れたものだったんですね!
よく見ると対句だったりもしますし。