唐詩選卷二 代悲白頭翁(抄) ― 2010年04月17日
白頭を悲しむ翁に代る(抄) 劉廷芝
古人無復洛城東 古人
今人還対落花風 今人
年年歳歳花相似 年々歳々花あひ似たり
歳歳年年人不同 歳々年々人同じからず
【通釈】洛陽の東に花を眺めた古人もすでに亡く
残された私たちは再びここに来て、花を散らす風に向かっている。
毎年毎年、美しい花は同じように咲くが
毎年毎年、花を見る人は変わってしまう。
【補記】「洛陽城東桃李花」に始まる劉廷芝「代悲白頭翁」より第九句から第十二句までを抄した。「
【作者】
【影響を受けた和歌の例】
色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(紀友則『古今集』)
花の色は昔ながらに見し人の心のみこそうつろひにけれ(元良親王『後撰集』)
昔みし花のとしとし似たれども同じからぬを思ひしらなん(藤原公任『公任集』)
かへりこぬ昔を花にかこちてもあはれ幾世の春か経ぬらむ(西園寺実氏『続古今集』)
【原詩全文】
洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家 洛陽女兒好顔色 行逢落花長嘆息 今年花落顔色改 明年花開復誰在 已見松柏催爲薪 更聞桑田變成海 古人無復洛城東 今人還對落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁 此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年 公子王孫芳樹下 清歌妙舞落花前 光祿池臺開錦繍 將軍樓閣畫神仙 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲
コメント
_ ぱぐ ― 2010年04月18日 07時27分
_ 水垣 ― 2010年04月18日 11時35分
例歌は三首しか挙げませんでしたが、花と人を対比した趣向の歌はおおかたこの詩に影響を受けていると思えますから、影響歌は厖大な数になると思います。
「かへりこぬ」、おっしゃるとおりですね。この一言に思いがつめこまれています。
それと、漢詩と和歌の大きな違いは、(当たり前のことでしょうが)漢詩が偶数句で和歌が奇数句だということもありますね。常に2で割り切れる漢詩に対して、和歌は絶対に割り切れず、割ってしまえば不均等な二句に分かれます。そこが和歌の面白いところで、実氏の歌はこの「割り切れなさ」がよく出ているなあと思います。
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わたしの好みは西園寺実氏の「かへりこぬ昔を花にかこちてもあはれ幾世の春か経ぬらむ」かなあ。
「かへりこぬ」の一言で「歳々年々人同じからず」を表していると思います。和歌は言葉数が少ない分、いかに一言に盛れるかが大きいですね。俳句だともっとたいへんですが。