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白氏文集卷十七 廬山草堂、夜雨獨宿、寄牛二・李七・庾三十二員外2010年06月13日

廬山(ろざん)草堂(さうだう)に、夜雨(やう)独り宿し、牛二(ぎうじ)李七(りしち)庾三十二(ゆさんじふに)員外に寄す 白居易

丹霄攜手三君子  丹霄(たんせう)に手を(たづさ)三君子(さんくんし)
白髮垂頭一病翁  白髪(はくはつ)(かうべ)()一病翁(いちびやうをう)
蘭省花時錦帳下  蘭省(らんしやう)の花の時 錦帳(きんちやう)(もと)
廬山雨夜草庵中  廬山(ろざん)の雨の夜 草庵の(うち)
終身膠漆心應在  終身(しゆうしん)膠漆(かうしつ)(まさ)()るべし
半路雲泥迹不同  半路(はんろ)雲泥(うんでい)(あと)同じからず
唯有無生三昧觀  ()無生三昧(むしやうざんまい)(くわん)有り
榮枯一照兩成空  栄枯(えいこ)一照(いつせう)にして(ふた)つながら(くう)と成る

【通釈】朝廷に手を携えて仕えている、三人の君子たちよ、
こちらは白髪を垂らした病身の一老人。
君たちは尚書省の花盛りの季節、美しい帳のもとで愉しく過ごし、
私は廬山の雨降る夜、粗末な庵の中で侘しく過ごしている。
終生変わらないと誓った友情はなお健在だろうが、
人生の半ばにして、君たちと私には雲泥の差がついてしまった。
私はただ生死を超脱し、悟りを開いた境地に没入するばかり。
繁栄も衰滅も同じ虚像であって、いずれ(くう)に帰するのだ。

【語釈】◇丹霄 天空。ここでは朝廷の喩え。◇三君子 長安にいる旧友たち、寄牛二(牛僧孺)・李七(李宗閔)・庾三十二員外(庾敬休)を指す。◇一病翁 白居易自身を客観視して言う。◇蘭省 尚書省。宮中の図書館。◇錦帳 錦織のとばり。◇廬山 江西省九江県。◇膠漆 にかわとうるし。両者を混ぜると緊密に固まるので、不変の友情の喩えに用いる。◇無生三昧觀 生死を超脱し、悟りを開いた境地。◇一照 同じ仮の現象。仏教語。◇空 現象界には固定的実体がなこと。仏教語。

【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)~十三年、作者四十六、七歳頃の作。「香爐峯下、新卜山居…」と同じ頃である。廬山の草堂に宿した一夜の感懐を、長安の旧友に寄せた詩。和漢朗詠集巻下「山家」の部に「蘭省花時錦帳下 廬山雨夜草庵中」が引かれている。以下に引用した和歌はすべて「廬山雨夜草庵中」の句を踏まえたもの。「草庵雨」の題詠も多いが、この歌題自体が白詩に拠るものである。俊成・定家の影響で本説取りも多い。

【影響を受けた和歌の例】
さみだれに思ひこそやれいにしへの草の庵の夜半のさびしさ(親王輔仁『千載集』)
昔思ふ草の庵の夜の雨に涙なそへそ山時鳥(藤原俊成『新古今集』)
草の庵の雨にたもとを濡らすかな心より出でし都恋しも(慈円『拾玉集』)
草の庵は夜の雨をぞ思ひしに雪の朝もさびしかりけり(藤原家隆『壬二集』)
しづかなる山路の庵の雨の夜に昔恋しき身のみふりつつ(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮の秋橋に下だる夜の雨草の庵のうちならねども(藤原定家『夫木和歌抄』)
日数経ばもらぬ岩屋もいかならん草の庵の五月雨の頃(藤原為家『為家一夜百首』)
五月雨の草の庵の夜の袖しづくも露もさてや朽ちなん(藤原為家『続千載集』)
あけくれは心にかけし草のいほの雨のうちをぞ思ひ知りぬる(貞慶上人『続後撰集』)
夜の雨の音だにつらき草の庵になほ物思ふ秋風ぞ吹く(宗尊親王『瓊玉和歌集』)
心からすむ身なりとも夜の雨はさぞなさすがの草の庵を(常縁『常縁集』)
いかにせむ草の庵に山鳩の夜の雨よぶ夕暮の声(飛鳥井雅親『亜槐集』)
夜の雨にひとり思へば庵ふきし千草に憂きは此の世なりけり(正徹『草根集』)
たれかきく世のことわりも残りなき草の庵の暁の雨(肖柏『春夢草』)
花の時を思ひ出でては草の庵にきくもかなしき雨風の声(三条西公条『称名集』)
草の庵は雫も露もかけて聞く袖のうへなる夜半の村雨(武者小路実陰『芳雲集』)
しづかにて中々うちも寝られぬは草の庵の雨の夜な夜な(冷泉為村『為村集』)
名にふりし草の庵の雨の夜やわが身のあきの心なりけん(法印親瑜『続門葉和歌集』)
かくてしも世にふる身こそあはれなれ草の庵の五月雨の空(西音法師『続千載集』)
夜の雨はしらでくやしき昔だにさすがしのぶの草の庵かな(烏丸光広『黄葉集』)
草の庵にあはれと聞きし夜の雨はいまもたもとの雫なりけり(木下長嘯子『挙白集』)
仮寝する草の庵の夜の雨いつ捨てし身と成りて聞くべき(松永貞徳『逍遥集』)
人とはぬ草の庵の夜の雨にとはずがたりの虫のねぞする(松平定信『三草集』)
すむ人の袖もひとつに朽ちにけり草の庵のさみだれの頃(香川景樹『桂園一枝』)

【参考】『枕草子』
「蘭省花時錦帳下」と書きて、「末はいかにいかに」とあるを、いかにはすべからん。御前のおはしまさば御覧ぜさすべきを、これが末を知り顏に、たどたどしき真名は書きたらんも、いと見ぐるし、と思ひまはす程もなく責めまどはせば、ただその奧に炭櫃に消え炭のあるして、「草の庵を誰かたづねん」と書きつけて取らせつれど、また返事もいはず。
『唯心房集』寂然
蘭省に花の にほふとき 錦の帳をぞ 思ひやれ 香爐峰の 夜の雨に 草のいほりは しづかにて

(6月14日訂正)

和歌歳時記:梅の実 Japanese apricot fruits2010年06月14日

梅の実 鎌倉市二階堂にて

関東地方にも今日梅雨入り宣言が出されたさうだ。青々と肥え緊まつた梅の実が、黄に紅に熟してゆく季節となつた。

『通勝集』 梅雨  中院通勝

花ならぬ香もなつかしみ袖かけん色づく梅の雨のしづくに

漢語「梅雨(ばいう)」を借り、五月雨(さみだれ)を古くから「梅の雨」とも称した。《梅の実を熟させる雨》の意だ。掲出歌では、「色づく梅の」と「梅の雨」とを言ひ掛けてゐる。梅は花ばかりでなく実も芳ばしい。その実から落ちる雨のしづくを袖にかけて、香を賞美しようとの風流心。作者は織豊時代から徳川時代初めまでを生きた人。

『三草集』 五月雨   松平定信

梅の実は緑の中に色わきて紅にほふさみだれのころ

こちらは江戸時代も後期の歌。
梅の実の()り初めは若葉と同じ色。初夏の梢に埋れてゐるが、五月雨がしきりと降るうち、紅の実は緑の中に際立つてゆく。そこに降りそそぐ雨だけは、色も香もにほひたつかのやうだ。

**************

  『万葉集』巻三(藤原八束が梅の歌)
妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ

  『草根集』(山新樹) 正徹
花ならぬ山の林になる梅の実さへ若葉の色に匂へる
  (梅雨)
雪と見し花にたがひて梅が枝の実を紅にそむる雨かな

  『芳雲集』(梅雨) 武者小路実陰
降る雨の絶えぬ雫に落ちそひて実さへ数ある梅の木隠(こがくれ)

  『霞関集』(さみだれ) 石野広通
かぞふれば年をふる木の梅の実の色づく雨もここに久しき

  『省諐録』(感情歌) 佐久間象山
我ほしといふ人もがな梅の実の時し過ぎなば落ちや尽きまし

  『志濃夫廼舎歌集』(梅子) 橘曙覧
雨つつみ日を経てあみ戸あけ見れば()ちて梅ありその実三四(みつよつ)
  (梅酒たまはりけるよろこび)
梅のみのいとすき人と言はば言へえならぬ味に酔ひぞ狂へる
  (五月)
梅子(うめのみ)のうみて昼さへ寝まほしく思ふさ月にはや成りにけり

  『つきかげ』 斎藤茂吉
くれなゐににほひし梅に()れる()は乏しけれどもそのかなしさを

  『冬びより』 谷鼎
つぶつぶと葉交(はがひ)に見えて梅の実の口酸く思ふまでになりたる

雲の記録201006172010年06月17日

2010年6月17日午前4時18分鎌倉市二階堂

朝焼。午前4時18分。

白氏文集卷十七 東牆夜合樹去秋爲風雨所摧、今年花時、悵然有感2010年06月17日

合歓の花

東牆(とうしやう)夜合樹(やがふじゆ)去秋(きよしう)風雨(ふうう)(くだ)く所と為る。今年(こんねん)花時(くわじ)悵然(ちやうぜん)として感有り 白居易

碧荑紅縷今何在  碧荑(へきてい)紅縷(こうる)(いづ)くに()りや
風雨飄將去不迴  風雨(ふうう)飄将(へうしやう)し去つて(かへ)らず
惆悵去年牆下地  惆悵(ちうちやう)す去年牆下(しやうか)の地
今春唯有薺花開  今春(こんしゆん)()薺花(せいくわ)(ひら)く有るのみ

【通釈】碧い芽、紅い糸の合歓の花はどこに行ってしまったのか。
風雨に舞い上がり、去ったきり戻らない。
私は嘆き悲しむ。去年、垣根のほとりの地にあったのに
今年の春、そこにはただ(なずな)の花が咲いているばかり。

【語釈】◇夜合樹 合歓(ねむ)の木。夜に葉が重なり合うために「夜合樹」の名がある。初夏に赤い糸状の花をつける。◇碧荑 荑は茅花(つばな)であるが、ここは花芽をこう言ったか。合歓木の花芽は緑色である。◇飄將 ひるがえす。舞い上げる。「將」は飄の接尾辞で当時の俗語という。◇薺花 ナズナの花。春から初夏にかけて花をつける。

【補記】前年の秋の風雨に折れた合歓木。花の季節を迎えてその不在を悲しんだ詩である。芭蕉の「よく見れば薺花咲く垣根かな」はこの詩を踏まえたものとする説がある。但し直接的には木下長嘯子の歌(下記引用歌)から影響を受けた可能性もある。

【影響を受けた和歌の例】
古郷のまがきは野らとひろく荒れてつむ人なしになづな花さく(木下長嘯子『挙白集』)

白氏文集卷十一 江上送客2010年06月19日

江上に客を送る  白居易

江花已萎絶  (かう)の花は(すで)に萎え絶えたり
江草已銷歇  (かう)の草は(すで)()()みたり
遠客何處歸  遠客(えんかく) 何処(いづく)にか帰る
孤舟今日發  孤舟(こしう) 今日(こんにち)()
杜鵑聲似哭  杜鵑(とけん)(こく)するに似たり
湘竹斑如血  湘竹(しやうちく) 斑らなること血の如し
共是多感人  共に(これ)感多き人
仍爲此中別  (すなは)此中(ここ)に別れを為す

【通釈】河辺の花はもう枯れ果ててしまった。
河辺の草はもう消え失せてしまった。
遠来の旅人はどこへ帰って行くのか。
君を乗せた一艘の舟が今日出航する。
ほととぎすは号泣するように鳴き、
湘竹のまだら模様は血の涙のようだ。
君も私も共に多感の人。
その二人が今ここに別れねばならぬとは。

【語釈】◇杜鵑 ほととぎす。我が国には初夏に渡来し、秋に中国南部に帰る。「杜」はこの鳥に化したとの伝がある蜀の望帝の名「杜宇」に由来する。◇湘竹 斑竹。舜の妃湘夫人が舜の死を傷み流した涙によって斑紋を生じたと伝え、この名がある。

【補記】長江のほとりで旅人を送ったことを詠んだ感傷詩。元和十四年(819)頃、忠州(四川省忠県)刺史時代の作。実隆・景樹の歌はいずれも「杜鵑声似哭」の句題和歌。

【影響を受けた和歌の例】
せきあへぬ思ひ有りともほととぎすふるさと人に心して啼け(三条西実隆『雪玉集』)
ほととぎす一むら雨のふりいでてなく涙さへ見ゆる空かな(香川景樹『桂園一枝』)

白氏文集卷二十 紫陽花2010年06月22日

あじさいの花

紫陽花(しやうくわ)  白居易

何年植向仙壇上  (いづ)れの年にか仙壇(せんだん)(ほとり)に向きて植ゑたる
早晩移栽到梵家  早晩(いつ)か移し()ゑて梵家(ぼんか)に到れる
雖在人閒人不識  人間(じんかん)()りと(いへど)も人()らず
與君名作紫陽花  君が(ため)に名づけて紫陽花(しやうくわ)()

【通釈】いつの年、仙境の辺に植えたのか。
いつこの寺に移し植えたのか。
人間界にあるのに人は知らない。
君のために紫陽花と名付けよう。

【語釈】◇向 「於」の意の前置詞。◇仙壇 仙人のたちの住む場所。仙境。招賢寺のある霊隠山をこう言った。◇早晩 いつ。当時の俗語という。◇梵家 寺。招賢寺を指す。◇紫陽花 紫は神仙の色。陽は「ひなた」、易学ではプラスの意。

【補記】作者は次のように自注を添えている。「招賢寺有山花一樹、無人知名、色紫気香、芳麗可愛、頗類仙物。因以紫陽花名之」(招賢寺に山花一樹有り、人の名を知るもの無し。色紫にして気香ばしく、芳麗愛す可く、頗る仙物に類す。因つて紫陽花を以て之を名づく)。すなわち抗州霊隠山の招賢寺に植えられていた名の無い花に「紫陽花」の名を付けたことを詠んだ詩である。日本であじさいを「紫陽花」と書くのはこの詩に由来する。なお中国でもアジサイ=繡球花の別名として「紫陽花」が用いられている(中国版Wikipedia)。
下に引用した歌は、あじさいならぬ「しもつけ」の名を隠した物名歌。「つけん」は「付けん」とも「告げん」とも取れるが、白居易の詩を踏まえたのなら前者と解すべきだろう。

【影響を受けた和歌の例】
植ゑて見る君だに知らぬ花の名を我しもつけん事のあやしさ(よみ人しらず『拾遺集』)

雲の記録201006242010年06月24日


2010年6月24日午後7時14分鎌倉市二階堂

夏至は過ぎてしまったが、日没の時刻はなお遅くなり続けている。今日の東京の日の入りは19時01分。鎌倉では19時15分になっても夕焼でなお明るかった。

2010年6月24日午後7時12分

東の空まで夕焼して、十三日の月が滲んでいた。

和歌歳時記:紅花(末摘花) Safflower2010年06月27日

紅花 京都府立植物園

紅花(べにばな)はキク科ベニバナ属の二年草。アフリカ原産といふ。古くから染料として各地で栽培され、日本には遅くとも飛鳥時代には渡来してゐたことが判明してゐる。
陽暦6月から7月、アザミに似た鮮黄色の花をつけ、やがて紅に色を深めてゆく。この小花を摘んで臙脂を作り、紅色の原料とする。

『古今集』 題しらず よみ人しらず

人しれず思へば苦し(くれなゐ)末摘花(すゑつむはな)の色にいでなむ

もはや苦しさに堪へきれない、紅あざやかに咲く末摘花のやうに、恋心をあらはにしてしまはう、といふ歌。
紅花(べにばな)を「末摘花(すゑつむはな)」とも呼ぶのは、茎の末の方から咲いてゆく花を順次摘み採るゆゑ。

紅花 京都府立植物園

源氏物語にこの名で呼ばれた女性は、常陸宮の「末(晩年)」にまうけた娘で、父から大層可愛がられたが、父の死後はひつそりと里住ひしてゐた。そんな境遇に関心を持つた光源氏は、親友の頭中将と競ひ合つた挙げ句に思ひを遂げる。久方ぶりの情事の翌朝、雪の光に照らされたその顔を初めて目にし、「普賢菩薩の乗物」すなはち象のやうに垂れた鼻が赤らんでゐるのに驚き呆れる。

『源氏物語・末摘花』

なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖にふれけむ

後日、光源氏が末摘花からの手紙の端に悪戯書きした歌。「慕はしい色といふのでもないのに、なぜにこの末摘花を袖に触れてしまつたのだらうか」。鼻先が紅い故宮の末娘を「末摘花」と綽名してたはむれたのである。
文字通り一朝にして醒めた恋であつたが、世慣れしない姫の風情を源氏はむしろ好ましく思ひ、また心細い身の上を哀れと思つて、世話をすることに心を決めたのだつた。
光源氏盛春の忘れがたい一エピソードである。

**************

  『万葉集』巻十(寄花) 作者未詳
よそのみに見つつ恋ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも

  『万葉集』巻十一(寄譬喩) 作者未詳
紅の深染(こそ)めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出むかも

  『式子内親王集』(恋)
わが袖の濡るるばかりはつつみしに末摘花はいかさまにせむ

  『新撰和歌六帖』(くれなゐ) 藤原為家
くれなゐの末咲く花の色深くうつるばかりも摘み知らせばや

  『大江戸倭歌集』(紅花) 小池言足
紅の末摘花のすゑはまた誰がよそほひの色をそふらむ

雲の記録201006272010年06月27日

2010年6月27日午後6時17分

夕方雨が上がり、涼しい風が吹き渡る。空の眺めの良い道を辿って、日が暮れるまで犬と散歩する。

白氏文集卷十六 階下蓮2010年06月28日

蓮の花

(きざはし)(もと)(はちす)    白居易

葉展影翻當砌月  葉()びては影(ひるがへ)(みぎり)に当れる月
花開香散入簾風  花(ひら)けては()散ず (すだれ)()る風
不如種在天池上  ()かず 天池(てんち)の上に()ゑて在らんには
猶勝生於野水中  ()(まさ)れり 野水(やすい)(うち)(しやう)ずるには

【通釈】蓮の葉が伸びて、汀の石に射す月光の下、その影がひるがえっている。
蓮の花が咲いて、簾へと吹き入る風の中、その香がまき散らされる。
天上の池に植えておくに如くはないが、
かと言って野中の泥水に生えるのよりはましだ。

【語釈】◇砌 池の岸などに石を敷いた所。石畳。◇天池 天上の池。◇野水 野中にある沼などを言う。

【補記】江州司馬に左遷されていた頃の作。自身を階下の蓮になぞらえ、「天池」に長安の都を、「野水」に左遷の地江州を暗に喩えたとみる説がある。和漢朗詠集巻上夏の「蓮」の部に初二句を採る。肥後の歌を始め「花入簾」「落花入簾」等の題で詠まれた歌は、おそらく掲出詩の第二句の影響を受けていると思われる(但し和歌では「花」は桜を指すことになる)。

【影響を受けた和歌の例】
玉簾ふきまふ風のたよりにも花のしとねを閨にしきける(肥後『肥後集』)
明け方は池の蓮もひらくれば玉のすだれに風かをるなり(藤原俊成『長秋詠藻』)
軒近き花橘の風ふれてすだれの内も香に匂ふなり(冷泉為村『為村集』)