白氏文集卷八 翫新庭樹、因詠所懷 ― 2010年05月28日
靄靄四月初
新樹葉成陰 新樹 葉は陰を成す
動搖風景麗 動揺して風景
蓋覆庭院深
下有無事人 下に事無き人有り
竟日此幽尋
豈唯翫時物
亦可開煩襟
時與道人語 時に
或聽詩客吟 或いは
度春足芳茗 春を
入夜多鳴琴 夜に入りて
偶得幽閑境
遂忘塵俗心 遂に
始知真隱者 始めて知る 真の隠者
不必在山林 必ずしも山林に在らざることを
【通釈】草木の気がたちこめる四月の初め、
新樹の葉は涼しい陰を成している。
風に揺れ動く風景はうるわしく、
緑におおわれた庭園は深々としている。
そのもとに無聊の人がいる。
終日、ここに幽趣を求めて過ごす。
何もただ季節の風物を賞美するだけではない。
悩みの多い胸襟を開くこともしよう。
時には僧侶と語り合い、
或いは詩人の吟に耳を傾ける。
春を過ぎても香ばしい茶は十分あり、
夜になればしきりと琴をかき鳴らす。
たまたま閑静な場所を手に入れて、
ついに俗世の汚れた心を忘れてしまった。
初めて知った、まことの隠者は、
必ずしも山林にいるわけでないことを。
【語釈】◇靄靄 草木の気が一面たちこめるさま。「藹藹」とする本もあり、その方が適切か。◇四月初 陰暦四月は初夏。その初めは、今のカレンダーで言えば五月初旬~中旬頃にあたることが多い。◇蓋覆 緑にすっかり覆われているさま。◇無事人 「無事の人」とも訓める。特にすることがない人。詩人自身を客観視して言う。◇幽尋 ひっそりとした趣を尋ねる。◇開煩襟 煩悶する胸の内を開いて人と接する。◇芳茗 「茗」は元来は茶の芽のこと。唐以後、茶を指す。◇真隱者 「真隱の者」とも訓める。白氏文集巻五の閑適詩「永崇裡觀居」には「真隱豈長遠」(真隠、豈に長遠ならんや)とある。
【補記】庭園の新樹をめで、感懐を詠じた、五言古詩による「閑適詩」。長慶四年(824)の作という。作者五十三歳。末四句「偶得幽閑境 遂忘塵俗心 始知真隠者 不必在山林」を句題に慈円・定家が、第二句「新樹葉成陰」を句題に三条西実隆が歌を残している。
【影響を受けた和歌の例】
柴の庵にすみえて後ぞ思ひ知るいづくもおなじ夕暮の空(慈円『拾玉集』)
つま木こる宿ともなしにすみはつるおのが心ぞ身をかくしける(藤原定家『拾遺愚草員外』)
浅みどり春見し色にひきかへてかへでかしはの露のすずしさ(三条西実隆『雪玉集』)
白氏文集卷六 首夏病閒 ― 2010年05月26日
首夏の病間 白居易
我生來幾時 我生まれてより
萬有四千日
自省於其閒 自ら其の
非憂即有疾 憂ひに
老去慮漸息
年來病初愈
忽喜身與心
泰然兩無苦 泰然として
況茲孟夏月
淸和好時節
微風吹裌衣 微風
不寒復不熱 寒からず
移榻樹陰下
竟日何所爲
或飲一甌茗 或いは
或吟兩句詩 或いは両句の詩を吟ず
内無憂患迫 内に
外無職役羈 外に
此日不自適 此の日
何時是適時
【通釈】私が生まれてから幾時が経ったのか。
一万と四千日だ。
自らその間を省みれば、
心に悩みがあるか、さもなければ病に苦しんできた。
老いて以来、憂慮することもようやく無くなり、
この数年は、病も癒えてきた。
ゆくりなくも、身と心と、
落ち着きを得て、二つながら苦しみのないことを喜ぶ。
ましてこの初夏の月、
清らかで和やかな好い季節。
そよ風が袷の衣服を吹き、
寒くもなく、また暑くもない。
長椅子を木陰の下に移し、
終日、することと言えば、
あるいは一碗の茶を喫し、
あるいは両句の詩を吟ずるばかり。
我が心の内に不安が迫ることもなく、
我が身は外で職務に縛られることもない。
今この日々を悠々と楽しまずして
いつが自適の時であろうか。
【語釈】◇老去 年を取って。◇孟夏月 陰暦四月。夏の最初の月。◇裌衣
【補記】元和六年(811)、四十の歳、病が癒え小康を保っていた頃の作。五言古詩による閑適詩。慈円・定家・寂身の作は「微風吹裌(袂)衣 不寒復不熱」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
夏の風になりゆく今日の衣手の身にしまぬ色ぞ身にはしみける(慈円『拾玉集』)
たちかふるわが衣でのうすければ春より夏のかぜぞすずしき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
朝まだき日影もうすき衣手にいつより風の遠ざかるらん(寂身『寂身法師集』)
白氏文集卷九 青龍寺早夏 ― 2010年05月23日
塵滅經小雨 塵は
地高倚長坡 地は高し
日西寺門外 日は西す
景氣含淸和 景気
閑有老僧立
靜無凡客過
殘鶯意思盡
新葉陰涼多
春去來幾日 春去りて
夏雲忽嵯峨
朝朝感時節
年鬢暗蹉跎
胡爲戀朝市
不去歸煙蘿 去りて
青山寸歩地
自問心如何
【通釈】小雨を経て塵は洗い流された。
丘陵に寄り添ってこの地は高い。
日は寺の門のかなた、西へ傾いた。
景色は清らかで和やかな気を含んでいる。
境内はひっそりとして、老僧のたたずむ姿がある。
しんとした中、参拝客の通る姿はない。
里に留まっていた鶯も、啼く意思は尽き、
木々の若葉は繁り、涼しげな陰が多い。
春が去って以来、幾日が経ったろう。
夏雲がにわかに峨々と聳え立つ。
朝毎に移りゆく季節を感じ、
年と共に鬢の毛はひそかに少しずつ衰えてゆく。
何ゆえ私はいつまでも俗世に恋々とし、
煙霧に包まれた山奥へと帰らないのか。
青々とした山は目睫の地にある。
自らに問う、私はどうしたいのかと。
【語釈】◇長坡 長い坂。丘の斜面。◇嵯峨 高く険しいさま。入道雲が険しい峰のように見えることを言う。◇年鬢 年と共に白くなってゆく鬢の毛。◇蹉跎 「蹉」「跎」共につまずく意。ためらいつつ進行するさま。◇朝市 朝廷と市場。名利を追う俗世間。◇煙蘿 煙は霧・霞、蘿はツタ・カズラの類。霧に包まれた、蔦の這う山奥。隠棲に適した地。
【補記】長安にあった青龍寺の初夏の景を詠む。白居易が自ら「感傷詩」に分類した五言古詩。制作年は未詳であるが、元和五年(810)か(新釈漢文大系)。慈円・寂身が「残鶯意思尽 新葉陰涼多」を句題に、定家が「新葉陰涼多」を句題に和歌を詠んでいる。また実隆のは「夏雲忽嵯峨」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
鶯の夏のはつ音をそめかへてしげき梢にかへるころかな(慈円『拾玉集』)
陰しげき楢の葉がしは日にそへて窓より西の空ぞ少なき(藤原定家『拾遺愚草員外』)
さそはれし花の香もなき夏山のあらぬみどりに鶯ぞ啼く(寂身『寂身法師集』)
おのづから雨をふくめる峰なれや照る日おさふる雲の一むら(三条西実隆『雪玉集』)
白氏文集卷十七 薔薇正開、春酒初熟。因招劉十九・張大・崔二十四同飮 ― 2010年05月13日
甕頭竹葉經春熟
階底薔薇入夏開
似火淺深紅壓架 火に似て
如餳氣味綠粘台
試將詩句相招去 試みに詩句を
儻有風情或可來
明日早花應更好
心期同醉卯時盃 心に期す
【通釈】甕のほとりの竹の葉が緑を増したように、甕の中の酒は春を経て熟し、
花は火に似て浅く深く紅に燃え、棚を圧するように咲いている。
酒は飴のように濃厚な風味で、その緑は甕を溢れ台に粘り付いている。
試みに詩句で以て客を招待してみよう。
もし情趣深ければ、あるいは訪ねてくれる人もあろう。
明朝の花は今日より更に美しいに違いない。
願わくば、共に朝酒の盃を交わし酔わんことを。
【語釈】◇竹葉 文字通り竹の葉を指すと共に、酒の異称でもある。和歌の掛詞の技法に同じ。◇早花 早朝に咲く花。◇卯時盃 卯時(午前六時頃)に飲む酒。
【補記】白氏版「酒とバラの日々」。『和漢朗詠集』巻上「首夏」に首聯が引かれている。『千載佳句』にも。また『栄花物語』『源氏物語』『堤中納言物語』や謡曲『養老』ほか、多くの作品が両句を踏まえ「甕のほとりの竹の葉」「階のもとの薔薇」に言及している。なお写真は中国原産の薔薇で、多くの品種のもととなった
【影響を受けた和歌の例】
【参考】『源氏物語』賢木
階のもとの
白氏文集卷十九 七言十二句、贈駕部呉郎中七兄 ― 2010年05月10日
七言十二句、
四月天氣和且淸 四月天気
綠槐陰合沙隄平
獨騎善馬銜鐙穩 独り善馬に
初著單衣支體輕 初めて
退朝下直少徒侶
歸舍閉門無送迎
風生竹夜窗閒臥 風の竹に
月照松時臺上行 月の松を照らす時
春酒冷嘗三數盞
曉琴閑弄十餘聲
幽懷靜境何人別 幽懐 静境
唯有南宮老駕兄 唯だ南宮の
【通釈】四月の天気はなごやかで、かつすがすがしい。
独り良馬に乗り、馬具の音も穏やかに、
初めて単衣の服を着て、体は軽やかだ。
朝廷を退出し宿直を終えて、従者も無く、
帰宅して門を閉ざせば、送り迎えの客も無い。
風が竹をそよがせる夜、窓辺に横になり、
月が松を照らす間、高殿の上をそぞろ歩く。
よく冷えた
暁には琴をひっそりと僅かばかりもてあそぶ。
この奧深く物静かな心境を誰が分かってくれるだろう。
ただ南宮に居られる駕部郎中の呉七兄のみである。
【語釈】◇四月 陰暦四月は初夏。◇綠槐 葉の出たエンジュの木。◇沙隄 隄は堤に同じ。長安の砂敷きの舗装道路。◇銜鐙 「銜」はくつわ(轡)。「鐙」はあぶみ。合せて馬具を言う。◇支體 肢體に同じ。◇春酒 冬に醸造し、春に飲む酒。◇南宮 尚書省。◇老駕兄 駕部郎中の呉七兄。白居易の同年の友人。
【補記】『和漢朗詠集』の「夏夜」に「風生竹夜窗閒臥 月照松時臺上行」が引かれ、殊に前句を踏まえた和歌が多い。慈円・定家の歌はいずれも句題和歌。両句は『千載佳句』『新撰朗詠集』にも見える。また「春酒冷嘗三數盞 曉琴閑弄十餘聲」が『千載佳句』に採られている。
【影響を受けた和歌の例】
秋きぬとおどろかれけり窓ちかくいささむら竹風そよぐ夜は(徳大寺実定『林下集』)
窓ちかき竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢(式子内親王『新古今集』)
松風に竹の葉におく露落ちてかたしく袖に月を見るかな(慈円『拾玉集』)
風さやぐ竹のよなかにふしなれて夏にしられぬ窓の月かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
窓ちかきいささむら竹風ふけば秋におどろく夏の夜の夢(藤原公継『新古今集』)
夕すずみやがてうちふす窓ふけて竹の葉ならす風のひとむら(飛鳥井雅経『明日香井集』)
竹の葉に風ふく窓は涼しくて臥しながら見る短か夜の月(宗尊親王『竹風和歌抄』)
風すさむ竹の葉分の月かげを窓ごしに見るよぞ更けにける(九条隆教『文保三年百首』)
くれ竹の夜床ねちかき風のおとに窓うつ雨はききもわかれず(二条為遠『新続古今集』)
竹になる音なき風も手にとりて扇にならす窓のかたしき(武者小路実陰『芳雲集』)
【参考】『源氏物語』胡蝶
雨はやみて、風の竹に鳴るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人々は、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、け近くもさぶらはず。
白氏文集卷十六 春末夏初 閒遊江郭 其二 ― 2010年05月05日
柳影繁初合
鶯聲澁漸稀
早梅迎夏結
殘絮送春飛
西日韶光盡
南風暑氣微
展張新小簟 新しき
熨帖舊生衣 旧き
綠蟻杯香嫩
紅絲膾縷肥
故園無此味
何必苦思歸 何ぞ必しも
【通釈】柳の葉は盛んに繁って、その影はついに重なり合い、
鶯の声は滞って、しだいに稀になった。
早生りの梅は夏を迎えて結実し、
残りの柳絮は春を見送るように飛び漂う。
西日のうららかな光は尽きたが、
南風のもたらす暑気はまだかすかだ。
夏用の新しい茣蓙を敷いて、
旧年の夏衣に
美酒を満たした杯の香は初々しく、
紅い糸のように切った
故郷の長安にこの味は無い。
どうして帰りたいと悩む必要があろう。
【語釈】◇韶光 うるわしい光。春の陽光。◇小簟 「簟」は竹で編んだ莚。◇生衣 生絹で仕立てたひとえの衣服。夏用の衣服。◇熨帖
【補記】晩春から初夏にかけて江州(江西省と湖北省南部にまたがる地域)に遊んだ時の詠。二首あるうちの第二首。白居易が江州に左遷されていたのは元和十年(815)から十三年まで。第二句を句題として大江千里・小沢蘆庵が歌を作っている。
【影響を受けた和歌の例】
鶯はときならねばや鳴く声のいまはまれらに成りぬべらなる(大江千里『句題和歌』)
鳴きとめぬ花の梢はうぐひすのまれになりゆく声にこそしれ(小沢蘆庵『六帖詠草』)
白氏文集卷十四 惜牡丹花 ― 2010年04月28日
牡丹花を惜しむ 白居易
惆悵階前紅牡丹
晩來唯有兩枝殘
明朝風起應吹盡 明朝風起らば
夜惜衰紅把火看 夜
【通釈】悲しいことだ、
夕暮、もう二枝しか残っていない。
明朝、風が吹けば散り尽くしてしまうだろう。
夜、衰えてゆく花の色を惜しみ、灯を手に見守るとしよう。
【補記】同題二首の第一首。自注に「翰林院北廳花下作」とあり、翰林院(皇帝の秘書の詰め所)での作と知れる。白居易が翰林学士となったのは元和二年(807)、三十六歳。『千載佳句』に第三・四句が引かれている。
【影響を受けた和歌の例】
ふかみ草あかずや今日もくれなゐの花のともしび夜もなほ見む(中院通村『後十輪院内府集』)
白氏文集卷四 牡丹芳(抄) ― 2010年04月27日
牡丹の
衞公宅靜閉東院 衛公の宅静かにして東院を閉ざし
西明寺深開北廊
戲蝶雙舞看人久
殘鶯一聲春日長
共愁日照芳難住 共に愁ふ 日照らして
仍張帷幕垂陰涼
花開花落二十日 花開き花落つ
一城之人皆若狂 一城の人皆狂へるが
【通釈】ひっそりとした衛公の邸宅は東院を閉ざしているが、
奧深い西明寺の境内では北の廊下を開放している。
牡丹の上を蝶が双つ戯れて舞い、人々はいつまでも花を眺めている。
里に留まっている鶯が一声鳴いて、春の日は長い。
人々は共に嘆く、日が照りつけて牡丹の色香の保ち難いことを。
そこで垂れ幕を張って涼しい影を落とす。
花が咲いて花が落ちる、その間二十日、
城中の人は皆物の怪に憑かれたかのようだ。
【語釈】◇衞公宅靜 「衛公」が誰を指すかは不明。「宅靜」と言うのは、家族総出で牡丹の花見に出かけているため。◇西明寺 長安にあった大寺院。牡丹の名所。◇北廊 北の渡り廊下。ここから牡丹の花園がよく見えたのであろう。◇残鴬 晩春になっても人里に留まっている鶯。
【補記】長編の新楽府より第二十五句から第三十二句までを抄出した。一首の主題はこの後にあり、「人心重華不重實(人心は華を重んじて実を重んぜず)」と当時の世相を批判し、諸士が農業の振興に取り組むべきことを諷している。「花開花落二十日」の句を踏まえたとおぼしい和歌が幾つか見られる。
【影響を受けた和歌の例】
咲きしより散りはつるまで見しほどに花のもとにて
植ゑたつる籬のうちの茂りあひてはつかに見ゆる深見草かな(源師光『正治初度百首』)
二十日まで露もめかれじ深見草さきちる花のおのが色々(藤原重家『重家集』)
咲き散るは程こそなけれ深見草はつかの月ぞおそく出でぬる(頓阿『続草庵集』)
夏のうちは花に色こきふかみ草はつかの露は月や待ちけん(三条西公条『称名院集』)
行く春をしたふ心のふかみ草花もはつかになりぬと思へば(三倉宜隆『大江戸倭歌集』)
【原詩全文】
牡丹芳 美天子憂農也
牡丹芳 牡丹芳 黄金蕊綻紅玉房 千片赤英霞爛爛 百枝絳點燈煌煌 照地初開錦繡段 當風不結蘭麝囊 仙人琪樹白無色 王母桃花小不香 宿露輕盈泛紫豔 朝陽照耀生紅光 紅紫二色間深淺 向背萬態隨低昂 映葉多情隱羞面 臥叢無力含醉妝 低嬌笑容疑掩口 凝思怨人如斷腸 穠姿貴彩信奇絶 雜卉亂花無比方 石竹金錢何細碎 芙蓉芍藥苦尋常 遂使王公與卿士 游花冠蓋日相望 庳車軟輿貴公主 香衫細馬豪家郎 衛公宅靜閉東院 西明寺深開北廊 戲蝶雙舞看人久 殘鶯一聲春日長 共愁日照芳難駐 仍張帷幕垂陰涼 花開花落二十日 一城之人皆若狂 三代以還文勝質 人心重華不重實 重華直至牡丹芳 其來有漸非今日 元和天子憂農桑 恤下動天天降祥 去歳嘉禾生九穗 田中寂寞無人至 今年瑞麥分兩歧 君心獨喜無人知 無人知 可歎息 我願暫求造化力 減卻牡丹妖豔色 少回卿士愛花心 同似吾君憂稼穡
白氏文集卷十七 十年三月三十日別微之於灃上…(抄) ― 2010年04月26日
十年三月三十日微之に
往事渺茫都似夢 往事は渺茫として
舊遊零落半歸泉 旧遊は零落して半ば
醉悲灑涙春杯裏
吟苦支頤曉燭前 吟の苦しみ、
【通釈】昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。
昔の友達は落ちぶれて、半ばは
酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、
詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている。
【補記】元和十年(815)三月三十日、白居易は灃水のほとりで親友の元稹(元微之)と別れたが、四年後の三月十一日夜、長江の峡谷で偶然再会し、舟を夷陵に停めて三泊したのち再び別れた。その時語り尽くせなかったことを書き、再び逢った時の話の種にしようとの思いから作ったのがこの詩だという。七言十七韻の長詩であるが、そのうち第十三~十六句のみを抄出した。「往事渺茫都似夢 舊遊零落半歸泉」が和漢朗詠集巻下「懐旧」に引かれ、この二句、あるいは「往事渺(眇)茫都似夢」「往事如夢」「往事似夢」「往事渺(眇)茫」などを題として少なからぬ和歌が詠まれた。また『善知鳥』『船橋』『松山鏡』などの謡曲にも引用されている。
【影響を受けた和歌の例】
さかづきに春の涙をそそきける昔に似たる旅のまとゐに(式子内親王『式子内親王集』)
思ひいづる昔は夢のうたた寝に友なき袖のぬれぬ日ぞなき(慈円『拾玉集』)
見しはみな夢のただぢにまがひつつ昔は遠く人はかへらず(藤原定家『拾遺愚草員外』)
むなしくてみそぢの夢はすぐしきぬ老のねざめもいまよりやせん(土御門院『土御門院御集』)
夢とのみすぎにしかたを偲ぶぶればうつせみの世や昔なるらん(藤原為家『為家一夜百首』)
見るままにうつつの夢となりゆくはさだめなき世の昔なりけり(葉室光俊『続後撰集』)
別れをばひと夜の夢とみしかども親のいさめぞたえて久しき(藤原顕氏『続拾遺集』)
来しかたの身の思ひ出も夢なれば憂きをうつつと今はなげかじ(法眼行済『続千載集』)
さだかなる夢よりもけにはかなきは過ぎこしかたのうつつなりけり(花山院師兼『師兼千首』)
思へなほ昔をぬれば見る夢の夢にさめたる仮のうつつぞ(正徹『草根集』)
きえねただ見し世ははてもしら雲のむなしき空にうかぶ面かげ(三条西実隆『雪玉集』)
思ひ出づる事も残らず夢なればさめしともなき我が寝覚かな(香川景樹『桂園一枝』)
【参考】源氏物語・須磨
夜もすがらまどろまず、文作りあかしたまふ。さ言ひながらも、ものの聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御かはらけまゐりて、「酔ひの悲しび涙そそく春の盃のうち」ともろ声に誦じたまふ。御供の人も涙をながす。おのがじしはつかなる別れ惜しむべかめり。
【原詩全文】
十年三月三十日別微之於灃上、十四年三月十一日夜、遇微之於峽中、停舟夷陵、三宿而別。言不盡者以詩終之。因賦七言十七韻以贈、且欲記所遇之地與相見之時、爲他年會話張本也。
灃水店頭春盡日 送君上馬謫通川 夷陵峽口明月夜 此處逢君是偶然 一別五年方見面 相攜三宿未回船 坐從日暮唯長歎 語到天明竟未眠 齒發蹉跎將五十 關河迢遞過三千 生涯共寄滄江上 郷國倶抛白日邊 往事渺茫都似夢 舊遊流落半歸泉 醉悲灑涙春杯裏 吟苦支頤曉燭前 莫問龍鍾惡官職 且聽清脆好文篇 別來只是成詩癖 老去何曾更酒顛 各限王程須去住 重開離宴貴留連 黃牛渡北移征棹 白狗崖東卷別筵 神女台雲閑繚繞 使君灘水急潺湲 風淒暝色愁楊柳 月吊宵聲哭杜鵑 萬丈赤幢潭底日 一條白練峽中天 君還秦地辭炎徼 我向忠州入瘴煙 未死會應相見在 又知何地複何年
白氏文集卷五十一 落花 ― 2010年04月23日
落花 白居易
留春春不住 春を
春歸人寂寞 春帰りて人
厭風風不定 風を
風起花蕭索 風
既興風前歎 既に風前の
重命花下酌 重ねて
勸君嘗綠醅 君に勧めて
教人拾紅萼 人をして
桃飄火燄燄 桃
梨墮雪漠漠 梨
獨有病眼花 独り
春風吹不落
【通釈】春を留めようとしても春は留まらない。
春は去って行き人はしょんぼりとしている。
風を嫌がっても風はおさまらない。
風が吹き立ち花は寂れている。
ついに風前の灯と老いの歎きを起こし、
またも花の下で酒宴を開かせる。
君に美酒を嘗めるよう勧め、
人に紅い花びらを拾わせる。
桃の花が翻って、燃え立つ火のようだ。
梨の花が散って、いちめん雪のようだ。
ただ、病んだ私の目を霞ませる花だけは、
春風が吹いても落ちずに留まっている。
【語釈】◇風前歎 風前の灯のように老い先短いことの歎き。◇綠醅 美酒。◇紅萼 紅い花びら。以下の句によって桃と分かる。◇眼花 白内障などによる、かすみ目。
【補記】大和三年(829)から同六年頃の作かという(新釈漢文大系)。慈円・定家の第一首は「留春春不留、春帰人寂寞」を、第二首は「厭風風不定、風起花蕭索」を句題とした歌。また法印憲実の歌は「留春春不留」の句題和歌。【参考】に挙げた野水の句は「留春春不留、春帰人寂寞」を題とする。
【影響を受けた和歌の例】
をしめどもとまらぬ今日はよしの山梢にひとりのこる春風(慈円『拾玉集』)
山ざくら風に成行く梢よりたえだえおつる滝のしらいと(同上)
春のゆく梢の花に風たちていづれの空をとまりともなし(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うらむとてもとの日かずのかぎりあれば人もしづかに花もとまらず(同上)
をしむにはよらぬならひと思ふだになほ歎かるる春の暮かな(法印憲実『閑月和歌集』)
【参考】
行春もこゝろへがほの野寺かな(岡田野水『詩題十六句』)




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