和歌歳時記:忘れ草 萱草(かんぞう/くわんざう) Daylily ― 2010年07月19日
和歌に「忘れ草」と詠まれてゐるのは、ユリ科の
忘れ草わが紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
万葉集巻三、大伴旅人。大宰府に在つて、故郷への慕情を断ち切りたいとの心情を詠んだ歌。
漢土で「忘憂草」すなはち「憂ひを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かつた故のやうだが、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでゐる。紐に付けるとは、いはば魂に結びつける擬態だらう。
忘れ草我が下紐に付けたれど
醜 の醜草 言 にしありけり
万葉集巻四、大伴家持。数年間の離絶を経て、再び文通を始めた頃、従妹で将来の妻
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忘れ草の若葉 |
平安時代の歌を見ると、やはり「恋を忘れる草」には違ひないが、少しニュアンスが異つてくる。藤原兼輔の作に、
かた時も見てなぐさまむ昔より憂へ忘るる草といふなり
とあり、そばに置いて眺めるだけで憂へを忘れる草に変はつてゐるのだ。また同じ頃には住吉の海辺が忘れ草の名所となつてゐて、紀貫之は
道しらば摘みにもゆかむ住の江の岸におふてふ恋忘れ草
と、長途の旅をも厭はずこの草を摘みに行きたいと歌つた(古今集墨滅歌)。
一般にワスレグサと呼ばれるのは薮萱草で、文字通り薮陰などで野生化してゐるのをよく見かける。黄色の条が入つた色合はなかなか美しいが、重弁で、ちよつとゴテゴテした、くどい感じのする花だ。対して一重の野萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂ひも忘れてしまひさうだ。下に掲げる写真は鎌倉の「萩の寺」として名高い宝戒寺の庭に咲いてゐた野萱草。
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野萱草の花 |
因みに忘れ草と正反対の名を持つ「忘れな草」はヨーロッパ原産のムラサキ科の多年草。淡い青紫色の可憐な花をつけるが、古典和歌には詠まれてゐない。
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『小町集』 小野小町
わすれ草我が身につまんと思ひしは人の心におふるなりけり
『古今集』(題しらず) よみ人しらず
恋ふれども逢ふ夜のなきは忘草夢ぢにさへやおひしげるらむ
『古今集』(詞書略) 素性法師
忘草なにをかたねと思ひしはつれなき人の心なりけり
『古今集』(詞書略) 壬生忠岑
すみよしと海人は告ぐとも長居すな人忘れ草生ふといふなり
『貫之集』(わすれぐさ) 紀貫之
うちしのびいざすみの江に忘れ草忘れし人のまたや摘まぬと
『後撰集』(詞書略) 紀長谷雄
我がためは見るかひもなし忘れ草わするばかりの恋にしあらねば
『拾遺集』(詞書略) よみ人しらず
わが宿の軒のしのぶにことよせてやがても茂る忘れ草かな
『後拾遺集』(住吉に参りてよみ侍りける) 平棟仲
忘れ草つみてかへらむ住吉のきしかたのよは思ひ出もなし
『金葉集』(恋歌よみけるところにてよめる) 源俊頼
忘れ草しげれる宿を来てみれば思ひのきよりおふるなりけり
『拾遺愚草』(恋) 藤原定家
下紐のゆふてもたゆきかひもなし忘るる草を君やつけけん
『夫木和歌抄』(嘉元元年百首、不逢恋) 冷泉為相
下紐につけたる草は名のみして心にかれぬ人の面影
『亜槐集』(切恋) 飛鳥井雅親
つまばやな忘れははてぬ忘れ草やすめて心またつくすとも
『晩花集』(恋の歌とて) 下河辺長流
我がためは摘むも拾ふもしるしなき恋忘れ草恋忘れ貝
『赤光』 斎藤茂吉
『秋天瑠璃』 斎藤史
思ひ草繁きが中の忘れ草 いづれむかしと呼ばれゆくべし
和歌歳時記:夏雲 Summer cloud ― 2010年07月18日
四時 陶淵明
春水滿四澤 春の水
夏雲多奇峰 夏の雲
秋月揚明輝 秋の月
冬嶺秀孤松 冬の嶺
陶潜作と伝はる詩にあるやうに、夏の季節感を最も際立たせるのが、青空に湧きあがる積雲・積乱雲だ。
『桂園一枝』 夏雲 香川景樹
おほぞらのみどりに靡く白雲のまがはぬ夏に成りにけるかな
梅雨が明けて、紺碧の夏空が広がる。碧が深ければ、雲の白はひときは映える。「白雲の」までの上句は、夏空の叙景であると共に、「まがはぬ」といふ語を導く序詞のはたらきを持つてゐる。
夏の雲と言へば入道雲だが、和歌や誹諧では(おそらく上記陶潜の詩の影響から)「雲の峰」と呼んだ。
『浦のしほ貝』 晩夏雲 熊谷直好
しら雲の峰も崩れて秋風にたなびく空となりにけるかな
芭蕉の「雲の峰幾つ崩れて月の山」を、晩夏の涼感に本句取りした歌。暑い季節は長いが、夏らしい夏は意外なほど短い。輝く白雲を目に焼き付けておかう。
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『玉葉集』(題しらず) 楊梅兼行
夏の日の夕かげおそき道のべに雲ひとむらの下ぞすずしき
『権大納言俊光集』(夏雲) 日野俊光
峰たかき山また山と見ゆるまで曇りかさぬる五月雨の雲
『草根集』(夏山雲) 正徹
夕立の晴れぬる山の岩根よりのぼるも消ゆる雲の一むら
『続亜槐集』(夏雲) 飛鳥井雅親
あつき日にしづかにのぼる峰の雲夕だちすべき空ぞ待たるる
『拾塵集』(夏雲) 大内正弘
あつき日にねがひし程は空晴れて月に成行く夕暮の雲
『雪玉集』(夏雲) 三条西実隆
花の色に見しはものかはほととぎす声待つころの峰の白雲
(旅)
夏の日はいく重の雲の峰たかみ行き疲れても暮れがたき空
『逍遥集』(夏暁雲) 松永貞徳
みじか夜のまだ明けぬまに葛城の雲の梯たれわたすらん
『通勝集』(夕立) 中院通勝
一むらの雲の峰より吹きおちて風にぞきほふ夕立の空
『うけらが花』(夏雲) 加藤千蔭
ひとすぢのけぶりと見しも時のまに千さとをわたる夕立の雲
『竹乃里歌』 正岡子規
海原に立つ雲の峰風をなみ群るる白帆の上をはなれず
『夕波』 中河幹子
音のしてたちまち遠き機影追ふみ空はすでに光る夏雲
『月華の節』 馬場あき子
雲の峰まさしく戦後遠けれど母惚けて空襲の日のみ記憶す
和歌歳時記:紅花(末摘花) Safflower ― 2010年06月27日
陽暦6月から7月、アザミに似た鮮黄色の花をつけ、やがて紅に色を深めてゆく。この小花を摘んで臙脂を作り、紅色の原料とする。
『古今集』 題しらず よみ人しらず
人しれず思へば苦し
紅 の末摘花 の色にいでなむ
もはや苦しさに堪へきれない、紅あざやかに咲く末摘花のやうに、恋心をあらはにしてしまはう、といふ歌。
源氏物語にこの名で呼ばれた女性は、常陸宮の「末(晩年)」にまうけた娘で、父から大層可愛がられたが、父の死後はひつそりと里住ひしてゐた。そんな境遇に関心を持つた光源氏は、親友の頭中将と競ひ合つた挙げ句に思ひを遂げる。久方ぶりの情事の翌朝、雪の光に照らされたその顔を初めて目にし、「普賢菩薩の乗物」すなはち象のやうに垂れた鼻が赤らんでゐるのに驚き呆れる。
『源氏物語・末摘花』
なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖にふれけむ
後日、光源氏が末摘花からの手紙の端に悪戯書きした歌。「慕はしい色といふのでもないのに、なぜにこの末摘花を袖に触れてしまつたのだらうか」。鼻先が紅い故宮の末娘を「末摘花」と綽名してたはむれたのである。
文字通り一朝にして醒めた恋であつたが、世慣れしない姫の風情を源氏はむしろ好ましく思ひ、また心細い身の上を哀れと思つて、世話をすることに心を決めたのだつた。
光源氏盛春の忘れがたい一エピソードである。
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『万葉集』巻十(寄花) 作者未詳
よそのみに見つつ恋ひなむくれなゐの末摘花の色に出でずとも
『万葉集』巻十一(寄譬喩) 作者未詳
紅の
『式子内親王集』(恋)
わが袖の濡るるばかりはつつみしに末摘花はいかさまにせむ
『新撰和歌六帖』(くれなゐ) 藤原為家
くれなゐの末咲く花の色深くうつるばかりも摘み知らせばや
『大江戸倭歌集』(紅花) 小池言足
紅の末摘花のすゑはまた誰がよそほひの色をそふらむ
和歌歳時記:梅の実 Japanese apricot fruits ― 2010年06月14日
関東地方にも今日梅雨入り宣言が出されたさうだ。青々と肥え緊まつた梅の実が、黄に紅に熟してゆく季節となつた。
『通勝集』 梅雨 中院通勝
花ならぬ香もなつかしみ袖かけん色づく梅の雨のしづくに
漢語「
『三草集』 五月雨 松平定信
梅の実は緑の中に色わきて紅にほふさみだれのころ
こちらは江戸時代も後期の歌。
梅の実の
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『万葉集』巻三(藤原八束が梅の歌)
妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ
『草根集』(山新樹) 正徹
花ならぬ山の林になる梅の実さへ若葉の色に匂へる
(梅雨)
雪と見し花にたがひて梅が枝の実を紅にそむる雨かな
『芳雲集』(梅雨) 武者小路実陰
降る雨の絶えぬ雫に落ちそひて実さへ数ある梅の
『霞関集』(さみだれ) 石野広通
かぞふれば年をふる木の梅の実の色づく雨もここに久しき
『省諐録』(感情歌) 佐久間象山
我ほしといふ人もがな梅の実の時し過ぎなば落ちや尽きまし
『志濃夫廼舎歌集』(梅子) 橘曙覧
雨つつみ日を経てあみ戸あけ見れば
(梅酒たまはりけるよろこび)
梅のみのいとすき人と言はば言へえならぬ味に酔ひぞ狂へる
(五月)
『つきかげ』 斎藤茂吉
くれなゐににほひし梅に
『冬びより』 谷鼎
つぶつぶと
和歌歳時記:蓮葉(はちすば) Lotus leaf ― 2010年06月03日
初夏、大きな葉を池に浮かせ始めた蓮は、やがて水面から茎を高く差し伸ばす。径40センチほどにもなる葉はよく水を弾き、表面に置いた水滴を風にころがす。
『古今集』 はちすの露をみてよめる 僧正遍昭
はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく
「はちす」は
沼や湿田に育ち、泥水に染まることなく清らかな花を咲かせる蓮。そんな清浄な心を持ちながら、どうして人を欺くやうな真似をするのか、と戯れた。
蓮が仏教と縁の深いことは言ふまでもないが、釈教の寓喩を籠めてゐるわけではあるまい。古今集では夏の部に入る歌だ。日頃見馴れた池の蓮に対する親しみをこめた、仏者らしい風流のまなざしと解したい。
夏も盛りとなれば、蓮池はびつしりと葉で覆はれ、熱帯的な風景を見せる。浮いてゐる葉は「
『金葉集』 水風晩涼といへる心をよめる 源俊頼
風ふけば蓮の浮葉に玉こえて涼しくなりぬ日ぐらしの声
『長秋詠藻』 夏 藤原俊成
小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉
夕立のあと、風と共に浮葉の上をすべり、こぼれてゆく露の白玉――そこへ蜩の声を響かせてさらに涼気を添えた俊頼の詠。小舟で池に乗り出し、手折った立葉の露の白玉を袖に移したいと願った俊成の詠。いづれも、蓮の葉とそこに置いた白露の清らかな美への憧れが、蒸し暑い日本の夏に一服の涼を求める心と結び付いてゐるやうだ。
なほ、晩秋から冬の枯れ蓮もよく歌に詠まれたが、別項で取り上げたい。
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『万葉集』巻十六(詠荷葉歌) 長意吉麻呂
蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは
『万葉集』巻十六 作者不明
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ
夕立の晴るれば月ぞ宿りける玉揺り据うる蓮の浮葉に 『玉葉集』(守覚法親王家五十首歌に) 藤原実房
夕されば波こす池のはちす葉に玉ゆりすうる風の涼しさ 『壬二集』(夏) 藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり 『新後拾遺集』(千五百番歌合に) 後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影 『新後拾遺集』(題しらず) 小倉実教
風かよふ池のはちす葉波かけてかたぶくかたにつたふ白玉 『玉葉集』(百首御歌の中に、蓮を) 伏見院
こぼれ落つる池のはちすの白露は浮葉の玉とまたなりにけり 『為尹千首』(池蓮) 冷泉為尹
池水に藻臥しの鮒や乱るらん蓮のうき葉のゆるぎ立ちぬる 『草根集』(荷露成珠) 正徹
池広き蓮の立葉のうつりゆく玉の林の露の下風 『春夢草』(蓮露) 肖柏
風ふけば露のしら玉はちす葉にまろびあひてもそふ光かな
『六帖詠草』(荷露似玉) 小沢蘆庵
玉かとてつつめば消えぬ蓮葉におく白露は手もふれでみん
いま過ぎし一村雨は蓮葉のうへの玉とも成りにけるかな
和歌歳時記:桐の花 Paulownia flower ― 2010年05月25日
桐の花は初夏を彩る最も美しい花の一つだ。しかし梢の高いところに咲くので、人目に触れる機会は少ない。道に落ちた大きな花に驚き、見上げれば薄紫の筒形の花を重ねて塔のやうに咲き聳えてゐる。
『六帖詠草』 小沢蘆庵
みどりなる広葉隠れの花ちりてすずしくかをる桐の下風
詞書は「いとながき日のつれづれなるに、おぼえずうちねぶるほど、かをる香におどろきたれば、桐の花なりけり」とある。散り落ちた桐の花に風が吹いて、その香に卒然と目覚めたといふのだ。桐の花の甘い香りは独特で、不意にかをれば誰しも驚くだらう。
桐は普通ゴマノハグサ科に分類される落葉高木。原産地は不明とも言ひ中国とも言ふ。日本には古く渡来したやうで、材として重宝されたため盛んに植栽され、また山野に野生化した。写真は吉野宮滝の崖に咲いてゐた桐の花。
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清少納言は桐の花を「紫に咲きたるはなほをかし」と言ひ、またその木を鳳凰の住む木として、琴の材になる木として、「いみじうこそめでたけれ」と賞賛してゐる。古くから愛された花木に違ひないのだが、この花を詠んだ古歌はきはめて少なく、私が調べた限りでは室町時代の正徹の歌が初例である。
近代に入つて、北原白秋は自身の記念碑的な処女歌集を『桐の花』と名付けた。同集の冒頭に置かれた小文「桐の花とカステラ」によれば、自身の「デリケエト」な官能に桐の花の「しみじみと」した「哀亮」を添へたかつたのだといふ。近代詩人の「常に顫へて居らねばならぬ」繊細な感覚に似つかはしい哀愁を象徴する風物として、白秋は桐の花を選んだやうだ。しかし当の集にこの花を詠んだ秀逸が含まれてゐるわけではない。その後も桐の花の絶唱を聞き知ることがないのは、この花を愛し敬してやまぬ私には寂しい限りだ。
殿づくり
竝 びてゆゆし桐の花 其角
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『草根集』(樗) 正徹
散り過ぎし
『桂園一枝拾遺』(五月雨) 香川景樹
桐の花おつる五月の雨ごもり一葉ちるだにさびしきものを
『調鶴集』(さ月ついたちばかり、山寺にまうでて) 井上文雄
清水くむ
『桐の花』北原白秋
桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな
『芥川龍之介歌集』
いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにをしへし桐の花はも
和歌歳時記:花橘(はなたちばな) Citrus flower ― 2010年05月22日
古語の「たちばな」は特にニホンタチバナを指すこともあるが、また食用柑橘類の総称を兼ねる。ミカンの仲間といふことだ。初夏に咲く白い花はどれもよく似てゐて、温州みかんやら夏みかんやら、柚子やら金柑やら、私にはさつぱり区別がつかない。写真は奈良県天理市、山の辺の道沿ひの果樹園で撮つたもの。
「たちばな」の名の由来は神話の
五月 待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
古今集、夏、よみ人しらず。
プルーストの『失はれた時を求めて』の語り手も紅茶に浸したマドレーヌの匂ひと味に触発されて「失はれた時」への旅に出発するが、匂ひといふものには遠い記憶を「たち」あげる不思議な力がある。
五月を待つて咲いた橘の花――その香をかいだ瞬間、ふいに昔の恋人の袖の香がした、といふ。「袖の香」とは、各種の香料を練り合はせて袖に染めた
橘の花は、陰暦五月といふ聖なる田植月、恋人たちが逢ふことを禁じられた忌み月を待つて咲くので、ましてやその香は切ない恋心を呼び起こしたことだらう。
この歌以後、花橘を詠んだ歌のほとんど全ては懐旧の情と結び付けて詠まれることになる。
『新千載集』 嘉元百首歌奉りける時、盧橘 贈従三位為子
袖の香は花橘にかへりきぬ面影みせようたたねの夢
うたた寝の夢に薫つた橘の花によつて、不意に昔の人の袖の香が甦つた。寝覚めて思ふ、香りだけでなく、いつそあの人の面影も見せてくれと。
前掲のよみ人しらず歌を、新古今集の式子内親王詠「かへりこぬ昔をいまと思ひ寝の夢の枕ににほふ橘」の夢の趣向を経由して本歌取りした、鎌倉時代末期の歌。現実には帰り来ることのない遠い恋ゆゑ、ただ夢に縋るしかない。さまざまな古歌の記憶を呼び起こし、重ね合はせて情趣を深めるところ、二条派和歌の真髄を見る思ひがする。
なほ、作者は間違はれやすいが、京極為兼の姉の為子でなく、二条為世の子で、後醍醐天皇との間に宗良親王を生んだ人。歌道家二条家の名花ともいふべき貴い閨秀歌人である。
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『万葉集』(花を詠める) 作者未詳
風に散る花橘を袖に受けて君が
雨間明けて国見もせむを故郷の花橘は散りにけむかも
『万葉集』(十六年四月五日独居平城故宅作歌) 大伴家持
橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこの宿
『詞花集』(世をそむかせ給てのち、花橘を御覧じてよませ給ける) 花山院
宿近く花橘は掘り植ゑじ昔をしのぶつまとなりけり
『後拾遺集』(花橘をよめる) 相模
五月雨の空なつかしく匂ふかな花橘に風や吹くらむ
『千載集』(百首歌めしける時、花橘の歌とてよませ給うける) 崇徳院
五月雨に花橘のかをる夜は月すむ秋もさもあらばあれ
『新古今集』(題しらず) 藤原俊成
誰かまた花橘に思ひ出でむ我も昔の人となりなば
『式子内親王集』
いにしへを花橘にまかすれば軒のしのぶに風かよふなり
『新古今集』(百首歌たてまつりし時、夏歌) 式子内親王
かへりこぬ昔をいまと思ひ寝の夢の枕ににほふ橘
『新古今集』(守覚法親王、五十首歌よませ侍りける時) 藤原定家
夕暮はいづれの雲のなごりとて花たちばなに風の吹くらむ
『千載集』(花橘薫枕といへる心をよめる) 藤原公衡
折しもあれ花橘の香るかな昔を見つる夢の枕に
『新古今集』(題しらず) 俊成卿女
橘のにほふあたりのうたたねは夢も昔の袖の香ぞする
『土御門院御集』(夏)
ももしきの庭の橘思ひ出でてさらに昔をしのぶ袖かな
『玉葉集』(題しらず) 宇都宮景綱
五月待つ花のかをりに袖しめて雲はれぬ日の夕暮の雨
『新続古今集』(延文百首歌に、盧橘) 二条為明
うたたねのとこ世をかけてにほふなり夢の枕の軒の橘
『永享百首』(橘) 後崇光院
袖の香を花橘に残してもわが昔には思ひ出もなし
『草根集』(盧橘) 正徹
風さそふ花橘をそらにしておほふも雲の袖の香やせん
『新続古今集』(百首歌奉りし時) 飛鳥井雅世
言の葉の花橘にしのぶぞよ代々のむかしの風の匂ひを
『南都百首』(橘) 一条兼良
いにしへをみきのつかさの袖の香や奈良のみやこにのこる橘
『十躰和歌』(古郷橘) 心敬
なき玉や古りにし宿に帰るらん花橘に夕風ぞ吹く
『晩花集』(たち花) 下河辺長流
『漫吟集類題』(橘) 契沖
橘の陰ふむ道にしのべども昔ぞいとど遠ざかりゆく
和歌歳時記:薔薇(さうび/しやうび) China rose ― 2010年05月13日
日本には薔薇の原生種がいくつかあり、「うばら」「いばら」と呼んでゐた。同じ薔薇の仲間でも、唐土から渡来したものは漢語「薔薇」を音読して「しやうび」「さうび」と呼び、在来種の薔薇とは別物と見てゐたやうだ。本章では、近代以降大量に渡来し栽培された西洋
古今集には「さうび」を題とした歌が見え、西暦10世紀初めには既に渡来してゐたことが知られる。
『古今集』 さうび 紀貫之
我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなる物といふべかりけり
「今朝
『原色牧野植物大圖鑑』によれば、平安時代に渡来して賞美された薔薇は
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庚申薔薇から作出された紅薔薇 |
和名が付かなかつたために、物名歌の題として以外滅多に詠まれない時代が続いたが、近世になると、
『
志濃夫廼舎 歌集』薔薇 橘曙覧羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな
「窓をうづめて」と言ふのは垣根に絡みついたさまだらうか。とすれば、当時流行した難波茨(ナニハイバラ)の白花などを想像しても良ささうだが、古歌の例からすると、やはり紅い薔薇と見るべきだらうか。いづれにせよ、華やかな薔薇の存在が、羽音をたてる蜂も「あたたか」に見せるといふ、初夏の窓を鮮やかにスケッチした歌だ。
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『西国受領歌合』 作者未詳
今年うゑて見るがをかしさ
色ふかくわきてか露のおきつらん今朝うひに咲く初花の色
『夫木和歌抄』(さうび) 権僧正公朝
『うけらが花後編』(さうび) 橘千蔭
鶯のあさうひごゑを鳴きつるはきのふと思ふに春ぞ暮れゆく
和歌歳時記:茨の花 (野茨・野薔薇) Wild rose flower ― 2010年05月11日
茨(うばら/むばら/いばら)は野生の薔薇。万葉集では「うばら」に「棘原」の字を宛て、刺のある小木の薮をかう呼んでゐたやうだが、のち特に野薔薇を指すやうにもなつた。野茨(のいばら)とも言ふが、これは我が国で最もよく見られる野生の薔薇の種名でもある。
我が国の野生の薔薇は、子孫の園藝種とは比べやうも無い、ささやかな小花だ。野茨の花の径はわづか2センチ程。しかし棘の多さに変はりはなく、『枕草子』に「むばら」を「名おそろしきもの」に挙げてゐるのも棘を連想させるゆゑだらう。香りは高く、和歌では芳香を賞美した作が少なくない。また白い清楚な花としても歌はれてゐる。
『亮々遺稿』 首夏川 木下幸文
ここかしこ岸根のいばら花咲きて夏になりぬる川ぞひの道
初夏、白い花が群をなして咲く点では卯の花も同じことであるが、野茨は卯の花のやうに花枝を差し伸べないため、ずつと控へ目な様子で咲いてゐる。しかし卯の花にはない芳香をもつので、遠くからでもその存在ははつきりと知られる。平生歩き慣れた「川ぞひの道」に夏が訪れた感懐を、これほど自然な感じでしみじみと歌ひ上げることができたのは、茨の花に着目したからこそであつた。
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『好忠集』(四月をはり) 曾禰好忠
なつかしく手には折らねど山がつの垣根のむばら花咲きにけり
『松下集』(陀羅尼品 令百由旬内無諸衰患) 正広
山がつやめぐりのうばら引捨てて花の色もる園の垣うち
『春夢草』(卯花) 肖柏
目にたてぬ垣根のむばら卯の花をうらやみ顔に咲ける野辺かな
『雪玉集』(夏) 三条西実隆
それとなきむばらの花も夏草の垣ほにふかき匂ひとぞなる
『挙白集』(夏の歌の中に) 木下長嘯子
道のべのいばらの花の白妙に色はえまさる夏の夜の月
『柿園詠草』(詞書略) 加納諸平
旅衣わわくばかりに春たけてうばらが花ぞ香ににほふなる
『草径集』(茨) 大隈言道
いばらさへ花のさかりはやはらびて折る手ざはりもなき姿かな
(棘)
卯の花の雪にまがふにまがひても川辺のいばら盛りなりけり
『海士の刈藻』(山王祭のかへさ志賀の山ごえにて) 蓮月
朝風にうばらかをりて時鳥なくや卯月の志賀の山越
『思草』佐佐木信綱
語らひし木かげやいづら古里の道たえだえに
『みだれ髪』与謝野晶子
『氷魚』島木赤彦
『烈風』前田夕暮
野茨ああ野ばらあるかなきかの微風のなかに私を歩ませる
『山桜の花』若山牧水
道ばたの埃かむりてほの白く咲く野茨の香こそ匂へれ
『銀』木下利玄
ほのほのとわがこころねのかなしみに咲きつづきたる白き野いばら
『芥川龍之介歌集』
刈麦のにほひに雲もうす黄なる野薔薇のかげの夏の日の恋
和歌歳時記:岩躑躅 いはつつじ Azalea on rock ― 2010年05月09日
晩春から初夏にかけて多彩な花の季節となるが、中でも親しみの深いのは躑躅の花だ。公園や民家の垣根ばかりでなく、街路樹としても植栽されてゐる。大気汚染にも剪定にも強いのだらう。街なかでよく見かけるのは
古歌に詠まれた躑躅は野生の山躑躅である。花は
『新続古今集』 建仁元年影供歌合に、水辺躑躅 藤原定家
竜田川いはねのつつじ影みえてなほ水くくる春のくれなゐ
建仁元年(1201)三月十六日、内大臣源通親の家で行はれた歌合に出詠された歌。歌意は明瞭だらう。古今集の在原業平詠「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を本歌取りして、竜田川をくくり染めにするのは秋ばかりではない、躑躅の影が川面に映つて春も紅の色に水を染めてゐる、としたもの。
岩躑躅が殊に賞美されたのは、黒い岩肌との対照で紅が烈しく引き立つといふこともあらうし、岩の間に根を張る生命力の強さが貴ばれたといふこともあらう。
恋歌に「岩躑躅」が好んで詠み込まれたのも、「言は(ず)」と頭韻を踏むといふばかりの理由とは思へない。
『古今集』 題しらず よみ人しらず
思ひ出づるときはの山の岩つつじ言はねばこそあれ恋しきものを
思ひ出す時――その「時」といふ名を持つ常磐の山の岩躑躅――その「いは」ではないが、言はないではゐるものの、心では恋しがつてゐるのです、といつた意。
「岩つつじ」までは「言は」を導く序詞で、主意は下句にのみあるが、では上句は全く無意味かと言ふと、さうとも言ひきれない。
「ときはの山」は「常磐の山」、永久不変の象徴である大岩の名を持つ山であり、その岩に咲いてゐる躑躅を言挙げするとは、ただごとではない。花は何も言はぬが、燃えるやうに咲いてゐる。言はぬからこそ、恋しさは劇しく燃え上がる。
この歌以後、岩躑躅の花は容易に恋の心と結び付くやうになり、次の和泉式部の歌なども、明らかに古今集の歌を匂はせてゐると思はれる。
『後拾遺集』 つつじをよめる 和泉式部
岩つつじ折りもてぞ見る背子が着し紅染めの色に似たれば
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『万葉集』 草壁皇子舎人
『金葉集』(晩見躑躅といへることをよめる) 摂政家参河
入日さす夕くれなゐの色みえて山下てらす岩つつじかな
『夫木和歌抄』(つつじ) 西行
神路山岩ねのつつじ咲きにけり子らが真袖の色に触りつつ
『拾遺愚草』(夏) 藤原定家
しのばるるときはの山の岩つつじ春のかたみの数ならねども
『竹風和歌抄』(躑躅) 宗尊親王
恋しくもいかがなからむ岩つつじ言はねばこそあれ有りしその世は
『永福門院百番自歌合』
岩がくれ咲けるつつじの人しれず残れる春の色もめづらし
『春霞集』(躑躅) 毛利元就
岩つつじ岩根の水にうつる火の影とみるまで眺めくらしぬ
『挙白集』木下長嘯子
わが心いくしほ染めつ岩躑躅いはねばこそあれ深き色香に
『漫吟集類題』(つつじ) 契沖
かげろふのいはねのつつじ露ながらもえなんとする花の色かな
『藤簍冊子』(躑躅花) 上田秋成
み吉野は青葉にかはる岩陰に山下照らしつつじ花さく
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