佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近16 生田神社~湊川神社 ― 2015年07月09日
写真は生田の森。 (c) OpenCage
生田神社
神戸市にあり。
昨日だに訪はむと思ひし津の国の生田の森に秋は来にけり
湊川神社
楠正成戦没の地。神戸市にあり。
かしこくも君が御夢に見ゆときけば消ん此身も何かいとはむ
石文となりて残れり湊川かれにし楠のかたき心は
補録
生田
摂津国八部郡。今の神戸市中央区三宮。生田神社がある。歌に詠まれた「生田の杜(森)」は神社境内の森であろう。『詞花集』の清胤の歌により秋風の名所とされ、また定家の歌によって紅葉の名所ともなった。「生く」または「行く」意を掛けることが多い。
津の国にすみ侍りけるころ、大江の為基任はててのぼり侍りにければ、言ひつかはしける
君すまばとはましものを津の国の生田の森の秋の初風
死なばやと思ひあかしの浦を出ていく田の森をよそにこそ見れ
秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の杜の露の下草
湊川
六甲山の背後に発し大阪湾に注ぐ。「みなと」に文字通り「湊」「水門」の意を掛けた場合も多いようである。
みなと川うき寝の床にきこゆなり生田のおくのさを鹿の声
みなと川夜ぶねこぎいづる追風に鹿のこゑさへ瀬戸わたるなり
春の行くとまりやいづこ湊川花とのみこそ波はたつらん
みなと川夏のゆくては知らねども流れてはやき瀬々のゆふしで
湊川秋ゆく水の色ぞ濃きのこる山なく時雨ふるらし
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近目次 ― 2015年07月11日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線1 須磨 ― 2015年07月11日
須磨
邂逅に問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守
月のすむ須磨の磯屋のしの簾こころありてや間遠なるらむ
須磨寺は桜紅葉に人見えて小春の海の遠ひびきかな
初雁もまだ尋ね来ぬ西須磨に秋のけしきを見する朝霧
月させばわびて住みけむそのかみの人ならなくに物歎かしき
武庫離宮
ほのかにも離宮のいらか輝けり月見山に白う薄月かかり
一の谷
源平両氏の古戦場、須磨駅に近し。
もののふのとりつたへたる梓弓ひきては人のかへすものかは
補録
須磨
須磨のあまの塩やくけぶり風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり
旅人は袂すずしくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風
恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん
友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし
五月雨は焚く藻のけぶりうちしめりしほたれまさる須磨の浦人
淡路島はるかに見つる浮雲も須磨の関屋にしぐれきにけり
須磨の海人の袖に吹き越す塩風の馴るとはすれど手にもたまらず
かたがたのまた思ひ出となりやせし月ここもとの須磨の浦波
月はいまうしろの山に出でぬらむあらはれ初むる須磨のうら浪
花見れば大宮の辺の恋しきと源氏に書ける須磨桜咲く
一の谷
もののふの落ち行く一の谷の水よわるも夢の須磨のうら浪
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線2 舞子・明石 ― 2015年07月13日
写真は夕暮の明石海峡。
舞子
駅は松林の中にあり。
春の海かもめが遊ぶ白帆ゆく舞子の浜は風ゆるやかに
舞子より明石にと行く小車にしたがひ走る淡路島かな
明石
明石海峡に臨む、人丸神社あり。
天ざかる鄙の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和洲見ゆ
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ
明石潟浦路はれゆく朝なぎに霧にこぎ入る海士の釣船
明石がた松の木かげに道はあれど磯づたひして若め拾はむ
播磨潟明石のと浪月てりて夜舟うれしき旅にもあるかな
言のはの玉ひろはばや秋の夜の月もあかしの浦づたひして
酔臥せる友を残してただ一人淡路にわたる夕月夜かな
千鳥なく明石の浜に白き石あまた拾ひて人を待つかな
補録
舞子
落葉掻く松の木の間を立ち出でて淡路は近き秋の霧かも
明石
明石海峡は畿内と西国を往き来する通り路なので、船旅の歌が多く詠まれた。「明し」と掛詞になることから、月の名所としても多くの歌に詠まれている。
灯火の明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば
月影のさすにまかせて行く舟は明石の浦やとまりなるらん
有明の月もあかしの浦風に波ばかりこそよると見えしか
霧のまに明石の瀬戸に入りにけり浦の松風音にしるしも
ながめやる心のはてぞなかりける明石の沖にすめる月影
夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づればはるかに送るさを鹿の声
月さゆる明石の瀬戸に風ふけば氷のうへにたたむ白波
ともしびの明石の沖の友舟もゆく方たどる秋の夕暮
明石潟色なき人の袖を見よすずろに月も宿るものかは
明石潟かたぶく月もゆく舟もあかぬ眺めに島がくれつつ
明石潟あみ引くうヘに天の川淡路になびき雲の穂に歿る
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