新刊のお知らせ(続報) ― 2015年08月07日
楽天Koboからも会津八一全歌集(旧字版・新字版)が発売されました。
新刊のお知らせ 会津八一全歌集 ― 2015年08月05日
『会津八一全歌集 新字版』、『會津八一全歌集 舊字版』をAmazonより出版しました。昭和26年刊本の電子復刊です。
楽天Koboでも刊行予定です。追ってお知らせ申し上げます。
画像をクリックするとAmazonの商品詳細ページに移動します。
今回、新しい試みとして「新字版」「旧字版」を揃えてみました。会津八一の歌は漢数字と外来語を除き全て平仮名で表記されているので、歌自体には新字も旧字もないのですが、序文や詞書などは荘重な文語体で書かれており、漢字が多いので、新字と旧字で随分感じが違ってくると思います。私自身は会津八一の文を新字体で読みたいとは思わないのですが、今なお新字体の会津八一全歌集は未刊行のようですので、新しい読者を獲得するきっかけになってくれれば、というような思いから、新字版を作ってみたものです。
関連書籍
会津八一全歌集(旧版)と同増補版
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線2 舞子・明石 ― 2015年07月13日
写真は夕暮の明石海峡。
舞子
駅は松林の中にあり。
春の海かもめが遊ぶ白帆ゆく舞子の浜は風ゆるやかに
舞子より明石にと行く小車にしたがひ走る淡路島かな
明石
明石海峡に臨む、人丸神社あり。
天ざかる鄙の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和洲見ゆ
ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ
明石潟浦路はれゆく朝なぎに霧にこぎ入る海士の釣船
明石がた松の木かげに道はあれど磯づたひして若め拾はむ
播磨潟明石のと浪月てりて夜舟うれしき旅にもあるかな
言のはの玉ひろはばや秋の夜の月もあかしの浦づたひして
酔臥せる友を残してただ一人淡路にわたる夕月夜かな
千鳥なく明石の浜に白き石あまた拾ひて人を待つかな
補録
舞子
落葉掻く松の木の間を立ち出でて淡路は近き秋の霧かも
明石
明石海峡は畿内と西国を往き来する通り路なので、船旅の歌が多く詠まれた。「明し」と掛詞になることから、月の名所としても多くの歌に詠まれている。
灯火の明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず
明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば
月影のさすにまかせて行く舟は明石の浦やとまりなるらん
有明の月もあかしの浦風に波ばかりこそよると見えしか
霧のまに明石の瀬戸に入りにけり浦の松風音にしるしも
ながめやる心のはてぞなかりける明石の沖にすめる月影
夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づればはるかに送るさを鹿の声
月さゆる明石の瀬戸に風ふけば氷のうへにたたむ白波
ともしびの明石の沖の友舟もゆく方たどる秋の夕暮
明石潟色なき人の袖を見よすずろに月も宿るものかは
明石潟かたぶく月もゆく舟もあかぬ眺めに島がくれつつ
明石潟あみ引くうヘに天の川淡路になびき雲の穂に歿る
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線1 須磨 ― 2015年07月11日
須磨
邂逅に問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねざめぬ須磨の関守
月のすむ須磨の磯屋のしの簾こころありてや間遠なるらむ
須磨寺は桜紅葉に人見えて小春の海の遠ひびきかな
初雁もまだ尋ね来ぬ西須磨に秋のけしきを見する朝霧
月させばわびて住みけむそのかみの人ならなくに物歎かしき
武庫離宮
ほのかにも離宮のいらか輝けり月見山に白う薄月かかり
一の谷
源平両氏の古戦場、須磨駅に近し。
もののふのとりつたへたる梓弓ひきては人のかへすものかは
補録
須磨
須磨のあまの塩やくけぶり風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり
旅人は袂すずしくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風
恋ひわびてなく音にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらん
友千鳥もろ声に鳴く暁はひとり寝ざめの床もたのもし
五月雨は焚く藻のけぶりうちしめりしほたれまさる須磨の浦人
淡路島はるかに見つる浮雲も須磨の関屋にしぐれきにけり
須磨の海人の袖に吹き越す塩風の馴るとはすれど手にもたまらず
かたがたのまた思ひ出となりやせし月ここもとの須磨の浦波
月はいまうしろの山に出でぬらむあらはれ初むる須磨のうら浪
花見れば大宮の辺の恋しきと源氏に書ける須磨桜咲く
一の谷
もののふの落ち行く一の谷の水よわるも夢の須磨のうら浪
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近目次 ― 2015年07月11日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近16 生田神社~湊川神社 ― 2015年07月09日
写真は生田の森。 (c) OpenCage
生田神社
神戸市にあり。
昨日だに訪はむと思ひし津の国の生田の森に秋は来にけり
湊川神社
楠正成戦没の地。神戸市にあり。
かしこくも君が御夢に見ゆときけば消ん此身も何かいとはむ
石文となりて残れり湊川かれにし楠のかたき心は
補録
生田
摂津国八部郡。今の神戸市中央区三宮。生田神社がある。歌に詠まれた「生田の杜(森)」は神社境内の森であろう。『詞花集』の清胤の歌により秋風の名所とされ、また定家の歌によって紅葉の名所ともなった。「生く」または「行く」意を掛けることが多い。
津の国にすみ侍りけるころ、大江の為基任はててのぼり侍りにければ、言ひつかはしける
君すまばとはましものを津の国の生田の森の秋の初風
死なばやと思ひあかしの浦を出ていく田の森をよそにこそ見れ
秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の杜の露の下草
湊川
六甲山の背後に発し大阪湾に注ぐ。「みなと」に文字通り「湊」「水門」の意を掛けた場合も多いようである。
みなと川うき寝の床にきこゆなり生田のおくのさを鹿の声
みなと川夜ぶねこぎいづる追風に鹿のこゑさへ瀬戸わたるなり
春の行くとまりやいづこ湊川花とのみこそ波はたつらん
みなと川夏のゆくては知らねども流れてはやき瀬々のゆふしで
湊川秋ゆく水の色ぞ濃きのこる山なく時雨ふるらし
新刊のお知らせ ― 2015年06月16日
拙著『大伴家持小伝』、佐佐木信綱著『校註金槐和歌集』、北原白秋著『真珠抄』をAmazonより出版しました。後二者は電子復刊です。
後日、楽天Kobo等でも刊行予定ですが、まだ期日は未定です。
画像をクリックするとAmazonの商品詳細ページに移動します。
『大伴家持小伝』はウェブサイト『波流能由伎』の一コンテンツ「家持アルバム」に少し手を加えたものです。
これに伴い、「家持アルバム」は削除しました。
以前にも書いたと思いますが、今後、読みもの的なコンテンツは安価な電子書籍に移行し、ウェブサイトは資料的なものを中心として少しずつリニューアルしてゆく所存です。
コンテンツの削除は予告なくされますので、必要な方がいらっしゃいましたら、今のうちにダウンロードして保存しておいて下さい。
佐佐木信綱の『校註金槐和歌集』は、建暦三年本(定家所伝本)を初めて底本とした校注本として画期的な著作です。古書も入手困難な状態ですので、電子書籍として復刊したものです。
現在『金槐和歌集』のテキストとして最も広く流布しているのは斎藤茂吉校訂の岩波文庫版でしょうが、これは江戸時代の板本である貞享本を底本としており、原編者(おそらく実朝自身)の意図を正しく伝えるテキストではありません。本文に違いが多いのみならず、貞享本系統の本では後人による改竄とも言うべき配列変えがなされているのです。
白秋の『真珠抄』は、私の愛蔵書の電子復刊です。原本はわずか40余ページ、まるで可愛らしい絵本のようですが(上の写真を参照下さい)、短歌でも俳句でもない「短唱」を提唱した詩集として、日本短詩形の歴史において特異な位置を占めます。自由律俳句の荻原井泉水などにも衝撃を与えたとして文学史上名高い詩集であるにもかかわらず、白秋のアンソロジーでは省かれてしまうことが多いのは残念です。
原著は装幀といいレイアウトといい、本の隅々にまで白秋のこだわりが感じられます。それを電子書籍でどれだけ再現できるかというチャレンジでもありました。
電子書籍用の表紙は新しいものを作り(印度更紗ならぬバリ島更紗が素材)、原著の表紙・挿絵・裏表紙は高精細カラー画像として収録しました。
原本の複製は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにて閲覧可能です。
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近15 神戸・布引滝 ― 2015年06月15日
(写真はいわゆる「イメージ写真」です。)
神戸
兵庫の地を併せて今神戸市となれり。
淡路島かたぶく月のかげさえて和田のみ崎に時雨ふるなり
朝風に八十帆にほへり津の国の敏馬の崎の初夏の雲
黒き煙灰色の煙白き煙碇泊船にからみなびけり
月見草咲きつづきたる草の根にあゆみてよれば舞立つ雲雀
布引滝
神戸市北方の山中に懸れり。
久方の天つをとめがなつ衣雲井にさらす布引のたき
布引の滝のたきつ瀬音にきく山のいはほを今日見つるかも
補録
神戸
福原に遷都の時、野分して侍りし朝に、権中納言実守卿の許へ申しつかはし侍りし
とへかしなまだ住みなれぬ都にて野分にあへる宿のけしきを
福原の都うつり侍りしとき、月おもしろき夜、浜にいでてよめる
しほ風に浦さえわたる秋の月ふるき都の人にみせばや
夕づく日わだの岬をこぐ舟の片帆にひくや武庫の浦風
あづまやの摩耶山おろしさえさえて和田の岬に雪降りにけり
浜遠き和田のみさきの波のうへに羽打ちふれてたづ鳴きわたる
行く舟の和田の岬をめぐるまは波にいざよへ夕月の影
敏馬
神戸市灘区岩屋付近。万葉集の「敏馬」は誤って「としま」とも読まれたため、摂津国の歌枕として「としま」も生まれた。
玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ
妹と来し敏馬の崎を帰るさに独りし見れば涙ぐましも
島づたひ敏馬の崎をこぎみれば大和恋ほしく鶴さはに鳴く
ふりにけりとしまの海人の浜びさし浪間に立ちもよらましものを
布引滝
神戸市中央区。山陽新幹線新神戸駅の裏にあたる。四つの滝があるが、現在、布を晒したように見える最も美しい滝は、雄滝であろう。
こきちらす滝の白玉ひろひおきて世の憂き時の涙にぞかる
我が世をば今日か明日かと待つかひのなみだの滝といづれ高けむ
貫き乱る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
水の色のただ白雲と見ゆるかな誰さらしけむ布引の滝
みなかみの空に見ゆるは白雲の立つにまがへる布引の滝
雲ゐよりつらぬきかくる白玉をたれ布引の滝といひけん
みなかみは雲のいづくも見えわかず霞みておつる布引の滝
白妙になびくいさごの山風もあまた落ちそふ布引の滝
暮れゆかばいざ此の山に待ち出でん月の光もぬのびきの滝
布引の滝のひびきと思ひしを生田の森にしぐれきにけり
白妙の雲ゐに見えぬ山姫のこころをつくす布引のたき
春幾世岩をつつめるしらきぬに霞たちそふ布引の滝
少女子が天の川瀬にあらふとてながしやすてし布びきの滝
布引の滝のしら浪峰こえて生田に落つるゆふだちの雨
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近14 住吉~武庫 ― 2015年06月14日
神戸市街より摩耶山・六甲山を望む。
住吉
六甲山の南麓
住吉や霧の中より浮びくる夢の白帆に心をどりぬ
はろばろと来し住吉の君が家緋桃匂へり青き海みゆ
六甲山
住吉駅の北方に聳ゆ。
山高み空にかゝれる月さへもものいふばかり親しげにみゆ
摩耶山
六甲山西方の山、寺あり 天上寺といふ。
海霞む南おもてを登りきて雲の但馬の国見するかな
武庫
しばらくは都となりし津の国の武庫の浦わの初雁の声
朝まだき武庫の川原は霧こめて駒のひづめの音のみぞする
補録
住吉
狭霧より灘住吉の灯を求め求め難きは求めざるかな
六甲山
古くは武庫山、武庫の山とも称した。
木の葉ふく武庫の山風立ちぬらしあやしや軒に海士の釣船
葦の葉に夕霧たちぬ難波潟むこの山辺も色づきぬらむ
月にこぐ夜舟はるかに音すみて鹿のねおろすむこの山かぜ
海のかぜ南より吹けば六甲の高根の草はみな花となれり
六甲の峰はいづくに尽くるらむ行けば行く先の高き草山
武庫
「武庫の泊」「武庫の浦」は武庫川河口付近。武庫川は兵庫県篠山市より大阪湾に注ぐ。
住吉の得名津に立ちて見渡せば武庫の泊ゆ出づる船人
武庫の浦を榜ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつともしき小舟
武庫川の水脈をはやみと赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも
玉はやす武庫の渡りに天づたふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ
武庫の海の庭よくあらし漁りする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ
武庫の浦をなぎたる朝に見わたせば眉もみだれぬ阿波の島山
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近13 蘆屋 ― 2015年06月13日
写真は芦屋浜。背景は東神戸大橋と六甲山地。
これより東海道本線に還りて、大阪湾の北岸を神戸に向ふ。
蘆屋
蘆屋駅所在地。(水垣注:現在は「芦屋」と書く。)
いさり火の昔の光ほのみえて蘆屋の里に飛ぶ蛍哉
あしや潟海松拾ふ子にこととはん眉ひきたるや紀路の遠山
補録
蘆屋
水垣注:蘆屋(芦屋)は和歌では侘しげな旅泊地として詠まれることが多かった。「蘆屋」は蘆で編んだ粗末な仮小屋をも意味したからである。また業平がこの地で詠んだ歌(初出は伊勢物語)により蛍の名所ともされた。
葦の屋の菟原処女の奥つ城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
蘆の屋のなだの塩焼いとまなみ黄楊の小櫛もささず来にけり
晴るる夜の星か川辺の蛍かも我がすむかたに海人のたく火か
はるかなる芦屋の沖のうき寝にも夢路はちかき都なりけり
ながめやる心のはてぞなかりける芦屋の沖にすめる月影
芦の屋に蛍やまがふ海人やたく思ひも恋も夜はもえつつ
ほのぼのと我がすむかたは霧こめて芦屋の里に秋かぜぞ吹く
いつもかくさびしきものか津の国の芦屋の里の秋のゆふぐれ
芦屋潟波のいづくもあらはれて夕日にかへる沖のつり舟
立ちまがふ蘆屋の里の夕がすみ花に宿とふ行方のみかは
波のうへに月かたぶけば浦千鳥とぶかげうつる芦の屋の窓









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