三體詩 咸陽城東樓 ― 2010年09月05日
一上高城萬里愁 一たび高城に
蒹葭楊柳似汀洲
溪雲初起日沈閣
山雨欲來風滿樓
鳥下綠蕪秦苑夕 鳥は
蟬鳴黄葉漢宮秋 蝉は
行人莫問当年事
故國東來渭水流 故国より
【通釈】咸陽の高城に上ってみると、果てしない愁いに襲われる。
荻や葦、柳が茂り、あたかも川の中洲のように寂れている。
太陽は高殿に沈み、谷から雲が湧き起こって来た。
風が楼に吹き寄せ、山から雨が訪れようとしている。
秦の庭園の夕暮、青々とした荒草の上に鳥が舞い降りる。
漢の宮都の秋、黄に色づいた葉の陰で蝉が鳴いている。
道行く人よ、往時のことを問うてくれるな。
秦は滅びたが、その故地から東へと、渭水は今も流れている。
【語釈】◇蒹葭 水辺に生える丈の高い草の類。蒹は荻の、葭は葦の、いずれも穂の出ていないものを言う。◇汀洲 川の中洲。◇綠蕪 夏の間に繁った雑草。◇秦苑 秦代の庭園。◇漢宮 漢の宮都、長安。咸陽城から東南方向に望まれる。◇故國 昔あった国、すなわち秦。◇渭水 渭河。陜西省の中央を流れ、黄河に合流する。流域に秦や漢の都が置かれた。
【補記】秦の都であった咸陽の古城の東楼に上っての景を叙し、秦に都があった時代を偲んだ詩。和漢朗詠集巻上夏「蝉」の題に「鳥下緑蕪秦苑寂 蝉鳴黄葉漢宮秋」が引かれている。
【作者】
【影響を受けた和歌の例】
夕さればみどりの苔に鳥降りてしづかになりぬ苑の秋風(宗尊親王『竹風抄』)
白氏文集卷十二 長恨歌(五) ― 2010年09月01日
長恨歌(承前) 白居易
風吹仙袂飄颻舉 風吹きて
猶似霓裳羽衣舞
玉容寂寞涙瀾干
梨花一枝春帶雨
【通釈】風が吹いて、仙女の袂は踊るようにひるがえり、
かつて宮殿に奏した霓裳羽衣の舞を思わせる。
玉のかんばせは精気に乏しく、涙がとめどなく溢れ、
あたかも春雨に濡れた一枝の梨の花だ。
【補記】第九十七句から百句まで。仙宮を訪れた方士の前に、玉妃(楊貴妃の魂魄)が姿をあらわす。「梨花一枝春帯雨」の句は名高く、『平家物語』などの古典文学に引用されている。以下の歌はすべて同句を踏まえた歌である。
【影響を受けた和歌の例】
春の雨にひらけし花の一枝を波にかざして生の浦梨(俊成卿女『建保名所百首』)
聞きわたる面影見えて春雨の枝にかかれる山なしの花(藤原為家『新撰和歌六帖』)
露はらふ色しをれても春雨はなほ山なしの花の一枝(正徹『草根集』)
含情凝睇謝君王 情を含み
一別音容兩眇茫
昭陽殿裡恩愛歇
蓬莱宮中日月長
迴頭下視人寰處
不見長安見塵霧 長安を見ず
【通釈】玉妃は思いを籠め、瞳を凝らして謝辞を述べる。
「ひとたびお別れしてから、お声もお顔も渺茫と霞んでしまいました。
昭陽殿(注:漢の成帝が愛人を住まわせた宮殿の名を借りる)の内で頂いた恩愛は尽き、
ここ蓬莱宮の中にあって長い歳月が過ぎました。
頭をふりむけて、下の人間世界を望みましても、
長安の都は見えず、ただ塵と霞が立ち込めているばかり」。
【補記】第百一句から百六句まで。玉妃から帝への伝言を叙す。高遠の歌は「蓬莱宮上日月長」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
ここにてもありし昔にあらませば過ぐる月日も短からまし(藤原高遠『大弐高遠集』)
唯將舊物表深情
鈿合金釵寄將去
釵留一股合一扇
釵擘黄金合分鈿
但敎心似金鈿堅
天上人閒會相見 天上
【通釈】「今はただ、昔の持ち物で、私の深い心をお示ししたく、
金のかんざしは二つに裂き、小箱は身と蓋に分けて、
かんざしの一つと、小箱の片割れを手許に留めます。
もしこのかんざしの金や小箱の螺鈿のように心が堅固でありましたなら、
天上界と人界と、別れていてもいつか必ずお会いできるでしょう」。
【補記】第百七句から百十二句まで。引き続き玉妃から帝への伝言を叙す。
臨別殷勤重寄詞 別れに臨んで
詞中有誓兩心知
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 天に在りては 願はくは
在地願爲連理枝 地に在りては 願はくは
天長地久有時盡 天長く地久しきも 時有りて
此恨綿綿無絶期 此の恨みは
【通釈】別れに臨み、玉妃はねんごろに重ねて言葉を贈る。
その中に帝と交わした誓いごとがあった。二人だけが知る秘密だ。
ある年の七月七日、長生殿(注:華清宮の中の御殿)で、
夜半、おつきの人も無く、ささめごとを交わした時、
「天にあっては、願わくば翼をならべて飛ぶ鳥となり、
地にあっては、願わくば一つに合さった枝となろう」と。
天地は長久と言っても、いつか尽きる時がある。
しかしこの恨みはいつまでも続き、絶える時はないだろう。
【補記】第百十三句より百二十句まで。「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の両句はことに名高く、これを踏まえた和歌は数多い。
【影響を受けた和歌の例】
・「誓両心知」の句題和歌
たなばたや知らば知るらん秋の夜のながき契りは君も忘れじ(源道済『道済集』)
・「七月七日長生殿」の句題和歌
かつ見るに飽かぬ嘆きもあるものを逢ふよ稀なる七夕ぞ憂き(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥」の句題和歌
おぼろけの契りの深きひととぢや羽をならぶる身とはなるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在地願為連理枝」の句題和歌
さしかはし一つ枝にと契りしはおなじ深山のねにやあるらむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」の影響歌
木にも生ひず羽もならべで何しかも浪路へだてて君をきくらん(伊勢『拾遺集』)
君と我この世ののちののちもまた木とも鳥ともなりて契らん(二条太皇太后宮大弐『二条太皇太后宮大弐集』)
恋ひ死なば鳥ともなりて君がすむ宿の梢にねぐらさだめむ(崇徳院『久安百首』)
鳥となり枝ともならんことのはは星のあふ夜や契り定めし(正徹『草根集』)
枝かはす木にだに生ひぬ山梨の花は涙の雨ぞかかれる(下河辺長流『林葉累塵集』)
・「此恨綿綿無絶期」「此恨綿綿」の句題和歌
ありての世なくてののちの世も尽きじ絶えぬ思ひの限りなければ(藤原高遠『大弐高遠集』)
岩根さす筑波の山は尽きぬとも尽きむ世ぞなきあかぬ我が恋(源道済『道済集』)
・その他
月も日も七日の宵のちぎりをば消えぬほどにもまたぞ忘れぬ(伊勢『伊勢集』)
七夕の逢ひ見し夜はの契りこそ別れてのちの形見なりけれ(藤原実定『林下集』)
七夕は今も変はらず逢ふものをそのよ契りしことはいかにぞ(藤原俊成『為忠家初度百首』)
ふみ月のそのかねごともまぼろしの便りよりこそ世に知られけれ(石野広通『霞関集』)
白氏文集卷十二 長恨歌(四) ― 2010年08月31日
長恨歌(承前) 白居易
臨邛方士鴻都客
能以精誠致魂魄
爲感君王展轉思 君王が
遂敎方士慇勤覓 遂に
排空馭氣奔如電
昇天入地求之遍 天に昇り地に
上窮碧落下黄泉 上は
両處茫茫皆不見 両処
【通釈】ここに臨邛(注:四川省の邛州の県名)出身の方士(注:神仙の術を行う人)がいて、長安の都に仮寓していた。
すぐれた神通力で魂魄を招く術をよくする者であったが、
帝の展転反側として眠れぬ思いに感じ入ったというので、
かくて、その方士に妃の魂魄を詳しく探索させることとなった。
方士は虚空を押し開き、気を自由に操って、稲妻のごとく天がけり、
天に昇ったり地に潜ったり、あまねく楊貴妃の魂を尋ね求めた。
上は蒼天の果てから、下は黄泉の国まで、
しかしいずれも茫々と広く、妃の姿は見つからない。
【補記】第七十五句より八十二句まで。物語は後半に入り、幻術士による楊貴妃の魂魄捜索のさまが叙される。
【影響を受けた和歌の例】
・「昇天入地求之遍」の句題和歌
思ひやる心ばかりはたぐへしをいかにたぐへむ幻の世を(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「露碧落不見」の句題和歌
やるかたもなかりし心まぼろしを待つにはまさる思ひそひけり(源道済『道済集』)
・その他
思ひあまりうち
忽聞海上有仙山
山在虛無縹緲閒 山は虚無
樓殿玲瓏五雲起
其上綽約多仙子 其の上に
中有一人名玉妃 中に
雪膚花貌參差是 雪の
【通釈】ふと耳にしたことには、海上に仙人の住む山があり、
縹渺と霞む太虚の間に浮んでいるという。
高殿は玉のように輝き、湧き上がる五色の雲の中に聳えて、
その上に嫋やかな仙女たちがあまた住んでいる。
中に一人、玉妃という名の者があり、
雪のように白い肌、花のような容貌、果たしてこれがその人であろうか。
【補記】第八十三句から八十八句まで。幻術により楊貴妃らしき仙女を探し当てるまでを叙す。「まぼろし」(幻術士)による魂の探索という主題の和歌は少なくなく、いずれも白詩の影響下にある。高遠の歌は「忽聞海上有仙山」の句題和歌。他の歌はいずれも白詩の幻術士の条を踏まえた作である。
【影響を受けた和歌の例】
しるべする雲の船だになかりせば世をうみなかに誰か知らまし(伊勢『伊勢集』)
尋ねずはいかでか知らむわたつうみの波間にみゆる雲の都を(藤原高遠『大弐高遠集』)
たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく(『源氏物語・桐壺』)
まぼろしのつてに聞くこそ悲しけれ契りしことは夢ならねども(藤原為忠『続詞花集』)
消えのこる露のうき身のおきどころ蓬が島をたづねてぞしる(藤原秀能『如願法師集』)
なき玉のありかは聞きついかにして身をまぼろしになしてゆかまし(三条西実隆『雪玉集』)
金闕西廂叩玉扃
轉敎小玉報雙成 転じて
聞道漢家天子使 聞く
九華帳裡夢中驚
攬衣推枕起徘徊
珠箔銀屏邐迤開
雲鬢半偏新睡覺
花冠不整下堂來
【通釈】方士は宮殿の西の
さて小玉という少女をして腰元の双成に取り次がしめた。
漢の皇帝の使者であるとの知らせを聞き、
玉妃は花模様の
上衣を取り、枕を押しのけ、起き上がってそぞろ歩き回り、
真珠のすだれ、銀の屏風がつぎつぎに押し開かれる。
雲のように豊かな鬢の毛が一方に片寄り、まだ眠りから醒めたばかりの様子で、
花の冠も整えずに、御殿を下りて来た。
【補記】第八十九句より九十六句まで。夢うつつのまま寝殿から出て来る妃のありさまを妖艶に叙す。高遠の歌は「九華帳裏夢中驚」の句題和歌。長方のは題「楊貴妃」。
【影響を受けた和歌の例】
うたた寝のさめてののちの悔しきは夢にも人を見さすなりけり(藤原高遠『大弐高遠集』)
まぼろしは玉のうてなに尋ねきて昔の秋の契りをぞきく(藤原長方『玉葉集』)
白氏文集卷十二 長恨歌(三) ― 2010年08月30日
歸來池苑皆依舊 帰り来たれば
太液芙蓉未央柳
對此如何不涙垂
芙蓉如面柳如眉 芙蓉は
春風桃李花開日
秋雨梧桐葉落時
【通釈】都の宮殿に帰って来ると、林泉は皆昔のままで、
太液の池には蓮の花、未央の宮には柳の枝。
これらを目の前に、どうして落涙せずにおられよう。
蓮の花は亡き妃のかんばせのよう、柳の葉は眉のよう。
春風が吹き、桃や
秋雨が降り、梧桐の葉が落ちる時も、妃を思わずにはいられない。
【補記】第五十七句より六十二句まで。乱が収まり長安の宮城に戻った皇帝の哀傷の日々。季節は春から秋へ移る。和漢朗詠集巻下恋に「春風桃李花開日 秋雨梧桐叶落時」が引かれている。以下、句題別に影響歌を挙げる。
【影響を受けた和歌の例】
・帰来池苑皆依旧(池苑依旧)
からころも涙に濡れてきてみればありしながらの秋は変はらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
草も木も昔ながらの宿なれど変はらぬものは秋の白露(源道済『道済集』)
・太液芙蓉未央柳
はちすおふる池は鏡と見ゆれども恋しき人の影はうつらず(藤原高遠『大弐高遠集』)
・秋露梧桐葉落時
木の葉散る時につけてぞなかなかに我が身のあきはまづ知られける(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他(句題を提示していない歌)
帰りきて君おもほゆる蓮葉に涙の玉とおきゐてぞみる(伊勢『伊勢集』)
西宮南苑多秋草
落葉滿階紅不掃 落葉
梨園弟子白髮新
椒房阿監靑娥老
【通釈】西の内裏や南の庭園には秋の色づいた草が多く、
歌舞団の練習生たちも白髪頭になり始め、
後宮の女房たちの青蛾の眉も老けてしまった。
【補記】第六十三句より六十六句まで。宮城の寂寞たる秋、そして歳月のうつろいを叙す。
【影響を受けた和歌の例】
・「西宮南門多秋草」の句題和歌
九重のたまのうてなもあれにけりこころとしける草の上の露(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「宮葉満階紅不掃」の句題和歌
落ちつもる木の葉木の葉はおのづから嵐の風にまかせてぞ見る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
くれなゐに払はぬ庭はなりにけり悲しきことの葉のみつもりて(伊勢『伊勢集』)
恋ひわぶる涙の色のくれなゐをはらはぬ庭の秋の紅葉ば(平親清四女『親清四女集』)
冬きては何を形見とながめまし浅茅が原も霜枯れにけり(平忠度『忠度集』)
夕殿螢飛思悄然 夕べの
秋燈挑盡未能眠 秋の
遲遲鐘漏初長夜
耿耿星河欲曙天
鴛鴦瓦冷霜華重
舊枕故衾誰與共
悠悠生死別經年
魂魄不曾來入夢
【通釈】夕暮の御殿に蛍が舞い飛び、帝の思いは悄然とする。
秋の燈火は尽きて、なお眠りにつくことができない。
のろのろと時の鐘が鳴って、夜が長くなったと感じる。
天の川が煌々と輝く夜空を眺めるうち、ようやく明け方が近づく。
旧のままの枕と敷物、共にする人はもういない。
遥かに隔たる生と死。別れて幾年か経ったが、
妃の魂が夢に入って来たことは一度もない。
【補記】第六十七句より七十四句まで。秋の長夜を明かす皇帝の孤独。和漢朗詠集巻上秋「秋夜」に「遲遲鐘鼓初長夜 耿耿星河欲曙天」、巻下恋に「夕殿螢飛思悄然 孤灯挑盡未成眠」が引かれ、それぞれ多くの句題和歌が作られた。以下、句題別に影響歌を挙げる。
【影響を受けた和歌の例】
・夕殿蛍飛思悄然
思ひあまり恋しき君が魂とかける蛍をよそへてぞみる(藤原高遠『大弐高遠集』)
・夕殿蛍飛思悄然、秋灯挑尽未能眠
君ゆゑにうちも寝ぬ夜の床のうへに思ひを見する夏虫のかげ(慈円『拾玉集』)
暮ると明くと胸のあたりも燃えつきぬ夕べのほたる夜はのともし火(藤原定家『拾遺愚草員外』)
夏虫の影にはまがふともし火もおよばざりける身の思ひかな(寂身『寂身法師集』)
・遅遅鐘漏初長夜、耿耿星河欲曙天
鐘の音をねざめてきくや秋ならむ袖にまぢかき天の川なみ(慈円『拾玉集』)
鳥のねをとしもふばかり待ちし夜の鳴きてもながき暁の空(藤原定家『拾遺愚草員外』)
・旧枕故衾誰与共
うちわたし独りふす夜のよひよひは枕さびしきねをのみぞ泣く(藤原高遠『大弐高遠集』)
如何にせん重ねし袖をかたしきて涙にうくは枕なりけり(慈円『拾玉集』)
床の上に旧き枕も朽ちはててかよはぬ夢ぞ遠ざかりゆく(藤原定家『拾遺愚抄員外』)
露しげき蓬が閨のひまとぢてふるき枕に秋風ぞ吹く(寂蓮『千五百番歌合』)
・その他(句題を提示していない歌)
玉簾あくるもしらで寝しものを夢にも見じとゆめ思ひきや(伊勢『伊勢集』)
(2010年8月31日訂正)
白氏文集卷十二 長恨歌(二) ― 2010年08月29日
驪宮高處入靑雲
仙樂風飄處處聞
緩歌慢舞凝絲竹
盡日君王看不足
漁陽鼙鼓動地來
驚破霓裳羽衣曲 驚かし破る
【通釈】
この世ならぬ音楽が風におどって処々に聞こえる。
ゆるやかな歌舞に合せ、琴や笛の音が長く引き、
終日、帝は御覧じて飽きることが無い。
その時、漁陽(注:今の北京あたり)からの陣太鼓が大地を轟かせてやって来、
【補記】第二十七句より三十二句まで。歓楽の絶頂の時、安禄山の乱が起こり、叛乱軍が迫ったことを叙す。高遠の歌は「尽日君王看不足」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
見ても猶あかぬこころのこころをばこころのいかに思ふこころぞ(藤原高遠『大弐高遠集』)
九重城闕煙塵生
千乘萬騎西南行
翠華搖搖行復止
西出都門百餘里 西のかた
六軍不發無奈何
宛轉娥眉馬前死
花鈿委地無人収
翠翹金雀玉掻頭
君王掩眼救不得 君王
廻看涙血相和流
【通釈】並び立つ宮門に煙塵が舞い上がり、
千の車と万の騎馬が蜀めざし西南へ落ちて行く。
天子の旗はゆらゆらと進んでは止まる。
都の城門を出て西へ百余里、
近衛軍は進発せず、なすすべもなく、
ゆるやかに弧を描く眉の佳人は、帝の馬前で息絶えた。
美しい金の髪飾りは地に捨てられ、拾う人もない。
翡翠の羽飾りも、黄金の孔雀飾りも、玉のかんざしも。
帝は目を覆ったまま、妃を救うすべもない。
かえりみる顔には、涙と血がひとつになって流れている。
【補記】第三十三句より四十二句まで。玄宗皇帝一行の都落ちと、
【影響を受けた和歌の例】
・「花鈿委地無人収」の句題和歌
はかなくて嵐の風に散る花を浅茅が原の露やおくらん(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王掩眼救不得」の句題和歌
いかにせん命のかなふ身なりせば我も生きては帰らざらまし(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
もみぢ葉に色見えわかず散るものは物思ふ秋の涙なりけり(伊勢『伊勢集』)
かくばかり落つる涙のつつまれば雲のたよりに見せましものを(伊勢『伊勢集』)
道の辺に駒ひきわたす程もなく玉の緒絶えむ契りとや見し(二条太皇太后宮大弐『夫木和歌抄』)
黄埃散漫風蕭索
雲棧縈廻登劍閣
峨嵋山下少行人
旌旗無光日色薄
蜀江水碧蜀山靑
聖主朝朝暮暮情
行宮見月傷心色
夜雨聞猿斷腸聲
【通釈】黄色い土埃が立ち込め、風が物凄く吹く中、
雲まで続く桟道は折り曲がりつつ剣閣山(注:蜀の北門をなす難所)を登ってゆく。
蛾嵋山麓の成都には道ゆく人も無く、
天子の旗に射す光も弱々しい。
蜀江の水は紺碧で、蜀の山々は青々としている。
聖なる帝は朝夕に眺めては思いに沈む。
仮宮にあって月の光を仰いでは心を傷め、
夜の雨に猿の叫び声を聞いては断腸の思いがする。
【補記】第四十三句より五十句まで。蜀の成都へ逃げのびた玄宗一行と、亡き妃への思慕に明け暮れる皇帝の日常。和漢朗詠集巻下恋に「行宮見月傷心色 夜雨聞猿腸斷聲」が引かれ、これを句題に多くの歌が詠まれた。以下、句題別に影響歌を挙げる。
【影響を受けた和歌の例】
・聖主朝暮之慕情
朝夕にしのぶ心のしるしには天がけりても君がしらなむ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・行宮見月傷心色(行宮見月)
思ひやる心も空になりにけりひとり有明の月をながめて(藤原高遠『新勅撰集』)
見るままに物思ふことのまさるかな我が身より
いかにせん慰むやとて見る月のやがて涙にくもるべしやは(慈円『拾玉集』)
浅茅生や宿る涙の紅におのれもあらぬ月の色かな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
うき色の草の葉ごとに見ゆるかな月もいかなる露にすむらん(寂身『寂身法師集』)
・夜雨聞猿断腸声
木の下の雨に鳴くなる
恋ひてなく高嶺の山の夜の猿おもひぞまさる暁の雨(藤原定家『拾遺愚草員外』)
天旋日轉廻龍馭 天
到此躊躇不能去
馬嵬坡下泥土中
不見玉顏空死處
君臣相顧盡霑衣 君臣
東望都門信馬歸 東のかた
【通釈】やがて天下の情勢が一変し、帝の馬車は都へ取って返すが、
この場所へ至って、足踏みして立ち去ることができない。
ここ
楊貴妃が空しく死んだ場所に、あの美しい顔を見ることは無い。
帝も臣下も、互いに振り返っては、一人残らず涙で衣を濡らす。
東の方へ、都の城門をめざし、馬の歩みにまかせて帰って行った。
【補記】第五十一句より五十六句まで。叛乱の首謀者安禄山が殺害され、長安が官軍によって恢復されると、玄宗一行は都への帰路に就くが、途中、楊貴妃が死んだ場所に戻ると、立ち去り難く、君臣こぞって涙に昏れる。長恨歌前半の山場であり、この場面を本説として多くの和歌が詠まれた。
【影響を受けた和歌の例】
・「不見玉顔」の句題和歌
思ひかね別れし人をきてみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『道済集』)
・「馬嵬坡下泥土中」の句題和歌
世中をこころつつみのくさのはにきえにしつゆにぬれてこそゆけ(藤原高遠『大弐高遠集』)
・「君王相顧尽霑衣」の句題和歌
せきもあへぬ涙の川におぼほれてひるまだになき衣をぞ着る(藤原高遠『大弐高遠集』)
・その他
思ひかね別れし野辺を来てみれば浅茅が原に秋風ぞ吹く(源道済『詞花集』)
ふるさとは浅茅が原と荒れはてて夜すがら虫のねをのみぞなく(道命『後拾遺集』)
みがきおく玉のすみかも袖ぬれて露と消えにし野辺のかなしき(藤原定家『拾遺愚草』)
白氏文集卷十二 長恨歌(一) ― 2010年08月28日
漢皇重色思傾國
御宇多年求不得
楊家有女初長成
養在深窗人未識
天生麗質難自棄 天生の
一朝選在君王側
廻眸一笑百媚生
六宮粉黛無顏色
【通釈】漢の皇帝は猟色が甚だしく、絶世の美女を欲した。
即位してより長年尋ね探したが、見つからない。
楊家に娘があり、ようやく成長したばかり。
邸の奥深く大切に育てられて、世の人はまだ知らない。
天成の美貌は自然と捨て置かれずにはいず、
ある日選ばれて帝の側に仕えることとなった。
瞳をめぐらして一たび微笑めば、艶情限りなく溢れ、
後宮の女たちの化粧顔も見すぼらしいばかり。
【補記】元和元年(806)、長安西郊の地方事務官であった白居易三十五歳の時の長編叙事詩、全百二十句。ここでは便宜上、幾つかの段落に分けた。第一段落は冒頭八句、楊貴妃が後宮に入るまでの序章。「漢皇」とは、唐の玄宗を漢の武帝に仮託しての謂。以下に引用した三首は全て「養在深窓(閨)人未識」の句を主題としたもの。
【影響を受けた和歌の例】
玉だれの
知るらめや
春寒賜浴華淸池 春寒くして
溫泉水滑洗凝脂
侍兒扶起嬌無力
始是新承恩澤時
雲鬢花顏金歩搖
芙蓉帳暖度春宵
春宵苦短日高起
從此君王不早朝
【通釈】まだ春寒い日、華清の池で沐浴を賜わった。
なめらかな温泉の湯が、つややかな白い肌をすすぎ清める。
侍童が助け起こすけれど、なまめかしくもぐったりとしている。
まさにこの日が新たに情愛を受けた時であった。
雲なす豊かな鬢の毛、花のかんばせ、歩めば揺れる金のかんざし。
蓮の花を縫い取った帳のうちは暖かで、春の宵は過ぎてゆく。
春の夜の短さが恨めしく、起きるのは日も高くなってから。
この時以後、帝は早朝の
【補記】第九句より第十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝と結ばれ、皇帝の溺愛を受けるようになるまでを叙す。高遠の歌は「春宵苦短日高起」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
朝日さす玉のうてなも暮れにけり人と寝る夜のあかぬなごりに(藤原高遠『大弐高遠集』)
承歡侍寢無閑暇
春從春遊夜專夜 春は
後宮佳麗三千人
三千寵愛在一身 三千の
金屋粧成嬌侍夜
玉樓宴罷醉和春
姉妹弟兄皆列土
可憐光彩生門戸 憐れむ
遂令天下父母心
不重生男重生女
【通釈】
春は春の遊びに従い、夜は一晩じゅう帝を独り占めする。
後宮の美女はあわせて三千人、
三千人分の寵愛がただ一人に集まっていた。
黄金づくりの御殿で化粧を済ますと、あでやかに夜のお勤めをし、
玉楼の宴が終れば、酒に酔って春の夜気に溶け込んでいる。
ああ、一族は光輝くような栄誉に包まれた。
遂には世の
男子より女子を生むことを尊ばしめた。
【補記】第十七句より第二十六句まで。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛を一身に集め、一族が栄光に包まれるまでを叙す。高遠・道済の歌はいずれも「三千寵愛在一身」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
我ひとりと思ふ心も世の中のはかなき身こそうたがはれけれ(藤原高遠『大弐高遠集』)
ももしきの君が
白氏文集卷九 新秋夕 ― 2010年08月26日
西風飄一葉
前庭颯已涼
秋池明月水
衰蓮白露房
其奈江南夜 其れ江南の夜を
綿綿自此長
【通釈】西風が一枚の木の葉をひるがえし、
庭先をさっと吹き過ぎて、涼しくなった。
秋の冷やかな池水は明月を映し、
衰えた蓮は実の穴に白露を宿している。
いったい江南の夜をどう過ごそう。
これから延々と長夜が続くのだ。
【語釈】◇西風 五行説では秋は西に当たるので、西風は即ち秋風である。◇前庭 庭前とする本もある。◇秋池 風池とする本もある。
【補記】早秋の夕べの情趣を詠んだ詩。那波本は題「新秋」。実隆・蘆庵の歌はいずれも初句「西風飄一葉」の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
吹く風のたよりもいかで桐の葉のわが身ひとつの秋となりなん(三条西実隆『雪玉集』)
あへず散る桐の一葉のことわりも身にしる老の秋の初風(小沢蘆庵『六帖詠草』)
白氏文集卷六十六 初入香山院對月 ― 2010年08月23日
初めて
老住香山初到夜 老いて香山に住むに 初めて到る夜
秋逢白月正圓時 秋
從今便是家山月 今
試問清光知不知 試みに問ふ
【通釈】老いて香山に隠居しようと、初めて訪れた夜、
秋、白い月があたかも真円の時に逢う。
これからは、これが我が家郷の山の月なのだ。
ためしに尋ねよう、清らかな月よ、そのことを御存知かどうか。
【語釈】◇香山院 洛陽の龍門の東にあった香山寺。◇老住 隠居し、終の住処とすること。
【補記】太和六年(832)秋、初めて香山寺に入り、月に対して詠じた詩。作者六十一歳。以後、白居易は香山寺の僧と親しく交際し、香山居士を名乗った。初二句が『新撰朗詠集』巻上秋「月」の部に採られている。家経の歌は「居易初到香山心」を題とする句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
いそぎつつ我こそ来つれ山里にいつよりすめる秋の月ぞも(藤原家経『後拾遺集』)
三體詩 秋夜宿僧院 ― 2010年08月22日
禪寂無塵地
焚香話所歸 香を焚いて 帰する所を
樹搖幽鳥夢 樹は
螢入定僧衣 蛍は
破月斜天半
高河下露微
翻令嫌白日
動即與心違
【通釈】瞑想の静けさに満ち、塵ひとつない清浄の地。
香を焚きつつ、おのれの帰依する経説を語る。
樹は梢にひそむ鳥たちの夢を揺らし、
蛍は座禅に耽る僧の衣に忍び込む。
欠けた月が中天に傾き、
天の川が微かな露を落とす。
夜の僧院は、却って白日を厭わしく思わせる。
ともすれば己の本心に背くことが多いから。
【語釈】◇禪寂 「禪」は心静かに瞑想すること。◇定僧 瞑想に耽り、禅定の境地に入った僧。◇破月 欠けた月。◇高河 天の川。◇白日 白昼。日中。◇動即與心違 日中は雑念が多いゆえ、自分自身を見失いがちであるということ。
【補記】秋の夜、僧院に宿って詠んだという詩。『三体詩』は南宋の周弼の撰になる唐詩撰集で、成立は淳祐十年(1250)と伝わる。七言絶句・七言律詩・五言律詩の三体の詩のみを収録する。日本には南北朝時代初め頃に伝わり、広く愛読された。康安の頃(1361~1362)に成立した『頓阿句題百首』で「蛍入定僧衣」を句題に頓阿らが和歌を競作している。
【作者】
【影響を受けた和歌の例】
時しもあれうらなる玉やあらはるる蛍ぞやどる苔の衣手(頓阿『頓阿句題百首』)
影見えぬ心の水のすみ染をありとや袖に蛍とぶらん(良守上人)
とぶほたる山を出づべき星なれや暁ふかき苔のたもとに(僧都良春)
飛ぶ蛍なれてぞかよふ袖をだに払はぬばかり静かなる夜に(頓宗)
影うつす心の水やしづかなる袖の蛍の玉やそふらん(周嗣)
白氏文集卷十四 贈内 ― 2010年08月20日
漠漠闇苔新雨地
微微涼露欲秋天
莫對月明思往事
損君顏色減君年 君が
【通釈】果てしもなく苔に覆われた、雨上りの大地。
うっすらと涼しげな露が降りる、秋になろうとする天。
月明かりに向かって、昔を偲んではいけない。
あなたの容色を損ない、あなたの寿命を縮めるだろうから。
【語釈】◇漠漠 果てしないさま。◇闇苔 びっしりと覆っている苔。
【補記】晩夏、妻を思い遣って贈った詩。『千載佳句』巻上晩夏の部に初二句が引かれている。在原業平の名高い歌は第三・四句と一見よく似ているの一応掲げておいたが、業平の歌は天体としての「月」と歳月としての「月」をわざと同一視してみせた諧謔的趣向に眼目があり、趣旨は白詩と全く異なるものである。土御門院の御製は第三句の句題和歌。
【影響を受けた和歌の例】
おほかたは月をもめでしこれぞこのつもれば人の老いとなるもの(在原業平『古今集』)
袖の月に昔の秋な思ひ出でそそれゆゑにこそ影もやつるれ(土御門院『土御門院御集』)



最近のコメント