白氏文集卷十五 歳晩旅望 ― 2009年12月14日
歳晩旅望 白居易
朝來暮去星霜換
陰慘陽舒氣序牽
萬物秋霜能壞色
四時冬日最凋年
煙波半露新沙地
鳥雀羣飛欲雪天
向晩蒼蒼南北望 晩に向ひ
窮陰旅思兩無邊
【通釈】朝が来ては夕が去り、歳月は移り変わる。
陰気と陽気が往き交い、季節は巡る。
万物に対しては、秋の霜がひどくその色をそこなう。
四季のうちでは、冬の日が最も一年を衰えさせる。
煙るような水面に新しい砂地が半ばあらわれ、
小鳥たちが雪もよいの空を群なして飛んでゆく。
夕べ、蒼々と昏れた空に北方を望めば
冬の果ての陰鬱も旅の憂愁も、限りなく深い。
【語釈】◇朝来暮去 日々が繰り返すこと。◇星霜 年月。歳月。◇陰惨陽舒 陰気と陽気。曇って傷ましい気候と、晴れて穏やかな気候。◇気序 季節の順序。四季。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇新沙地 新しい砂地。◇鳥雀 鳥と雀。里にいる小鳥。◇蒼蒼 夕空の蒼く澄み切ったさま。◇南北望 南北方向に望む。つまりは北の長安の都を望郷する。◇窮陰 冬の果ての陰気。◇旅思 旅愁。「離思」とする本もある。
【補記】元和十年(815)の暮、旅中にあって晩冬の景を眺め、旅の思いを述べた詩。「萬物秋霜能壞色 四時冬日最凋年」の二句が和漢朗詠集の巻上冬、「霜」の部に引かれる。次に引用する和歌は、すべて「萬物秋霜能壞色」を句題とした作である。
【影響を受けた和歌の例】
秋の色を冬の物にはなさじとて今日よりさきに霜のおきける(慈円『拾玉集』)
下草の時雨もそめぬ枯葉まで霜こそ秋の色はのこさね(藤原定家『拾遺愚草員外』)
暮れてゆく秋を思はぬ常磐木も霜にはもるる色なかりけり(寂身『寂身法師集』)
雲ゐゆくつばさも冴えて飛ぶ鳥のあすかみゆきのふるさとの空(土御門院『玉葉集』)
夕こりの雲もむれゐる雪もよにねぐらや鳥のおもひ立つらん(望月長孝『広沢輯藻』)
白氏文集卷十六 香鑪峯下、新卜山居、草堂初成、偶題東壁 ― 2009年12月11日
日高睡足猶慵起 日高く
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聽
香鑪峯雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍爲送老官
心泰身寧是歸處 心
故鄕何獨在長安
【通釈】日は既に高く、眠りはたっぷり取ったが、それでも起きるのは億劫だ。
高殿の部屋で掛布団を重ねているから、寒さは怖くない。
遺愛寺の鐘は枕を斜めに持ち上げて聞き、
香鑪峰の雪は簾をはねあげて眺める。
蘆山とはこれ名利を忘れ去るところ、
司馬とはこれ余生を過ごしやる官職。
心身ともに穏やかであることこそ、安住の地。
故郷はどうして長安に限られようか。
【語釈】◇香鑪峯 香爐峰とも。廬山(江西省九江県)の北の峰。峰から雲気が立ちのぼるさまが香炉に似ることからの名という。◇小閣 「閣」は高殿・二階造りの御殿。「小」は自邸ゆえの謙辞。◇遺愛寺 香鑪峰の北にあった寺。◇欹枕 枕を斜めに立てて頭を高くすることか。◇撥簾 簾をはねあげて。「撥」を「はねて」と訓む注釈書もある。また和漢朗詠集では「撥」を「卷」とする古写本がある。◇匡廬 蘆山。周代、匡俗先生と呼ばれた仙人がこの山に住んだことから付いた名という。◇逃名地 名誉・名声を求める心から逃れる場所。◇司馬 長官・次官より下の地位の地方官。
【補記】江州の司馬に左遷されていた元和十二年(817)、四十六歳の作。香鑪峰の麓に山荘を新築し、完成した時に東側の壁にこの詩を書き記したという。『和漢朗詠集』巻下「山家」の部に「遺愛寺鐘敧枕聽 香爐峯雪撥簾看」の二句が採られ、『枕草子』を初め多くの古典文学に言及されて名高い。和歌に多用された「簾まきあげ」「枕そばだて」といった表現も掲出詩に由来する。
【影響を受けた和歌の例】
名にたかき嶺ならねども玉だれのあげてぞ見つる今朝の白雪(参河内侍『石清水若宮歌合』)
さむしろにあやめの枕そばだてて聞くもすずしき時鳥かな(藤原為忠『為忠家後度百首』)
暁とつげの枕をそばだてて聞くもかなしき鐘の音かな(藤原俊成『新古今集』)
玉すだれ巻きあげて見し峰の雪のおもかげながら向かふ月かな(三条西実隆『雪玉集』)
吹きおくる花はさながら雪なれや簾まきあげてみねの春風(同上)
降りいるや簾を巻きて見る峰の雪もまぢかき花の下風(三条西公条『称名集』)
玉すだれ巻きなん雪の峰もなほ見やはとがめぬ山におよばじ(烏丸光弘『黄葉集』)
まきあげぬ宿はあらじな玉すだれひまよりしらむ雪の遠山(松永貞徳『逍遥集』)
わがをかにみ雪降りけり玉だれのをすかかぐらん都方びと(橘千蔭『うけらが花』)
【参考】『枕草子』
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、少納言よ、香爐峯の雪いかならんと仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑はせ給ふ。人々も、さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ、なほ此の宮の人にはさべきなめりといふ。
『源氏物語』総角
雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめ暮らして、世の人のすさまじき事に言ふなる十二月の月夜の、曇りなくさし出でたるを、簾捲き上げて見たまへば、向ひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬ、とかすかなるを聞きて、
おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば
唐詩三百首 江雪 ― 2009年12月10日
江雪 柳宗元
千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟蓑笠翁
獨釣寒江雪 独り釣る
【通釈】山という山には鳥の飛ぶ影が絶え、
一艘の小舟に、蓑と笠をつけた
ただ独り釣をしている、雪の降る寒々とした川で。
【語釈】◇萬徑 多くの小道。「萬逕」とする本もある。◇寒江 寒々とした川。普通名詞。
【補記】政治改革運動に失敗して永州に流されていた時の作という。「千」と「萬」、「孤」と「獨」が対偶をなし、この上なく端整簡潔なスタイルに孤愁みなぎる五言絶句。評者の多くは孤舟の翁に詩人の自画像を見る。
【作者】柳宗元(773~819)は中唐の詩人。河東(山西省永済県)の人。徳宗の貞元九年(793)の進士。永貞元年(805)順帝の即位と共に礼部員外郎に任ぜられ、政治刷新運動に参加するが、順帝の退位によって改革は失敗、永州(湖南省零陵県)の司馬に流された。元和十年(815)、都に召還され、柳州(江西省柳江)の刺史に任ぜられて同地に赴き、間もなくそこで死んだ。散文家としても知られ、『柳河東集』四十五巻を残す。
【影響を受けた和歌の例】
降りつもる雪には跡もなごの江の氷を分けて出づる釣舟(頓阿『頓阿句題百首』)
鷺のゐる舟かと見れば釣人の蓑しろたへにつもる白雪(正徹『草根集』)
島山の色につづきて
唐詩選卷七 楓橋夜泊 ― 2009年12月07日
月落烏啼霜滿天 月落ち
江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘聲到客船
【通釈】月は西に沈み、烏が啼いて、霜の気が天に満ちている。
川辺の
夜半に
【語釈】◇楓橋 江蘇省蘇州の西郊、楓江に架けられた橋。もと封橋と呼ばれていたが、この詩に因み楓橋と呼ばれるようになったという。◇烏啼 夜に啼く烏は昔から詩材とされた。◇霜滿天 地上に降る前の霜の気が天に満ちている。古人は霜は天から降るものと考えた。◇江楓 川辺の
【補記】船旅の途中、蘇州西郊の楓橋のほとりに夜泊した時の作。初句「月落烏啼霜滿天」の悽愴たる冬の夜の風情が歌人に愛され、この句を踏まえた多くの歌が作られた。
【作者】張継は中唐の詩人・官吏。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。天宝十二年(753)の進士。塩鉄判官などを歴任し、唐朝の検校祠部郎中に至る。博識で公正、すぐれた政治家であったという。『張祠部詩集』一巻に三十余首を残すばかりであるが、『唐詩選』に唯一採られた上掲の七言絶句は傑作として名高い。
【影響を受けた和歌の例】
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける(伝大伴家持『新古今集』)
月に鳴くやもめがらすのねにたてて秋のきぬたぞ霜にうつなる(藤原為家『新撰和歌六帖』)
あけがたのさむき林に月おちて霜夜のからす二声ぞ鳴く(伏見院『伏見院御集』)
月落ちてこほる入江の蘆の葉に鶴のつばさもさやぐ夜の霜(正徹『草根集』)
鳥のこゑに月落ちかかる山の端の木の間の軒ぞ白く明けゆく(同上)
山里はやもめ烏の鳴くこゑに霜夜の月の影をしるかな(心敬『心敬集』)
月落ちて明くる外山の友がらす啼く音も寒き空の霜かな(武者小路実陰『芳雲集』)
待つ頃は杉の葉しろく置く霜に月さへ落ちてからすなくなり(松永貞徳『逍遥集』)
論語 雍也編二十三 ― 2009年12月05日
知者樂水
子曰、知者樂水、仁者 子の曰はく、知者は水を楽しみ、仁者は
樂山、知者動、仁者静、山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。
知者樂、仁者壽。 知者は楽しみ、仁者は
【通釈】先生が言われた、「智の人は(絶えず動く)水を楽しみ、仁の人は(不動の)山を楽しむ。智の人は動き、仁の人は静かである。智の人は生を楽しみ、仁の人は生を久しうする」。
【語釈】◇知者 道理を知る人。雍也編に孔子の曰く、「民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知と謂ふべし」。◇仁者 仁徳をそなえた人。顔淵編に「仁」を問われて孔子の曰く、「人を愛す」。また雍也編に曰く、「仁者は
【補記】知者と仁者をくらべ、それぞれ水(川)と山、動と静、楽(一時の快楽)と寿(永続的な幸福)によって対比した。論語には他にも知者・仁者を対比した教えが見え、たとえば顔淵編には仁者を問われ「人を愛す」、知者を問われ「人を知る」。里仁編には「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす」(仁の人は仁に満ち足りている、智の人は仁を利用する)。また子罕編には「知者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は
【影響を受けた和歌の例】
み吉野の 吉野の宮は
山を我がたのしむ身にはあらねどもただ静けさをたよりにぞ住む(細川幽斎『衆妙集』)
注:旅人詠の「山柄し 貴くあらし 川柄し 清けくあらし」の対句について「知者樂水、仁者樂山」からの影響を指摘する説がある。幽斎の歌は題「閑居」、晩年、京都吉田山麓に隠棲していた頃の作と思われる。
白氏文集卷十七 醉吟 二首 ― 2009年12月02日
酔吟 二首 白居易
其一
空王白法學未得
姹女丹砂燒卽飛
事事無成身也老
醉鄕不去欲何歸
其二
兩鬢千莖新似雪
十分一盞欲如泥
酒狂又引詩魔發
日午悲吟到日西
【通釈】其一
仏陀の尊い教えは未だ学び得ず、
仙薬のため水銀丹砂を焼けば、たちまち飛散してしまう。
事ごとに成し遂げることなく身は老いてしまった。
酔いどれの天国に去るほか、私の行き場所はあるまい。
其二
わが千本の双鬢、それは雪のように白い。
十分に注いだ一盞、これで泥のように酔おう。
酒の昂奮が詩作の魔を引き起こし、
正午より時を忘れて悲吟し、日没に至る。
【語釈】其一◇空王
其二◇千莖 たくさんの毛髪。「千」は第二句の「一」と対偶。「莖」は細く長いものを数える助数詞。◇十分一盞 なみなみと注いだ一杯の酒。◇詩魔 詩情を起こし、詩作へ耽らせる不思議な力。◇悲吟 悲しみに泣くように吟じながら詩作する。
【補記】其一の第一句は仏教に、第二句は道教に志して挫折したことを言う。第三・四句が和漢朗詠集巻下「述懐」の部に引かれている。但し第四句は「醉郷不知欲何之」とあり、「酔郷を知らず何ちかゆかんとする」などと訓まれる。下記和歌はいずれも其一の第三句を踏まえたものである。
【影響を受けた和歌の例】
うづもれぬ後の名さへやとめざらむ成すことなくてこの世暮れなば(藤原良経『続古今集』)
月日のみなすことなくて明け暮れぬ悔しかるべき身のゆくへかな(同上『千五百番歌合』)
いたづらに秋の夜な夜な月見しもなすことなくて身ぞ老いにける(二条為定『新千載集』)
なす事もあらじ今はのよはひにも惜しみなれたる年の暮かな(烏丸光弘『黄葉集』)
白氏文集卷十七 醉中對紅葉 ― 2009年12月01日
酔中紅葉に対す 白居易
臨風杪秋樹 風に
對酒長年人 酒に
醉貌如霜葉
雖紅不是春
【通釈】風に吹かれている、晩秋の樹。
酒と向き合っている、年たけた人。
酔った顔は、霜に色づいた葉のようだ。
紅とは言っても、春の花の色ではない。
【語釈】◇杪秋 晩秋。旧暦九月。◇長年人 年齢を重ねた人。話手自身を客観化して言う。◇霜葉 霜にあって紅葉した葉。
【補記】元和十二年(817)、四十六歳頃の作。人生の晩秋にあって、我が身を紅葉に対比する。和漢朗詠集の巻下「酒」の部に全文が引かれている。下記為家詠は「臨風杪秋樹」を句題とした作。
【影響を受けた和歌の例】
時のまの心の色ぞしられける秋の木の葉の風にまかせて(藤原為家『為家集』)
白氏文集卷二十 早冬 ― 2009年11月30日
十月江南天氣好 十月 江南 天気
可憐冬景似春華
霜輕未殺萋萋草 霜は
日暖初乾漠漠沙 日は暖かく 初めて
老柘葉黄如嫩樹
寒櫻枝白是狂花
此時却羨閒人醉 此の時
五馬無由入酒家
【通釈】十月の江南は天気うるわしい。
愛しもうではないか、冬の光が春のように華やかなことを。
霜は軽く、萋々と繁る草をまだ枯らさない。
日は暖かく、漠々と広がる河原の砂を乾かし始める。
老いた山桑、その葉は黄に色づいて若木のようだ。
寒桜の樹、その枝が白く見えるのは狂い咲きの花だ。
こんな時節には、むしろ酔いどれの閑な御仁が羨ましい。
五頭立ての馬車で、居酒屋に乗り込むわけにもゆかぬ。
【語釈】◇十月 陰暦十月、初冬。◇江南 長江(揚子江)下流の南側。作者は五十代前半、江南の地方官を勤めていた。◇好 「
【補記】我が国で言う小春日和を詠んだ歌。長慶三年(823)、作者五十二歳、江南杭州の刺史であった時の作。初二句が和漢朗詠集巻上冬の「初冬」の部に引かれ、和歌では句題に好まれた。
【影響を受けた和歌の例】
宵々にまだおく霜のかろければ草葉をだにも枯らさざりけり(大江千里『句題和歌』)
神無月いり江の南その里は空にぞ春のかげを知るらん(藤原隆房『朗詠百首』)
けふを冬とかへりてつぐる春の色はいかなるえより思ひそめけむ(慈円『拾玉集』)
この里は冬おく霜のかろければ草の若葉ぞ春の色なる(定家『拾遺愚草員外』)
神無月はるの光か晴るる江の南にめぐる空の日影も(武者小路実陰『芳雲集』)
冬来ぬと誰かはわかん江の南雲もしぐれぬこの頃の空(同上)
白氏文集卷三十四 杪秋獨夜 ― 2009年11月28日
無限少年非我伴 限り無き
可憐淸夜與誰同 憐れむ
歡娯牢落中心少
親故凋零四面空
紅葉樹飄風起後
白髮人立月明中
前頭更有蕭條物
老菊衰蘭三兩叢
【通釈】あまたの若者は、我が友ではない。
いつくしむべき清らかな夜を誰と過ごそう。
娯楽は虚しくなり、我が心中はからっぽだ。
親戚旧友は世を去って、我が周囲はうつろだ。
紅葉した木をひるがえして、風が起こった後、
白髪の人たる私は立ち上がる、月明かりの中に。
目の前には更に蕭条たるものがある。
老いた菊、衰えた藤袴、それら二三の叢。
【語釈】◇杪秋 晩秋。陰暦九月。◇無限 数多い。数知れぬ。◇歡娯 楽しみ。◇牢落 空漠となる。虚しくなる。◇中心 心の中。◇親故 親戚や旧友。◇凋零 花や葉がしぼみ落ちることから、人の死ぬことを言う。◇白髮 白鬚(白いあごひげ)とする本もある。◇衰蘭 衰えた藤袴。
【補記】最後の二句が和漢朗詠集巻上秋「蘭」の部に引用されている。下記慈円・定家詠はいずれも掲出詩の句を題として詠まれた、いわゆる「句題和歌」である。
【影響を受けた和歌の例】
秋の霜にうつろひゆけば藤袴きて見る人もかれがれにして(慈円『拾玉集』)
ふぢばかま嵐のくだく紫にまた白菊の色やならはん(藤原定家『拾遺愚草員外』)
詩經 國風 七月 ― 2009年11月24日
七月
五月斯螽動股 五月
六月莎鷄振羽 六月
七月在野 七月 野に
八月在宇 八月
九月在戸 九月
十月蟋蟀 十月
入我牀下 我が
穹窒熏鼠
塞向墐戸
嗟我婦子
曰爲改歳
入此室處 此の
【通釈】五月になれば
六月にはこおろぎが羽を振わして鳴く。
七月、彼らは野にあり、
八月、軒下にあり、
九月、家の戸口にあり、
十月になると、こおろぎは、
我が床の下に入り込む。
さて家を掃除して鼠をいぶし、
天窓を塞いで戸の隙間を塗る。
ああ、我が家族たちよ、
無事年越しをするために
この居間に籠っておりなさい。
【語釈】◇五月 陰暦五月、仲夏。新暦ではおおよそ六月中頃~七月頃に当たる。◇斯螽 螽斯とも。きりぎりす。◇莎鷄 きりぎりす・こおろぎの類。◇宇 屋根に覆われたところ。軒下。◇蟋蟀 こおろぎの類。よく人家に入って来るのはカマドコオロギである。カマドコオロギは「キリキリキリ…」と鳴くので、昔日本ではこれを「きりぎりす」と呼んだ。◇穹窒 室を掃除する。◇熏鼠 煙で鼠をいぶし出す。◇向 天上につけた明り取りの窓。◇墐戸 土を塗って戸の隙間をふさぐ。◇婦子 女と子供。◇改歳 年越し。
【補記】中国最古の詩集『詩経』、国風のうち
【影響を受けた和歌の例】
秋ふかくなりにけらしなきりぎりす床(ゆか)のあたりに声聞こゆなり(花山院『千載集』)
露しげき野辺にならひてきりぎりす我が手枕の下になくなり(前斎院六条『金葉集』)
きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく(西行『新古今集』)
きりぎりす草葉にあらぬ我が床の露をたづねていかでなくらむ(藤原良経『千五百番歌合』)
きりぎりす我が床ちかし物思ふと寝ぬ夜の友はなれも知りきや(中院通勝『通勝集』)
きりぎりす霜の下葉を我が床のよさむにかへて鳴きや寄るらん(中院通村『後十輪院内府集』)
注:西行の歌は、虫はだんだん人に近づいて来るのにその声は遠ざかってゆくと聞いているところに哀れがある。掲出詩を踏まえてこそ味読し得る歌である。
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