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千家詩卷三 湖上2010年04月05日

湖上  徐元杰(じよげんけつ)

花開紅樹亂鶯啼  花開いて紅樹(こうじゆ)乱鶯(らんあう)啼き
草長平湖白鷺飛  草長じて平湖(へいこ)白鷺(はくろ)飛ぶ
風日晴和人意好  風日(ふうじつ)晴和(せいわ)人の()()
夕陽簫鼓幾船歸  夕陽(せきやう)簫鼓(せうこ)幾船(いくせん)か帰る

【通釈】紅い花が咲いた樹で、むやみに鶯が鳴き、
畔の草が伸びた平らかな湖に、白鷺が飛ぶ。
風は穏やか、日は晴れて、人は心楽しむ。
夕日の照る中、楽の音を響かせて、幾艘かの船が帰って来る。

【語釈】◇風日 風と陽光。◇簫鼓 簫と鼓。楽器。

【補記】抗州の西湖の春を詠む。『千家詩』は南宋の劉克莊(1187~1269)の撰した詞華集。五言絶句・五言律詩・七言絶句・七言律詩の四巻からなる。全テキストが閲覧可。以下の和歌は「花開紅樹乱」を句題和歌とした『頓阿句題百首』所収歌。「乱」の字は正しくは「鶯」に掛かるのであるが、「紅樹乱ル」と誤読したものらしい。同百首は貞治四年(1365)閏九月五日に周嗣が編集・書写したものという(新編国歌大観解題)。

【作者】徐元杰は南宋の人。字は仁伯。江西上饒の人。理宗の紹定五年(1232)の進士で、太常寺少卿・工部侍郎などを歴任した。

【影響を受けた和歌の例】
花の色にみだれにけりな佐保姫のしのぶにかあらぬ春の衣手(頓阿『頓阿句題百首』)
花桜さきそめしよりくれなゐの色にみだるる庭の春風(良守上人)
さくら花うつろはむとや朝日影にほへる雲に山風ぞふく(僧都良春)
紅にうつろはむとや咲く花にみだれてまじる嶺のしら雲(頓宗)
雲ながらうつりにけりな紅の初花ざくら色もひとつに(周嗣)

杜少陵詩集卷二十二 淸明2010年04月04日

清明     杜甫

此身飄泊苦西東  此の身飄泊(へうはく)して西東(さいとう)に苦しむ
右臂偏枯半耳聾  右臂(うひ)偏枯(へんこ)して半耳(はんじ)(ろう)
寂寂繋舟雙下涙  寂寂(せきせき)舟を繋げば涙(なら)()
悠悠伏枕左書空  悠悠枕に伏して(ひだりて)(くう)に書す
十年蹴鞠將雛遠  十年蹴鞠(しうきく)(すう)(ひき)ゐて遠し
萬里鞦韆習俗同  万里鞦韆(しうせん)習俗同じ
旅鴈上雲歸紫塞  旅雁雲に上り紫塞(しさい)に帰る
家人鑽火用青楓  家人火を()るに青楓(せいふう)を用う
秦城楼閣鶯花裏  秦城の楼閣鶯花(あうくわ)(うち)
漢主山河錦繍中  漢主の山河錦繍(きんしう)(うち)
春去春來洞庭闊  春去り春来りて洞庭(どうてい)(ひろ)
白蘋愁殺白頭翁  白蘋(びやくひん)愁殺(しうさつ)白頭翁(はくたうおう)

【通釈】この身はあてどなくさまよい、西に東に苦しむ。
右腕は固まって動かず、片耳は聞こえない。
ひっそりと舟を岸に繋げば、涙が両眼から落ちる。
ゆったりと枕に頭を休め、左手で空に文字を書く。
十年、幼い子を連れてさ迷い、蹴鞠のような遊戯から遠ざかっていた。
万里を旅して、春のぶらんこはどの土地も同じなわらしだが、私らとは無縁だ
旅をする雁は雲の上を行き、北方の万里の長城へと帰る。
妻は旅先にあって火を打ち出すのに青い(ふう)の木を用いる。
長安の高殿は、鶯の声と花の色に籠められているだろう。
漢の皇帝が治めた山河は、錦織のような彩色のうちにあるだろう。
春が去りまた訪れて、洞庭湖の水面は広々とし、
うら白い水草はこの白頭翁を愁いに死なしめる。

【語釈】◇左書空 右腕が「偏枯」しているため、利き腕でない左手で書く。しかも紙は乏しいから空に書くというのである。◇鞦韆 ぶらんこ。清明節に若い娘がこれで遊ぶ風習があった。◇紫塞 万里の長城。唐の北辺にあり、雁はここを越えて故郷へと向かう。◇秦城楼閣 長安の重層建築。◇鶯花裏 「烟花裏」とする本もある。◇錦繍 花や新緑が織り成す美しい色彩を錦織物に喩えた。◇洞庭湖 中国湖南省の北部にある湖。◇白頭翁 頭髪が白い翁。詩人自身を指す。

【補記】死の前年、大暦四年(769)、五十八歳の作。四月五日清明節の日、人々が蹴鞠や鞦韆で遊ぶ中、宿に泊まることもできず、苫舟に寝泊まりしながら家族を連れて放浪するさまを詠む。同題二首の第二首。『新撰朗詠集』巻上「春興」に「秦城楼閣鶯花裏 漢主山河錦繍中」が引かれている。

【影響を受けた和歌の例】
春を待つ花のにほひも鳥の音もしばしこもれる山の奥かな(藤原良経『秋篠月清集』)
霞かは花うぐひすにとぢられて春にこもれる宿のあけぼの(藤原定家『六百番歌合』)

白氏文集十六 櫻桃花下歎白髮2010年04月03日

桜桃(あうたう)花下(くわか) 白髪(はくはつ)を歎ず 白居易

逐處花皆好  処を()ひて 花皆()
隨年貌自衰  年に(したが)ひて (かたち)(おのづか)ら衰ふ
紅櫻滿眼日  紅桜(かうあう) 眼に満つる日
白髮半頭時  白髪 (かしら)半ばになる時
倚樹無言久  樹に()りて (げん)無きこと久しく
攀條欲放遲  (えだ)()ぢて 放たんとすること遅し
臨風兩堪歎  風に臨みて (ふた)つながら歎くに()へたり
如雪復如絲  雪の如く ()た糸の如し

【通釈】処々、花はみな美しいが、
年々、容貌は自然と衰える。
紅い桜桃(ゆすらうめ)が満目に咲き誇る今日、
白い髪は既に頭の半ばを覆っている。
樹に寄りかかっては、久しく黙り込み、
枝を引き寄せては、いつまでも離さずにいる。
春風に吹かれて、二つながら嘆きに堪えない。
私の髪が雪のように白く、糸のように細いことに。

【語釈】◇逐處 どこへ行っても。至るところ。◇紅櫻 紅いユスラウメ。中国ではユスラウメを櫻と言う。

【補記】定家の歌は「逐処花皆好、隋年貌自衰」を句題とした作。

【影響を受けた和歌の例】
色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(紀友則『古今集』)
宿ごとに花のところはにほへども年ふる人ぞ昔にもにぬ(藤原定家『拾遺愚草員外』)

唐詩選卷六 勧酒2010年04月02日

酒を勧む ()武陵(ぶりょう)

勧君金屈巵  君に勧む 金屈巵(きんくつし)
滿酌不須辭  満酌 辞するを(もち)ゐず
花發多風雨  花(ひら)けば風雨多し
人生足別離  人生別離()

【通釈】略。訳詩は【参考】参照。

【語釈】◇金屈巵 黄金製の酒器。「屈」は曲がっている様、「巵」は盃。◇不須辭 辞する必要はない。遠慮には及ばない。◇足別離 別離に満ちている。「別離(おほ)し」と訓む本もある。

【補記】友人との別離に際し、別れの盃を勧めて作った詩。以下の和歌は全て『頓阿句題百首』所収の「花発風雨多」を句題とする和歌。『頓阿句題百首』は貞治四年(1365)閏九月五日に周嗣が編集・書写したものという(新編国歌大観解題)。

【作者】于武陵は杜曲(長安の南)の人。大中年間(西暦855年頃)進士となるが、官僚の道を捨てて放浪生活を送る。『于武陵集』一巻を残す。

【影響を受けた和歌の例】
世の中はかくこそありけれ花盛り山風吹きて春雨ぞふる(頓阿『頓阿句題百首』)
いかなれば嵐も雨もあやにくにいくかもあらぬ花にぞふらん(良守上人)
花ざかりしづ心なき山風にまづさそはれて春雨ぞふる(僧都良春)
つらきかな雲とみえつつ咲く花は雨と風とのやどりなりけり(頓宗)
ふる雨に猶やしほれんさくら花嵐におほふ袖はありとも(周嗣)

【参考】井伏鱒二の訳詩は以下の通り。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

千家詩卷三 淸明2010年04月01日

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清明  杜牧

淸明時節雨紛紛  清明の時節 雨紛紛(ふんぷん)
路上行人欲斷魂  路上の行人(かうじん) (こん)()たんとす
借問酒家何處有  借問(しやくもん)酒家(しゆか)(いづ)れの(ところ)にか有る
牧童遙指杏花村  牧童(ぼくどう)遥かに指さす 杏花村(きやうくわそん)

【通釈】清明の時節、雨がしきりと降り、
路上の旅人は、魂も消え入るばかり。
居酒屋はどこにあるかと尋ねると、
牛飼いの少年は遥か遠く、杏の咲く村を指さす。

【語釈】◇淸明 二十四節気の一つ、清明節。春分後十五日目。太陽暦では四月五日頃にあたる。この日人々は墓参りや遊山をして過ごした。◇雨紛紛 雨がしきりと降る。「紛紛」は多く盛んなさま。清明の頃は春雨のよく降る候で、これを「杏花雨(きょうかう)」と呼ぶ。◇行人 旅人。作者自身を指す。◇杏花村 杏の花の咲く村。固有名詞と解する説もあり、貴池県城(安徽省)の西にあるという(渡部英喜『漢詩歳時記』)。

【補記】『千家詩』は南宋の劉克莊(1187~1269)の撰した詞華集。五言絶句・五言律詩・七言絶句・七言律詩の四巻からなる。

【作者】杜牧(803~853)は晩唐の詩人。京兆万年(陝西省西安市)の人。太和二年(828)の進士。各地の刺史を歴任し、中書舎人に至る。杜甫を「老杜」と言うのに対し、「小杜」と呼ばれる。豪放・洒脱な詩を得意とした。『樊川(はんせん)詩集』八巻がある(早稲田大学古典籍総合データベースで閲覽可)。

【影響を受けた和歌の例】
はつせのや里のうなゐに宿とへば霞める梅の立枝をぞさす(契沖『漫吟集類題』)

白氏文集卷五十五 春風2010年04月01日

ユスラウメ 鎌倉市大巧寺

春風  白居易

春風先發苑中梅  春風(しゆんぷう) ()(ひら)苑中(ゑんちう)の梅
櫻杏桃梨次第開  桜 (あんず) 桃 梨 次第に開く
薺花楡莢深村裏  薺花(せいくわ) 楡莢(ゆけふ) 深村(しんそん)(うち)
亦道春風爲我來  ()()春風(しゆんぷう) 我が為に来れりと

【通釈】春風は真っ先に庭園の中の梅を咲かせる。
そして山桜桃(ゆすらうめ)・杏・桃・梨の花がつぎつぎに開く。
奥深い山里では、なずなの花が咲き、楡の実が生る。
また口に出して言うのだ、春風が私のために来てくれたと。

【語釈】◇櫻 中国ではユスラウメを言う(写真参照)。◇薺花 ナズナの花。◇楡莢 春楡(ハルニレ)の実。春楡は春、花をつけた後に翼果を結ぶ。

【補記】巻数は那波本による。初句を「一枝先發園中梅」とする本もある。定家の歌は「春風先発(ママ)中梅、桜杏桃李次第開」を句題とする歌。

【影響を受けた和歌の例】
咲きぬなり夜のまの風にさそはれて梅よりにほふ春の花園(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷六十六 尋春題諸家園林 又題一絶2010年03月30日

春の題を諸家の園林に尋ぬ 白居易

貌隨年老欲何如  (かほ)は年に随ひて老ゆるも 何如(いかん)せん
興遇春牽尚有餘  興は春に()ひて ()かれて()ほ余り有り
遙見人家花便入  遥かに人家(じんか)を見て 花あればすなはち()
不論貴賤與親疏  貴賤(きせん)親疏(しんそ)を論ぜず

【通釈】容貌は齢につれ老いるのも致し方ない。
楽しむ心は春に出遭い、誘い出されてなお余りある。
遥かに人家を眺めて、花が咲いていればただちに歩み入る。
身分が高いか低いか、親しい仲か疎い仲か、そんなことは気にしない。

【補記】馬元調本などでは巻三十三にある。同題の第二首。和漢朗詠集巻上春の部の「花」に第三・四句が引かれている。千里の歌は第三句の、慈円・定家の歌は第三・四句の句題和歌である。

【影響を受けた和歌の例】
よそにても花を哀れと見るからにしらぬ宿にぞまづ入りにける(大江千里『句題和歌』)
あるじをば誰ともわかず春はただ垣根の梅をたづねてぞ見る(藤原敦家『新古今集』)
花を宿のあるじとたのむ春なれば見にくる友をきらふものかは(慈円『拾玉集』)
はるかなる花のあるじの宿とへばゆかりもしらぬ野辺の若草(藤原定家『拾遺愚草員外』)

白氏文集卷十三 酬哥舒大見贈2010年03月27日

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哥舒大(かじよだい)の贈られしに(むく)ゆ 白居易

去歳歡遊何處去  去歳の歓遊 何処(いづく)にか()
曲江西岸杏園東  曲江(きよくかう)西岸(せいがん) 杏園(きやうゑん)の東
花下忘歸因美景  花の(もと)に帰らむことを忘るるは美景に()つてなり
樽前勸酒是春風  (そん)の前に酒を勧むるは()れ春の風
各從微宦風塵裏  (おのおの)微宦(びくわん)に従ふ 風塵の(うち)
共度流年離別中  共に流年(りうねん)(わた)る 離別の(うち)
今日相逢愁又喜  今日(こんにち)(あひ)逢ひ (うれ)へて()た喜ぶ
八人分散兩人同  八人(はちにん)分散し 両人(りやうにん)は同じ

【通釈】去年、皆で楽しく遊んだのは何処だったか。
曲江の西岸、杏園の東だった。
花の下で帰ることを忘れたのは、あまりの美景ゆえ。
樽の前で酒を勧めたのは、うららかな春の風だった。
今おのおのは微官に任じられて、俗塵のうちにある。
互いに別れたまま、一年は流れるように過ぎた。
今日君と出逢えて、寂しくもあり、嬉しくもある。
八人は各地に分散しているが、君と僕の二人は同じここにいるのだ。

【語釈】◇曲江 長安にあった池。杜甫の詩で名高い。◇杏園 杏の花園。杏は春、白または淡紅色の花をつける。◇微宦 微官に同じ。身分の低い官吏。◇八人 前年、共に科挙に及第した八人。

【補記】友人の哥舒大から贈られた詩に応えた詩。自注に「去年與哥舒等八人、同登科第。今叙會散之意(去年哥舒等八人と、同じく科第に登る。今会散の意を叙す)」とあり、共に科挙に及第した八人の仲間と杏の花園で遊んだ日を懐かしんだ詩と知れる。和漢朗詠集の巻上「春興」に頷聯が引かれて名高く、第三句は謡曲『吉野夫人』『桜川』『鼓滝』『松虫』などにも引用されている。千里・慈円・定家の歌は「花下忘歸因美景」の句題和歌。それ以外は「花下忘歸」を題とする詠である。なお、白氏の詩では「花」はあんずの花を指すが、和歌では桜の花を指すことになる。

【影響を受けた和歌の例】
この里に旅寝しぬべし桜花ちりのまがひに家路わすれて(よみ人しらず『古今集』)
花を見てかへらむことを忘るるは色こき風によりてなりけり(大江千里『句題和歌』)
あづま路の老蘇の森の花ならば帰らむことを忘れましやは(源俊頼『散木奇歌集』)
春の山に霞の袖をかたしきていくかに成りぬ花の下臥し(慈円『拾玉集』)
時しもあれこし路をいそぐ雁がねの心しられぬ花のもとかな(藤原定家『拾遺愚草員外』)
帰るさもいかがおぼえむ散らぬまは千世もへぬべき花の木のもと(藤原為家『為家集』)
みな人の家ぢわするる花ざかりなぞしも帰る春の雁がね(後嵯峨院『新後撰集』)
散るまでは花にかへらじ春の風我が家桜さくとつげずは(正徹『草根集』)
かへるべき道かは花のきぬぎぬを入相の鐘におどろかすとも(後柏原院『柏玉集』)
けふくらす名残のみかは花のもとに年のいくとせなれし老ぞも(肖柏『春夢草』)
ふる里よ花し散らずはいかならむ立ち出でしままの春の木のもと(三条西実隆『雪玉集』)
比もいま雲ゐの花におもなれてかへり見もせぬ我が宿の春(烏丸光広『黄葉集』)
かへるさはなき心ちする我が玉や花のたもとに入相の鐘(木下長嘯子『挙白集』)
木のもとに今いくかあらばかへるべき我がふるさとを花に思はむ(中院通村『後十輪院内府集』)

【参考】謡曲『右近』
げにや花の下に帰らん事を忘るるは美景によりて花心馴れ馴れそめて眺めん

和漢朗詠集卷上 春色雨中盡 菅三品2010年03月25日

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春の色雨中に()く 菅原文時

花新開日初陽潤  花の新たに(ひら)くる日 初陽(そやう)(うる)へり
鳥老歸時薄暮陰  鳥の老いて帰る時 薄暮(はくぼ)(くも)れり

【通釈】桜が新たに開いた日は、春雨に濡れて、花に射す朝日もみずみずしくうるおっていた。
鶯の声も老いて谷に帰る今は、夕べの雨雲が垂れ込めて陰々と昏い。

【語釈】◇鳥老 春も暮れて鶯の声が老熟したことを言う。鶯を「鳥」としたのは前句の「花」との対偶のため。

【補記】和漢朗詠集の春の部の「雨」より。花が咲き始めた盛春の頃と、鳥が谷へ帰る暮春の頃を対比している。花・鳥、新・老、初陽・薄暮、と対偶。『日本紀略』によれば天延二年(974)三月二十八日、円融院主催の公宴で「春色雨中尽」の詩題が出されており、この時の作。原詩は散逸か。

【作者】菅原文時(899~981)。道真の孫。高視の子。天慶五年(942)、対策に及第し、内記・式部大輔などを経て、文章博士となる。従三位に叙せられ、菅三品の称がある。

【影響を受けた和歌の例】
夜の雨の露をのこせる花のうへににほひをそふる朝日かげかな(右衛門督『持明院殿御歌合』)
夜の露も光りをそへて朝日影まばゆきまでににほふ花かな(三条西実隆『雪玉集』)

白氏文集卷十四 嘉陵夜有懐二首2010年03月13日

朧月

嘉陵(かりよう)(よる)(くわい)有り 白居易

露濕牆花春意深  露は牆花(しやうくわ)湿(うる)ほして 春意(しゆんい)深し
西廊月上半床陰  西廊(せいらう)に月(のぼ)半床(はんしやう)(かげ)なり
憐君獨臥無言語  憐れむ 君が独り()して言語(げんご)無きを
唯我知君此夜心  ()だ我のみ 君が此の夜の心を知る

其二

不明不暗朧朧月  明ならず暗ならず 朧朧(ろうろう)たる月
不暖不寒慢慢風  暖ならず寒ならず 慢慢(まんまん)たる風
獨臥空床好天氣  独り空床(くうしやう)に臥して 天気()
平明閒事到心中  平明 間事(かんじ) 心中(しんちう)に到る

【通釈】露は垣根の花を潤して、春のあわれが深い。
西の渡殿に月が昇り、寝床の半ばを照らしている。
悲しく思う、君が独り言葉も無く床に臥していることを。
ただ私だけが、君の今夜の心を知っている。
 
其の二
明るくもなく、暗くもない、おぼろな月。
暑くもなく、寒くもない、ゆるやなか風。
私は独り寝床に臥して、天気は穏やか。
明け方、つまらぬ事ばかり心に浮かんで来る。

【語釈】◇平明 夜明け。◇間事 無駄な心配事を言うのであろう。

【補記】元和四年(809)三月、元稹が監察御史として蜀の東川に派遣された時三十二首の詩を詠み、白居易はそのうち十二首に和して酬いた。その第八・九首。那波本白氏文集では其の二の初句は「不明不闇朦朧月」とする。ここでは『全唐詩』などに拠り、我が国でより流通している本文を採った。『千載佳句』巻上「春夜」、『新撰朗詠集』巻上「春夜」、いずれも「其二」の初二句を「不明不暗朧朧月、非暖非寒漫漫風」として引く。

【影響を受けた和歌の例】
大江千里・藤原隆房の歌はいずれも句題和歌である。また讃岐以下の歌は、直接的には千里の「照りもせず」歌の本歌取りであり、白氏の詩は間接的に影響を与えていると言うべきであろう。
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜(づきよ)にしく物ぞなき(大江千里『句題和歌』『新古今集』)
暑からず寒くもあらずよきほどに吹き来る風はやまずもあらなむ(大江千里『句題和歌』)
くまもなくさえぬものゆゑ春の夜の月しもなぞやおぼろけならぬ(藤原隆房『朗詠百首』)
てりもせず雲もかからぬ春の夜の月は庭こそしづかなりけれ(讃岐『千五百番歌合』)
大空は梅のにほひにかすみつつ曇りもはてぬ春の夜の月(藤原定家『新古今集』)
吉野山てりもせぬ夜の月かげにこずゑの花は雪とちりつつ(後鳥羽院『千五百番歌合』)
志賀の浦のおぼろ月夜の名残とてくもりもはてぬ曙の空(同上『元久詩歌合』)
てりもせぬ月のつくまも見ゆばかりあたら夜ごとに霞む空かな(藤原信実『洞院摂政家百首』)
てりもせずおぼろ月夜のこち風にくもりはてたる春雨ぞふる(藤原為家『夫木和歌抄』)
照りもせずかすめばかすむ月ゆゑは曇りもはてじ人の俤(順徳院『紫禁和歌集』)
月ぞ猶くもりもはてぬ山の端はあるかなきかに霞む夕べに(頓阿『草庵集』)
かすみつつ曇りもはてずながき日に朧月夜を待ちくらしぬる(飛鳥井雅親『続亜槐集』)
吉野山咲きものこらぬ花の上にくもりもはてずあり明の月(松永貞徳『逍遥集』)
てりもせぬ春の月夜の山桜花のおぼろぞしく物もなき(本居宣長『鈴屋集』)
てりもせぬおぼろ月夜のをぐら山されどもあかず花かげにして(香川景樹『桂園一枝拾遺』)