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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線12 錦帯橋~萩2016年07月07日

春の錦帯橋

錦帯橋

岩国にあり。

 

鈴木雅彦

川原にり錦帯橋の組立をあげつろひ語る春の旅人

山口

毛利氏の旧城市。

 

岩田まさ子

松おほしいささ小流れ黄昏れて長府の町はしづかなる町

山口より北十一里。日本海に面す。毛利氏の城址あり。

 

福原俊丸

たたなはる城の石垣あれはててまつはる蔦のこころかなしも

補録

岩国山

万葉集由来の歌枕。岩国市西南の欽明路峠かという。

山口若麻呂(万葉集)

周防なる岩国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道

不逢恋
藤原家隆

逢ふことは君にぞかたき手向して岩国山は七日なぬかこゆとも

宗尊親王

手向せしいはくに山の峰よりも猶さがしきはこの世なりけり

今川了俊(道行触)

立ちかへり見る世もあらば人ならぬ岩国山もわがともにせむ

山口

山口の瑠璃光寺にて
若山牧水

山静けし山のなかなる古寺の古りし塔見て胸仄に鳴る

吉井勇

萩に来てふとおもへらくいまの世を救はむと起つ松陰は誰

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線11 厳島2016年07月05日

川瀬巴水画雪の宮島

川瀬巴水画「雪の宮島」

厳島

宮島駅より海を隔てて厳島あり。島に厳島神社あり。

 

熊谷直好

わたつみの浪の白ゆふかけてけり神の鳥居にみつる朝しほ

今北洪川

千早ぶる神のみまへのわたつみは眺めも清きかがみなりけり

広前のなぎたる海に照る月は神のこころをうつすなりけり

チヤンバアレン(注:バジル・ホール・チェンバレン)

世にたぐひなみのうへにも宮ばしらたててたふとき神の御社

正岡子規

百照すともし火百の影落ちていつき島宮潮満ちにけり

補録

社頭祝
藤原経尹

せめて世をまもるちかひやいつくしま浪のほかにも風ぞのどけき

宮島にて
若山牧水

青海はにほひぬ宮の古ばしら丹なるが淡う影うつすとき

厳島にて
会津八一

みやじま と ひと の ゆびさす ともしび を ひだり に み つつ ふね は すぎ ゆく

ふたたび厳島を過ぎて

うなばら を わが こえ くれば あけぬり の しま の やしろ に ふれる しらゆき

ひとり きて しま の やしろ に くるる ひ を はしら に よりて ききし しほ の ね

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線10 広島2016年07月02日

広島市街と太田川

広島

明治二十七八年の戦役に明治天皇の大本営となりし地。

 

日清役出征途中作
乃木希典

数ならぬ身にも心のいそがれて夢安からぬ広島の宿

永嶋英子

風ふけば並木のポプラ嬉しげに青き袖ふる川のをち方

補録

月前遠情
明治天皇

たむろしてよなよな見てし広島の月はそのよにかはらざるらむ

湯川秀樹

まがつびよふたたびここにくるなかれ平和をいのる人のみぞここは

近藤芳美

川浅くなりたる街を今日は行く夕べ寂しき広島の鐘

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線9 尾道2016年06月30日

千光寺公園より尾道水道を望む

千光寺公園より尾道水道を望む。

尾道

尾道瀬戸に臨む。

橋本鶴南

吉備と安芸と伊予の八十島薄く濃く重なる山を海ごしに見る

川田順

船ゆ仰ぐ港の山のちさき寺若葉の中に朝の鐘鳴る

補録

十返舎一九

日のかげは青海原を照らしつつ光る孔雀の尾の道の沖

緒方洪庵

軒しげくたてる家居よあしびきの山のをのみち道せまきまで

柳原白蓮

ちち母の声かときこゆ瀬戸内にみ寺の鐘のなりひびくとき

吉井勇

千光寺の御堂へのぼる石段はわが旅よりも長かりしかな

中村憲吉

千光寺に夜もすがらなる時の鐘耳にまぢかく寝ねがてにける

岩かげの光る潮より風は吹き幽かに聞けば新妻のこゑ

中村憲吉君七周忌
斎藤茂吉

尾道の円居まとゐに行かばもろともに日の照る丘を今日は越えけむ

(注:尾道は中村憲吉終焉の地。)

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線7 福山・鞆2016年06月28日

鞆の浦 仙酔島

写真は鞆の浦の仙酔島(福山観光情報サイトのフォトライブラリーより)。

福山

阿部氏の旧城下。

新井洸

福山城の天主に立てば真下まつしたに桜花見ゆ三味線もきこゆ

弾丸たまよけのくろがね張りし天守閣花曇りせる空に高しも

福山より軽便鉄道あり(注:かつて福山から鞆まで鞆鉄道線が通じていたが、昭和二十九年に廃止された)。瀬戸内海に臨む。古来の要津。

平岡呉岳

夢の国か神の国かも鞆の江の仙酔島せんすいじまの春のあけぼの

補録

鞆の浦

広島県福山市鞆地区の入江。万葉集以来の歌枕。

大伴旅人(万葉集)

我妹子わぎもこが見しともの浦の天木香樹むろのき常世とこよにあれど見し人ぞなき

鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも

作者未詳(万葉集)

海人あま小舟をぶね帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻うらみに波立てり見ゆ

宗尊親王

つれなさのこれやうき身のともの浦さびしくたてる磯のむろの木

木下長嘯子

わすれめや霞のひまの磯づたひ漕ぎいづる舟のともの浦波

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線6 閑谷~久米のさら山2016年06月26日

川瀬巴水画後楽園延養亭

画像は川瀬巴水「岡山後楽園」

閑谷しずたに

吉永駅(注:山陽本線の駅。岡山県備前市吉永町)の近傍左方の丘陵の彼方にあり。熊沢蕃山が池田光政の命によりて子弟の教育に従事せし閑谷黌しづたにくわうのある処。

 

白岩艶子

山ゆりの花ところどころ初夏はほととぎすきく閑谷の里

後楽園

岡山市にあり。(注:岡山藩主池田綱政によって造営された庭園で、日本三名園の一つ。延養亭の庭に舞い降りた丹頂鶴を見て綱政が和歌を詠んだ記録が残る。)

 

延養亭の鶴を
池田綱政

幾千代をかさねかすらん庭の面にきつつ馴れにし鶴の毛衣

後楽園にて
徳大寺実則

つくりけん心も見えて国民くにたみの後に楽しむ園ぞゆかしき

志田義秀

の光梅に流れて昼深く若草を踏む鶴の静けさ

落つる陽を蘇鉄林の照りかへす唯心山ゆゐしんざんの夕ながめかな

岡山より中国鉄道(注:今のJR津山線にあたる)によりて津山に到る。

久米のさら山

津山より近し。(注:美作国久米郡佐良山。今の岡山県津山市。)

 

水尾みづのをの御べの美作国の歌(古今集)

美作みまさかや久米のさら山さらさらにわが名は立てじ万代よろづよまでに

後醍醐天皇(増鏡)

聞きおきし久米のさら山越えゆかん道とはかねて思ひやはせし

補録

後楽園

池田綱政

千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりゐる宿の行末

斎藤茂吉

この園のたづはしづかに遊べればかたはらに灰色はひいろたづひとつ

久米のさら山

伊勢(伊勢集)

みまさかや久米のさら山さらさらに昔の今も恋しきやなぞ

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線5 飾磨・赤穂2015年10月13日

書写山円教寺(兵庫県姫路市)

写真は書写山円教寺(兵庫県姫路市)。

飾磨しかま

姫路の南、播磨灘に臨む、播但線の起点。

作者不詳(万葉集)

わたつみの海にいでたる飾磨川絶えむの心わが思はなくに

赤穂

大石良雄等四十七士の故城。那波駅の南三里。

熊谷直好

夕日さす浜辺の薄わけゆけばやがて赤穂の里も見えけり

補録

印南野

播磨国印南郡の野。今の兵庫県加古川市から明石市にかけての丘陵地にあたる。「いなびの」とも言い、「稲日野」「稲美野」などとも書いた。聖武天皇行幸の地。安貴王の歌により柏の名所とされた。王朝和歌では「否み」に掛けて用いられることもある。

 

柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に、海路にして作る歌(万葉集)

名ぐはしき印南いなみの海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は

安貴王(万葉集)

印南野いなみのの赤ら柏は時はあれど君をが思ふ時はさねなし

源重之

いなび野にむらむらたてる柏木の葉広になれる夏は来にけり

加古の島

加古川河口の三角州かという。

 

柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌(万葉集)

稲日野いなびのも行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ

よみ人知らず(拾遺集)

かこの島松原ごしになくたづのあなながながし聞く人なしに

後鳥羽院(続古今集)

かこの島松原ごしに見わたせば有明の月にたづぞなくなる

高砂

播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市の加古川河口付近という。松・鹿の名所。また大江匡房の歌などにより桜の名所ともされた。但し元来は地名でなく単に高い山を指す語ともいい、また「高砂の」を「尾上」にかかる枕詞として用いたかと見られる例もある。

よみ人しらず(古今集)

かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上にたてる松ならなくに

藤原敏行(古今集)

秋萩の花さきにけり高砂の尾上の鹿は今やなくらむ

藤原興風(古今集)

誰をかも知る人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに

夏の夜、深養父が琴ひくをききて
藤原兼輔(後撰集)

みじか夜のふけゆくままに高砂の峰の松風吹くかとぞ聞く

よみ人知らず(拾遺集)

秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿のなかぬ日ぞなき

清原元輔(拾遺集)

高砂の松にすむ鶴冬くれば尾上の霜やおきまさるらむ

遥かに山桜を望むといふ心をよめる
大江匡房(後拾遺集)

高砂の尾上の桜さきにけり外山の霞たたずもあらなん

藤原顕輔(千載集)

高砂の尾上の松に吹く風のおとにのみやは聞きわたるべき

藤原定家

高砂の松と都にことづてよ尾上の桜いまさかりなり

藤原秀能(新古今集)

吹く風の色こそ見えね高砂の尾上の松に秋は来にけり

書写山

姫路市の山。山上に性空上人開創の円教寺がある。

 

性空上人のもとに詠みてつかはしける
和泉式部(拾遺集)

くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月

一品経を書写山におくるとて、そへて侍りける歌の中に

藤原俊成(続千載集)

種まきし心の水に月すみてひらけやすらん胸の蓮も

飾磨

飾磨川、飾磨の市、飾磨染め(かち染め)などが歌に詠まれた。飾磨川は今の船場川。姫路市で瀬戸内海に注ぐ。

藤原道経(詞花集)

わが恋はあひそめてこそまさりけれ飾磨のかちの色ならねども

藤原俊成(千載集)

恋をのみしかまの市立つ民の絶えぬ思ひに身をや替へてむ

細川幽斎

水上みなかみに幾むらさめか飾磨河にごりは海に出でて来にけり

釈教の歌とて
契沖

野べの露山の雫もしかま川海に出でてはかはらざりけり

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線4 瀬戸内海2015年09月11日

瀬戸内海(来島海峡大橋を望む)

写真は夕暮の来島海峡。

瀬戸内海

賀茂真淵

播磨潟迫門せとの入日のすゑはれて空よりかへる沖のつりふね

菅沼斐雄

船とむる加古の港の石垣に夕汐みちて千鳥なくなり

熊谷直好

大島の瀬戸のなるとのみつ汐にみだれて浮ぶあまのつり舟

難波いでて武庫の泊の明方にこれより遠き舟路をぞおもふ

八田知紀

月清みねざめて見れば播磨潟むろのとまりに船ははてにき

野村望東尼

人げなく思ひし島のめぐりきて畑も出できぬ家も見えこん

時雨ふる軒の雫の音に似て舟の底うつさざ波の声

横山由清

あはと見し淡路の島も行く船の片帆がくれに早なりにけり

戸田宇八

送りては迎ふる八島八十千しま我船はやし吉備のうちうみ

与謝野寛

春の日の音戸の迫門せとにうつりたる赤土山の菜の花のいろ

釈迢空

速吸の門中にひとつあふものにくれなゐ丸の艪じるし見ゆ

北村幽渓

島を過ぎ島をむかへて高松の沖ゆく船のしづかなり秋

倉知常隆

くる島の瀬戸に寄せ来る大潮の砕けて煙る春の夜の月

武井大助

吉備の海宇野の浦わの朝凪に朝日匂へりさちある舟出

燧灘我こえくれば風寒み舟のまともに砕けちる浪

平沼呉岳

すなどりの村々も見ゆ畑も見ゆ住ままくほしき島ぞ多かる

暖かう春の日浴びて舟の上に午餉ひるげとりつつ島々を見る

鮫島近二

たそがれの瀬戸内海の夕凪に果敢なき恋を船は載せゆく

鷺友太郎

瀬戸の海なみ紫にあき晴れて島よりしまにしら帆きえゆく

能勢百合子

瀬戸の海舟してゆくや初秋の島よりひびくとほぎぬたかな

補録

瀬戸内海

柿本人麿

名ぐはしき印南いなみの海の沖つ波千重ちへに隠りぬ大和島根は

「印南の海」は今の播磨灘。

西行

播磨潟はりまがたなだのみ沖に漕ぎ出でてあたり思はぬ月をながめむ

若山牧水

瀬戸の海や浪もろともにくろぐろとい群れてくだる春の大魚

柳原白蓮

秋の日や君が越え行く瀬戸の海の夕なぎ思ふ浜辺に立てば

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線3 淡路島2015年09月10日

霞の上に浮ぶ淡路島

淡路島

須磨明石の海岸より目睫の間に横れり。

作者未詳(古今集)

わたつ海のかざしにさせる白妙の浪もてゆへるあはぢ島山

俊恵(新古今集)

春といへば霞みにけりなきのふ迄浪まに見えしあはぢ島山

香川景樹

夕づく日今はとしづむ波の上にあらはれそむる淡路しま山

平井晩村

水汲むと船を寄せたる秋風の淡路は昼もつ砧かな

野島が崎
柿本人麿

玉藻刈る敏馬みぬめを過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ

淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐ふきかへす

補録

淡路島

応神天皇(日本書紀)

淡路島あはぢしま いやふた並び 小豆島あづきしま いやふた並び よろしき 島々しましま か た去れあらちし 吉備きびなるいもを あひ見つるもの

作者未詳(万葉集)

難波潟塩干に立ちて見渡せば淡路の島にたづ渡る見ゆ

住吉すみのえの岸に向かへる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし

源頼政

住吉の松の木間こまよりながむれば月おちかかる淡路島山

藤原家隆(玉葉集)

淡路島はるかに見つる浮雲も須磨の関屋にしぐれきにけり

藤原定家

淡路島千鳥とわたる声ごとに言ふかひもなき物ぞかなしき

二条為重(新後拾遺集)

わたつうみの波もひとつにさゆる日の雪ぞかざしの淡路島山

木下長嘯子

はるばると敷津の浦の月の夜は氷にうかぶ淡路しま山

十七夜、玉津島山上にのぼりて
加納諸平

漁火いさりびは雲ゐにきえて眉引まよびきの淡路の門中となか月みちにけり

与謝野晶子

あゝ胸は君にどよみぬ紀の海を淡路のかたへ潮わしる時

松帆の浦 淡路島北端の浦
藤原定家

来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ

絵島 淡路島北端の奇巌
藤原親隆

播磨潟すまの月よめ空さえて絵島が崎に雪ふりにけり

飼飯の海 淡路島西岸の海
柿本人麿

飼飯けひの海の庭よくあらし刈薦かりこもの乱れて出づ見ゆ海人の釣船

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佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線2 舞子・明石2015年07月13日

明石海峡

写真は夕暮の明石海峡。

舞子

駅は松林の中にあり。

真鍋教子

春の海かもめが遊ぶ白帆ゆく舞子の浜は風ゆるやかに

高桑文子

舞子より明石にと行く小車にしたがひ走る淡路島かな

明石

明石海峡に臨む、人丸神社あり。

柿本人麿(万葉集)

天ざかるひな長路ながぢゆ恋ひ来れば明石のより大和しま見ゆ

よみ人しらず(古今集)

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれゆく船をしぞ思ふ

後鳥羽天皇(玉葉集)

明石潟浦路はれゆく朝なぎに霧にこぎ入る海士の釣船

香川景樹

明石がた松の木かげに道はあれど磯づたひして若め拾はむ

八田知紀

播磨潟明石のと浪月てりて夜舟うれしき旅にもあるかな

大田垣蓮月

言のはの玉ひろはばや秋の夜の月もあかしの浦づたひして

川田順

酔臥せる友を残してただ一人淡路にわたる夕月夜かな

河杉初子

千鳥なく明石の浜に白き石あまた拾ひて人を待つかな

補録

舞子

舞子浜
長塚節

落葉掻く松の木の間を立ち出でて淡路は近き秋の霧かも

明石

明石海峡は畿内と西国を往き来する通り路なので、船旅の歌が多く詠まれた。「あかし」と掛詞になることから、月の名所としても多くの歌に詠まれている。

柿本人麿(万葉集)

灯火ともしび明石大門あかしおほとに入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず

山部赤人(万葉集)

明石潟潮干しほひの道を明日よりは下ましけむ家近づけば

藤原実光(金葉集)

月影のさすにまかせて行く舟は明石の浦やとまりなるらん

平忠盛(金葉集)

有明の月もあかしの浦風に波ばかりこそよると見えしか

藤原清輔

霧のまに明石の瀬戸に入りにけり浦の松風音にしるしも

俊恵(千載集)

ながめやる心のはてぞなかりける明石の沖にすめる月影

夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づればはるかに送るさを鹿の声

西行

月さゆる明石の瀬戸に風ふけば氷のうへにたたむ白波

藤原定家

ともしびの明石の沖の友舟もゆく方たどる秋の夕暮

藤原秀能(新古今集)

明石潟色なき人の袖を見よすずろに月も宿るものかは

細川幽斎

明石潟かたぶく月もゆく舟もあかぬ眺めに島がくれつつ

長塚節

明石潟あみ引くうヘに天の川淡路になびき雲の穂に歿