佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線7 鳥取砂丘2016年08月12日

鳥取砂丘 馬の背

鳥取砂丘 馬の背

補録

鳥取砂丘

鳥取県鳥取市。千代せんだい川の河口から発達した海岸砂丘で、面積では青森県の猿ヶ森砂丘に次ぐ日本第二位の大砂丘。河口東側を「浜坂砂丘」とも呼ぶ。

有島武郎

浜坂の遠き砂丘のなかにしてさびしき我を見いでけるかも

与謝野晶子

砂丘とは浮かべるものにあらずして踏めば鳴るかな寂しき音に

池本利美

白々と砂丘も海もかすみたる風の光となりて歩めり

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線6 因幡山2016年08月09日

因幡国庁跡

因幡国庁跡より因幡山を望む。

補録

因幡山

鳥取県鳥取市国府町の小山。稲羽山、稲葉山とも書く。国庁跡の東北。ただし在原行平の歌の「いなばの山」は固有名詞でなく「因幡の国の山」と見る説もあり、また『歌枕名寄』など中世の歌学書は美濃国の歌枕としている。

在原行平「古今集」

立ちわかれいなばの山の峰におふるまつとしきかば今かへりこむ

慈円

嶺の松も裾野の萩もなびききていなばの山はただ秋の風

藤原定家「新古今集」

忘れなむまつとな告げそ中々にいなばの山の峰の秋風

源具親

いかでかは待つともきかんはるばるといなばの山の峰の秋風

伏見院「新千載集」

都人まつとしきかば言伝てよ独りいなばの嶺の嵐に

冷泉為尹

嵐ふく峰の霞のたちわかれいな葉の山の松ぞ見えゆく

尭孝

峰に生ふる松吹きこしていなば山月の桂にかへる秋風

因幡国庁跡

鳥取市国府町。天平宝字三年(759)正月一日、因幡守であった大伴家持が因幡国庁で詠んだ一首は万葉集の巻末歌。

大伴家持「万葉集」

あらたしき年のはじめの初春のけふ降る雪のいやしけ吉言よごと

佐佐木信綱

ふる雪のいやしけ吉事よごとここにしてうたひあげけむ言ほぎの歌

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線9 大山2016年08月07日

伯耆大山 南壁

伯耆大山 南壁

大山だいせん

大神山、伯耆富士、又は出雲富士ともいふ。伯耆大山駅より登る。

左右田翠松

初夏の出雲の旅路大山だいせんに朝日輝きみ雪ひかれり

錦織幸子

秋風は日本海よぎりさわやかに大神山のもみぢ葉に吹く

補録

大山

与謝野晶子

大山寺だいせんじ笹の幾葉の隠岐見えて伯耆はうきの海の美くしきかな

太田水穂

穂にいづる麦の野の上にゆつたりと牛のざまの伯耆はうき大山だいせん

木下利玄

大山の弥山みせんの雲はたたなはりあかつき起きのさむくすがしも

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線5 応挙寺・船上山2016年08月03日

船上山 wikipediaより

船上山 鳥取県東伯郡琴浦町(wikipediaより)

応挙寺

寺名を大乗寺といふ。香住駅より十町。寺の各室の襖画は皆応挙及その門弟の筆に成れり。

 

(大正二年四月)十九日、よべはおそく香住といふところにやどりて、応挙の大作をみむとつとめて大乗寺を訪ふ

長塚節

菜の花をそびらに立てる低山ひくやまくぬぎがしたに雪はだらなり

船上せんじよう

赤碕駅より勝田川に沿うて到るべし。名和長年が後醍醐天皇を隠岐より迎へ奉りしところ。

後醍醐天皇(新葉集)

忘れめやよるべも浪の荒磯を御船の上にとめし心は

此御歌は、元弘三年隠岐国よりしのびていでさせ給ひける時、源長年御むかへにまゐりて、舟上山といふ所へなしたてまつりけるほどの忠、ためしなかりし事など、しるしおかせましましけるもののおくに、かきそへさせ給ひけるとぞ。

平賀元義

船の上いでましの山の山おろしやしまの国を吹きとよもすも

補録

応挙寺

与謝野晶子

いみじけれみろくの世までほろぶなき古き巨匠の丹青のあと

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線4 玄武洞・城崎温泉2016年07月18日

城崎温泉遠望

城崎温泉遠望 城崎温泉無料写真集(http://photo.kinosaki2.net/)より

これより山陰本線に還る。

玄武洞

玄武洞駅前、豊岡川の対岸にあり。

小川郁

岩づたふしづくのたまりうす暗き洞穴の底に光りてありけり

城崎温泉

城崎駅所在地。

木下利玄

大き雲に日の入りゆけば山の上のやしろの松に風のさびしも

高田相川

湯あみをへてながむる庭の山吹にゆく春惜しむきのさきの里

補録

城崎温泉

舒明天皇の時代に発見されたという古湯。古くは「但馬の湯」と呼ばれた。文人にも愛され多くの文学作品を生んだが、ことに志賀直哉の短編小説「城の崎にて」は名高い。

 

花のさかり但馬の湯より帰る道にて雨にあひて

吉田兼好

しぼらじよ山分け衣春雨に雫も花も匂ふたもとは

与謝野寛

手ぬぐひを下げて外湯に行く朝の旅の心を駒げたの音

吉井勇

曼陀羅湯の名さへかしこしありがたき仏の慈悲にむとおもへば

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線3 天の橋立2016年07月16日

安藤広重天橋立図

安藤広重 天橋立図

天の橋立

新舞鶴より舟行して到るべし、宮津湾中に横れる沙嘴なり。松の下道の長く海に突き入ること廿八町南端は切戸の小海峡を隔て文殊と相対せり。(注:現在では京都丹後鉄道の天橋立駅が利用できる。)

源俊頼(詞花集)

なみたてる松のしづえをくもでにて霞みわたれる天の橋立

大江義重(玉葉集)

橋立や松ふきわたる浦風に入海とほくすめる月影

藤井喜一

橋立の松の中道砂光るゆふべを来けりはつ夏の旅

松かさの落つる音して橋立の真白真砂路しづけくもあるか

宮津より栗田村に越ゆる坂路にたちて
長塚節

鯵網を建て干す磯の夕なぎに天の橋立霧たなびけり

九条武子

あかつきの欄にゐよれば久方のあまのはしだて神世の如し

補録

丹後国にまかりける時よめる
赤染衛門

思ふことなくてぞ見まし与謝の海の天の橋だて都なりせば

小式部内侍(金葉集・百人一首)

大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立

海路
祐子内親王家紀伊(堀河百首)

舟とめて見れどもあかず松風に波よせかくる天の橋立

浦冬月
細川幽斎

雲はらふ与謝の浦風さえくれて月ぞ夜わたる天のはしだて

後水尾院

浪の音に聞きつたへても思ふぞよふみ見ばいかに天の橋立

与謝野寛

小雨はれみどりとあけの虹ながる与謝の細江の朝のさざ波

丹後舞鶴の港より船に乗りて宮津ヘ志す
長塚節

真白帆のはららに泛ける与謝の海や天の橋立ゆほびかに見ゆ

吉井勇

ひさかたの天の橋立ここに来てあはれとぞ思ふ小式部の歌

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線2 西舞鶴2016年07月14日

田辺城 Railstation.net フリー写真

田辺城(京都府舞鶴市)

綾部駅より舞鶴線によりて天の橋立方面に至る。

西舞鶴(田辺)

古く田辺といふ。慶長五年細川幽斎の籠城せし地。城址いま公園となりて心種園といへり。

 

慶長五年七月廿七日、丹後国籠城せし時、古今集証明の状式部卿智仁親王へたてまつるとて

細川幽斎

いにしへも今もかはらぬ世の中に心の種をのこす言の葉

(注:石田三成の西軍に包囲され、丹後田辺城に籠城していた時、古今伝授の秘伝書と共に智仁親王(後陽成天皇の同母弟)に奉った歌。親王は兄天皇に幽斎の助命を奏請し、これを受けて天皇は勅使を派遣し講和を実現させた。)

補録

琴引浜(網野の浦)

京都府京丹後市にある砂浜。鳴き砂で名高い。

細川幽斎

根上がりの松に五色の糸かけつ琴引き遊ぶ三津の浦浜

細川ガラシャ

名に高き太鼓の浜に鳴神のをちにも渡る秋の夕さめ

与謝野鉄幹

遠く来て我が行く今日の喜びもともに音を立つ琴引の浜

与謝野晶子

おく丹後おくの網野の浦にして入日をおくる旅人となる

人踏めば不思議の砂の鳴る音も寂しき数の北の海かな

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陰線1 保津川2016年07月12日

保津川 トロッコ列車より

トロッコ列車より保津川を望む

保津川

亀山より嵐山の渡月橋まで四里の急流を一時間にて舟行すべし

 

左右田翠松

保津川を下す舟子が岩角に棹あつるみれば心たわみぬ

補録

保津川

桂川の上流。大堰川の一部。「通常、亀岡盆地と京都盆地との間の山地を流れる部分をいう。嵐山付近から下流は桂川となる」(広辞苑第五版)。嵯峨駅から亀岡駅まで、峡谷沿いにトロッコ列車が運行している。

題しらず    大江嘉言(万代集)

亀山のうへの古草やくならし大堰おほゐのかたにけぶりたつ見ゆ

与謝野晶子

保津川の水に沿ふなる女松山幹むらさきに東明しののめするも

佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』山陽線13 下関・阿弥陀寺2016年07月10日

関門海峡 火の山公園より

関門海峡 火の山公園より

下関

中国の西南端にして下関海峡の北岸にあり。

村山松根

早鞆はやともの瀬戸のたか汐引島にただよひのこるあさがすみかな

(注:早鞆の瀬戸は関門海峡の東寄りに位置する瀬戸で、今関門橋が架かる。源平合戦の古戦場。)

金塚光

早ともの早瀬に春の色みちて満珠干珠は汐ぐもりせり

佐佐木信綱

早鞆の瀬戸の早潮緑潮朝日にかをるきさらぎ廿日

宗方清子

関門の海峡にして日がくれぬ旅にあることもすこし悲しき

阿弥陀寺

下関市の東方にあり。安徳天皇の御陵、また平氏一族の墳墓あり。

石引夢男

阿弥陀寺のふるき畳の匂ひさへ涙ぐましき春の日あたり

補録

下関

慈円

涙ゆゑ袖も赤間の関なれと頃はもみぢに枝かくせども

(「赤間の関」は下関の旧名。)

銀杏満門

岩硯海より深く思ふぞよ顔は赤間の関のへだてに

(下関は硯の高級品赤間硯の産地としても知られた。)

周防の国富海とのみより故郷へ送れる文の中に

久坂玄瑞

ふるさとの花さへ見ずに豊浦とようらにひ防人さきもりと我は来にけり

(「豊浦」は下関市豊浦町に地名が残る。響灘に面する。幕末、外国艦船が停泊していた。)

下の関にて
若山牧水

桃柑子芭蕉の実売る磯街の露店の油煙青海にゆく

佐藤佐太郎

ひとかたに流るる渦の見ゆるまで中空なかぞらの月海峡に照る

祝島

熊毛郡上関町。周防灘の東端の小島。

遣新羅使

家人は帰り早祝島いはひしまいはひ待つらむ旅行く我を

海辺霞
大内政弘

心なき海士も春とや祝ひ島舟路のどかに波ぞかすめる

香川景樹

正月むつきたつ今日にしあれやいはひじま小松がうれにたづさはに鳴く

阿弥陀寺

赤間関阿弥陀寺と云ふ所に、安徳天皇の木像まします、拝したてまつるに住持法楽に一首と有りて、たんざくを出だされ侍るに

正広

かくばかりいとけなき君をしづめきや此の浦つらき浪の上かな