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「やど」といふ語2009年10月02日

古語、特に和歌に使はれた語は、ひとつの語に多くの意味を担はせてゐる場合が少なくありません。いえ掛詞の話ではありません。例へば「やど」といふ語。今「やど」と言へば、旅館やホテルなど、旅先で泊まる場所を言ふのが普通でせう。ところが和歌では「家屋」「家屋の戸」「家の庭」「旅宿」と、おほよそ四つの意味で用ゐられてゐるのです。
・家の意:君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋の風吹く(額田王)
・家の戸の意:夕さらばやど開けまけて我待たむ夢に相見に来むといふ人を(大伴家持)
・庭の意:秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどの撫子咲きにけるかも(大伴家持)
・旅宿の意:君が行く海辺のやどに霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ(作者未詳)
すべて万葉集より。「やど」は原文では上からそれぞれ「屋戸」「屋戸」「屋前」「夜杼」と書かれてゐます。
そもそも語源は「屋処(やと)」、すなはち《家屋のあるところ》の意で、元来は家とその周辺を言ふ語であつたやうです(白川静『字訓』)。
それにしても、家の内、家の外、内と外の境界、ひつくるめて「やど」の一語で表すとは、実に面白く感じます。昔の日本人の《家》をめぐる空間的な感覚が偲ばれます。さう言へば、ちよつと昔まで日本人は家の中に《土間》といふ家の内と外の中間地帯のやうな場所を必ず設けてゐましたし、また《縁側》といふ家の内と外とを自由に往き来できる場所を必ず設けてゐたのでした。
また、自宅と旅宿を「やど」と呼んで区別しないことも興味深い。持ち家であらうが、借家であらうが、旅の宿であらうが、いづれ一時のかりそめの宿りに過ぎぬ。骨身に沁みて無常を識つてゐた古人の潔さが偲ばれるではありませんか。
なほ、「旅宿」の意で「やど」を使ふ――すなはち現代口語と同じ使ひ方ですが――のは、もともとは誤用で、名詞「やど」と動詞「やどる(屋取る→宿る)」との混同から来てゐます。「取る」のトは乙類ですが、「屋処(やと)」のトは甲類です。意外なことに、「やど」と「やどる」は本来関係のない語だつたのです。とは言へ現存最古の歌集である万葉集に既に見られる使ひ方なのですから、これを「誤用」と呼ぶのは誤用と言ふべきでせう。

白氏文集卷十四 八月十五日夜、禁中獨直、對月憶元九2009年10月05日

八月十五日の夜、禁中に独り(とのゐ)し、月に対して元九(げんきう)(おも)ふ   白居易

銀臺金闕夕沈沈  銀台(ぎんだい) 金闕(きんけつ) 夕べに沈沈(ちんちん)
獨宿相思在翰林  独り宿り 相思ひて翰林(かんりん)()
三五夜中新月色  三五夜中(さんごやちゆう) 新月の色
二千里外故人心  二千里(にせんり)(ほか) 故人(こじん)の心
渚宮東面煙波冷  渚宮(しよきゆう)東面(とうめん)煙波(えんぱ)(ひやや)かに
浴殿西頭鍾漏深  浴殿(よくでん)西頭(せいとう)鐘漏(しようろう)は深し
猶恐淸光不同見  ()ほ恐る 清光(せいくわう)は同じく見ざるを
江陵卑湿足秋陰  江陵(こうりよう)卑湿(ひしつ)にして 秋陰(しういん)(おほ)

【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。
私は独り翰林院に宿直し、君を思う。
十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、
二千里のかなたにある、旧友の心よ。
君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、
私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。
それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。
君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。

【語釈】◇銀台 銀作りの高殿を備えた建物。白居易が勤めた翰林院の南の銀台門のことかという。◇金闕 金づくりの楼門。◇翰林 皇帝の秘書の詰め所。翰林院。◇三五夜 十五夜。◇新月 東の空に輝き出した月。◇故人 旧友。◇渚宮 楚王の宮殿。水辺にあった。◇煙波 煙のように霞んで見える波。◇浴殿 浴堂殿。翰林院の東にある。◇鐘漏 鐘と水時計。いずれも時刻を知らせるもの。「鍾漏」とする本もある。◇淸光 月の清らかな光。◇秋陰 秋の曇り。

【補記】元和五年(810)の作。七言律詩。作者三十九歳。八月十五夜、中秋の名月の夜にあって、宮中に宿直した白居易が、親友の元九こと元稹を思って詠んだ詩。元稹は当時左遷されて湖北の江陵にあった。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。また源氏物語須磨帖には、源氏が十五夜の月を見て「二千里のほか、故人の心」と口吟んだことが見える。

【影響を受けた和歌の例】
月きよみ千里の外に雲つきて都のかたに衣うつなり(藤原俊成『玉葉集』)
月を見て千里のほかを思ふかな心ぞかよふ白川の関(藤原俊成『続千載集』)
ふす床をてらす月にやたぐへけむ千里のほかをはかる心は(藤原定家『拾遺愚草』)
雲きゆる千里の外の空さえて月よりうづむ秋の白雪(藤原良経『新後拾遺集』)
更けゆけば千里の外もしづまりて月にすみぬる夜のけしきかな(京極為兼『金玉歌合』)
思ひやる千里の外の秋までもへだてぬ空にすめる月かげ(日野俊光女『新拾遺集』)
月とともに千里の外もすみやゆかんかぎりあるべき鐘のひびきも(中院通勝『通勝集』)

【参考】『源氏物語』須磨
月、いとはなやかにさし出でたるに、今宵は十五夜なりけりとおぼし出でて、殿上の御遊び恋しう、所々ながめ給ふらむかしと思ひやりたまふにつけても、月のかほのみ、まぼられ給ふ。「二千里のほか、故人の心」と誦じ給へる、例の、涙もとどめられず。
『徒然草』第百三十七段
望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁ちかくなりて待ち出でたるが、いと心ぶかう、青みたるやうにて、深き山の杉の梢にみえたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。

白氏文集卷十四 暮立2009年10月06日

暮に立つ     白居易

黄昏獨立佛堂前  黄昏(くわうこん) 独り立つ 仏堂の前
滿地槐花滿樹蟬  満地の槐花(くわいくわ) 満樹の蝉
大抵四時心總苦  大抵(おほむね)四時(しいじ)は心すべて(ねんごろ)なり
就中腸斷是秋天  就中(このうち)(はらわた)の断ゆることはこれ秋の天なり

【通釈】黄昏時、独り仏堂の前に立つと、
地上いちめん槐(えんじゅ)の花が散り敷き、樹という樹には蝉が鳴く。
おおむね四季それぞれに心遣いされるものであるが、
とりわけ、はらわたがちぎれるほど悲しい思いをするのは秋である。

【語釈】◇槐花 槐(えんじゅ)の花。中国原産のマメ科の落葉高木で、夏に白い蝶形花をつける。立秋前後に散る。◇心總苦 訓は和漢朗詠集(岩波古典大系)に拠る。「心すべて苦しきも」などと訓む本もある。◇腸断 腸が断ち切れる。耐え難い悲しみを言う。『世説新語』、子を失った悲しみのあまり死んだ母猿の腸がちぎれていたとの故事に由来する。◇秋天 単に秋のことも言う。

【補記】元和六年(811)秋の作。作者四十歳。「大抵四時」以下の句は和漢朗詠集に引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり(読人不知『古今集』)
いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふことの限りなりける(読人不知『古今集』)
おしなべて思ひしことのかずかずに猶色まさる秋の夕ぐれ(藤原良経『新古今集』)
さくら花山ほととぎす雪はあれど思ひをかぎる秋は来にけり(藤原定家『拾遺愚草員外』)

【参考】夕かげなるままに、花のひもとく御前のくさむらを見わたし給ふ、もののみあはれなるに、「中に就いて腸断ゆるは秋の天」といふことをいと忍びやかに誦じつつ居給へり(源氏物語・蜻蛉)

唐詩選卷六 靜夜思 李白2009年10月07日

静夜思(せいやし) 李白

牀前看月光  牀前(しやうぜん)月光を()
疑是地上霜  疑ふらくは()れ地上の霜かと
擧頭望山月  (かうべ)を挙げて山月(さんげつ)を望み
低頭思故鄕  (かうべ)()れて故郷(こきやう)を思ふ

【通釈】寝台の前に射し込む月の光を見る。
もしやこれは地上に降った霜か。
頭を上げて、山の端の月を眺めやり、
頭を垂れて、故郷を思いやる。

【補記】開元十九年(731)三十一歳、放浪の旅のさなか、安陸の小寿山に滞在した時の作。この作に限るわけではないが、月の光を霜になぞらえるといった《見立て》の趣向は平安時代の和歌に大きな影響を与えた。

【影響を受けた和歌の例】
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪(坂上是則『古今集』)
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ(藤原定家『新古今集』)
あふぎみる高嶺の月にふる郷の草葉の霜の色をしぞ思ふ(松平定信『三草集』)

白氏文集卷十三 晩秋閑居2009年10月09日

晩秋の閑居(かんきよ)    白居易

地僻門深少送迎  地は(かたよ)り 門は深くして 送迎(そうげい)(まれ)
披衣閑坐養幽情  (ころも)()閑坐(かんざ)し 幽情を養ふ
秋庭不掃攜藤杖  秋の庭は(はら)はず 藤杖(とうぢやう)(たづさは)りて
閑蹋梧桐黄葉行  (しづ)かに梧桐(ごとう)黄葉(くわうえふ)()んで(あり)

【通釈】わが家は僻地にあり、門は通りから引っ込んでいるので、客人の送り迎えもなく、
上衣を引っ掛けのんびり座ったまま、静かな心をはぐくむ。
秋の庭は掃除せず、藤の杖をひいて
ゆっくりと梧桐の黄葉した落葉を踏んで歩く。

【語釈】◇少送迎 「少」は否定の意であろう。◇梧桐 青桐。アオギリ科の落葉高木。葉は大きく、秋に黄葉する。

【補記】和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。

【影響を受けた和歌の例】
桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど(式子内親王『新古今集』)
人は来ず掃はぬ庭の桐の葉におとなふ雨の音のさびしさ(源通具『万代集』)
踏みわけて誰かとふべきふるさとの桐の葉ふかき庭の通ひ路(飛鳥井雅有『雅有集』)

白氏文集卷十四 秋蟲2009年10月11日

秋の虫      白居易

切切闇窗下  切切たり闇窓(あんさう)(もと)
喓喓深草裏  喓喓(えうえう)たり深草(しんさう)(うち)
秋天思婦心  秋の天の思婦(しふ)の心
雨夜愁人耳  雨の()愁人(しうじん)の耳

【通釈】暗い窓の下、胸に迫るばかりに、
深い草の中で、虫が頻りに鳴いている。
秋の空に遠い夫を思う妻の心、
雨の夜の愁いに沈むその人の耳に。

【語釈】◇喓喓 虫が頻りに鳴くさま。◇思婦 旅にある夫を思う妻。 ◇愁人 愁いをもつ人。「思婦」と同じ人を指す。

【補記】和漢朗詠集に全文引用されている。但し第一句「切切暗窓下」、第二句「喓喓深草中」。

【影響を受けた和歌の例】
草ふかき宿のあるじともろともにうき世をわぶる虫の声かな(慈円『続後撰集』)
くらき窓ふかき草葉に鳴く虫の昼はいづこに人めよくらむ(宗尊親王『竹風和歌抄』)

唐詩選卷六 秋日 耿湋2009年10月12日

秋日(しうじつ)     耿湋

返照入閭巷  返照(へんせう) 閭巷(りよかう)()
憂來誰共語  (うれ)(きた)りて(たれ)と共にか語らむ
古道少人行  古道(こだう) 人の行くこと(まれ)
秋風動禾黍  秋風(しうふう) 禾黍(くわしよ)を動かす

【通釈】夕日が村里に射し込むと、
悲しみが湧いて来て、この思いを誰と共に語ろう。
古びた道は人の往き来なく、
ただ秋風が田畑の穂を揺らしている。

【語釈】◇返照 夕日の光。「へんじょう」(字音仮名遣では「へんぜう」)とも読まれる。◇閭巷 村里。◇憂來 「憂へ来たるも」と訓む本もある。◇少人行 人の行くことがない。「少」は否定の意に用いられる。◇禾黍 稲と黍(きび)

【作者】耿湋(こうい)。中唐の詩人。生年は西暦734年頃、没年は同787年以後かという。河東(山西省永済)の人で、宝応二年(763)の進士。長安の都で詩人として活躍し、大暦十才子の一人。

【補記】田園の秋の夕暮の憂愁を詠む。芭蕉の句「この道や行く人なしに秋の暮」はこの詩に発想の契機を得たと言われる。会津八一の歌は翻訳に近いもの。

【影響を受けた和歌の例】
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く(源経信『金葉集』)
夕日さす田面の稲葉打ちなびき山本とほく秋風ぞ吹く(二条為氏『新拾遺集』)
秋の日も夕べの色になら柴の垣根の山路行く人もなし(肖柏『春夢草』)
いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし(会津八一『鹿鳴集』)

白氏文集卷十九 聞夜砧2009年10月13日

夜の砧を聞く   白居易

誰家思婦秋擣帛  ()(いへ)思婦(しふ)ぞ 秋に(きぬ)()
月苦風凄砧杵悲  月()え 風(すさま)じくして 砧杵(ちんしよ)悲し
八月九月正長夜  八月(はちぐわつ) 九月(くぐわつ) (まさ)に長き夜
千聲萬聲無了時  千声(せんせい) 万声(ばんせい) ()む時無し
應到天明頭盡白  (まさ)天明(てんめい)に到らば (かしら)(ことごと)く白かるべし
一聲添得一莖絲  一声(いつせい) 添へ得たり 一茎(いつけい)の糸

【通釈】遠い夫を思う、どこの家の妻なのか、秋の夜に衣を擣っているのは。
月光は冷え冷えと澄み、風は凄まじく吹いて、砧の音が悲しく響く。
八月九月は、まことに夜が長い。
千遍万遍と、その音の止む時はない。
明け方に至れば、私の髪はすっかり白けているだろう。
砧の一声が、私の白髪を一本増やしてしまうのだ。

【語釈】◇擣帛 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇砧杵 衣を擣つための板。またそれを敲く音。◇八月九月 陰暦では仲秋・晩秋。

【補記】擣衣は万葉集に見えず、平安時代以後、漢詩文の影響から和歌に取り上げられるようになった。砧を擣つ音が悲しく聞こえるのは、遠い夫を偲ぶ妻の心を思いやってのことである。和漢朗詠集に第三・四句が引用されている。長慶二年(822)前後、白居易五十一歳頃の作。

【影響を受けた和歌の例】
誰がためにいかに()てばか唐衣ちたび八千(やち)たび声のうらむる(藤原基俊『千載集』)
千たび()つ砧の音に夢さめて物思ふ袖の露ぞくだくる(式子内親王『新古今集』)
聞きわびぬ葉月長月ながき夜の月の夜寒に衣うつ声(後醍醐天皇『新拾遺集』)

和歌歳時記メモ 柳蓼2009年10月14日

柳蓼
犬蓼と同じくタデ科の一年草。犬蓼は街なかでもよく見かけられ、路傍や原つぱなど至るところに生えてゐるが、柳蓼は川べりや水田のふちなど、水辺でしか見た記憶がない。しかし単に「蓼」と言ふ時は、この柳蓼を指すことが多いらしい。本蓼・真蓼とも。古歌に「水蓼」「青蓼」などと詠まれてゐるのも柳蓼或はその変種と思はれる。
犬蓼よりも花の色が薄く、また犬蓼ほどびつしり穂をつけた草は余り見かけない。犬蓼に比べると、寂しげな感じのする花で、むしろ風情はまさつてゐるのではないだらうか。
葉は細く柳に似、柳蓼の名はこれに由来する。辛味があるせゐで「蓼食ふ虫も好き好き」の諺では見下されたやうな恰好であるが、若葉は魚料理などに欠かせない香辛料とされてきた。
『好忠集』(四月中) 曾禰好忠
やほ蓼も川の瀬みればおいにけり辛しやわれも年をつみつつ
「やほ蓼」は万葉集にも用例があり、「八穂蓼」すなはち花穂をたくさん付ける蓼。好忠の歌では「辛(から)し」とあるので、おそらく柳蓼のことであらう。「おいにけり」に「生いにけり」「老いにけり」を掛け(「生い」は正しくは「生ひ」であり仮名違ひであるが)、「つみ」には「摘み」「積み」を掛けてゐる。香辛料に摘まれる草に言寄せて、老境の身を嘆いた歌である。
琴後(ことじり)集』(蓼) 村田春海
からきにも馴るれば馴れて過ぐす世に蓼はむ虫を何かとがめむ
「蓼はむ虫」は「蓼くふ虫」と同じことで、昔から同じ意味の諺が使はれてゐたことが知れる。辛い葉をわざわざ好んで食ふ虫をなぜ非難しよう。辛いことばかり多い世の中、その辛さに馴れて過ごしやるしかない人生ではないか。
このやうに昔の歌では味が辛いことに引つ掛けた述懐色の濃い歌が多い。この花独特の風情を生かした歌を探してみると、
『亮々遺稿』(蓼) 木下幸文
故郷を秋きて見れば水かれし池の汀に蓼の花さく
あたりが辛うじて見つかる程度で、少し寂しい気がする。
「蓼の花」と言つても、他に桜蓼、白花桜蓼、大犬蓼などなど、それぞれに花の趣は異なる。この季節、河原などを訪ね、さまざまな花穂を見比べてみるのも楽しい散策とならう。

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『万葉集』(平群朝臣が嗤ふ歌一首)
わらはども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣(あそ)が腋くさを刈れ

『山家集』(題しらず) 西行
くれなゐの色なりながら蓼の穂のからしや人の目にもたてぬは

『風情集』藤原公重
みづたでの穂にいでて物を言はねどもからきめをのみ常に見るかな

『亮々遺稿』(虫) 木下幸文
蓼の花咲きみだれたる山川の岸根にすだく虫の声かな

『柿園詠草』(秋哀傷) 加納諸平
露霜の 秋さり衣 吹きかへす 風を時じみ 蘆垣の 籬にたちて もみぢ葉の すぎにし人を うつらうつら 恋ひつつをれば 蓼の穂に 夕日くだちて 雁なきわたる

文選卷二十九 雜詩 魏文帝2009年10月15日

雑詩    魏文帝

漫漫秋夜長  漫漫として秋夜(しうや)長く
烈烈北風涼  烈烈として北風(ほくふう)(つめた)
展轉不能寐  展転として()ぬる(あた)はず
披衣起彷徨  (きぬ)(かづ)()ちて彷徨(はうくわう)
彷徨忽已久  彷徨 (たちま)(すで)に久しく
白露霑我裳  白露(はくろ) 我が()()らす
俯視淸水波  ()しては清水(せいすい)の波を()
仰觀明月光  (あふ)ぎては明月の光を()
天漢迴西流  天漢(てんかん) 西に(めぐ)りて流れ
三五正縱横  三五(さんご) (まさ)縦横(じゆうわう)
草蟲鳴何悲  草虫(さうちゆう) 鳴いて何ぞ悲しき
孤鴈獨南翔  孤雁(こがん) 独り南に(かけ)
鬱鬱多悲思  鬱鬱(うつうつ)として悲思(ひし)多く
緜緜思故鄕  緜緜(めんめん)として故郷(こきやう)を思ふ
願飛安得翼  飛ばんと願へども(いづく)んぞ翼を得ん
欲濟河無梁  (わた)らんと欲すれども河に(はし)無し
向風長嘆息  風に向かひ長歎息(ちやうたんそく)すれば
斷絶我中腸  我が中腸(はらわた)を断絶す

【通釈】果てしない程に秋の夜は長く、
烈しい程に北風は冷たい。
寝返りばかりして眠ることも出来ず、
衣を引っ掛け、起き上がって辺りをさまよう。
さまよううち、いつしか時間は過ぎ、
気づけば白露が私の袴を濡らしている。
俯いては清らかな川の波を見、
仰いではさやかな月の光を眺める。
天の川は西へまがって流れ、
三星・五星はまさに縦横に天を駆け廻る。
草叢の虫が鳴き、何が悲しいのか。
雁が一羽、南の空を翔けてゆく。
私は鬱々と悲しい思いばかりして、
いつまでも故郷を偲び続ける。
飛ぼうにも、どうして翼を得られよう。
渡ろうにも、河に橋が無い。
風に向かって長嘆息すれば、
私のはらわたは千切れるのだ。

【語釈】◇裳 袴。腰から下の衣服。◇淸水 後の句「欲濟河無梁」から「水」は川を指すと判る。◇天漢 天の川。◇三五 『詩経』召南篇の「嘒彼小星 三五在東((けい)たる彼の小星 三五 東に在り)」に拠る。三・五はいずれも小星の名らしいが、不詳。◇緜緜 綿綿に同じ。永くつづくさま。

【補記】特にどの句がどの歌に影響を与えたというよりも、全体としてこの詩の悲秋の趣向が日本文学に与えた影響は少なからぬものがあると思われる。「雑詩二首」の一。『藝文類聚』巻二十七にも所収。

【作者】魏文帝、曹丕(そうひ)(187~226)。武帝(曹操)の嫡子。文学を尊重し詩を好み、「燕歌行」「短歌行」「寡婦」などの傑作詩を残す。

【影響を受けた和歌の例】
秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫のわぶれば(よみ人しらず『古今集』)
露も袖にいたくな濡れそ秋の夜の長き思ひに月は見るとも(順徳院『紫禁和歌集』)