佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線9 富士山 ― 2015年02月20日
富士山
富士の嶺に降りおける雪は六月の望に消ぬれば其夜ふりけり
道すがらふじの烟もわかざりきはるるまもなき空のけしきに
立ちならぶ山こそなけれ秋津州わが日の本の富士の高嶺に
富士の嶺に登りて見れば天地はまだ幾ほどもわかれざりけり
富士の嶺は山の王にて高御座そらにかけたる雪のきぬがさ
二つなき富士の高嶺の奇しかも甲斐に有とふ駿河にも有とふ
心あての雲間はなほも麓にておもはぬ方に晴るゝ富士の嶺
夕立の晴れたる跡にあらはれて虹より上にたてる富士の嶺
うつくしくあやにたへなりかしこくも神の造れる我おほみ山
青雲をさしつらぬきてましろなる富士が嶺たてり二月の空に
富士の嶺を天つみ空に残しおきて此世の今日は暮果にけり
おのづから成らむまにまに任せつつなれる姿を富士の嶺に見し
何もなしただ星空を黝うせる大き斜面のおごそかなりや
白雲のむらがる中におのづから光る雲あり富士にしあるらし
天の下一つ御国にならむ日も山のつかさの富士の神山
群山は雲のたもとにおほはれて御空に匂ふふじの白雪
天地に物音もあらず月一つ空にかかれり富士のみねの上
見るままに清く静けくうるはしく果は悲しき峯の上の月
声高に物は語らじほど近き星の宮人ねぶりさむべし
天近き宝の岩床夜をさむみ人の世恋し人の身われは
いつよりか天の浮橋中絶えて人と神との遠ざかりけむ
もゆる火のもえたつ上に天ぎらひみ雪ふりけむ神代をぞ思ふ
八十国を巌の下に雲の下に踏み沈め行くわが足たふとし
人の息に灯にごれる室出でて静かにぞきく星のささやき
富士の裾野
富士の嶺は晴れゆく空にあらはれて裾野にくだる夕立の雲
時知らぬふじの裾野の花薄穂にいづる見れば秋にざりける
行けど〳〵玉蜀黍の穂の光り富士あらはにも夕焼したり
富士のねを横ぎる雲もこほるらし裾野をかけて雪ましろなり
立髪を裾野の風に吹かせつつ馬のあゆみのここちよきかも
朝さむきさぎりの上に富士晴れて草花十里露にねぶれり
駒なめてゆくや裾野の秋風に心をどればをどる糸だて
裾野近く春の日も暮れぬ灯ともれる家のわきなる木蓮の花
三島
箱根西麓の宿駅、三島神社あり。
あはれとやみ島の神の宮柱たゞここにしもめぐり来にけり
関こえて三島にやどる夕ぐれに思へば家をとほざかりぬる
富士曇り箱根に日照り軒近みのうぜんかづら咲きにけるかも
補録
富士山
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が心かな
水無月のなかばに消えし白雪のいつしか白き富士の山風
朝ぼらけ霞へだてて田子の浦に打ち出でてみれば山の端もなし
足柄の山たちかくす霧の上にひとりはれたる富士の白雪
北になし南になしてけふいくか富士の麓をめぐりきぬらん
雲かすみながめながめて富士のねはただ大空につもる雪かな
年へても忘れぬ山のおもかげを更に忘れて向ふ富士かな
この神よいかにふ神ぞ青雲のたなびく空に雪のつもれる
雪ふれば千里もちかし欄干のもとよりつづく不二の柴山
ゆく春をひとりしづけき思かな花の木間に淡き富士見ゆ
汐けむりもやごもる磯に夕富士は紺の色してたかくしありけり
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線10 韮山~田子の浦 ― 2015年02月21日
三島より韮山、修善寺方面に駿豆鉄道あり。
韮山
北条駅より東八町に韮山城址あり。附近に江川氏旧宅、姪が小島などあり。
廂朽ち柱くろめるこのあたり君や倚りけむ秋の日影に
にら山のふりにし家のいき柱今も朽ちせで残る尊とさ
足たたぬ姪がこ島に年を経てゐながら人を靡けつるかな
天そそる山脈みつつここにしてますらを心ふりおこしけむ
三津浜
南条より西へ約三里。
三津の浜しづけき波路ながめつつおもふ事なき朝ありきかな
鏡なす海の面はやも春めきていわしむれよる三津の内海
修善寺
大仁駅より二十町。
湯の室の屋蔭に青き枇杷の葉の露をもちつつ一日暮れたり
瀬の音を聞てゐたればいつとなく瀬の音の中にわが憂消ゆ
欄により清き流を眺めけりのんびりとした心になりて
桂川ながれの音をうつつにも夢にも聞きて安くねむりぬ
朝風の温泉の街の山青み日もやはらかく輝けるかな
桂川苔むす岩に夕日さしあなたこなたに鶺鴒飛ぶも
かつら川清き瀬の音に身も心もいみきよまはり二日三日経ぬ
ふたたび本線に帰りて三島の次の駅は沼津なり。
静浦
沼津の南。牛臥、桃郷、静浦等。
空蝉の世を卒はるまで富士のねにむかへる時の心ともがな
静浦の雨まづ晴れてつぎつぎに伊豆の山々雲にうかべり
東南風ふき白波立てば伊豆の海釣する船の数の乏しき
三間にあまる銛の柄たばさみ持ち大蛸つくと船こぎすすむ
老松の居並ぶ裾に浪はよせつ浪は返しつ静浦のはま
たかねの雪桃のくれなゐ空の色とわが前に続く春真昼かな
浮島が原
原、鈴川の中間。
ふきおろす富士の高嶺の朝嵐に袖しをれそふ浮島が原
富士のねを木の間木の間にかへり見て松の蔭踏む浮島が原
田子の浦
鈴川駅附近の海浜。
田子の浦ゆ打出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
昼見れどあかぬ田子の浦大君の命かしこみ夜みつるかも
するがなる田子の浦波たたぬ日はあれども君を恋ひぬ日はなし
補録
浮島が原
言の葉の及ばぬ身には目に見ぬもなかなかよしや雪の富士の嶺
田子の浦
沖つ風よさむになれや田子の浦海人の藻塩火たきすさむらん
いつとなき富士のみ雪の面影もただ秋風の田子の浦波
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線11 富士川~安倍川 ― 2015年02月22日
写真は三保の松原。無料写真ギャラリー[まんでがん] より。
富士川
朝日さす高ねのみゆき空はれて立ちも及ばぬふじの川霧
高根には雪みえ初めて富士川のわたり瀬さむし秋のゆふなみ
おちたぎちはしり流るる富士川の瀬枕ごとにねたる鳥かな
川どめも今朝よりあきし富士川の渡りせ広く霧たちこめぬ
神山は半かくれてふじ川のひろき川原に匂ふ秋の日
岩瀬
富士川の右岸
軒端よりふりさけ見れば富士の嶺はあまり俄にたてりける哉
古渓の松のひまより眺めやる田子の浦なみ伊豆の島山
見るがうちに高嶺は消えて富士川の早瀬を走る夕立の雨
清見潟
興津付近の海岸。
清見潟あとは昔の名のみにて波の関もる月のかげかな
庵原の清見がさきに朝はれて富士は秋こそ見るべかりけれ
清見潟春の海漕ぐ舟の櫓の音もしづかに心のどけし
清見潟おきつ白浪さわげども夕日に眠る三保の松原
興津
沖津より夕越えくれば山松のこずゑにかかる富士のしら雪
かへりこぬ夜舟まちこひ三保の浦の興津の海女や衣うつらむ
富士の峰をうつす入江のたゞ中に一すぢ青し三保の松原
清見寺夕べはことに物はかな棕梠竹に降る初夏の雨
沖は雨白き薄絹ひけるごと三保はかすかに波にうかべり
三保の松原
清見潟の前に海上に突出せる松原。
世に知らぬ眺なればや天人のあまくだりにし三保の松原
清見がたかすみの間より見渡せば浪にたゆたふ三保の松原
ふじのねの雪の夜あらし吹落ちてちどりなきたつ三保の松原
清水より三保へと通ふ渡船われたゞひとり富士にむかへり
さら〳〵と海の風うけて砂糖黍あをきが上に雪の富士みゆ
ひき潮の干潟々々のたまり水うつれる富士をふみてたつ鳥
影ひたす富士をうつして幾十の海苔採りぶねに賑はへる海
椿咲く藁屋の軒に三四人稲こき居るも富士を背にして
龍華寺
江尻より南一里、高山樗牛の墓あり。
大いなる自然の袖につゝまれて安らに眠る才人の墓
三保の海に影うく富士の美しさ夕立晴れし龍華寺の庭
久能山
江尻と静岡の中間にあり、徳川家康を祀る。
椿さく久能の御坂の七まがりまがりてくれば雉子なくなり
海ぞひや北を山なる畑みちいちごみのれり初春にして
山つゞき柑子の花のあまき香につつまれつゝも沖の船見る
静岡
駅より西北十六町に賤機山あり。その山麓に浅間神社あり。
誰が為ぞ賤機山の永き日に声のあやおる春の鶯
けさ見れば賤機山のこずゑより紅葉の錦おりぞそめつる
鶯の声のあやめもわかぬまで早くれそむる賤はたの山
安倍川
静岡の西を流る。
焼津辺に吾が行きしかば駿河なる安倍の市路にあひし女はも
安倍川の流ほそれる冬の日に時得がほなる木枯の森
補録
興津
こととへよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でし跡の月かげ
伊豆手舟はや来寄すらしあなし吹く駿河の海の三保の興津に
清見潟
ちぎらねど一夜はすぎぬ清見がた波にわかるるあかつきの雲
清見がた月はつれなき天の門を待たでもしらむ波の上かな
さすらふる心に身をもまかせずは清見が関の月を見ましや
三保の松原
廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線12 宇津谷峠~引佐細江 ― 2015年02月23日
広重画保永堂版大錦東海道五十三次より日坂(佐夜の中山)
宇津谷峠
静岡より焼津に到る間にある山。
駿河なる宇津の山辺のうつゝにも夢にも人にあはぬなりけり
宇津の山わが行くさきも程遠き蔦の若葉に春雨ぞふる
茂りあふ蔦も楓も紅葉して木陰秋なる宇津の山越
夢さめて夢かとぞ思ふうつの山ふもとの里に旅寝してけり
宇津の山うつゝか夢か春の夜の月はかすみて花はちりつゝ
蔦分けて越えしは昔夢の間にうつの山をぞ過はてにける
大井川
島田金谷の間を流る。
波よりも秋や立つらむ大井川わたる瀬ごとに風ぞすゞしき
長橋を汽車はすぎぬ川どめの昔を子らに語りをる間に
菊川
金谷駅の近傍。往古の宿駅。
いにしへもかゝるためしをきく川の同じ流に身をや沈めむ
今も猶かやが軒端に雨もりて昔おぼゆる菊川の宿
小夜の中山
掛川の附近。
年たけて又越ゆべしとおもひきや命なりけり小夜の中山
年はまだ三十ぢがほどに行くと来と八度こえけりさよの中山
天龍川
水源は遠く信州の諏訪湖よりいづ。古く天の中川といへり。
諏訪の海や氷とくらし遠つあふみ天の中川みぎはまされり
久方の天の中川くだしくる筏の上にのこる白雪
水上の山なみ消えて夕立の雨うちけぶる天の中川
浜松
市の西郊伊場村は賀茂真淵が出生の地。市の附近は古への引馬野なり。
引馬野に匂ふ榛原入りみだり衣にほはせ旅のしるにし
かり衣乱れにけりな梓弓曳馬の野べの萩の朝露
宮古りて人かげもなき寒き日を老松のうれに小鳥声する
浜名湖
湖口に弁天島あり。
朝ぼらけはまなの橋はとだえして霞を渡る春の旅人
絵巻物みるこゝちしつ初春の浜名の湖の白帆ましら帆
みどり濃き岸のまつ原南吹きて浜名大うみ雨細うふる
引佐細江
浜名湖の奥の細江。
旅にして誰にかたらむとほつあふみいなさ細江のはるの曙
遠つあふみいなさ細江の秋風に月影寒く芦の花散る
絵のごとく目にさやかなり色深き引佐細江の初夏の水
補録
宇津谷峠
袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山ごえ
嵐吹く高嶺の雲をかたしきて夢路も遠し宇津の山越え
都にもいまや衣をうつの山夕霜はらふ蔦の下道
駿河なる宇津の山べにちる花よ夢のうちにもたれ惜しめとて
暮るるまで嵐に越ゆる宇津の山さぞな今宵も夢は見ざらむ
昔だに昔といひし宇津の山こえてぞしのぶ蔦の下道
うつの山つたの葉もろき秋風に夢路もほそきあかつきの空
小夜の中山
甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横ほりふせるさやの中山
甲斐が嶺ははや雪白し神な月しぐれて越ゆるさやの中山
甲斐が嶺はかすかにだにも見えざりき涙にくれしさやの中山
月にゆくさよの中山なかなかに明けてはくらき霧の下道
浜名の橋
霧はるる浜名の橋のたえだえにあらはれわたる松のしき浪
初雁も雲井にいまぞ鳴き渡る浜名の橋の秋霧の上に
あづまにまかりける時、浜名の橋のやどりにて月くまなかりけるを見て
高師山夕越え暮れて麓なる浜名の橋を月に見るかな
延元四年春頃、遠江国井伊城にすみ侍りしに、浜名の橋かすみわたりて、橋本の松原、湊の波かけてはるばると見渡さるるあした夕のけしき、面白く覚え侍りしかば
はるばると朝満つ潮のみなと舟こぎ出づるかたはなほ霞みつつ
遠つあふみ浜名の橋の秋風に月すむ浦をむかし見しかな
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線13 蒲郡~津島 ― 2015年02月24日
蒲郡
波の音終日聞きぬ海の風吹き通す家に夏をわすれて
岡崎
徳川家康生誕の地。
矢はぎ川わたす長橋長ければたちたゆたはぬ人なかりけり
天正のむかしを偲ぶ岡崎に今宵もののふ銃まくらせり
鳴海
大府より十町。有松絞の産地。
鳴海潟しほせの浪にいそぐらし浦の浜路にかかる旅人
絞結ふ少女の唄もしめやかに鳴海の町は春の雨ふる
知多半島
大府より武豊線、熱田より愛知電気鉄道あり。
北浦へ岡の茅原を夕越えて落つる日影も何かたゞよふ
桶狭間
大府より大高に到る間の右に見ゆる丘陵の間にあり。
雲の峰くづれ〳〵て夏草の真日にむさるゝ桶狭間山
はたた神なるみの浦の浦風にあとなく消えぬ夕立の雲
熱田神宮
草薙の剣を祀れる熱田神宮あり。今名古屋市の南部をなす。
八剣の熱田の宮のひろ前の楠の若葉の初夏の陽よ
名古屋
こがねの鯱日に輝くを仰ぎみつつ昔思ひ居れば喇叭の音聞ゆ
早春や高く聳ゆる御嶽の雪火の如く燃ゆる夕暮
初夏の夕ぐれ窓をあけて見れば目にさやかなり麦生の緑
曇り夜を名古屋の空のほの明り遠く眺めて郊外をゆく
中村公園
名古屋駅の西一里にあり。
天の下握らん人のうぶ声と誰かは知りし藪かげの道に
中村の里にかへりてほほゑみしゑがほぞ君のさかりなりける
瀬戸
名古屋より電車あり。陶器の生産地。
陶器のうは絵かくべくやとはれて今年もくれぬ瀬戸の山里
すゑものゝ土灑す槽の水温む日永の軒に柳あをめり
瀬戸川の底にちらばるすゑもののかけら光りて寒し冬の日
犬山
名古屋より電車あり。
うろこなる秋の白雲たなびきて犬山の城松の上に見ゆ
尾張野の北のはづれの城に立ちて大伊吹嶺の秋姿見る
城の上に鴉むれ居てなきさわぎ眼界の野に落つる秋の日
うちけぶる雨の若葉の木曽川にぬけ出しごと城ぞ立ちたる
津島
名古屋より電車の便あり。
松のひまに提灯の火ぞほの匂ふ舟山車いまか漕ぎいでぬらし
同 朝祭
夜のほどによそひかへつる猩々緋金高縫の目もさむる幕
補録
鳴海
君恋ふとなるみの浦の浜楸しをれてのみも年をふるかな
風吹けばよそになるみのかた思ひおもはぬ波に鳴く千鳥かな
浦人の日もゆふぐれになるみがたかへる袖より千鳥鳴くなり
鳴海潟しほのみちひのたびごとに道ふみかふる浦の旅人
熱田神宮
駒とめて涼みてゆかんちはやぶる夕日あつたの杜の下蔭
犬山
犬山の城の白壁さやかにもうつりて清し木曽川の水
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線14 各務が原~伊吹山 ― 2015年02月25日
各務が原
陸軍の飛行場あり。
各務野の果の夕空飛行機の一機は高く一機は低き
高飛ぶや天の鳥船音たててかがみが原は夕霞しぬ
金華山
岐阜市の北、長良川に臨む。山頂に稲葉城址あり。
たらちねの名をばくたさじ梓弓いなばの山のつゆと消ゆとも
灰色のもやは尾張ゆせまりきて風襲ふらし山の城鳴る
長良川
金華山の麓を流るゝ川、鵜飼にて名高し。
鵜かひ舟かへりはてにし波の上にふけたる星のかげの涼しさ
夕ばえの早瀬をのぼる鮎若し今いくかありて鵜船さすらむ
鮎のぼる夏となりぬれ柳の葉黒みを帯びてけうとかりけれ
さちおほくかへる鵜舟のふなべりに立並ぶ鵜のほこり顔なる
鵜飼見の人悉く帰りはてて月に涼しき長良大橋
長良川下る夜舟の櫓のひゞきほのかなるかもこの朝霧に
舟底の鳴る音すごしさかしまに棹つきさして早瀬を下る
恐ろしく心地よきかも早瀬下る舟底にふる石の響の
益田七里
飛騨川の上流、益田川の沿岸七里の景勝。岐阜より飛騨高山に入る街道。
石に散る滝つ七瀬の泣男山鳩といへり樹にやどり居り
養老の滝
大垣の南方、多度山中にあり。
古ゆ人の云ひ来る老人の復つといふ水ぞ名におふ滝の瀬
大君のみゆきましけるたどの滝老も若ゆといふ水ぞこれ
多度山のいはがき紅葉秋ふけてむらごに落るたきの白いと
老人をやしなふ泉くみて思ふわがたらちねのありし昔を
大君の大御車をとめましし多藝のみ山の桜花散る
多度の山夕日も花もとゞまらずゆく春いそぐ滝のひびきに
見おろせば美濃の広野に虹たちぬ滝つせの辺り狭霧籠りて
不破の関址
関が原駅より五丁余、古への不破の関の旧蹟なり。
美濃の国せきの藤川たえずして君につかへむ万代までに
人すまぬ不破の関屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
あれはてし不破の関路の夕暮に木葉さそひて行く時雨かな
伊吹山
柏原駅の近傍。近江美濃の国境をなせり。
湖のはてに伊吹は白く光りたり地震にくづれし片面かも
うちわたす菜畑やうやく黄ばみけり伊吹嶺はなほ雪白くして
雪曳ける遠つ伊吹の秋姿花野の末に柔らぎて見ゆ
どとおろす伊吹颪に野べの雪煙り上りて淋しきものを
星空に大きなぞへのきはやかに夜の伊吹のたたずまひかな
伊吹嶺のふもとの小田の氷れるに冬の夜の月さむざむと照る
補録
長良川
君が代は長良の川の水すみて底なる石も玉とこそ見れ
くむ人のよはひもさこそ長月やながらの川の菊のした水
うかひ舟今はほかにはながら河むかしを見する篝火の影
悲しくも鵜舟さすなり長柄川ながらへはてぬこの世と思ふに
かゞり火の光にみれば長良川うの羽の色もさやけかりけり
養老の滝
多度川の滝を清みか古ゆ宮仕へけむ多藝の野の辺に
養老瀑布見に物して岩根に腰かけなどしつつあたり見めぐらすに、なべて人げんの世かいはなれたるやうにおぼえらる
こくたちし人かあらぬか岩ばしる滝よりおくに薪こるおと
不破の関址
不破の関朝こえゆけば霞たつ野上のかたに鶯ぞなく
おもひこし不破の関屋の旅寝かなぬるともよしや夕暮の雨
伊吹山
秋をへて色にぞみゆる伊吹山もえて久しき下の思ひも
伊吹山いぶく朝風吹きたえてあふみは霧の海となりぬる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線15 彦根~野路の玉川 ― 2015年02月26日
彦根
井伊氏代々の故城。楽々園あり。
近江の海磯うつ波のいく度も御代に心をくだきぬるかな
葦の辺に魞おもしろき近江の湖鴨うく秋になりにけるかも
山の上の高きうてなゆ見晴るかす大きみづうみに春日匂へり
わが心ひろしゆたけし春の日を大きみづうみに向ひてあれば
城あとの大竹村は春雨に片なびきせり鶯のなく
瀬田の長橋
琵琶湖の水の瀬田川となりて流れ落つる口に架せり
みつぎものたえずそなふる東路の勢田の長橋おともとゞろに
ふみならす瀬田の長橋霧はれて波のうへゆく望づきの駒
近江のやせたのわたりの明方に田上すぎてなく時鳥
さゞなみのひら山おろし吹あれてあられよこぎる瀬田の長橋
瀬田川の蘆分をぶねさす棹に露とこぼれてたつ蛍かな
蜆とる舟おもしろき勢多川のしづけき水に秋雨ぞふる
石山寺
石山駅より南二十町。寺内にいはゆる紫式部の源氏の間あり。
あひがたき花のさかりに見つるかなけふ石山の春の月影
岩が根のくすしき山にくすしくも千代ふる寺は尊とかりけり
その昔いとこ等きそひ結びてし紙もあるらし縁結び岩
石山の月にみがきし言の葉の玉の光ぞ世々を照せる
いし山の月夜を清み須磨明石おもかげにして筆やとりけむ
粟津が原
石山駅より大津に到る間。木曽義仲戦死の処。
大びえやをびえの雲のめぐりきて夕立すなり粟津野のはら
大木曽の荒山ざくら末つひに雪と散りゆく粟津野の原
秋雨に粟津野くれば葦の穂に湖静かなり遠山は見えず
膳所
大津より近し。
膳所の町湖添道の真昼日の袖の下より飛ぶつばくらめ
夕されば波さわ立ちて帰る帆の風に高鳴る矢走舟かも
野路の玉川
草津より近し。
明日も来む野路の玉川萩こえて色ある波に月やどりけり
秋萩の花の影さへ匂ふなりぬれて渡らむ野路の玉川
補録
瀬田の長橋
望月の駒ひきわたす音すなり瀬田の長道橋もとどろに
夜をこめて朝たつ霧のひまひまにたえだえ見ゆる瀬田の長橋
にほの海やかすみて暮るる春の日にわたるも遠し瀬田の長橋
石山寺
都にも人や待つらむ石山の峰にのこれる秋の夜の月
野路の玉川
うづらなく野ぢのたま川けふみれば萩こす波に秋風ぞふく
今ぞみる野ぢの玉川尋ねきて色なる浪の秋の夕ぐれ
紫の色なる波もくくるらし萩ちる頃ののぢの玉がは
鷺あさる野ぢの玉川きてみればつばさ色なる萩が花ずり
萩が枝の末はさざれに流れあひて波も花なる野路の玉川
暮れゆけば月と花とになりにけり萩のかげゆく野ぢの玉川
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』東海道線16 大津~堅田 ― 2015年02月27日
大津
琵琶湖南端の都会。
逢坂を打出て見れば近江の海白木綿花に浪立ち渡る
初に来て大津の大路今日見ればよくも牛には生れざりけり
雨降れば泥踏みなづむ大津道われに馬あり召さね旅人
大津宮址
大津駅附近の地。
さざ浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
古への人にわれあれやさざ浪の古き都を見れば悲しき
さゞなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな
志賀山やはなの白雪はら〳〵と古きみやこの春ぞくれゆく
長良山
大津市背後の山。
さゞ浪の長良の山のながらへて楽しかるべき君が御代かな
こえやらであかずこそ見れ春の日の長らの山の花の下道
三井寺
長良山の山腹にあり。
さゞ浪や三井の古寺鐘はあれど昔にかへる声はきこえず
三井寺は杉の若葉に埋もれて雲より落つる夕暮の鐘
琵琶湖
近江の海ゆふ浪千鳥汝が鳴けば心も萎にいにしへおもほゆ
いその崎漕ぎ廻みゆけば近江の湖八十の港に鶴さはになく
鳰の海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり
おもふことなくてぞ見ましほの〴〵と有明の月の志賀の浦浪
さゞ浪の比良の大わだ秋たけてよどめる淀に月ぞすみける
近江の海湊八十あり何しかも思ひとまらで雁のゆくらむ
唐崎
大津より二里。琵琶湖の西岸にあり。老松あり。
さゞなみの滋賀の唐崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ
月かげは消えぬ氷と見えながらさざ浪よする志賀の唐崎
氷りゐし志賀のから崎打とけてさゞ浪よする春風ぞふく
ふく風の色は梢にくれそめて雨になりゆく唐崎のまつ
尋ねきてあはれとぞ見る幾千年ひとりか経けん志賀の浦松
唐崎の月夜を訪ひて坂本に帰る二人をふく秋のかぜ
堅田
唐崎より北二里。浮御堂あり。
秋風に落ちくる雁の声寒し堅田の浦のゆふぐれの空
補録
大津
我が命のま幸くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白波
大津宮址
さざなみや近江の宮は名のみして霞たなびき宮木守なし
さざなみや国つ御神のうらさえて古き都に月ひとりすむ
長良山
名をきけば昔ながらの山なれどしぐるる秋は色まさりけり
桜咲くながらの山のながき日も昔を恋ひぬ時のまぞなき
世はなにとうつろひかはるふるさとの昔ながらの夕ぐれの花
三井寺
三井寺焼けて後、住み侍りける坊を思ひやりてよめる
すみなれし我が古郷はこの頃や浅茅がはらに鶉なくらむ
琵琶湖
にほの海や霞のをちにこぐ舟のまほにも春のけしきなるかな
志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づる有明の月
にほのうみ春はかすみの志賀の波花に吹きなす比良の山風
大比叡やかたぶく月の木の間より海なかばある影をしぞ思ふ
ねざむれば比良の高嶺に月落ちて残る夜くらし志賀の海づら
唐崎
やすみしし我ご大君の大御船待ちか恋ふらむ志賀の唐崎
さざなみや志賀の唐崎風さえて比良の高嶺に霰ふるなり
夜もすがら浦こぐ舟は跡もなし月ぞのこれる志賀の辛崎
唐崎の松をもこえて鳰の海やみぎはにたかき雪のさざ波
から崎や夕なみ千鳥ひとつ立つ洲崎の松も友なしにして
さざなみの比良の山べに花咲けば堅田にむれし雁かへるなり
比良山
見わたせば比良の高嶺に雪きえて若菜つむべく野はなりにけり
花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで
大比叡やをひえのおくのさざなみの比良の高嶺ぞ霞みそめたる
堅田
すずみ舟よする堅田の浦風に月もゆらるる波の上かな
(東海道線の部おわり)
『和歌名所めぐり』東海道線 目次 ― 2015年02月27日
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