佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面4 伊勢神宮 ― 2015年03月16日
外宮
高倉山の麓に鎮坐ませり。山田駅より五町。
かけまくもかしこき豊の宮柱なほき心は空にしるらむ
何事のおはしますかは知らねども忝さに涙こぼるる
君が代は濁りもあらじ高倉や麓に見ゆる忍穂井の水
古市
山田の東に連る。
絵雪燈灯火にほふ伊勢音頭我も昔の人ごこちして
あかね染こさめの伊勢の古市の家ののれんはいと静かなる
宇治橋
五十鈴川(又みもすそ川)の内宮参拝路に架せり。
君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまん限は
もや深き神の宇治橋とどろとどろふみならしゆく朝まうで人
神宮
外宮に対して内宮ともいふ、天照大神を祀る。神路山の麓に鎮坐ませり。
五十鈴川高萱葺けるみあらかに神代の手ぶりいちじるきかも
いすず川新たにうつる神垣や年ふる杉の蔭はかはらず
度会の宮路にたてる五百枝杉影踏むほどは神代なりけり
神のます五十鈴の川の末遠く流れてたえぬ君が御代かな
神路山神杉かげのもや分けて神代覚ゆる朝詣かも
清らなる神の御園の静けさに此身神代にある心地する
神さぶる杉のしづ枝ゆ散る露をめぐみの露とうけてかしこむ
かげ深き大杉のもとにひざまづき小さき吾らいのりささげぬ
補録
外宮
聞かずともここをせにせんほととぎす山田の原の杉のむら立
契りありてけふ宮川のゆふかづら永き世までもかけてたのまむ
神風や山田の原の榊葉に心のしめをかけぬ日ぞなき
わたらひの大河水をむすびあげて心も清くおもほゆるかも
神宮
君が代は久しかるべしわたらひや五十鈴の川の流れ絶えせで
神風や五十鈴の川の宮柱いく千世すめとたてはじめけん
高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡を思ひてよみ侍りける
深く入りて神路のおくを尋ぬればまた上もなき峰の松風
立ちかへる世と思はばや神風やみもすそ川のすゑの白波
神風や朝日の宮のみやうつしかげのどかなる世にこそありけれ
勅として祈るしるしの神風によせくる浪はかつくだけつつ
照らしみよ御裳濯川にすむ月もにごらぬ波の底の心を
五十鈴川その人なみにかけずともただよふ水のあはれとは見よ
我が上に月日はてらせ神路山あふぐ心にわたくしはなし
紫も朱の衣もはえはあれど清き神路の山あゐの袖
五十鈴川すずしき音になりぬなり日もゆふしでにかかる白浪
みづえさす桂の大木陰すずし夏はいつきの宮の朝風
ひらけゆくわが大御世も久方の天の岩戸の光なるらむ
かしこきや神の白丁は真さやけき御裳濯川に水は汲ますも
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』伊勢方面5 二見潟~尾鷲 ― 2015年03月16日
二見潟
内宮より鳥羽にむかふ途にあり。
あかぬかなあけくれ見れど玉くしげ二見の浦の松の村立
二見潟こち吹く風に明けそめて神代ながらの春は来にけり
二見がた神代おぼゆる寝ざめかな浦ふく風に千鳥声して
二見潟うららに明けて浜松のかげふむ道によする白波
わたつ海吾立つ前にざざんざととよめきてあり伊勢はよき国
鳥羽
志摩国の要津。全面に答志島等の諸島あり。
鳥羽の海夕べの磯の風凪ぎてためらふ如し白帆三つ四つ
貝細工ひさぐ小店の立並ぶ港の町につよき春の日
志摩の国鳥羽の港のありあけに小舟やりけれおぼろおぼろと
多徳島
御木本真珠養殖場あり。
真珠生む多徳の島の春風は英虞の少女のぬれし髪ふく
丘の上の風見動かず鏡なす入江のどかに蝶一つとぶ
湯あみよしと貝が音ふけばをち方の島の島守舟こぎ来る
志摩めぐり
水桶を頭にのせし少女ゆく煙草の花に小雨ふる岡
英虞の海入江暮れたる夕もやに声よき海士がおし送り唄
南風吹けば熊野より来るこま島のこゑうつくしき山吹の渓
尾鷲
紀州東端の海港。今三重県に属す。
雨くらき松原道のくだり坂ゆくてあかるく波のよる見る
補録
二見潟
あけがたき二見の浦による浪の袖のみ濡れておきつ島人
玉くしげ二見の浦の貝しげみ蒔絵にみゆる松のむらだち
思ひきや二見の浦の月をみて明け暮れ袖に浪かけんとは
ますかがみ二見の浦にみがかれて神風きよき夏の夜の月
二見がた月をもみがけ伊勢の海の清きなぎさの春の名残に
二見潟うらの島々明くる夜のとほき塩屋は春ぞさびしき
赤根さす日影とふじの白雪と二見のうらの朝明のそら
鳥羽
嗚呼見の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
(「鳴呼見の浦」は鳥羽湾内の入海という)
少女子の櫛笥の中を見るごとく小船のならぶ鳥羽の川かな
志摩
釧つく答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
(「答志の崎」は志摩半島の崎)
秋凪ぎの英虞の海庭漕ぎ廻みていにしへいまの時もわかなく
(伊勢方面おわり)


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