佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大阪神戸附近1 淀川 ― 2015年04月25日
写真は淀川と長柄橋。
五 大阪神戸附近
淀川
宇治川、鴨川、大井川などを併せ下りて大阪市に入る。
狩くらし交野の真柴折敷きて淀の川せの月をみるかな
ふけゆけば月すみわたりわたの辺の大江の岸に秋の風ふく
鶯も啼きつかれたる声させつ淀川つつみ長々し日は
たび人のいかにのりてか淀船のとまのうへなる数のすが笠
淀河の夜舟のねざめ神さびぬ八幡の神楽とほくきこえて
枚方の堤はてなき夕月に船ひく影のたえずもあるかな
ふけぬるか苫の上白く月さえて千鳥なくなりよどの川ふね
補録
淀川
ゆく人もかへるも見ゆる淀川は波の心もいとなかるらむ
さみだれに岸の青柳枝ひちて梢をわくる淀の川舟
霜氷る葦の枯葉に風さえて月すさまじき淀の川なみ
わが友の照る頬の春よ淀川のみどりあふれて君が門ゆけ
長柄の橋
淀川にかかっていた橋で、その後朽ちて橋柱だけが残っていた。現在、大阪市北区と東淀川区とを結ぶ同名の橋がある。
世の中にふりぬる物は津の国の長柄の橋と我となりけり
難波なる長柄の橋もつくるなり今は我が身をなににたとへむ
我ばかり長柄の橋は朽ちにけりなにはのこともふるる悲しな
いにしへにふりゆく身こそあはれなれ昔ながらの橋を見るにも
ゆく末を思へばかなし津の国のながらの橋も名はのこりけり
朽ちにける長柄の橋を来てみれば葦の枯葉に秋風ぞ吹く
心なほ夕とどろきの橋柱たつ秋風も身にしみて行く
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面目次 ― 2015年04月24日
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面19 熊野・由良の門 ― 2015年04月24日
熊野
紀州南部の称。熊野神社あり。
山賤がけぶりふきけむ跡ならし椿のまき葉霜に氷れり
山賤がもちひにせむと木実つきひたす小川を又や渡らむ
鯨とるくま野の舟の八十つゞき花も紅葉も浦にこそあれ
紀の山の冬暖かし夕さればきり岸の上に松虫のなく
すがすがし奥の熊野の広前の黒き小石の朝じめりかな
三熊野は野べも山べも風かをる蜜柑花咲く春のあけぼの
熊野新宮
熊野川口にあり。
明るくも材木船のならびたる熊野の秋の川口の色
木の国の木の都なる川口の鋸屑道の物柔かさ
瀞八丁
熊野灘にそゝぐ北山川の一部。
天つ星またゝき寒し山彦の外に声なき岩かげにして
由良の門
紀淡海峡をいふ。
ゆらのとを渡る船人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
紀の潮と淡路の潮と戦へる迫門を船ゆくかしぎながらに
補録
音無
(熊野本宮大社前で熊野川に合流する川。附近を「音無の里」と言った。)
恋ひわびぬ音をだに泣かむ声たてていづこなるらむ音無の里
音無の川とぞつひにながれける言はで物おもふ人の涙は
氷みな水といふ水はとぢつれば冬はいづくも音無の里
はるばるとさがしき峰を分けすぎて音無川をけふ見つるかな
熊野
み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただにあはぬかも
さしながら人の心をみ熊野の浦の浜木綿いくへなるらむ
ちはやぶる熊野の宮の梛の葉をかはらぬ千世のためしにぞ折る
まれらなる跡をたづねし熊野山見し昔よりたのみそめてき
熊野の本宮やけて、年のうちに遷宮侍りしにまゐりて
契りあればうれしきかかる折にあひぬ忘るな神も行末の空
熊野川くだす早瀬のみなれ棹さすがみなれぬ波の通ひ路
熊野路や雪のうちにもわきかへる湯の峰かすむ冬の山風
わたの原夕浪黒く立ち来めり熊野の沖に鯨寄るころ
花の窟
木の国や花のいはやに引縄の長くたえせぬ里の神わざ
神無月春ごこちにもなれるかな花の岩屋に花祭りして
有馬の海浪のゆふ花折りかけて神をまつらぬ時も日もなし
(水垣注:有馬の海は三重県熊野市有馬町あたりの海。熊野灘の一部。弓なりの海岸線が長く続き、七里御浜と称される。伊邪那美の墓所とも伝わる花の窟が近い。)
由良の門
妹がため玉を拾ふと紀の国の由良の岬にこの日暮らしつ
紀の国や由良の湊に拾ふてふたまさかにだに逢ひ見てしがな
かぢをたえ由良の湊による舟のたよりもしらぬ沖つ潮風
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面18 日高・那智 ― 2015年04月23日
日高
和歌山の南方十数里。日高河畔に安珍清姫の古蹟と伝ふる道成寺あり。
鴉鳴く松原のかなた網をひく声さかりなりとのぐもる日に
喪へる心さびしく越えてゆく梅津呂越えを人に逢はずも
木の間もる入日の光あかあかと日高松原冬ぞ来むかふ
那智
寺を普陀落寺といふ。那智の滝あり。
壁たてるいはほとほりて天地にとゞろきわたる滝の音かな
高機をいはほにたてゝ天つ日の影さへ織れるからにしき哉
滝の上の杉のむらだち月おちて雲井にかをる水けぶりかな
山伏のふきなす貝のこゑくれて雲にとゞろく奈智の滝つせ
真熊野の熊野の浦ゆてる月のひかり満ち渡る那智の滝山
雲の行き速かなればおどろきて雲を見て居き滝の上の雲を
川添の川原なでしこ咲く道をめしひの親子那智まうでする
補録
いはばしる滝にまがひて那智の山高嶺を見れば花のしら雲
雲きゆる那智の高嶺に月たけて光をぬける滝の白糸
雲かかる那智の山陰いかならむ霙はげしき長き夜の闇
天の原雲なき空の雪と雨ととはに見せたる那智の大滝
いただきに杣板のせてくだる子がうしろで寒き那智の山風
天つ処女あまつ白木綿とはに織るをさの音かも滝の音かも
修行者が清き素足のあなうらに汝も作仏す那智の黒石
雲の中に那智の山あり人かよひ伐木すなり春夏秋冬
ぬばたまの夜の樹群のしげきうへにさゐさゐ落つる那智の白滝
末うすく落ちゆく那智の大滝のそのすゑつかたに湧ける霧雲
暮れゆけば墨のいろなす群山の折り合へる峡にひびくおほ滝
朝なぎの五百重の山の静けさにかかりてひびくその大滝は
冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面17 和歌の浦 ― 2015年04月18日
和歌の浦
和歌山市より東南にあり。
和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ蘆べをさして鶴なき渡る
若のうらを松の葉ごしにながむれば梢によするあまの釣舟
玉津島神社
和歌の浦にあり。
玉津島見れどもあかず如何にして包みもて行かむ見ぬ人の為
一むらの州崎の松にかげわけて内外の海の月をみる哉
白浪のよするなぎさに大御輿みたゝせりけむ古へ思ほゆ
補録
和歌の浦
ゆく年は波とともにやかへるらむ面がはりせぬ和歌の浦かな
和歌の浦や沖つ潮合にうかび出づるあはれ我が身のよるべ知らせよ
和歌の浦のちぎりもふかし藻塩草しづまむ世々をすくへとぞ思ふ
なびかずは又やは神に手向くべき思へば悲し和歌の浦浪
あはれはや浪をさまりて和歌の浦にみがける玉をひろふ世もがな
この国はことばの海のおほ八島いづくによるも和歌の浦波
玉津島神社
年ふれど老いもせずして和歌の浦に幾代になりぬ玉津島姫
人問はば見ずとや言はむ玉津島かすむ入江の春のあけぼの
三代までにいにしへ今の名もふりぬ光をみがけ玉津島姫
ささがにの蜘蛛のいとすぢ代々かけてたえぬ言葉の玉津島姫
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面16 粉河寺・根来寺 ― 2015年04月17日
写真は粉河寺本堂。
粉河寺
粉河駅にあり。西国三十三所観音の一。
粉河寺遍路の衆のうち鳴らす鉦々きこゆ秋の木の間に
根来寺
岩出駅より一里十三町、真言宗新義派の総本山。
古へを吹きぞ伝ふる法の風山の根ごろの松のむら立
桜落葉さびしうぞ散るそのかみの根来法師の面影もなく
補録
粉河寺
いとうへも花のあたりはあだなれどいかに散るらん吹く風の森
(水垣注:初句不審(「いとこへも」とも)。「風のもり」は旧粉河寺領内の風市神社の森という。)
修行せさせたまうける時、粉河の観音にて御札にかかせ給うける御歌
昔より風に知られぬともし火の光にはるるのちの夜の闇
つたへ聞く粉河の水のいかばかりもとの光の月もすむらん
粉河観音の歌
花ごろもかささぎ山に色かへて紅葉のほらの月をながめよ
此歌は、素意法師いまだ出家し侍らざりける時、粉河の観音にまうでて発心してやがてこもり侍りて、いづれの所にてか出家しいづくにてか仏法修行して往生をとげ侍るべきといのり申しけるに、内陣よりかくしめし給けるとなん
法のため此の身は骨をくだきても粉川の水の心にごすな
かづらきの尾越しの雲の崩れきて夕立すなり風猛の里
(水垣注:「風猛の里」は紀ノ川北岸の地。粉河寺に近い。)
根来寺
高野山わかれてこしもことさらに法を伝へん世々のためかも
(水垣注:伝法院(大伝法院)は根来寺の本堂。)
きぎすなく根来の山の桜花さかずは今も焼野ならまし
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面15 高野山 ― 2015年04月16日
高野口もしくは橋本より南方に登る。四里内外にして高野山金剛峰寺に到る。
高野山うき世の夢もさめぬべしその暁の松のあらしに
紀の国の高野の奥の古寺に杉のしづくを聞き明しつつ
高野山こけのとぼそはしづかにて音もきこえず春雨のふる
千歳へし杉の下道たどりつゝ高野の奥にきく時鳥
杉木立月かげ漏るゝみ山路に三宝鳥の鳴くを待ちつゝ
水の音遠くふけゆくみ山路をこゝろゆくまで鳴き渡る鳥
御霊屋の火影をぐらく森深み汝が声のみは獅子吼なりけり
今ははや水鳥樹林一如なり仏法僧のこゑのみにして
更けし夜を御廟の土にひざまづき吾師博士としばし祈りし
岩を穿ち宝ほる如古文書をしらぶる室の蓮の香の清さ
山の上に初春きたる八百あまり八十のみ寺は雪に鐘打つ
高野山のぼる坂路の杉村の雨の中なる鶯の声
大杉をみあぐる目にしあを空の晴々としてうつるなりけり
いつの世か我家の祖の捧げけむ貧の一燈もまじりてをあらむ
高野山杉生の奥の常燈にならびて出でし春の夜の星
おとし文人に見られて時鳥うらはづかしき音をや鳴らむ
補録
暁を高野の山に待つほどや苔の下にもあり明の月
昔思ふ高野の山のふかき夜に暁とほくすめる月かげ
風の音も高野の山の明け方にうち驚けば暁の声
くにぐにの城にこもりし現身も高野の山に墓をならぶる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面14 吉水神社~賀名生 ― 2015年04月13日
吉水神社
南北朝の昔、後醍醐天皇行宮のところ。
都だにさびしかりしを雲晴れぬ吉野のおくの五月雨の頃
如意輪寺
吉水神社より谷を隔ててあり。
くち残る矢の根のあとを栞にて千代もつらぬく道求めてむ
後醍醐天皇陵
植ゑおかば苔の下にもみよしのゝみゆきの跡を花やのこさむ
芳野山花のさかりはなかなかに都の春やおぼし出でけむ
西行庵
吉野の奥金峰神社より右に数町の山ふところにあり。
とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほす程もなき住居かな
大峰
吉野山の奥。吉野又は熊野より入る。
わけ来つる小笹の露にそぼちつゝほしぞわづらふ墨染の袖
寂寞の苔の岩戸のしづけさに涙の雨のふらぬ日ぞなき
吉野川
吉野山の麓を西へ流る。下流を紀の川といふ。
吉野なる夏箕の川の川淀に鴨ぞなくなる山かげにして
吉野川春の渚に糸たれて花に鰭ふる魚を釣るかな
川中の岩畳縦に切りとほし筏の道が作りてありぬ
ほのじろき瀬霧のなかを灯が動く夜釣の人の岩移りかも
宮滝
上市の東五十町、吉野川の上流にあり。上代の吉野離宮の旧地といふ。
淑人のよしとよく見てよしと言し吉野よく見よ淑人よく見つ
み吉野を我が見に来ればおちたぎつ滝のみやこに花散り乱る
これより和歌山線に帰りて西へ吉野川の沿岸を下る。
賀名生
南朝賀名生の行在は五条駅より南二里にあり。
忘れめや御垣にちかき丹生川の流にうきてくだる秋霧
補録
大峰
大峯にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見てよめる
もろともにあはれと思へ山ざくら花よりほかにしる人もなし
大峰の生の岩屋にてよめる
草の庵なに露けしと思ひけむ漏らぬ岩屋も袖はぬれけり
大峰の深仙と申す所にて、月を見てよみける
深き山の峰に澄みける月見ずは思ひ出もなき我が身ならまし
修行の次に大峰の花を見侍りける事を、年へて後思ひ出でてよみ侍りける
尋ねばや芳野のおくの山桜みし世の花もなほや残ると
吉野川
吉野川岩波高く行く水の早くぞ人を思ひ初めてし
吉野川岸の山吹ふく風にそこの影さへうつろひにけり
吉野川岸の山吹咲きにけり嶺の桜は散りはてぬらむ
宮滝
み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
我が行は久にはあらじ夢の曲瀬とはならずて淵にてありこそ
昔見し象の小川を今見ればいよよ清けくなりにけるかも
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面13 下市~吉野山 ― 2015年04月12日
桜井線の終点高田駅より和歌山線によりて吉野、高野方面に至るべし。その吉野口駅より吉野へ吉野鉄道あり。
下市
吉野鉄道の下市口駅より南九町。吉野川の左岸にあり。
夕明りほのかに夢を見るやうな黒髪塚のきんぽうげの花
六田の渡
吉野鉄道の終点吉野駅にあり。
高瀬さす六田の淀の柳原みどりもふかく霞む春かな
春されば六田のよどのやなぎ原みどりに見ゆる風の色かな
吉野山
昔たれかかる桜の花をうゑて吉野をはるの山となしけむ
吉野山さくらが枝に雪散りて花おそげなる年にもあるかな
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねん
吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
もろこしの人に見せばやみ吉野の吉野の山の山ざくら花
奧深く尋ね入らずば吉野山人にしられぬ花をみましや
昔おもふ吉野の山の遠近に花ふきわけてゆくあらしかな
花山の朝ゐる雲に打のりて心空なり土はふめども
よしの山霞のおくは知らねども見ゆる限はさくらなりけり
さくら花匂ふ吉野の山ながらわが御仏にたてまつらばや
ゆくも花かへるも花の中道を咲き散る限ゆきかへり見む
補録
六田の渡
かはづ鳴く六田の河の川楊ねもころ見れど飽かぬ河かも
これを見よ六田の淀にさでさしてしほれし賤の麻衣かは
舟つなぐ影も緑になりにけり六田の淀のたまのを柳
吉野
天皇(天智天皇)吉野宮に幸しし時の御製の歌
淑き人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見つ
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時のかくれがにせむ
春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらむ
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
いづくとも春の光は分かなくにまだみ吉野の山は雪降る
白雲と見ゆるにしるしみよしのの吉野の山の花ざかりかも
吉野山みねの桜や咲きぬらむ麓の里ににほふ春風
なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山
吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき
さくら花咲きにし日より吉野山そらもひとつにかをる白雲
み吉野は山もかすみて白雪のふりにし里に春は来にけり
み吉野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春の明けぼの
しら雲や花よりうへにかかるらむ桜ぞたかきみ吉野の山
あすも来む風しづかなるみ吉野の山の桜はけふ暮れぬとも
里人い桜うゑつぐ吉野山神の御ためと桜うゑつぐ
咲く花のあだなるかたにうつりゆく吉野の山の名こそ惜しけれ
ひとたびは見むよしもがな名ぐはしき吉野の山の花のさかりを
山の背に 続きかゞやく吉野の町。棟も甍も 花の中なる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』大和紀伊方面12 藤原宮址~飛鳥川 ― 2015年04月11日
藤原宮址
大和の三山に囲まれたる地方。
藤原の大宮所菜の花の霞める遠の天の香具山
三山
藤原の古京を中心として立てる、天の香具山、耳成山、畝傍山の三山をいふ。
見渡せば天の香具山うねび山あらそひたてる春がすみかな
三山は霞にうかびこもりくの初瀬あたりにひばりなくなり
ちらばれる耳成山や香具山や菜の花黄なる春の大和に
天香具山
桜井より西すれば左に見ゆ。
春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山
久方の天の香具山この夕べ霞たなびく春立つらしも
古への事は知らぬを我見ても久しくなりぬ天の香具山
香具山の尾上に立ちて見渡せば大和国原さなへとるなり
あさづく日にほへる時に久方の天のかぐ山見るがたふとさ
耳成山
桜井駅より西する汽車の右に見ゆ。
耳なしの山のくちなし得てしがな思の色の下ぞめにせむ
畝傍山
天の香具山と相対してその西方平野の中に立つ。三山中最高し。
うねび山見ればかしこし橿原のひじりの御世の大宮所
神代をもかけてぞしのぶ玉だすき畝火の山の今日し見つれば
神武天皇陵
畝傍山の東北麓にあり、神武天皇を祀れる橿原神宮は畝傍山の東南にあり。
ひろまへに玉ぐしとりてうねび山高き御稜威を仰ぐ今日かな
飛鳥川
天の香具山と畝傍山との中間を流れて大和川に入る川、このあたり古昔の飛鳥の京の故地なり。
いにしへを思へば遠し飛鳥川いくたびかはる淵瀬なるらむ
浅う澄む飛鳥の川の秋の水に蠶棚いくらもひたしてありぬ
秋雨に飛鳥を行けば遠つ世の思ひするかな萩の花ちる
飛鳥路を行けばつちくれ小山にもふるき幻うかびてありけり
補録
三山
香具山と耳成山とあひし時立ちて見に来し印南国原
天香具山
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ 美し国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
十市には夕立すらし久方の天の香具山雲がくれゆく
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天のかぐ山霞たなびく
耳成山
耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水はかれなむ
畝傍山
狭井河よ 雲たち渡り 畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
もののふの篝焼くらしうねび山とよはた雲と煙たつなり
飛鳥川
飛鳥河水漲ひつつ行く水のあひだも無くも思ほゆるかも
飛鳥川もみぢ葉流る葛木の山の木の葉は今し散るらし
世の中はなにか常なるあすか川きのふの淵ぞけふは瀬になる
昨日といひ今日と暮らしてあすか川流れてはやき月日なりけり
飛鳥川かはらぬ春の色ながら都の花といつにほひけん
夕されば蛙なくなり飛鳥川瀬々ふむ石のころび声して
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