佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近1 逢坂山~賀茂川 ― 2015年03月01日
京都附近
逢坂山を越えて汽車は京都盆地に入る。
逢坂山
大津より京都にむかふ途にある山。今は汽車のトンネルあり。古の逢坂の関の址、関の清水などこの山中にあり。
逢坂の関の岩かど踏み鳴らし山立ち出づるきりはらの駒
鶯のなけどもいまだふる雪に杉の葉しろきあふ坂の関
逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞ霞む関の杉むら
逢坂の関ふきこゆる風の上にゆくへも知らずちる桜かな
あふさかの関の戸あくるしののめに都の空は月ぞのこれる
逢坂のせきの杉むらしげけれど木の間よりちる山ざくらかな
夜ふかくも出にけるかな逢坂の関屋に来てぞ鶏もなきける
山科
大石良雄閑居の址あり。
心とくきても見しかな山しなの石田の森のもみぢそめしを
朝たちて吾がこえくれば雨まじり竹葉みだるゝ山科のさと
道の辺の竹葉の霜に朝日さし小鳥よくなく冬の山科
行きゆけば竹村のあなたこなたより鶯うたふ山科の道
朝もやのうするるまゝに竹村のむらむら見ゆる山科の里
醍醐
山科より東南十六町。
手向して春やゆくらむ千早ふる長尾の宮の花の木綿しで
深雪山帰るさ惜しき今日の暮花の面影いつか忘れむ
治まれる時を待ち得て深雪山今日より千世と花ぞ咲きける
相生の松に桜の咲添ひて深雪の山に千世を重ねむ
稲荷神社
稲荷駅の傍にあり。その後山を稲荷山また三つの峯といふ。
なく鳥のこゑもうもれて稲荷山くれ静なる雪のすぎむら
みともしのかげ消そめていなり山うの花月夜ほのしらむなり
うつくしき絵日傘つゞく稲荷道京のまひ子が花ぞめごろも
稲荷山はにの御鈴のふりはへて杉の下みちのぼるもろ人
夏の雨稲荷まつりの引き馬の鞍うつくしく雫するかな
賀茂川
京都市北方の山間よりいでて京都市を貫流す。
帰るべく夜は更けたれど賀茂川の瀬の音は高く月はさやけし
宿ながら見てあかすべき月夜かは賀茂までゆかむ川原伝ひに
送火の火影しらみて賀茂川の盆の月夜ぞあはれなりける
千鳥なくかも川堤つきふけて袖におぼゆる夜半の初しも
君とあればいつか河原の夜もふけて辻占売の声のきこゆる
東山朝ぎりの中にまどろみて河原の石の一つづつ覚む
鴨川の磧に白う流れたる春の霜夜の月あかりはも
川床に友染洗ふ人も来ず千鳥しばなく春さむの家
夕涼み四条五条の橋の間にかがやきつづく燈火のはな
木屋町に宿れば悲し川千鳥ちろちろとなく瀬の音にまじり
橋の下加茂の河原に子らあまた凧あげて居り元日のひる
補録
逢坂山
逢坂に遇ふや嬢子を道問へば直には告らず当麻路を告る
これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬもあふさかの関
逢坂の関の清水に影みえていまやひくらむ望月の駒
伊勢よりのぼり侍りけるに、しのびて物いひ侍りける女のあづまへくだりけるが、逢坂にまかりあひて侍りけるに、つかはしける
ゆくすゑの命もしらぬ別れぢはけふ逢坂やかぎりなるらむ
有明の月も清水にやどりけり今宵はこえじ逢坂の関
逢坂の杉のむらだちひくほどはをぶちに見ゆる望月の駒
逢坂や明ぼのしるき花の色におのれ夜ぶかき関の杉むら
石山にまうづとて、あけぼのに逢坂をこえしに
雲の色にわかれもゆくか逢坂の関路の花のあけぼのの空
かへるべき道しなければこれやこの行くをかぎりの逢坂の関
ささずとて誰かは越えむあふ坂の関の戸うづむ夜半のしら雪
逢坂の関のこなたにあらねども往き来の人にあこがれにけり
賀茂川
秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遥しける供にまかりてよめる
川風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ
みそぎする賀茂の川風吹くらしも涼みにゆかむ妹をともなひ
誰がみそぎ同じ浅茅のゆふかけてまづうちなびく賀茂の川風
夏はつる扇に露もおきそめてみそぎすずしき賀茂の川風
夏と秋とゆきかふ夜半の浪の音のかたへすずしき賀茂の川風
まだきより波のしがらみかけてけりみそぎ待つ間の賀茂の河風
冬ふかみ賀茂の川風さゆる夜は汀の波ぞまづこほりける
恋せじとせしみそぎこそうけずとも逢瀬はゆるせ賀茂の川波
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近2 東山~岡崎 ― 2015年03月02日
東山
京都の東方、山城近江の国境をなす連峯。
粟田山松の葉うづむ白雲のはれぬあさけになくほとゝぎす
埋火の外に心はなけれどもむかへば見ゆるしらとりの山
音羽山雪にのぼりてみわたせば九重のそらに花ぞふりしく
ひがし山祇園清水しろがねの箔をちらして春の雪ふる
清水寺
東山にあり。
京の子が日傘たたんでしやんなりと青葉うつくし清水のぼる
初旅の京のみやげと陶器の塔など買ひぬ清水坂に
祇園
京都東部、狭斜の地。
行く春の祇園はかなし舞姫が稽古がへりのうしろ姿も
賀茂川をゆく水よりもはかなしやその日その日の舞姫の恋
女たち小走りにゆく夜の霧に行燈の灯が紅うにじめり
ほとゝぎす京は八坂の御塔を南に過ぎぬありあけの月
京言葉ふさはしこよひ宵宮の祇園ばやしのながれくる町
春の夜はつなぎ団子の提燈のつゞく祇園のゆきずりもよし
祇園町をどりのはてのちかづけば提燈の灯もはかなかりけり
黒谷
京都市東部にあり。金戒光明寺といふ、浄土宗の巨刹。
雨あがり桐の花ちる黒谷のみ寺しづけきはつ蝉のこゑ
岡崎
京都東方にあり。今は市に入りて京都帝国大学など建てられ、閑静の趣は減じたり。
梟のこゑをしるべに帰るかな夕べをぐらきをかざきの里
冬畑の大根のくきに霜さえて朝戸出さむしをかざきのさと
をかざきの月見にきませ都人かどの畑いも煮てまつりなむ
岡崎に友を訪ひての帰るさの時雨の雨もなつかしきかな
補録
東山
東山に百寺拝み侍りけるに、時雨のしければよめる
もろともに山めぐりする時雨かなふるにかひなき身とはしらずや
東山のぼりも果てずまづ見れば都のしぐれ鳥羽にすぎゆく
朝日さすひむがし山の面影も遥かに霞む春は来にけり
清水寺
照る月のかげにてみれば山ざくら枝うごくなり今かちるらむ
祇園
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
人にそひて今日京の子の歌をきく祇園清水春の山まろき
木屋街は火かげ祇園は花のかげ小雨に暮るゝ京やはらかき
かにかくに祇園はこひし寐るときも枕の下を水のながるる
岡崎
妹と出でて若菜摘みにし岡崎のかきね恋しき春雨ぞふる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近3 銀閣寺~志賀山越 ― 2015年03月03日
銀閣寺
京都市の東北にあり。
松かぜや茶煙禅榻風流は国に一人の東山殿
すがすがし青葉あらしに送られて菜花咲けるあぜ道をゆく
白河
京都市の東北の山麓にある村。
けさ見れば汀のこほり埋もれて雪のなかゆく白川の水
もえわたる庭の水草もあらはれて烟ながるる白河の水
巌きる槌のひびきに花ちりて青葉になりぬしら川のおく
京へ売る畑の蝦夷菊花さきて蝶むつれとぶしらかはの里
いにしへは三千の大衆かよひけむ白川口の春霞かな
志賀山越
京都市より東山を越えて近江国にいづる山路。
志賀の山花に越ゆれば古への人も逢ふやとおもほゆるかな
日ぐらしに越えはつべくもおもほえず花かげ多し志賀の山道
聞えずばなほ声高に道とはむこなたにゆくや志賀の山越
かへるさは志賀の山ごえ暮はてゝきらゝの峰に鹿ぞ鳴くなる
朝風にうばらかをりて郭公鳴くや卯月の志賀の山越
あゆみおそきつぼ装束の人ふたり志賀の山道花吹雪する
補録
白河
白河のしらずともいはじ底きよみながれて世々にすまむと思へば
よろづ代のためしと見ゆる花の色をうつしとどめよ白川の水
白川の春の木ずゑを見わたせば松こそ花のたえまなりけれ
忘れめや都のたぎつ白河の名にふりつみし雪の明ぼの
ながれてのよにもかくこそ秋の月すみて久しき白河のみづ
里人は巌切り落す白河の奧に聞ゆるさをしかの声
いはほきる音もしめりて春雨のふる日しづけき白川の里
志賀山越
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
志賀の山越えにて、石井のもとにて物いひける人の別れける折によめる
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな
春風の花のふぶきにうづもれて行きもやられぬ志賀の山越え
袖の雪空吹く風もひとつにて花ににほへる志賀の山越え
峰の雲ふもとの雪にうつろひて花をぞたどる志賀の山越え
にほひくる風のたよりをしをりにて花に越えゆく志賀の山道
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近4 洛北(山端~比叡山) ― 2015年03月04日
山端
京都市の北郊、高野川に臨める岬端。
山端やはなればなれの村々に霞みて匂ふ紅梅の花
詩仙堂
京都の北郊にあり、石川丈山隠棲の地。
渡らじな蝉の小川の浅くとも老の波そふ影もはづかし
比叡の山ふもとの里に門とぢて剣を筆にとりぞ換へつる
かきこもる木蔭かすかにともす火のうつりて涼し山の遣水
竹むらにまじる椿の花おちて門を入るよりなつかしきかな
比叡山
京都の東北に聳ゆ。寺あり延暦寺といふ。京都より登るに白川越、雲母越等の道あり。
阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせ給へ
青柳の糸の絶間に見ゆるかなまだ解けやらぬ大比叡の雪
朝づく日さしも定めぬ大比叡のきらゝの坂に時雨ふる見ゆ
夏しらぬかげもありけり大比枝や横川に通ふ杉のしたみち
千とせふるひえの杉村わけくれば夏さへ寒しひえの杉村
峯ちかく鳶の越えゆく雲母坂近江はさやに明けにけらしも
靄の上に朝日かゞやく比叡の嶺見の宜しもよ秋の朝けに
初秋や白川ぐちの露ふみて女もすなる比叡のぼりかな
補録
洛北
まちの雨比叡の小雪のゆきかひにみぞれとなりし京の北かな
比叡山
ひえにのぼりてかへりまうできてよめる
山たかみ見つつわが来し桜花風は心にまかすべらなり
大比叡やをひえの山も秋くれば遠目もみえず霧のまがきに
おほけなくうき世の民におほふかなわが立つ杣に墨染の袖
今もなほわが立つ杣の朝がすみ世におほふべき袖かとぞみる
大比叡やかたぶく月の木の間より海なかばある影をしぞ思ふ
咲く花も滝もましろにあらはれて暮れゆく山のおくぞ淋しき
大比叡の峯に夕ゐる白雲のさびしき秋になりにけるかな
春の雁比叡の根本中堂に逢へるも知らずみづうみも越ゆ
現在なるこよひは寂かにて杉まの砂に月照りにけり
日の暮れの雨ふかくなりし比叡寺四方結界に鐘を鳴らさぬ
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近5 洛北(大原~賀茂) ― 2015年03月05日
大原
京都の北方にあり。惟喬親王閑居の地。
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは
水のおとは枕におつる心地してねざめがちなる大原の里
山風に峰のささ栗はらはらと庭におちしく大原の里
わがごとや老てつかれし賤の女がおくれて帰るをのゝ山みち
大原やおぼろの清水名のみして秋は月こそすみわたりけれ
鐘鳴るや三千院のあかつきのすみわたる気に涙おちぬれ
大原や野菊花咲くみちのべに京に行く子が母と憩へる
高野川ながれを清み里の子もあひるも遊ぶ八瀬の大橋
鳴きかはす鶯目白咲き乱るむかう岸辺の桜山吹
寂光院
大原にあり。安徳天皇の御母建礼門院隠棲の地。
思ひきやみ山の奥にすまひして雲井の月をよそに見んとは
池水にみぎはの桜散りしきて波の花こそ盛なりけれ
ほとゝぎす治承寿永のおん国母三十にして経よます寺
ほとほとと打てばむなしき音たつる寂光院のまろばしらかも
うす明り御像にさせばかしこしや寂光院の春のゆふぐれ
うづもるる身は露霜のふる塚も春だに花の雪にかくれむ
賀茂
上下の二社あり、鴨川の上流泉川と瀬見の小川と合流の地なるは下加茂神社にして附近の森を糺の森といふ、上加茂は更に一里の上流にあり。
ちはやぶる賀茂のやしろの姫こまつ万代ふとも色はかはらじ
山あゐにすれる袂の霜さえて月かげこほる賀茂のみたらし
みたらしの岩うつ浪もうづもれて雪しづかなる賀茂の御社
若葉さすただすの森の夕月夜千鳥にはあらじ今の一声
下賀茂の二月の森はわが親のすがたの如くなつかしきかな
仕へやめて局すみます下賀茂の柴のとぼその紅梅の花
賀茂の森いづれば遠く咲つづく菜の花畑にかがよふ夕日
補録
大原
こりつめて真木の炭やく気をぬるみ大原山の雪のむら消え
炭竈のたなびくけぶり一すぢに心ぼそきは大原の里
日かずふる雪げにまさる炭竈の煙もさびし大原の里
秋の日に都をいそぐ賤の女がかへるほどなき大原の里
大原や雪降りつみて道もなし今日はな焼きそ峰のすみがま
召せや召せゆふげの妻木はやく召せかへるさ遠し大原の里
粽巻く笹のひろ葉を大原のふりにし郷は秋の日に干す
寂光院
書ひらけば寂光院のものがたりなみだぐましも秋の夜にして
賀茂
ちはやぶる賀茂のやしろの木綿だすきひと日も君をかけぬ日はなし
川千鳥なれもやものは憂はしき糺の森をゆきかへりなく
ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ
出家の後、賀茂にまゐりて、みたらしに手洗ふとて
右の手もその面影もかはりぬる我をば知るやみたらしの神
風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける
聞くごとにたのむ心ぞ澄みまさる賀茂の社のみたらしの声
みそぎする賀茂の川波ゆふかけて糺の森にひぐらしのこゑ
何ゆゑと事はしらぬを葵ぐさ賀茂の祭に吾もかざせり
卯の花の白がさねして神山のみあれ見に行く今日にもあるかな
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近6 洛西(北野神社~三尾) ― 2015年03月06日
北野神社
菅原道真を祀る。
今出川紙凧あぐる子に風寒し北野の宮の紅梅の花
大前のうす紅梅は咲きそめて古りし蔀に春の日のさす
金閣寺
足利氏経営の古寺。林泉頗よし。
小坊師が案内の声もかれはてて春の日ひくし衣笠の山
たそがれの衣笠山のかげ冷ゆる池の面の黄の落葉はも
衣笠山
金閣寺背後の山。
佐保姫のうすみどりなる霞もてぬひあらためし衣笠の山
初雪を京にて見たりうれしくも衣笠山の初雪を見つ
並が岡
兼好法師閑居の地。
朝日さすならびの岡の松の上になきかはしたる鶯のこゑ
ここにして筆をとりけむそのかみのおもかげうかぶ松風の声
御室
京都の西郊。
仁清のむかしこひしみ春三月花の御室に窯跡とひぬ
京の春旅のをはりにちる花の中にまじりて仁和寺に来ぬ
鷹が峰
京都の西北鷹が峰に光悦の旧蹟あり。
鷹が峰苔むす庭の老松よ君がありけむ昔かたらへ
光悦が窯師とかたるみなみ窓金泥皿にとけ入る朝日
ふうわりと月のぼりけり鷹が峰光悦村に見ゆる窯の火
陶工よくやけたりし陶器のあけぼのの色を見つゝ笑みをり
春雨のしとしととそゝぐ鷹が峰光悦の墓に白椿落つ
三尾
高雄、槙尾、栂尾をいふ。紅葉の勝地。いづれも清滝川に臨めり。
石ばしる水の白玉数見えて清滝川にすめる月かな
降りつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白浪
筏おろす清滝川の滝つ瀬に散りてながるゝ山吹のはな
清滝の竹むらつづき山の家に鶯きかむ初春に来て
高尾山山をうづむる紅に清滝川も色染めにけり
君とする土器投げの遊びさへいかに嬉しきものとかは知る
高尾ゆきのその帰り路は雨も晴れ星いでそめぬ京に入る頃
幾度か晴れくもる日に色かはる高尾の山の木々のもみぢ葉
補録
北野神社
春ながら今年の空は初雪にふりはへ神のめぐみをや見ん
神垣やあたり間ぢかく匂ふなり北野の宮の梅の下風
雪とくる北野の宮居のどかにて春のめぐみに霞みそむらん
南より先づ咲きそめて日数ふる北野の梅ぞさかりひさしき
金閣寺
金閣寺北山殿の林泉にいつ忍び入り咲ける野薔薇ぞ
池の水ひろく湛へて金閣の廂の金はかがよひにけり
衣笠山
とはばやな衣笠岡の秋の色をきてみよとこそ鹿もなくらめ
並が岡
思ふどちならびの岡の坪菫うらやましくも匂ふ花かな
おぼつかな並の岡の名のみしてひとりすみれの花ぞ露けき
色々にならびの岡の初もみぢ秋の嵯峨野のゆききにぞ見る
ならびの岡に無常所まうけて、かたはらに桜を植ゑさすとて
ちぎりおく花とならびの岡のべにあはれいくよの春をすぐさむ
御室
神さびていはふ御室の年ふりてなほ木綿かくる松の白雪
松の実や楓の花や仁和寺の夏なほ若し山ほととぎす
三尾
清滝の瀬々の白糸くりためて山分け衣織りて着ましを
岩根こす清滝河のはやければ波折りかくる岸の山吹
筏おろす清滝川にすむ月は棹にさはらぬ氷なりけり
秋の水清滝川の夕日かげ木の葉もうかずくもるばかりは
水上の高嶺の雪も今日とけて清滝川に春風ぞ吹く
ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき
なる神の音は高雄の山ながらあたごの峰にかかる夕立
なべて世にかをりみちたる木の芽かな栂の尾山に植ゑ継ぎしより
一枝も手折らばうけん栂尾の落葉はゆるせ秋の山守
夕づきて川べにたかき栂の尾寺黄葉の谷に靄かかりたる
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近7 洛西(嵯峨) ― 2015年03月07日
嵯峨
京都市西郊一帯の地。
野の宮の樫の下道けふ来れば古葉とともにちる桜かな
木の芽煮てこの頃都売りありく翁を見けり嵯峨の花かげ
竹筏青きがうへに桜散り油のごとき嵯峨のはるさめ
罌粟の実のまろく青きが並び居り清涼寺よりわが出で来れば
真萩ちるあしたの雨にそぼぬれて友とまうづる妓王妓女の墓
嵯峨の奥大竹やぶの春の雨青み烟れり目路の限りは
還幸の御車ゆるうきしろひて花の雨ふる北嵯峨のみち
花降る日小督の墓にぬかづけばはらからの如親しみ覚ゆ
北嵯峨や尼によき子と乞はれてし昔なつかしはるの夕ぐれ
補録
嵯峨
名にめでて折れるばかりぞ女郎花われおちにきと人に語るな
嵯峨大覚寺にまかりて、これかれ歌よみ侍りけるによみ侍る
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
小萩さく秋まであらば思ひいでむ嵯峨野をやきし春はその日と
嵯峨にすみけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを
うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥し
春日野は子の日の若菜の春のあと都の嵯峨は秋萩の時
公時卿母みまかりて歎き侍りけるころ、大納言実国がもとに申しつかはしける
悲しさは秋のさが野のきりぎりすなほ古郷にねをや鳴くらん
花をみし秋の嵯峨野の露の色も枯葉の霜にかはる月影
名にめでし嵯峨野の秋のをみなへしこれも菩提のたねとしらずや
野宮
野宮に斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題をよみ侍りける
琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ
わすれめや神のいがきの榊葉にゆふかけそへし雪の曙
夏草の花にぞのこる野宮やふりはへ問ひし神のうつり香
広沢の池
すむ人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり
すだきけむ昔の人は影たえて宿もるものは有明の月
いにしへの人は汀に影たえて月のみすめる広沢の池
散る花にみぎはのほかの影そひて春しも月は広沢の池
化野
暮るるまも待つべき世かはあだし野の末葉の露に嵐立つなり
人の世は思へばなべてあだし野のよもぎがもとのひとつ白露
あだし野や風まつ露をよそにみて消えんものとも身をば思はず
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近8 洛西(嵐山・大井川) ― 2015年03月08日
嵐山
京都の西、大井川に臨む。
朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦きぬ人ぞなき
あらし山花の光も暮れゆけば戸無瀬の奥に蛙なくなり
嵐山まつの葉わけてとびまがふほたるぞ夏の花には有ける
あらし山名所の橋の初雪に七人わたる舞ごろもかな
京少女団扇ぬらして群れあそぶ音羽の滝のゆふづく夜かな
大井川
嵐山の麓を流る。
大井川わか葉涼しき山かげのみどりをわくる水のしらなみ
大井川月と花とのおぼろ夜にひとりかすまぬなみの音かな
大井川かへらぬ水にかげ見えてことしもさける山ざくら哉
ほたるとび蛙もなきて大井川またなつの夜もおもしろき哉
大井川ゐぜきの浪は高けれど鳴く音まぎれぬほとゝぎすかな
桂川絵に見るやうの瀬の蘆やいしぶし見むと月に下りけり
補録
嵐山
大井川ふるき流れをたづねきて嵐の山のもみぢをぞ見る
けふ見れば嵐の山は大井川もみぢ吹きおろす名にこそありけれ
吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて峯たしかなる嵐山かな
むかし見し嵐の山にさそはれて木の葉のさきに散る涙かな
朝ぼらけ嵐の山は峯晴れて麓をくだる秋の川霧
ながめのこす花の梢もあらし山風よりさきに尋ねつるかな
大井川・桂川
(大井川の下流を桂川といふ。)
大井川かはべの松に言問はむかかる行幸やありし昔を
夕さればいとどわびしき大井川かがり火なれや消えかへりもゆ
高瀬舟しぶくばかりにもみぢ葉の流れてくだる大井川かな
水もなく見えこそわたれ大井川きしの紅葉は雨とふれども
大井川いは波たかし筏士よ岸の紅葉にあからめなせそ
もみぢ葉は井関にとめよ大井川空に暮れゆく秋をこそあらめ
ひさかたの中なる河の鵜飼舟いかに契りて闇を待つらん
大井河秋のなごりをたづぬれば入江の水に沈むもみぢ葉
大井川かへらぬ水のうかひ舟つかふと思ひし御代ぞ恋しき
大井川はるかにみゆる橋のうへに行く人すごし雨の夕暮
柵を越えては白く落つる水遠き水音の聞かば聞きつべし
小倉山
夕づく夜をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ
鳴く雁のねをのみぞ聞く小倉山霧たちはるる時しなければ
小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ
あやしくも鹿のたちどの見えぬかなをぐらの山に我や来ぬらむ
小倉山しぐるるころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉
をぐら山木の葉しぐれてゆく秋の嵐のうへにのこる月かげ
わが庵はをぐらの山のちかければうき世をしかとなかぬ日ぞなき
をぐら山秋とばかりの薄紅葉しぐれてのちの色ぞゆかしき
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近9 京都ここかしこ ― 2015年03月09日
聖護院の枝垂れ桜(京都の桜フリー写真より)
京都こゝかしこ
むしろたてて瓜苗つくる聖護院春日うらゝにひばりなくなり
春風の三条四条夕ぐれを旅人さびて歩みけるかな
鞍馬道石運び来る牛車牛の背にちる山ざくらばな
青きいらか丹ぬりの柱絵の如き平安宮の春の日うらら
細うかいた美しい仮字見る様な春雨がふる三条五条
いつの日か絵巻に見たる東福寺通天橋にちる紅葉かな
京の雪祇園清水黒谷の塔につもれるなつかしさかな
佐佐木信綱編『和歌名所めぐり』京都附近10 洛南(深草~淀) ― 2015年03月09日
深草
京都市の南郊。元政の墓あり。
深草や竹のは山の夕ぎりに人こそ見えね鶉なくなり
竹三本わづかにたてり深草や清きひじりのおくつきどころ
伏見
京都南方の市街。
ふしみ山松のかげより見渡せば明くる田の面に秋風ぞ吹く
呉竹の伏見の里を朝行けば遠近に鳴くうぐひすの声
旅なれば伏見の街の夜半の灯も悲しくひとり京へいそぎぬ
伏見の街ほし並べたる人形を笑うて撫でて春の風ふく
三夜荘父がいましし春の頃は花もわが身も幸多かりし
伏見桃山陵
京都の南方、伏見町の東方にあり。
うら悲しみささぎ山を中にして大天地は秋さびにけり
駒たてて大み軍を閲しまししそのかみ思ふに涙せきあへず
神ながら吾大君の眠りいます伏見の御山尊くもあるか
乃木神社
昭憲皇太后の御陵より南に下る道にあり。
桃山の陵守る御社にかしこみ並ぶからかねの駒
淀
伏見の南、淀川に臨めり。
いづ方に鳴て行くらむほとゝぎす淀のわたりのまだ夜深きに
一声は空に流れて淀川の淀むまもなく行くほとゝぎす
旅人のいかに乗りてか淀船の苫の上なる数のすが笠
くらき夜は船も見えねど淀川の水の上ゆく燈火のかげ
補録
深草
深草の里に住みけるを、京にまで来とて、そこなる女に
年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
返し
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君が来ざらむ
堀河の太政大臣身まかりにける時に、深草の山にをさめてけるのちによみける
空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だにたて
深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け
夕されば野べの秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里
思ひ入る身は深草の秋の露たのめし末や木枯しの風
その色とわかぬあはれもふか草や竹のは山の秋の夕ぐれ
里の犬のあとのみ見えてふる雪もいとど深草冬ぞさびしき
伏見
巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
仁和のみかど、嵯峨の御時の例にて、芹河に行幸したまひける日
嵯峨の山みゆきたえにし芹河の千世のふるみち跡はありけり
夢かよふ道さへたえぬ呉竹の伏見の里の雪の下折れ
をしねほす伏見のくろにたつ鴫の羽音さびしき朝霜の空
伏見山裾野をかけて見渡せば遥かに下る宇治の柴舟
今よりや伏見の花になれてみん都の春も思ひわすれて
いめびとの伏見の里を朝ゆけば梅が香ならぬ風なかりけり
淀
山城の美豆野の里に妹をおきていくたび淀に舟よばふらん
狩り暮らし交野の真柴をりしきて淀の河瀬の月を見るかな
はるばると鳥羽田の末をながむれば穂波にうかぶ淀の川舟
夕まぐれ淀野の沢をたつ鴫のゆくへさびしき水の色かな
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